とばりの向こう

宇野 肇

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15.

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 女性の支度は時間がかかるとは言うものの、家族全員の準備が整うまでは比較的早かった。何せ招待されたのは押しも押されぬ辺境伯からで、しがない子爵家からすれば可及的速やかに事を運ばなければならない。
 そそくさと家を出た我が家は、鉄道に運ばれあれよあれよという間にシリル様の待つバーネット領最南のトノシキという街へ着いた。バーネット領の中でも越冬が最も楽な街だ。軍事的な拠点は北の方だが、避暑地としてならばもう少し北上した方が平野が広がっていて、乗馬を楽しむこともできるためよいと人気がある。どちらかと言えばトノシキは他領との接続地という感じで、交易も盛んなために市場が非常に賑わっていると聞く。
 実際、駅へ降り立つとすぐに市場の賑わいが聞こえてきたほどだった。
「やあ、コナー子爵殿。この度はご足労いただき誠に感謝致します。バーネット伯爵家次男、シリル・バーネットと申します」
「これはこれは。シリル様自ら駅まで着てくださるとは……」
 父が名乗り、母と妹を紹介する。
「私はなんの爵位もないですし、父の名代は兄ですから」
 気易く微笑むシリル様は、随分とリラックスしているように見えた。家族を案内し、荷物も含め馬車へ乗せる。そうしてじっとシリル様を見る俺を目に留めて、おかしそうに笑った。
「久しぶりだというのに随分と顔色が悪いなルートヴィヒ」
「緊張していますので」
「恋人に会えたのだからもっと嬉しそうにしてほしいものだ」
 シリル様は保健室以来、随分と明け透けな態度になった。俺の怪我がよくなるまで本当に酷く、その、積極的だったので、俺は終始誘惑に耐えなくてはいけなかった。生半可な気持ちでシリル様に手を出すことは許されないと言い張りつつも股間を勃起させる俺に、シリル様は呆れながらも待っていてくださっている。
 ただあまりにも振る舞い方が変わったから、どうしたのかと訊ねずにはいられなかった。その心の内を明かしてしまったので、澄ました顔をする理由がなくなったと聞いたが、それにしても開き直った様子に俺がついて行けていない。
「俺は学校へ行っていた頃も、今も、シリル様を見るだけで嬉しく思っています」
 シリル様が容姿端麗であるということだけでなく、行儀作法を含めて、本当に見ていて美しいのだ。穏やかな態度を崩さないことも、誰に対しても近すぎず遠すぎない距離を保っていたところさえも好きだった。焦がれていた。
 恋をしていたから、側に居たかったのだ。
「お前も随分と言うようになったじゃないか」
 シリル様が珍しく面食らったような顔をして、少し目線を外した。赤くなった頬を見ながら口を開く。
「本心です」
「わかった。早く乗れ。お前は私と一緒に車だ」
「……よろしいのですか?」
「馬車にお前の乗るところがもうない」
 それに、クリシュナ殿とは乗っていただろう。
 言われて、今まで聞いたこともないような言葉がシリル様の口から出てくるのを、なんとも面映ゆい気持ちで受け入れた。父にも顔を向けたが、大丈夫だと頷かれるだけだ。
「シリル様の案内に従いなさい」
「そうよ。それにあなたが車でないと。もう随分と寒くなっているのだから」
 母はウインクまでして楽しげだった。妹は母と同じように扇子を広げて口元を隠していたが、目は笑っていないことは明らかだ。三種三様に苦笑いしつつ、分かりましたと口にしてシリル様の後に続く。車に乗り込むと嬉しそうな顔で口づけを受けた。
「会いたかった」
 この人に望まれている。それだけで舞い上がるような心地になってしまう。
「俺もです」
 こんなに単純だっただろうかと思ったが、単純だったなと納得してしまった。俺はこの人の前で利口でいられたことなどない。
 車が動き出し、それを馬車が追いかける。頬の赤さは寒さに紛れてくれるだろう。



 そうして到着したのはまさかのバーネット家の別荘だった。暖房設備や広さなどを考えての事で、シリル様の兄君も既に到着しているという。
 車から降りると、すぐに出迎えがあった。従僕が手際よく荷物を降ろしていく横で、馬車も止まり、シリル様の案内で中へ招かれた。
「コナー子爵殿をお連れ致しました」
「ご苦労。皆様方、ようこそおいでくださいました」
 中へ入ると、シリル様をずっと逞しくしたような美丈夫が朗らかに声を響かせた。広々とした玄関ホールに圧倒されつつ、間違いなくバーネット家の人間だろう事が分かる男性を前に、父は帽子を取り、会釈をする。嫡男のアルバート様だろう。学び舎にいた期間は数年ほど重なっているはずだが、あまり接点はなかった。シリル様もアルバート様も積極的に話す素振りもなく、お互いの交友関係の方を大事にしていたように思う。
「とんでもないことです。ここまでの費用を全てご負担いただき大変恐縮しております」
 アルバート様と父がお互いに歩み寄り握手を交わす。アルバート様の側には一人女性が立っており、微笑をたたえていた。確かアルバート様はご成婚されて数年経っていたはずだ。名前は確かアンナ様。
 父もそのことに触れつつ自己紹介し、それぞれ順に紹介を受けて俺も礼をした。
「そうか、君がシリルの」
 ふふ、と微笑まれ、俺は短くはいと答えるのが精一杯だった。やや心配だった妹も、淑女の仮面をつけてくれておりほっとする。
 そして、その直後アルバート様が深々と頭を下げたのを見て、家族全員が飛び上がるほど動揺した。
「この度は我が弟がコナー家のご子息に随分とご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ない」
「アルバート様! 頭をお上げください、我が息子の方こそ不出来さゆえにシリル様に大変な心労をおかけしてきたことと思います……! その上、学校での立ち回りも上手くできないありさまで……」
「いいえ。弟からは自らの振る舞いについて報告を受けておりますし、情報に関してはライアン家のご子息様がかなり制限させていたようですから難しかったかと。ルートヴィヒ殿も困惑されたことでしょう。そこに弟が癇癪を起こしたのですから誰に責があるかと言うのならばシリルの方です」
 頭を上げてくださったアルバート様の目配せも待たずシリル様はその場で片膝をついた。
「はい。この度はルートヴィヒ・コナー殿には本当に申し訳ないことを致しました。私が至らぬばかりに怪我まで負わせてしまい、これについてお詫びのしようもありません」
「シリル様! おやめください!」
 今度はシリル様が頭を垂れる。髪が揺れ、つむじが露わになる。懺悔するように父へ謝罪するシリル様に、父は同じことを繰り返した。俺は父に、ひいてはコナー家に対し謝罪を述べているシリル様を止める立場にはない。俺とシリル様の間では済んだ話だが、俺は黙って父と母と、そしてバーネット家の動向を見ていた。妹に背中を扇子で突かれたが、意図が掴めない。
 父が手を差し伸べてシリル様を立ち上がらせると、シリル様は改めて父を見つめて言った。
「ですが、私がご子息へ懸想している気持ちに偽りはありません」 
「さあさあ、その辺で。遠いところお疲れでしょう? これ以上立ち話もいけません。今日はゆっくりなさっていてください」
 手を叩きながらアンナ様が部屋へ案内するようメイドに伝える。アルバート様に窘められているシリル様は悪びれる様子もなく平然としていて、「また後で」と俺に言ってくれたが即座にまた怒られていた。

 後ろ髪引かれつつも二階へ通してもらい、ゲストルームへ向かう。父と母は同じ部屋ではあったが部屋そのものがかなり広い。俺と妹はそれぞれで一室使うよう案内された。妥当というか、ごくごく当然の部屋割りだと思うが、俺が荷ほどきをすすめる従僕をかたわらにゆっくりと出された紅茶に舌鼓を打っていると、自分の荷ほどきがあるだろうに、妹が部屋までずかずかとやってきた。
 何かを探すように顔を動かす妹にソファを示し、座るよう促す。
「シリル様ならアルバート様に捕まっていらっしゃっただろう」
「……そうね。いえ、でも万が一と言うこともあるから」
「なんだ万が一って。それよりも自分の荷ほどきはいいのか」
「全部任せたわ。バーネット家の使用人なら間違いないでしょう。それに、管理するのは彼らなのだから管理しやすいようにしてくれればいいのよ」
 随分と買うものだ。滞在期間は一ヶ月いてくれても構わないとさえ言われているからそれなりの量があるが、そこにおそらくトノシキでの買い物が重なるから帰りの荷支度の方が厄介になる。大きいものなら先に送ってしまった方が良いだろう。どれだけ散在するかは分からないが。
「で? 用はそれだけか?」
 従僕が妹の分まで紅茶を淹れる。それで喉を潤し、妹は俺を見た。
「シリル様、お美しい方だったわ」
「ああ」
「兄さんのどこにシリル様が好意を持たれたのか謎だわ」
「おい」
「だって兄さんってば、シリル様に夢中になるまではどちらかというとだらしなかったじゃない。急に真面目になったって、ユーモアがあるわけでも包容力が大きくなったわけでもないし、男性としてはつまらない男でしょう」
 兄に向かって酷い言い草だ。もっとも、それが妹なので今更改めて深く傷ついたりはしないが。
「シリル様ご本人に聞いてくれ」
「聞けるものならききますとも! でもさっきお母様から「あなたと私はアンナ様とお出かけよ」って」
 まあ、その方が話が早いのかも知れない。家同士の話し合いは基本的には当主間で行うのが基本だ。近年は爵位を継ぐ女性も出てきてはいるが、基本的にその話し合いの場に女性は伴わない。
 妹からすれば、俺が家を継ぐかどうかや俺の身分の行方はさして大事ではないのだろう。どちらかと言えばシリル様の人柄などの方に興味があるようだった。
「まあ、どのみちシリル様も俺達がここで世話になる間は居てくださるそうだから、話をする機会もあるだろう」
「兄さんがちゃんと紹介してよ」
「はいはい」
「ちゃんとその場を設けるところから兄さんがするのよ」
 抜け目のない妹に俺は軽く両手を挙げた。いつの間にか俺よりもずっとしっかりした人間になっている。

 妹を部屋に送り返して、俺は夕食までの時間が近くなれば知らせてくれるという言葉に甘えて庭を歩かせてもらうことにした。従僕の案内で一階へ降りると、まだアルバート様とシリル様が玄関ホールにいた。
「ルートヴィヒ殿。どこかへ散策かな?」
「ええ。庭を拝見しようかと」
「それはいい。華やかではないが研究のための温室もいくつかある。休まれる際はそちらに入ると良いでしょう。それと……ご迷惑でなければ、シリルをつけます」
 アルバート様は少し迷う素振りの後、俺にそう提案してくださった。
「お話はよろしいのですか?」
「ええ。それに弟とあなたの関係について、我が家の方からはシリルの不始末こそ問題ですが、隔離させる理由もないので」
 詳しい話は子爵との席で改めてします、というアルバート様の言葉に返事をする。シリル様が嬉しそうに俺に一歩近づこうとして、アルバート様がその首根っこを雑に掴んだ。
「ああ、ただしシリルがまたなにか聞き分けのないことをするのであれば考えますが」
「兄上、誓って私はルートヴィヒの嫌がることはしません」
「信用ならないからそう言っている。……ルートヴィヒ殿も、シリルになにか意に沿わないことをされたのならば一発や二発殴っていただいて結構ですので」
「とんでもない! ……ないと承知しておりますが、本当に、万が一そうなることがあれば二人で話を致しますので」
「愚弟が申し訳ない」
「いいえ、お、私こそ至らぬことばかりでシリル様にはご迷惑とご心労をおかけしてしまいましたので……」
「兄上、早くしないと日が暮れてしまいます」
「シリル!」
 アルバート様がまた頭を下げようとされるのをなんとか制止して、そこにシリル様の援護……否、挑発が入る。くわ、とシリル様へ向けられたアルバート様の顔は非常に厳めしく背筋が伸びるような気持ちになったが、シリル様は全く意に介していなかった。
「行こうルートヴィヒ。案内は私に任せてくれ」
「ありがたいことですが……アルバート様、申し訳ないですが失礼致します」
「いや、引き留めてしまいすまない。くれぐれもシリルには気をつけて」
 依然としてシリル様に厳しい目を向けているアルバート様に曖昧に返事をして、俺は今まで先行していた従僕に変わって先を行くシリル様の後について玄関を出た。
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