創作男女もの短編

宇野 肇

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異類婿系

なきむしあくまのごちそう

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 子どもを拾った。
 久方振りの休日をのんびりと過ごしていたところ、家の庭で小汚い格好でぶっ倒れていたのをたまたま発見したのだ。
 意識がないだけで息はしていたので、取り敢えず医者にかかり身体的な怪我の確認だけ済ませて早々に身を清めてやって自分のベッドに突っ込んだ。
 いつ目覚めるとも知れなかったために部屋に仕事道具を持ち込み役所に捜索願いや誘拐事件などがないか問い合わせたが、分かったのはその線は薄いであろうということだけだった。
 表向きは保護という形を取ってはいるが、本人から事情を聞かないことには進退窮まる。
 休日は半日で終わった。
 子どもの目が覚めたのはそろそろ夜の帳も降りようかという頃合いだった。
 きょろきょろと辺りを、そして私の顔色をうかがう様子は怯えているようでもあり、私は極力穏やかに聞こえるよう声を出した。
「気分はどうだ?」
「あ……だいじょうぶ、です」
「……君の名前は?」
「……」
「自分が誰か、分からないか?」
 子どもは何と答えたものか、と途方にくれているようだった。まあ子どもであるから、こちらの質問に的確に答えられるとは思ってはいない。
「腹は空いているか」
 まずは欲求から満たしていくか、と考えたのだが、子どもは私の言葉に殊更に肩を震わせた。わななく唇から何事かつぶやきが漏れる。聞き取れなかった。
「どうした?」
「あの……ぼ、く」
 きゅっと眉を寄せた表情は硬く、小さな手はシーツを握りしめている。
 まず頭を撫で、それから背中をさすってやる。子どもは最初こそおっかなびっくりといった風に体を強張らせたものの、次第に力を抜いた。
「……ぼく、かあさまから しばらくシュギョウしてきなさいって、いわれて」
 呟きは小さなものだったが、子どもの声を遮るものがないこの場所では良く響いた。
「ぼく たべるのがヘタクソだから。ちゃんとできるようになるまで、かえってきちゃだめよって」
「……それで?」
「でも、やっぱりうまくできなくて。いろんなものをかじったけど、おなかいっぱいにならなくて」
 涙声になる子どもの言うことには心当たりがあった。
魔子まごか……」
「えっと、ぼく、あくまって いわれてました」
 魔子というのは特殊な食事形態を取る者の総称だ。大体は生命エネルギーのみを吸い取ることでそれを食事とする。もっとも、こんな風に少々変わった人種が認知され始めたのはここ最近のことで、わかっていないことも多い。
 その魔子の言う『食事がヘタクソ』の示す可能性は二つ。自制できず食い過ぎて相手を死に至らしめる場合と、その逆で上手く食えないために自分が死ぬ場合だ。幾つか報告例を見たことがある。
 子どもの見てくれは大層貧弱で、ちんちくりんなその姿を見れば後者であることは明白だった。
「……お前の母様とやらは何を考えているんだかな……」
「えっと、どうしてもダメだったら、だれかにずっとたべさせてもらえばいいって。あと、べつにかえってこなくてもいいって」
 魔子の、それも上手く食事のできない子どもに対する子育てがそんなに大雑把でいいのか。……捨てられた、という可能性もなくはない。というか、高いかもしれない。の、だが、どうも話を聞いていると、子どもの母親はこの子どもが魔子であることは承知しているようだった。相当粗っぽい性格をしているだけということも十分に考えられる。
 魔子は普通の人間の親から生まれる。だから親は魔子の食事の仕方を教えてやれない。まあ、教えてやらなくとも本能なのか、魔子のやり方での食事は行えるものらしいのだが……何事にも例外というものは存在する。それがつまるところこの子どもであり、『ヘタクソ』である。
 食いすぎる場合は死者が出るためそれなりの騒ぎになるし、事が露見する前に親が子どもを殺してしまうという話も聞いたことがある。食えない場合は、大体はそのまま野たれ死ぬ。極限状態で上手く食事できるようになることもあるようだが、まあ運がいいだとか、なにか生に執着する理由でもなければそう上手く事は運ばないだろう。
 なんにせよ、死ぬ前に発見出来て良かったというべきか。流石に自宅の敷地内で子どもの死体が見つかるのはあまり気持ちのいいことではない。
「……そうか。普通の食事は無理そうか?」
「いっぱいたべても、おなかいっぱいにならないです……でも、いっぱいたべると おなかがくるしくて」
「ふむ」
 物理的に腹には収まるのだろうが、栄養にはならんということか。
 少し考えて、上手くできるかはわからんが、と前置きをした上で、一つ提案をした。
「誰かを『食った』ことはあるか?」
「え……?」
「通常、君の腹を満たすモノというのは普通の食事からでも得られるわけだが、魔子……君の場合は人や動植物から直接、それだけを得ることになるのは知っているか?」
 目線を下げた表情は明るいとは言い難い。試したことくらいはあるのだろう。
「かあさまが、ぼくがどうしてもおなかがへって、がまんできないときに くれたことが……でも、やっぱりすこししか、食べられなくて」
「そうか、どんな方法だった?」
「くちと、くちで」
 まあ、一番確実か。
 生命エネルギーというのは『巡り』、あるいは精気とも呼ばれていて、健康維持には欠かせない要素だ。
 通常、巡りというのは水や動植物に宿るもので、広義には魂だ。それは口や掌、足裏から常に微弱に放出されている。それを他の魂を食らうことで……つまり、水を飲んだり、野菜や肉を食べたり――食事をすること、口径摂取で維持をしているわけだ。
 だが、魔子というのは生きたままの他者の魂から直接、それを得る。方法は放出箇所への接触、あるいは性交でよく、肉を食らったりする必要がない。
 精気を吸う場合、放出箇所と同じところから行うことが多い。
 中でも口付けは難度も低く、体液である唾液には巡りが多く含まれているためにこの方法が一番手っ取り早い。大体は母子間で行われる。
 口付け、とはいえ、その姿は母鳥が雛に餌をやるのに近いと言われている。……やはり母親は魔子がどういうものかきちんと把握していたようだ。ただ、それでなぜ子どもを悪魔呼びしていたのかは理解しかねるところではある。口付けで精気を与えるほどには情があった、と思うのだが。まさか名前というわけでもなかろうし。
 まあ、この子どもに関してはそもそも吸うことが上手くできないため、それをしても焼け石に水だったろうことは想像に難くない。
 精気――巡りというものは修練を積めば任意に放出できる。それを使えば子どもの飢えを満たしてやるのは難しくはない。巡りの扱いに長けた者を巡り士と呼ぶこともあるが、そういう者は放出箇所を通じて他者へ、精気を流し込むことができるからだ。
 それを応用し、自分の中の精気を感じ取り、また操れることができるようになれば、他者のそれを吸うこともできるはず。
 さて。
「君は幾つか選ぶことができる。私に寄生して糧を得続けるか、私から自分で糧を得る方法を学ぶか、死の間際に上手く行くか分からない希望を願いながらゆっくりと衰弱するか、そしてそのまま死ぬかだ」





 子どもは利口で、よく働いた。
 母親に悪魔と呼ばれてこそいたもののやはりそれは名前というわけではなく、特に名前はないと自己申告を受けた時はやはり捨てられたかと思った。本人がそこまで弱っている風ではなかったので深くは突っ込まないことにしたが。
 とはいえ、名前は無いと不便極まりない。流石に悪魔と呼ぶことは憚られた。
 あまり自分に名付けのセンスがないのは自覚しているところなので、ヒナ、と呼ぶことにした。嫌がる風もなく顔をほころばせる姿には、名付けておいてなんだが流石にそれでいいのかと思わなくもなかった。
 子どもは――ヒナは、当座で必要になる一通りのものを揃えてやると大きな瞳を潤ませて喜んだ。頭を撫でてやると蕩けそうな顔をしたし、かと思えば上手く食事ができなくてごめんなさいと謝りながらよく泣いた。
 ヒナは喜怒哀楽のはっきりした子どもだったが、苛立ったり怒ったり、癇癪を起こすことはなかった。放り出されることに対してはよほど堪えていたのか、怯えたり、ことあるごとに泣きながら謝罪し、全身で捨てないでと哀願することは何度かあった。それでもそのために変に私に媚びる様子は見受けられず、ヒナを持て余すことはなかった。
 幸い仕事は自宅でもできるため家にいることが多くなったが、私の後を必死について回る姿はまさに雛というに相応しく、つい用もなく家の中を徘徊してしまったのは私の胸の内にだけ留めておくことにする。
 というのは、思いの外ヒナの成長が早かったのだ。
 魔子について積極的にデータを取っている知り合いに聞いたところによると、どうも精神の成長がそのまま身体の成長として現れるらしい。
 精気を与えてやりながらも全く成長の兆しの見えないことを不思議に思った末の相談だったのだが、原因はどうも私から離れるのが嫌だったらしく、また食事ができるようになり庇護を受ける対象でなくなれば私が即刻追い出すものだと強く思い込んでいたせいだったようだ。
 話を受けてすぐにヒナに言い含めると、ヒナはあれよあれよという間にでかくなった。
 どうせならもう少しいじらしい子どもを愛でておくのも悪くはなかったかもしれない、と思っても後の祭り。
「誰かから守られ、世話をされている限りは社会的には子どもであり、お前を対等に見ることはお前が子どもである限りずっとないよ」
 と言ったのは私自身で、その言葉はヒナには随分と堪えたらしい。
 言葉の何がヒナの琴線に触れたのか、などととぼけるわけではないが、少々言葉を選ぶべきだったのではないか、と思う。
 成長してからヒナは、私への好意を隠すことなく……いや、子どもであった頃から慕われていたのは分かっていたのだが、どうもそれに恋慕が加わったようだった。
 見た目はもう一端の男であるのに対し、ヒナの振る舞いは依然親に対する子どものようでいて、しかしながら性質の悪いことにその中に一人の男のそれまでも内包していた。同時に、あるいはわずかな時間差でそれを感じてしまうために、私もヒナのアンバランスさに引きずられるようにして心の方向を決めあぐねている。
 そうなったきっかけが他ならぬ自分の言葉であることは明白で、また私にも情がないわけではなく、さらに悪いことにはヒナの好意には恋慕以上に家族愛のようなものが見えるのだ。子どもであったヒナを育てた手前無下にもできず、距離を掴み兼ねているのが現状だ。
 それを幾人かの付き合いの長い奴らに相談したところ、からかわれることが増えた。全くもって面白くない。
 私はそれに乗っかってやるほど単純でもお人好しでもないのだが、ヒナはそうではなく、私が古い知り合いたちと話に花を咲かせる度に頬を膨らませて拗ねるものだから、彼らもつい構いたくなったのだろう。終いにはでかい図体でしくしくと泣き付かれてしまい、途方に暮れることになったのは記憶に新しい。
 ヒナに対し何らかの答えを示さねばならないと思い出したのはいつからだったか。決して悪女と言われたからではないが、ここにきて初めて私はヒナを、私自身の気持ちを持て余すようになっていた。
 ヒナを拾って、五年が経とうとしていた。
「ロロ!」
 ヒナはでかくなった。私も身長は高い方なのだが、それを越えて私とヒナの身長差は頭半個分ほどはある。
 自然、ヒナが私に抱きついてくると、その腕の中にすっぽりと収まってしまう。
「ロロ、今日も仕事がんばったよ」
「そうか」
 ヒナは今は私の家に居続けてはいるものの、私の仕事の補佐という形であちこちを飛び回ることが多い。
 その仕事というのは、突出して攻撃的になった突然変異体の動物の討伐及び捕獲だ。それに加えて今は魔子の保護も可能な限り行っている。大体はヒナと共に行動するが、別で動くことも少なくはない。今日は後者だった。
 後ろからしっかりと私を捕えたヒナは少しだけ押し黙ると、耐えかねたように私のつむじに唇を押し付けた。
「……ロロ」
 そうして、甘えた声を出す。その声が子どものようで、しかしどこか発露を待つ熱を帯びているようで、さてどうしたものかと対応に困るのだ。
 そんな私の内心など知ったことかとヒナは後頭部に頬ずりをしてくる。
「今日はご馳走が欲しいな」
 シュギョウの甲斐あって、ヒナは今では一般的な食事からも精気を得ることができるようになったし、精気を内包するものからであれば『食事』が可能になった。しかも口径摂取に限らないという器用さだ。花の匂いを嗅げば鼻から吸い込むこともできるし、川で足を浸けているだけでもよくなった。
 もうどこに出しても恥ずかしくない立派な一人前の魔子であり、そして働き糧を得る大人の男だ。
「そうか。運のいいことに、今日は魔石の持ち合わせがあるんだが」
「ロロ、分かって言ってるよね?」
 ぐ、と腕に込められた力が強くなる。
 魔石は精気を溜め込む性質を持った石のことだ。通常は手に持ったり口に含むとその人の垂れ流す精気を溜め込んで行くのだが、ヒナであれば逆のことが可能で、長旅の時などは携帯食糧の代わりとして重宝する。
「石なんか舐めても美味しくないよ。飴の方がマシ」
 頬を膨らませているであろうヒナは不満気に唸った。別行動の際、ヒナには食糧の現地調達が難しい場所へ行ってもらうことがあるためなにか対価を用意することにしているのだが、ヒナが強請るのはいつも『ご馳走』だ。
 ではその『ご馳走』とはなにか。人の精気だ。
「……ロロが嫌なら、我慢するけど」
 ヒナは一方的な抱擁を止め、私は向き合うように体を反転させた。
 視界にいれたヒナの顔は予想を裏切ることなく寂しそうだ。泣きだしてしまいそうですらある。そろそろそれは計算してやっているものなのかと問うてみたくなるほどには、私に譲歩させるに足る威力があった。
「……少しかがめ」
「はい」
 胸中で眉を顰めるも、了承した後のヒナの顔はこの上なく嬉しそうで、そして私はそれに弱い。
 自覚はあるのだが、だからといって突っぱねるほどの青さはもう持ってはいなかった。
 乞われるままに、ヒナの瞼に順番に唇を寄せる。ふ、と精気を流し込んでやると、ヒナがとびきり蕩けそうな表情で笑った。
「やっぱりロロのが一番美味しいな」
「……そうか」
 言って、笑うヒナの目は男のそれだ。直前までは子どもにしか見えなかったのだが 、『ご馳走』を振る舞った後は大体こうなる。
 だから私は頭を撫でる。ヒナの頭を撫でると、どうもヒナの中で気持ちが切り替わるのか、ヒナは子どもであった時と同じように、嬉しそうにはにかむのだ。そうして私の気持ちも一時落ち着きを取り戻す。
 そろそろ習慣になりそうなこの流れに、甘えているのは私の方なのかもしれない。
 もし、もしヒナが唇にと強請ってきたら。それを拒む未来が想像できないのだ。そしてそれを考える私は、それを望んでいるのだろう。夢想は最早懸想と言うに相応しく、私を侵食する。
 ヒナがもっと豪華な御馳走にありつける日は、そう遠くなさそうだ。
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