とばりの向こう

宇野 肇

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「……シリル様はいつもお兄様とあのような?」
「そうだな。驚いたか?」
「ええ、まあ」
 折角庭に案内されたというのに、兄に対するシリル様の態度がいつまでも気になってしまい訊ねると、少し先を歩いていたシリル様は俺を振り返り少し悪戯っぽく笑った。
「私が心配だったか?」
「はい」
「実家では随分と説教をされたが、見ての通り私は基本的に気楽に過ごしているし、今更兄上に凄まれても怖くはないさ。一番恐れていたことはもう過ぎたからな」
「それは……なんというか、シリル様に感じていたある種の豪胆さはお兄様がらみだったのですね」
「まあ身内に兄上のような人がいるとな。だが父上も兄上のような人だぞ。経験の差があるから貫禄は桁違いだが」
「俺はよかったと言うべきなんでしょうか」
「どうだろうな。私に対する当たりは兄上の方が強いぞ」
 シリル様が歩きながらぽつぽつとバーネット家についてのことを教えてくれる。
 アルバート様は既に伯爵から子爵の爵位を継いでいること、アンナ様と揃って家を継ぐ支度を少しずつ進めており、名代と言いつつ確実に世代交代が進んでいること。嫡男たるアルバート様が心身共に極めて健康で、次男としては気楽なままいること。アルバート様に何かあったときのためにとシリル様のそれなりの教育を受けているが、アルバート様よりはずっと自由に過ごしていること。その分家に貢献しようという思いが強かったこと。
 性の対象が全て男だったシリル様にとっては、その気持ちは一層強くなったこと。
「最初は執事見習い。次は家庭教師。庭師にも心惹かれたことがある。それから、他の家の子息と交流を持つようになって、……」
「クリシュナ様に思いを寄せられていましたね」
 は、とシリル様が息を止めて俺を見る。
「俺は、あなたの全てでクリシュナ様への好意を示されていた姿を見て、そしてそれを静かになかったことにしてしまわれたあの瞬間から、ずっとあなたの側にいたいと思いました。
 あの時から、またあなたが心を開いて笑うところが見たかった」
 それを、下心と言わずしてなんだというのか。
 まさか自分がシリル様から愛してもらえるような男だとは露ほどにも思わなかった。だからこそ焦がれていた。恋しかった。
「……お前には全て見られていたのだな」
「あなたの涙を拭って、心を慰めたかった。全て綺麗に隠してしまわれたので、叶いませんでしたが」
「それは惜しいことをした。私はお前に対して下手を打ってばかりだな」
 寒くなってきたというのに、庭は丁寧に整えられていた。木々は葉を落としていたが、草花には寒い時期に花開くものもある。瑞々しい緑が美しかった。
「クリシュナ殿には随分と虐められたものだ」
「……そう、なのですか?」
「お前が子リスの面倒を見始めて私から離れたとき、気が気ではなかった。どうにかしてお前を留めておきたかったが、その時でさえ心を交わすことを望んではいなかったよ。私がお前を想うことは誰に咎められることでもないが、お前を巻き込むのは本意ではなかった」
 訥々とシリル様が話し出すのを、じっと側で聞く。
「お前は本来男は対象ではないのだろう」
「なぜ、」
「一度も、一人も関係を持った者がいなかった」
「それはシリル様もです」
「私は、なんとなく自分の心が男にしか向かないと理解していたからな。一度手を出して気持ちが重くなり、卒業後の人間関係に響くのは悪手だろう?」
「……俺は、シリル様の側にいるなら、相応しくありたいと思っていただけです」
「なんだ、私に操を立てていたわけじゃないのか」
「言い方を変えればそうです」
 空気は冷えている。シリル様に寄り添うように距離を縮めると、そっと腕が絡まった。
「きっとお前は私に恋などしなくとも私の側にいるだろうと思いながら、子リスとの話を聞かされて、同じ男でも関係を結べるのなら私でもいいじゃないかと思った。クリシュナ殿からは話を聞かされていたが、それでもあの人は車でお前に好きなように触れていて……私が本当に癇癪を起こしたかったのはあの夜だ。気も立っていたしな」
「俺は暢気にも寝こけましたね」
「よっぽど襲って手に入れてやろうかと思った。お前のシャツのボタンに手をかけた時は、随分と悩んださ。でも、お前に失望されて、見限られるのも怖かった。とても。――兄上に叱られるよりもずっとな」
 ふふ、とシリル様が笑った。それは、今俺達がこうしていられるからこその笑いだったのだろう。
「結局、事情を知っている身としては茶番でしかないが謹慎処分を受けて、冷静になれるかと思えばそんなこともなかった。お前は子リスとのことで話の中心になっても、クリシュナ殿に妙な絡まれ方をしても気にしなかった。それどころかバンクロフト家のブレア殿まで子リスが本命とは言えお前を狙っているという。なら、このまま黙っていればそれこそ誰に奪われてもおかしくはないと、そればかり考えた。そもそもお前は私のものではないのに」
「それであの呼び出しだったのですか」
「どうせ私が本当に欲しいものは手に入らないのだと思うと急に馬鹿らしくなってな。生徒同士でのセックスはおかしなことではないし、ならばもう今しかないと思った。お前の心はどうすることもできないかもしれない。それでも身体を繋げることは可能なのだろうと」
 それであの運びになった。そう聞くと、やはり俺がシリル様に従わなかったことは間違っていたと思う。
 情けなくて歯を噛み締めていると、シリル様が俺を見た。
「そんな顔をするな」
「……しかし、俺はあなたを傷つけたくなかった。あの時でさえそう思っていたのに、結果はどうです。折角あなたが勇気を出してさらけ出してくださった心を傷つけただけではないですか」
「そんなことはない。お前は私の矜持を私よりもずっと大事にしてくれただろう」
 今だからそんなことが言えるのかもしれない。そう思ったのは俺だけではないだろう。
「元々自分でも無茶なことを言っていると分かっていた。家の権力を振りかざしたのもお前に失望されるなら同じことだと自暴自棄になっていたからだし、それでもお前に相手にされないのだと思うと、お前が呆然として私を見ているのを目にして、お前が私に寄せてくれていた信頼を裏切ったのだと思って、今後お前にどんな風に見られるのかと思うと怖くて、顔も見たくなかった。だから遠ざけた」
 シリル様の目が伏せられる。しん、と静まりかえった庭に、遠くから下男や下女の話し声が微かに響いてくる。暖かな季節であればもっと穏やかな気持ちだっただろう。それでも、人が生活する音や声を外から聞くというのは妙な心地がした。
「子リスがな」
 ふ、とシリル様が吐き出した息が空気を揺らすのを見た。白く染まったかと思うと、すぐに消えてなくなる。
「お前と距離を置いていた私に、発破をかけてきたよ。何があったかは知らないが、本当にオレがもらうと」
「……本当にあいつは物の言い方がなっていませんね」
「私はお前の言葉を思い出さずにはいられなかった。間違いなくお前は私を慕ってくれていた。それだけでよかったはずだったのに、自分の気持ちが抑えられず、お前の真心を傷つけてしまったことを恥じた。
 子リスにはお前が気を失った後も、こんなに愛されてるくせになにをしているんだと怒られたよ」
 クリシュナ様と話をしたときも、散々揚げ足を取るようにからかわれたとシリル様はくすくすと笑うのに、声には涙が滲んでいるように思えた。
「それでも今、お前はここにいる」
「はい」
 シリル様の目に涙が浮かび、瞬きをするごとに目尻へ流れ、溢れる。
 それを指で拭い、唇を寄せた。
「あなたの側にいたい。父にはそう伝えました」
 涙のせいでシリル様の瞳が揺れている。寒い中泣いてしまっては肌にもよくないだろうと唇でも拭っていると、シリル様が鼻を啜った。
「それを言わなければならないのは私の方だ。……ルートヴィヒ、私が、お前の側に居たいんだ」
 あいしている。
 シリル様の震えた声に返事をした。
「泣かないでください」
「私の涙を拭いたいと言ったのはお前の方だ」
 そう言いながらも、瞼に口づけ、その次に唇を重ねようとした俺をシリル様が止めることはなかった。
 冷えた唇はすぐに熱を帯び、柔らかさにうっとりとしていれば、急かすように、ねだるようにシリル様の方から吸い付かれた。腰に手が回り、抱きしめられる。シリル様の頬を包むようにしていた両手のうち片方を彼の後ろへ回して後頭部を支えるように持ち、指先で頭皮を撫でた。
「ん、っ……」
 シリル様の、鼻にかかった甘い声が耳を舐めた。くちゅ、と舌が絡み合い、空気の冷たさと互いの身体の熱が混ざる。唇と舌の肉感がもたらす官能はこれ以上は収まりがつかなくなるとキスをやめようとすると、物欲しそうな顔でじっと見つめられる。
「……これ以上はいけません」
「む」
 そっとシリル様の開きかけた口をキスで塞いですぐに離すと、シリル様は口元を手で覆って恨みがましい顔をした。
「ずるいぞ」
「あなたに願われれば断れませんので」
「……気に病むことはないぞ?」
「俺がそうしたくないのです」
 折角だから温室を見てみたいというと、シリル様は俺の腕を取り歩き出した。
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