かなしみは星と輝く

アサツミヒロイ

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第四章

僅かな光

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「さあ、やりますわよ!」
 やる気に満ち溢れた声をあげたのは他でもないシンシアだった。杖をギュッと力強く握りしめ、いつもと違うローブを着ている。杖のデザインも別のものだ。
「杖、違うのを使うの?」
「ええ、杖自体は同じものですけど。これは今日のこのために先につけている石を変えたのですわ」
 よく見てみれば、確かに杖の本体はこれまで持っていたものと同じ、上品な黒の杖だ。その先端部分や持ち手以外のところに装飾されたきらびやかな宝石たちが、今日は数を減らされていて、幾分シンプルなものになっている。
「魔導器……魔力を込める器には、大きくふた通りあります。簡単に言うと、魔力の出力を増幅させるものと、魔力を抑制して出力を絞るもの。街にある転送器などは、増幅させるものにあたりますわね。少しの魔力で大きな出力、つまり物質の空間移動なんてことができます。主流はこちらです」
 そこまで説明して、シンシアは少し恥ずかしそうに頬を染め、咳払いをひとつする。
「……それで、わたくしは、その……少し魔力の調整が苦手でして。力が強すぎることもあり、普段使っているこの杖につけている石たちはもうひとつの種類、魔力を抑制するものなのです」
「な、それって……!?」
 その言葉に、三人はひどく驚いた。三人は飛竜を遠距離から一撃で撃ち落としたシンシアの強烈な魔法を目の当たりにしているからだ。そのときシンシアが使っていた杖には、確かにきらきらとたくさんの石がつけられていた。
「アレでさえ、かなり魔力を抑制した状態で放ってたっつーのかよ……」
「あのときは急所を確実に狙うために出力を抑えて的に当てやすくしていたのもありますわ。でも今日は、かなり的が遠いうえに大きいですから、少し調整してまいりました」
 今回は動き回る飛竜の急所を狙うのとは違い、空にずっしりと重く居座る雲が的になる。町を覆い尽くすようなそれは、当然魔物を狙うよりはずっと大きい、広いと言うべきか。
「狙う的が大きいとは言え、御神木を傷つける訳にもいきませんから……なるべく力は遠く届くように強く、そして周りに被害が出ないよう絞る必要があります。その想定で石の数、またローブも周囲へ魔力が放出されないようになっている物にいたしました」
 これで完璧のはずですわ、と拳を握るシンシアが一人、宿屋近くの木々の間が開けた場所へ出て、念のため危険のないように他の三人は少し離れた宿屋の前で待機することになった。
 これまで魔物を相手にしてきたのとは違う緊張感が走る。何かが起きるかもしれないが、何も起きないかもしれない。起きたとして、何がどうなるのか予想がつかないのだ。

「……行きます!」
 そう言うと、シンシアの周りに強い風が巻き起こる。重たそうなローブがそれを押し留めてはいるようだが、それでもその下の服や髪を激しく靡かせる。辺りの空気も震えているようだった。
 力の強い魔法使いに詠唱は必要ない。それでもグッと力を込めるように、シンシアの細い指はその杖を強く握った。そして自らが巻き起こす激しい風に負けないように、泥濘む地面を踏みしめるように足に力を込める。
「はあっ!」
 鋭いかけ声と共にシンシアが杖を振るい巻き上げた風の魔法は、目にも留まらぬ速度で一気に空へと昇っていった。細い竜巻のようなそれは、もはや風というよりも衝撃波のような様相である。
「届いた……!」
 杖から放たれた瞬間よりは幾分勢いは弱まっているものの、それでもかなりの強さで厚く空を覆っていた雲に直撃する。
「雲が!」
 シンシアの竜巻は、雲に文字通りの風穴を開けた。決して小さくはない穴が空にぽっかりと口を開き、その向こうには僅かに青い色が見える。数日ぶりに見た青空に、一行はおおっと喜びの声をあげる。
「きゃーーーっ」
 しかし、雲に穴があいた、その次の瞬間。シンシアの悲鳴が辺りに響いた。離れて見ていた三人も、ああ、と思わず声を上げながらその様を見ているしかできなかった。
 シンシアが悲鳴をあげた理由、それは魔法があたって崩れ落ちた雲に含まれていた雨が一気に降り注いだからだった。シンシアは周りの木々に被害が及ばないようにと頭上まっすぐ、真上の雲に向けて風を放った。故に、シンシアの立っている位置だけの、本当に局地的な大雨になったのである。
 その大雨も、魔法が当たった分だけなので、すぐに止んだが、バケツをひっくり返したようなとはまさにこのこと、というような雨を全身に浴びたシンシアは、その何秒かの間ですっかりずぶ濡れになってしまった。
「だ、大丈夫かアレ……」
「大丈夫じゃなくない……?」
「大丈夫ではないだろうな……」
 驚きからかはわからないが、すぐに動けず顔を俯かせ立ち尽くしたままのシンシアを三人が見つめている。怪我などはしていないだろうが、明らかに大丈夫ではない。どちらかと言うと、心のほうが。
「……も……もう~~!!なんなんですのーー!?」
 やり場のない怒りさえ、わいてくるのに数秒かかったらしい。杖をぎゅっと握りしめ、肌も髪も服もびしょ濡れで滴る水を拭うこともできず、わあわあと一通り喚いた。取り乱すシンシアは珍しいように思ったが、それも無理もない。
 タオル一枚でどうにかなるとも思えなかったが、優人はとりあえず宿屋に戻り急いでタオルを掴み、シンシアのもとへ駆け寄った。
「大丈夫?」
「うう……はい、なんともありませんわ……濡れた以外は……」
 手渡したタオルを頭から被り、濡れた髪と顔だけでも拭った。急に服を着たまま滝行のように水を浴びてしまっては無理もないが、シンシアは半泣き状態だった。

「コレはなんだ?」
 駆け寄った優人よりも遅れてシンシアの元へ来たエリーが問いかける。エリーが指さす先、雲が崩れて落ちた水浸しの地面を見ると、見慣れないモノがあった。
「なんだろうこれ?透明な…スライムとは違うみたいだね」
「動かねえみたいだしな、こんなモンあったか?」
「いえ、わたくしがここに立ったときにはありませんでしたわ。であれば……これが空から降ってきた、ということでしょうか?」
 シンシアは痛いはずですわ……と自らの頭をさする。カミーユがそっと足で触れてみても動く気配はないが、それだけでぽよぽよと揺れ動くくらいには柔らかな、手のひらにおさまるほどの大きさのそれ。透明なゼリーのようなその雨雫は、どうやらこの雨雲を構成していた何からしく、シンシアが水浸しになったその周りにいくつか落ちていた。
「これがこの雨をもたらしてた魔物……だったり?」
「かもしれんな、やっと見つけた『異変』というやつだ。ユウト、頼めるか?」
「刺してみたらいいのかな」
 生き物には見えないそれは、外見としては初めて戦いを経験したスライムの魔物にも似ているが、あのスライムのように激しく飛び跳ねることもなく、ただ地面に落ちている。剣の切っ先を当てると、つるりとしているので少し滑る。
 普段であれば優人は、剣先が魔物に触れている時点であの嫌な感覚を覚えるのだが、それさえ感じなかった。
「やってみるね」
 滑らないよう狙いを定めて、一息に突き刺す。ぷつん、と弾ける音がわずかに聞こえ、それからほんの少し、じわりと滲むように優人の中に優人のものではない感情が流れ込んでくる。
 言うなれば、倦怠感。なんとなく憂鬱な気持ち。不運なことがあったときの、ちょっとした落ち込み。気怠くて、なんだか寂しい。これはそんな気持ちだ。
 いつもより波の弱いその感情だったが、いつもより引いていくのが遅い。身に覚えのある感情だからだろうか、いつまでも優人の心の中に留まるような感覚さえあった。
「ユウト、大丈夫か?」
「あ、うん。大丈夫」
 しかし、馴染みの深い気持ちでもある。これくらいは、驚きもしなければ、どう処理したらいいかもなんとなくわかる。なので、全然平気だ、とエリーには笑って見せた。
 足元を見れば、弾けた雫がそのまま小さな星石に変わったようだった。これまで集めた石のどれよりも小粒で、無色透明な石。わずかに見えた晴れ間から射し込む光にあてると、繊細な宝石のようにキラキラと光った。
「よかった、今回は危険はなさそうで……でも、これを繰り返していかなきゃなんだよね」
 シンシアが魔法を雲に打ち上げて、降ってきた雨雫を優人が刺し潰していく。恐らくはその作業の繰り返しで、この町の異変は取り除けるはずである。
 そう言いながら、優人はまばらに散らばる雨雫をぷつぷつと刺していく。今回戦闘のサポートは必要ないので、エリーは積極的に小さな星石を拾い集める。
「……これ……地味……!」
「言うな、ユウト……」
 危険がないのはいいことだが、数が多い上にとてつもなく地味な作業である。かと言って、なんとなく刺そうとするとつるりと剣先が滑るので、なんとか集中してやらなければいけない。刺す度にウッと顔をしかめるが、これまでと比べれば大したことない。
 ……これは、見た目は地味な割に案外骨が折れるかもしれない。

「まあ、一番大変なのはシンシアかな……」
「い、今のをあと何回撃てばあの雲をすべて崩せるのでしょうか……き、気が遠くなってまいりましたわ」
 今の一撃で崩せたのは全体の一割にも満たない部分だけだ。そう広い町ではないとは言え、町中をすっかり覆っている雲をすべて散らすことを考えると、確かに気が遠くなってくるような範囲になる。
「……でも、やるしかないですわね!ようやく見つけた解決の方法ですし……根性ですわ!わたくし、また危険がなさそうな開けた場所を探して雲を崩していきますから、ユウトはついてきてくださいませ!」
 激しくびしょ濡れになって折れかけたかと思われた心は、どうやらまだまだ折れてはいなかったらしい。まだ解決の糸口が見えなかったときはどうなることかと思ったが、雲自体が魔物である、ということが正しかったとわかった今となっては、このシンシアの根性論もなかなかに頼もしい。
 やりますわよー!と握った拳を振るうシンシアの後に続き、優人もよし、と気合いを入れ直すのだった。
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