不足の魔女

宇野 肇

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2幕: 黒金のカドゥケウス

烏は現世の果てで充足を知る(2)

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 湯浴みを済ませて部屋に戻り、読み書きの練習にと言い渡された日記を開く。エルから言われたことに心当たりがない、と書いてから、そう言えばふと、思いだしたことがあった。
 自分が性奴隷と言うものだったのを知ったのはエルに買われてからだ。それ以前のことは覚えていないし、過去の記憶を思い出す、と言う行為はおれにとって馴染みのないことだから難しい。思い出すほどのことが全くないというのもある。大体必要なことは身体に染みこんでいたし、いつからか魔力不足でまともにものを考えてられなかったし。人間からは性病に思われていたらしく最終的にあの地下牢に放り込まれたわけだけど、まあそれは今となってはどうでもいい。
 だから、思いだしたことと言うのは当時の些末事では決してない。おれが、性奴隷――『性』を与えられていたということ。そのもの。前と今とで決定的に違うことがあるとするなら、それしかないと思い至った。

 と、心当たりに行きついたまではよかったものの、だからなんだというところで壁にぶち当たった。性欲と言う意味であれば、覚えが及ぶ範囲で振り返ってもそう強くは無かったと、……おれ自身は、思う。ただまあ、やることと言えばそういうことばかりだったのは確かだ。
 もしかするとおれは他の奴よりもそう言った欲が強いのか? でもそれでいくとおかしいことがある。エルに買われてからこっち、そういう欲求が出てくる気配なんか微塵もなかった。自分の感覚で行けば、むしろ性欲は無いんじゃないかと思うほど。
 性欲が満たされれば今のこの妙な飢餓感は消えるんだろうか?
 ……試してみる価値はある。んだろうけど、相手がいない。居たとしてエルかリオンかって所だけど、エル本人からはそういうものは求められてないとはっきり言われているし、エルがおれとリオンにそういうことを命じる気配は微塵もない。
 リオンがおれに対して……なにか意味ありげな視線を感じることはあるものの、そこに今まで買主になった人間のような強い色欲を感じたことはない。おれを興奮させようだとか、そういう意図を感じたスキンシップもなかった。
 勿論と言うべきか、おれもエルやリオンに対してそう言った気持ちを抱いたことは無く、エルは兎も角リオンがそういう対象になることはなかったし、これからもないと思う。

 理由を述べて性交を持ちかけてみるというのも憚られる。あいつなら返事の代わりとばかりにやりかねない。好き好んで殴られる趣味は無い。痛いのはお断りだ。それにおれの性癖についてあらぬ誤解を招きかねない。一般的にこういうことは繁殖の関係上男女間で行われるものだと教えられたわけで、同性間であっても『愛』というものや欲のために行うことはあるらしいとは言え、そういったものをあいつに抱いているわけでは決してない。
 相手が極端に限定されての二択の上、内一人は主であってその意向に背くことは出来かねる。結果リオンにしか持ちかけられないわけだ。それをあっちが理解してくれるとも思えない。懸念事項を一つずつ潰していくにしても外堀を埋めていると逆に怪しまれてしまいそうだ。それは嫌だ。不本意極まりないし、不快でもある。
 出来る出来ないで言えば出来る。でもリオンもそうだとはとても思えない。……ん? そもそもあいつって経験あるんだろうか? 知識としてはあるかもしれないけど興味は限りなく薄そうだな。それにそもそもおれだって特別『したい』わけじゃない。

 じゃあ、誰で試せばいいのか?

 そもそも、欲を満たすことと発散することは同義では?

 その意味においては、一人で発散することも試してみるべきだろう。ただ、やり方は兎も角、そも性欲をかきたてるにはどうすればいいのか。……前はどうやってたんだったっけ。取り敢えず、触ってみればいいか。
 さっと日記に推測と検証項目をかきだすと、おれはベッドへ潜り込んだ。
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