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カプチーノを召し上がれ
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いい加減、見慣れた文面に今野真琴は溜息ひとつつく。
「また落ちた」
世間は好景気で空前の売り手市場、とテレビは言ってる。
それはいったい何処の国の話なのだ。
「いやいやいや。きっと若者なら受かるのよね。アラサーには厳しいだけで」
はあ、と項垂れつつ、LINEの通知に気づく。母からだ。
「クロネコで野菜を送ったよ。食べてね。あんまり無理しないで、帰ってきたらどうなの」
こちらもお決まりの文面だ。
それもそうだ。
二十七歳、特殊技術なし、女、職探し敗戦中。
何も東京に拘らなくてもいいじゃない。
田舎に帰って結婚した方がいいんじゃないの、と自分も他人事なら言うかもしれない。
キャリア志向でも何でもなく、東京の大学を出て、受かった仕事についた。
そこそこの企業の、ごく普通の事務職。
まさかの五年後、部門縮小で仕事なくなろうとは。
いままでの人生で一番の挫折かもしれない。
会社都合だったので、失業保険はすぐに出た。
三か月、失業保険をもらってるうちに次の仕事が見つからないかと、探してみたが、そんなには甘くなかった。
不合格の通知を受けるたびに、自分て役立たずなんだなあ、と地味にへこむ。
「あ、休憩、終わりだ」
スマホで時間を確認して、立ち上がる。
失業保険は満了したので、とりあえず、派遣事務所に登録してバイトを始めた。
「お疲れ様ですー」
「お疲れ様です」
バイト先は、渋谷の交差点すぐの大きな百貨店だ。真琴は七階の雑貨売り場でエスプレッソマシンの案内をしている。真琴の雇い主は百貨店ではなく、スイスの有名珈琲メーカーだ。
現在、大手百貨店やおしゃれ雑貨の店にポップアップコーナーを展開して、エスプレッソマシンを紹介している。
今日は、真琴自身はバイトの日ではなかったのだが、お休みの人の交代要員で日本橋にある老舗百貨店に来ている。時々、こういうピンチヒッターもある。
普段なら来ることもない歴史ある百貨店、日本橋三越本店。
休憩室はちょっと古かったが、探検気分でわくわくしてたのに。
何も休憩時間に、残念ご連絡来なくてもいいのに。
ライトアップされた店内に戻ると、少しは気が紛れる。
夕方の休憩だったので、バイト終了まであと一時間弱だ。
本日ノルマ分は売れているし、あとはもう楽勝だ。
ちょっと緩んでいたバリスタエプロンのリボンを締めなおして、がっかり顔になっていないか、ディスプレイに映る自分の顔を確認する。
誰が着ても、それなりにスタイルよく見えるバリスタエプロンはお気に入りだ。
そんなに背が高くない真琴でも、この制服を着ていると、少し身長が高く見える気がする。
敗戦記録更新は残念この上もないが、夕方、百貨店で買い物したいお客様には全く関係ない話だ。
笑顔で迎えてあげたい。
家賃の為に始めたバイトではあるが、接客業なので、否が応でも、人に逢うし、笑顔が基本だ。
脳は単純なので、笑ってると楽しくなくてもいま楽しいと勘違いする、と先日ツイッターで見たが、それなら落ち込みやすい就職活動中にこのバイトはぴったりかも知れない。
とはいえ、家賃、光熱費、食費、生活のすべてをこのバイトで賄うのは無理があるので、早急に、新しい仕事を獲得しなくては……。
「……」
疲れ果てた溜息が聞こえて、え、いま、気合入れなおしたのに、と想ったら、真琴の溜息
ではなかった。
上品そうな八十代半ばほどの老婦人が一人、杖をついて、通路を歩いていた。
「──お客様、エスプレッソいかがでしょうか」
「え?」
「どうぞ、おかけになってください。ただいま、御試飲お出ししております。本場の味のエスプレッソ、召し上がって下さい」
真琴の常駐の渋谷のコーナーには椅子はないのだが、さすが日本橋の老舗百貨店、お客様の年齢層が渋谷より高いせいか、この店のエスプレッソコーナーには椅子があったので、真琴は笑顔で老夫人に椅子を薦めた。
「まあ、ありがとう。ちょっとくたびれてたの、私。ひどい顔してたでしょ?」
椅子に腰を落ち着けて、老婦人はほっとしたようだ。
「エスプレッソはお好きですか?」
「主人がね。私は紅茶党なの」
気が合いますね、私もです、と真琴は密かに老婦人の言葉に同意する。
勤務中なので、さすがに口に出しては言わないが。
実は、真琴は珈琲が苦手で、二十七年の人生で五杯も飲んだかどうかだ。
無論、そのことは、派遣事務所には話してある。
大丈夫よ、あなたに珈琲飲んで欲しいんじゃなくて、笑顔で説明してもらうのが仕事、紅茶党や緑茶党のスタッフも他にもいるから、とちゃんと了承してもらっている。
「うちにもエスプレッソマシンいくつかあるけど、これは随分可愛い形なのねー」
「ありがとうございます、ロボットみたいでしょう?」
「そうね。息子の好きな、なんとかいう映画に出てきそう」
この方の息子さんなら、五十代か六十代で、好きな映画はスターウォーズとかかな? と真琴は想像する。
真琴が紹介してるのは、一番安いタイプでも三万円台からのエスプレッソマシンのシリーズだ。
たまには一人暮らしの珈琲好きの方も購入されるが、顧客のメインターゲットは三十、四十代以上の家庭を持っているお客様だ。
「豆はこちらになります」
「まあ、お菓子みたいね」
弊社オリジナルの木箱に入った七色の珈琲カプセルを披露すると、だいたいのお客様は喜んで下さる。
「こちらの豆を、このヘッドの部分にぽんっと載せて頂くと、簡単に本格エスプレッソをおうちで召し上がって頂けます。使われた豆はこの状態ですので、片付けもとても簡単です」
片付け簡単。
女性にとって、美味しいことと同じくらい、片付けの負荷は大事なポイントだ。
「あと、こちらのノズルで、牛乳を温めて泡立てて頂けますので…、簡単にカプチーノを作って頂けます」
「まあ……、これ、紅茶のミルクにも使えるかしら?」
「はい。もちろん。おうちで、美味しいティオーレを作って頂けます」
「──どうぞ、召し上がってみてください」
「ああ、ありがとうね」
御夫人は紅茶等とのことなので、あまり濃いエスプレッソよりはカプチーノかな、とカプチーノカップを差し出す。
周囲に、淹れたてのカプチーノの香りが満ちる。
「美味しい」
「ありがとうございます」
にこっと微笑んだ夫人に、真琴もにこっと微笑み返す。
やはり自分の作ったものが、美味しいと言われるのは嬉しい。
優秀なのは弊社のマシンで、真琴は珈琲カプセルをセットしてスタートボタンを押してるだけとはいえ。
「いいわね。これ、買うわ」
「え? い、いえ、お客様、いまはお疲れの足を休めて頂こうと思っただけですので──、あの、そんな、無理には──」
いつものセールストークを一通り披露したものの、販売促進の意図は今回そこまでなかった真琴は少し戸惑った。
「まあまあ、困った、欲のないお嬢さんねぇ。戦場で、お客さんに優しくするときは、売る気でいかなきゃ」
「は。あの…、すみません」
カプチーノ片手に楽しそうに微笑む老婦人に悪気はないだろうが、痛いところを突かれた気がする。
今野さんは、成績はいいのに、欲がないのよねぇ。粘りがない、って言うか。まあ、しつこくないところがいいところでもあるんだと思うけど。
そう言ったのは、前職の上司だったか、いまの派遣事務所のコーディネーターだったか。
いまひとつ、就職面接でも勝てないのは、この押しの足りない性格のせいだろうか。
「あらあら、謝らないでね。私はいつも余計な一言が多いって、夫や息子に怒られるの。あなたはとても優しい子で、私は、今日、あなたが淹れてくれた滅多にない美味しいカプチーノを頂いたわ。だから、このエスプレッソマシン買おうと想うの。──とても疲れてたときに、あなたが優しく声をかけてくれたから、あなたが売ってるものを、何でも買おうと想ってたんだけど、これ、本当にいいわよ」
「あ、ありがとうございます!」
誉めて頂いた。
マシンと一緒に、真琴のことも誉めて下さった。
弱ってるせいか、なんだか泣きそう。
もう大人なのに。
二十七歳にもなったのに。
子供みたいに、ホッとして、嬉しくて泣きそう。
たくさんの人が受けるんだから、落ちたところでそこまでへこむ必要はない、と理性では思うんだけど、就職面接、続けて堕ちると、おまえは役立たずだ、誰にも、何処の会社にも必要とされてない、って言われてるみたいで、どうしてもネガティヴになってしまう。
そりゃあそんなに最高じゃないけど、そんなに捨てたもんでもないよ、今野真琴、大丈夫、頑張れ、て誰かに、甘やかしてもらいたかった。
勤務中に、お客様を接客しながら、お客様に甘やかして頂いてしまった……。
カプチーノの甘い香りがする。
挽きたての香しい豆の香り。
「ちょっと、ごめんなさいね」
老婦人はバックからスマートフォンを取り出した。最新のアイフォン。凄い。
「高野さん、私、エスプレッソマシン買おうと想うの。ちょっと降りて来て、伝票と配送手配して下さる? ええ、お願い」
「お客様……?」
「いまね、うちの担当の外商の高野さんに来てもらうから、伝票は高野さんにお願いしてね」
「はい。では、お客様、それまで、マシンのお色などお選びください」
なるほど。
外商さんの御客様なんだ。
優雅そうな方なので、納得である。
真琴も、このバイトを始めてから知ったのだが、百貨店の上得意のお客様には、それぞれ個別の外商という担当が付いている。
何というか、芸能人のマネージャーのごとく、常にお客様の興味や関心のあることをフォローし、お客様にとって必要なものをお薦めするのが外商の仕事だ。
「そうね。何色にしようかしら。ねぇ、あなたは、いつもここにいるの? いまだけ?」
「あ、私は今日だけなんです」
「そうなの。残念。寂しいわね」
本当に寂しそうに、老婦人は言った。
「いつもは、渋谷西武の七階の雑貨フロアで、こちらのマシンをご紹介してます。渋谷においでのことがあれば、ぜひお寄り下さい」
いつもならそんなことは言わないが、つい、真琴もこのお客様にまたお会いできたら嬉しいと想って、自己紹介してしまった。
パン屋の店員と違って、エスプレッソマシンは一度買ったら、何年も使える商品なので、そうそう渋谷店のお客様ともまたお会いできるものでもないのだが。
「渋谷…なんて、私、もう何十年も行ったことがないわ」
渋谷、という地名を珍しがって、彼女は瞳をきらきらさせた。
「そ、そうでしたか」
「そうなの。ハロウィーンになると、何だかとても凄いんでしょう? それをテレビで見てるくらい。でもいいわね、今度、渋谷に冒険に行こうかしらね」
「ぜひ。冒険にいらしてください。お待ちしてます」
まるで、渋谷の代表のようなことを言ってしまった。
実際には、渋谷駅から徒歩五分で渋谷西武まで通勤してるだけで、まったく渋谷には詳しくないのだが。
真琴のアパートは中野にあり、華やかな渋谷区民とは縁もゆかりもない、まあまあ地味な中野区民である。
「そうねぇ。若い人に逢いに渋谷に行くのは楽しそう。ああ、高野は三越じゃないからついてきてくれないわねぇ」
「う、そうですね。西武なので」
「お待たせしました。西園寺様。こちらのエスプレッソマシンをお気に召しましたか?」
外商の高野という四十代の愛想の良いスーツの男性が現れた。
「ああ、高野さん、このカプチーノ、美味しいかったの。ねぇ、五色あるんだけど、何色がいいと思う、このマシン?」
「そうですねぇ、西園寺様のキッチンにでしたら──」
高野が接客に加わったので、真琴は一歩引く。
(あなたが優しくしてくれたから、あなたが売ってるものを、何でも買おうと想ってたの)
カプチーノの優しい香りが辺りに満ちている。
真琴の胸の中では、先ほどの老婦人の言葉がリフレインしてた。
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