かなしみは星と輝く

アサツミヒロイ

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第四章

負の本源

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 解決方法がわかってからは、ひたすらに作業の繰り返しだった。シンシアが魔法で雲を崩し、落下してきた雨雫の塊を優人がせっせと刺していく。シンシアは魔法を雲に向けて放った後に素早くその場を離れ、濡れずに済むようになっていた。散らばった透明な雫を一箇所に集め優人が封印しやすくなるようエリーも手助けをしてくれていたので、優人も流れ作業で封印を繰り返した。
 カミーユはと言うと、優人に今回の魔物を封印した際にどういう感情が流れ込んできたかを聞いたきり、そうか、と言って宿屋に戻り、そのまま戻っては来なかった。
「カミーユは、あの日誌かな」
「そうだろう。どれほど時間がかかるのかはわからないが……何かわかるといいのだがな」
 エリーとそう話しながら、作業を進めていく。幸い、しばらく封印を進めていっても、雨雫に動き出し攻撃を仕掛けてくるような気配はなく、回復や補助が必要な場面はなさそうであるため、カミーユを除く三人で一連のルーティンは滞りなく進んでいった。であれば、やはりカミーユはあの日誌を読み解くことに専念したほうがいいのだろう。恐らくカミーユもそう察して宿屋に篭ったのだ。

 魔物を封印するたびに感じる、この感覚。これにも何かしらの仕組みや、理由や、意味があって感じるようになっているのだろうと、優人は思う。だからカミーユも優人に何を感じたのかを聞いてきたのだろう。
 思えば初めに優人が激しい負の感情の波に飲み込まれ、抱えきれずに膝をついてしまったとき、一番近くに居たのはカミーユだ。あの大蛇の魔物のときである。思えばあのときから、カミーユはきっと何かを察して考えていたのだろう。

 そんなことを考えていられる余裕はあるほど、この雨雫の魔物の封印に伴う良くない感情はほんの僅かな、そして受け入れにくくはないものだった。始めのうちは、これならさほど大変ではないな、と優人は感じていた。
 ……しかし、量が量である。そして、受け入れやすいものであるがゆえに、いつまでも頭に残る。自分にもこんなことがあった、こんな風に感じたときがあった、と、憂鬱な記憶さえ蘇ってきたりもした。未だ雨も止まぬ中、冷えた空気に晒されて、落ち込んだ気持ちや気怠さ、憂鬱さを味わい続けることは、予想以上に堪えた。
「……ユウト?」
 優人の足元へ雨雫を集めてくれていたエリーがふと顔を上げて、名前を呼んだ。心配したようなその表情は、すぐに焦りへと変わる。
「…シンシア!一度休憩にしよう!」
「エリー?」
 慌てた口調で少し離れたシンシアに呼びかけるエリーに優人は驚く。そんな優人の剣を握る腕を、エリーはぎゅっと抱き締めた。
「……泣いている、ユウト」
「……えっ…」
 決して、大きな感情の波ではなかった。それでもその身に積もり積もっていった感情に心が耐えきれなかったらしい。気がつけば、優人はぽろぽろと涙を零していた。
「…………ごめん」
「無理はするな、一度宿屋に戻ろう」
 エリーに抱きしめられた優人は、無意識のうちに変に力の入っていた体の緊張が解け、脱力した。途端にひどい疲労感を覚える。大丈夫、まだ大丈夫と自分を騙しながら封印を続けていたが、どうやら大丈夫ではなかったようだ。一旦作業を取りやめ、雨をしのげる宿屋に戻ることにする。



 宿屋のドアを開けると、途端にふわっといい香りが室内から漏れ出てきた。疲れた体を刺激する、香ばしい香り。奥からはじゅうじゅうと、何か料理を作る音が聞こえてくる。
「おお、おかえりなさい!救世主さまがた!」
「……へ?」
 中に入っていった優人たちを朗らかな笑顔で迎えたのは、ここで世話になっている宿屋の主人だった。この何日間かしか見てはいないが、これまで見たことのないほどの明るい顔つきで、調理場から顔を出してきた。
「どうなってるの……?」
「おう、おかえり……ってどうしたテメエ、その顔は」
 広いダイニングテーブルに数冊の本と例の日誌を広げていたカミーユが視線を上げると、優人の顔を見て怪訝そうな表情を浮かべる。
 優人はと言えば、まだ目から大粒の涙をぽろぽろと零したままだ。優人の気持ちとは別に、落ち込んだ感情を取り込み過ぎたことで、体が言うことを聞かず、エリーに支えてもらって泣き続ける優人は、それは滑稽に見えることだろう。
「うん、平気なんだけど、止まんなくなっちゃって」
「……ま、そういうこともあるか。おっさんの方は見ての通り、元気になったぜ」
「どういうことなの?」
 優人の説明になっていない説明で、カミーユは存外あっさりと納得した。それから調理場のほうを指差し、状況を教えてくれた。
「俺も半信半疑だったけどな、試しにお前らのことを見てるよう言ったんだよ。それで、あの少し射し込んだ光を見たら、体調が持ち直したらしい。そんでお前らが腹を空かせて戻るだろうと、ここにあったものと騎士団からの転送で調達した食材でメシを作ってるわけだ」
「魔物……雲を散らして、封印していった影響ってこと?」
「多分な。あの雲が集まった目的は日光を遮ることだったのか……もうちょい光が射すようになったら、他の連中も起きてくるかもしれん」
 シンシアと優人、それからエリーの地道な働きが、既に結果を出し始めている。シンシアは肉体的に、優人は精神的に辛い作業ではあるが、それを聞くと少し前向きになれた。いまだ負担をかけ過ぎた優人の体はぽろぽろと涙を流し続けているが、表情のうえでは笑いながら、三人は顔を見合わせたのだった。

「生き返りますわ~~!」
 魔法を使うとお腹が空くのだと話していたシンシアは、宿屋の主人が用意してくれた食事を次々と口に運びながら心底幸せそうにそう言った。討伐作戦前と同じように、その繊細そうな身体つきに似つかわしくないほどの量を食べているので、優人とエリーは感心してしまう。
「魔法って、お腹が空くものなの?」
 二人とは違い、特に驚くような様子のないカミーユに優人は尋ねた。同じ魔法を得意とする者なら理解があるのかもしれない。
「まあ、アイツのは行き過ぎてるとは思うけどな、概ねそういうモンだよ。あんだけ強い力をぶっ放しまくれば、これくらい必要なのかもな」
 そういえば、カミーユも食事を前にすると少し表情が緩み、穏やかな雰囲気になることを思い出す。マヒアドの街も、食にこだわった店や手の込んだ料理が多かった。魔法使いというのは、そういうものなのかもしれない。
 そしてカミーユはそれを見越して、主人に多めに食事を作ったほうがよいことなども伝えてあったらしい。やはり強面ながら、細かな配慮や頭の回転は抜きん出ている男だ。


「お前も泣き止んだところで休憩がてら、少しわかったことを話してやる。食いながら聞け」
 皆が食事をとる間にも、カミーユはテーブルに日誌や本を広げて難しい顔をしていたが、ぽんと音を立てて本を閉じ、頭を軽く掻きながら言った。
「何かわかったのか?」
「ん、まあ少しだけな。確実なことだけ掻い摘んで説明する」
 本を閉じた代わりにカミーユは自らの手帳を開き、それを見つつ何から話したものかと考えながら言葉を探しているようだった。そして黙って優人のほうへ視線を向けると、じっとその目を見つめた。
「……僕?」
「お前のその、魔物に触れたときに感じるモノは、幻覚とか気のせいとかじゃあねえってことがわかってきた。ソレ、どの魔物にも感じるモノなんだよな?」
「うん、何も感じなかったことはないかな。感じるものは、それぞれだけど……さっきみたいな動かないやつからでも、あるよ」
 魔物に触れたとき、或いは近づいただけでも伝わってくることのある、良くない感情たち。その大きさ、強さはそれぞれながら、まったく何も感じないということは、これまで一度もなかった。それを確かめたカミーユは、静かに頷く。
「それが、どっからやってきてるのかが書かれていた」
「どこから……」
「どこからともなく、そんなワケわかんねえ感情が湧いて出てくる訳でもねえ。魔物自身がそんなモン持っているわけでもねえだろうよ。となると、それはどっから出てきてるモンなのかって話」
 確かにそれはそうだ。優人がこれまで感じたものは、自然と湧き上がってくるようなものでもなければ、魔物が感じているようなものではなく、どこかしら、人間じみたものだった。それを魔物から感じるというのであれば、当然何かしらの仕組みがあると考えてよいだろう。
「それはな、人間が住んでいる世界からやってきているらしい」
「人間が……ってことはつまり、」
「そう、この世界ではない、お前が元々暮らしていた世界からだ」
 魔法使いたちが暮らすこの世界ではなく、優人が生まれ育った世界。そこから、あのよくない感情たちはやってきている。
「まあ、救世主と呼ばれる存在がそこから来てるんだ。何かしら関係があるんだろうとは思ってたけどよ。そこで……研究室で読んだ本のこと、覚えてるか?」
「約束の書、だっけ?」
「そう。そこにもある記述の意味が、これで少しわかることになる。《かの地に生まれた災厄を除く。それは星々が与えし、かの地への救いである》……かの地、てのが人間界、地球のことだな。この星々ってのは、恐らく魔法使いたち。それが《神が定めし世の理なり》……この神が、どうやらこの世界を作った、例の一人の魔法使い。創世主と呼ばれてる奴だな」
 研究室で優人が手探りながら読み解いた内容は、どうやらほぼ正解であったようだった。しかし、そこに出てくる神というものが、たった一人の魔法使いだということは、驚きだった。神というくらいだ、もっと何か、人でも魔法使いでもない、特別なもののように思えていたからだ。
「その創世主が、地球でうまれた人々の負の感情を摘み取り、魔物に変えて、魔法使いたちと戦わせる……そういうシステムを作った、ということらしい」
 それは、優人がこの世界に呼ばれて来たときにアリアンナが聞かせてくれた、当時はまだよく意味がわからなかった話にも、カミーユが迷信だと思っていた話にもあった。人々の良くない感情、それは優人がもともと暮らしていた地球でうまれたもので、それがこの世界へと送られてきているのだと。もしかしたらそれが魔物に姿を変えているのではないかと、そう話してはいたが、それが本当だとなると、やはり俄かに信じ難い話ではある。
「……どうしてそんな必要が?」
 それに、理由がわからない。その仕組みを作ったのが人や魔法使いなどではないと思っていたのは、人や魔法使いにはそんな仕組みを作る意味がわからないからだ。わざわざ自分と同じ存在を苦しめ、命さえ危ぶまれる世界を作り出すこと、その目的など皆目検討がつかない。
「そこまではわからん。何か必要があるはずだが、それについてはまだ先に書かれてるんだろうが……必要がなくこんな世界を作ったってんなら、とんだ悪趣味だけどな」
「……魔法使いではあの魔物を倒す術はありません。そんなの、同じ魔法使いがそういう世界にさせているなんて……あんまりですわ」
 カミーユやシンシアが言う通り、この世界が魔物を意図的に作り出し戦わせるための世界なのだとしたら、それは悪趣味などという次元の話ですらない。何故、どうして。そんな思いでいっぱいになった。

「まあ、その理由はこれから。とにかくお前が魔物を封印するときに感じるそれは、確かにそう感じておかしくないモンだってことだ。この日誌によれば、過去選ばれて戦った救世主の中にも、同じように感じたことのある人物もいたらしい。気が休まるかはわからんが、訳もわからず感じるよりマシだろ?」
「それは、うん。そうだね、そういうものなんだと思えれば、少し気が楽かも」
 負の感情が流れ込んでくること自体はもちろん辛いし、なくなりはしないが、過去同じように感じていた人がいて、それはそういうもので自分がおかしい訳ではないということがわかっただけでも、いくらか気が楽になったようだった。
「それがわかったら、まあ、頑張れ。一応どういうのを封印するとき具体的にどう感じたのか、覚えられる範囲でいいから教えておけ」
「わかった、ありがとうカミーユ」
 優人が素直に礼を言えば、もはや定型文のような「お前のためじゃねーよ」という声が返ってくる。けれどその声が、始めの頃よりほんの少しだけ優しいことに、優人も横で聞いているエリーも気づいていたのだった。
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