かなしみは星と輝く

アサツミヒロイ

文字の大きさ
上 下
33 / 62
第四章

ゆらぎと快晴

しおりを挟む
 シンシアと優人による作業は夜になるまで続いた。いくらか雲を散らしたとは言え、まだ雲が空の大部分覆っているせいで、陽が落ちると途端に辺りは暗闇に包まれ、ただでさえ深い木々が生い茂る町は何も見えなくなってしまう。その日は引き上げ、明日また再開することになった。
 このペースだと、数日かかりそうだな、と優人は考えていた。終わった後にぐったりとして、晩ご飯を食べて風呂を済ませ、すぐに休んでしまったシンシアの体力も考えると、ある程度進んでからペースが落ちることもあり得る。

「ユウト、ここにいたのか」
「エリー」
 優人が一人でいたのは、宿屋の裏、ちょうど背が高く大きな木に囲まれていて、雨のあたらない広い場所があった。
「ここで何を……鍛錬か?」
「鍛錬ってほどのものでもないけど、うん。今日はずっと剣は握ってたけど、鈍っちゃいそうで」
 優人はこの場所を探して、剣の練習をしていたのだった。その日は剣を扱ってはいたものの、戦闘の訓練にはならなかったからだ。一応、狙いを定めてそこへ剣先を落とす、という意識はしていたものの、やはり細々とした作業であることは変わらない。身体もぐっと縮こまらせていたので、魔物から伝わる気怠さ、憂鬱感も相俟って、なんだか気分もすっきりとしなかった。
「まだうまく扱えてないし、ちゃんと練習しないとね。それに少し身体を動かしてたら、気分も晴れてきたんだ」
「……そうか」
 自分なりに問題の解決に模索していた優人の姿を見て、エリーはふわりと笑った。その表情が柔らかくて、まるで愛しいものを見つめるようで、優人は少しどきりとする。
 それと同時に、ちくりと胸が痛んだ。
「……今日、ごめんね」
「何がだ?」
 エリーは優人が何に謝っているのかまったくわからないという風にきょとんとする。
「エリーと一緒のときは笑うよって言ったのに、いきなり守れなかったから」
 まさに昨日の今日で、優人としては情けない限りだった。ばつが悪そうに頭をかいて、背を丸めて謝る優人に、エリーは驚いた。そしてふっと微笑んで、首を横に振る。
「……いいんだ、そういうときもある。わたしは、約束が守れるかどうかよりも、そう言ってくれたユウトの気持ちが嬉しかった。だからいい」
 そう言って笑うエリーに、優人もホッとする。相変わらず雨は止まず、辺りの空気はひんやりと冷えているが、心がそっとあたたまるような心地だった。

 二人はそのまま揃って剣の練習を続けた。エリーが優人に稽古をつけるかたちになったが、終始和やかな雰囲気が漂う。
 その様子を、宿屋の二階、一行が宿泊している部屋の窓から覗く影がふたつ。
「覗き見なんて、悪趣味ですわね」
「うおっ……びっくりした、起きてたのかよ」
「ふいに目が覚めました。日誌の解読をしているのかと思えば……」
 カミーユはその手に手帳を持ち、小さなベッドサイドのテーブルに日誌を開いてはいたものの、視線は窓の外の二人にのみ注がれていた。早い時間に休んだシンシアであったが、ふいに窓から入ってきた冷たく心地よい風に目が覚め、そのカミーユの姿を見ていた。
「……気に入らないのですか?」
「なんでだよ」
「あなたは、エリザベト様がお好きなのでしょう?」
「…………」
 そのシンシアの言葉に、カミーユは表情を変えることもなかったが、答えることもしなかった。頬杖をつき、ぼんやりと二人を見ているだけだ。
「……エリザベト様は、ユウトのことが好きなのでは?」
「…………」
 エリーの気持ちは、付き合いの長いカミーユには、手に取るようにわかる。エリーは、夢見がちだ。救世主に出会う前から、救世主が自分の運命の人だ、なんていう夢を見ていた。もちろん王族の代表として旅に同行するからには、勤めをしっかりと果たすことを第一としているが、こうしてなんでもない時間を過ごしているときのエリーの表情は、やはりいつもとは違う。カミーユはそれが、確かに気に入らなかった。優人に冷たく当たった。けれど、カミーユは察してしまった。
 運命の人、なんて妄想の力さえ、何のプラスにもなってはいない。そんなものがなくたって、エリーが優人に惹かれていることは明白だった。優人の優しさや、その強さを、エリーも、そしてカミーユ自身も知ってしまった。

「……あなたは、それでよろしいのですか」
「……良いも悪いもあるかよ」
 そうだ。もうすでに、カミーユ自身の気持ちは関係がない。優人のことは、認めないなんてことはもう言えない。自身が認めた男のことを、他でもないエリーが好きなのだ。もう、そこに自分自身の感情は、必要ない。
「……案外、控えめなんですのね」
「うるせえよ」
 これを失恋と言うのだろう。エリーはまだ自分の気持ちに気づいてさえいないだろう。本人はまだ、夢を見ているつもりなのだ。それはとうに夢ではなくなりつつあるというのに。
 カミーユは、ずっとエリーを見てきた。想ってきた。エリーを守るためだけに強くなった。鍛錬も修行の旅も、昇進も、すべてエリーを一番近くで守れるように。まだ幼い頃にエリーに初めて会った日から、ずっとそうしてきた。
 けれど、ほんの少しの寂しさがあるだけで、こんなにも心が凪いでいるのは何故なのか、それはカミーユ自身にもわからなかった。相手が優人だったからかもしれないし、エリーが今も幸せそうに笑っているからかもしれない。
 そんな風に考えているカミーユを、シンシアは黙って見つめていた。



 それから二日間、ずっと同様の作業が続き、空を覆う雲は少しずつ減っていった。地味な作業とは言え常に憂鬱感を味わい続けている優人はもちろん、タフなシンシアも流石に強力な魔法の連発で疲弊していた。

「救世主様がた、お疲れ様です!差し入れ、良かったらどうぞ」
 そんな二人を元気づけたのは、ひとり、またひとりと目を覚まして今の状況を知った民たちからの感謝と励ましだった。崩れた雲の向こうから射し込む陽の光のおかげか、町の人々は少しずつではあるが眠りから目覚め、普通の活動ができるようになっていた。町と森を包んでいた不気味なほどの静けさも、人々の立てる生活の音でかき消されつつある。
「ありがとうございます、気を遣っていただいてすみません」
「いえいえ、あなたがたのおかげで助かったんですから!あのまま眠り続けていたら、どうなっていたことか。これくらいはさせてください」
 定期的に民家ひとつひとつに訪問し様子を見てくれているカミーユ曰く、最初の頃よりは皆意識もはっきりとし、まだ起き上がることができない人たちは半数ほどに減ったのだと言う。
 町の人々から差し入れられた果物や野菜のサンドイッチを食べながら、本当に良かった、あともう少し、頑張ろうと優人は考えた。

 魔力を使うとお腹が空くのだというシンシアは、優人の倍近くは食べていた。食べながら、二人は再開してからのことを話す。
「気づいたことがあるのですが、あの雲、崩していったことによって、かたまっている状態を保てずに穴の開いた周りから少しずつ自然と崩れていっているのです」
「みたいだね。あそこの穴なんかは、わかりやすく魔法が当たったときよりも穴が大きくなってる」
 ひとつの大きな塊だった雲は、穴が開き、また魔法の衝撃もあり、少しずつ支えを失い崩れ始めている箇所もある。
「より効率化を図るために、バラバラの位置から穴を開けていくのではなく、自然と崩れ始めているところの近くに当てていけばよろしいかと。再開する際は、こちらとあちらのちょうど真ん中、更にその向こうの真ん中、という具合に……少し、移動が大変になってしまうのですけれど」
「それは構わないよ。僕、結局シンシアに置いてかれることになると思うしね。お互い出来るだけ楽な方法でやろう」
「ありがとうございます、ユウト」
 強力な魔法は放つまでに少し時間がかかるとは言え、ばらばらと散らばる小さな雨雫をひとつひとつ潰していくのは、それ以上に手間取る。地味な割に、妙に時間を取られるのだ。結果的に、同時に始めても優人はシンシアにはついていけないことになる。シンシアの後を追っていくことにはなるが、動けるようになった民たちやエリーの協力により優人自身はさほど動かずとも雨雫は優人の足元に集められる。一回一回の移動が長くなれど、あまり影響はなかった。
 優人の作業は特に変わらないが、おそらくシンシアは自分ひとりが楽をすることに気が引けたのかもしれない。しかしそこできちんと効率を選ぶところは、さすがは元隊長と言ったところか。優人は悪い気にはもちろんならず、むしろシンシアはしっかり者だな、と改めて感じたのだった。


「ラスト……!」
 ぷちぷち、と、相も変わらず軽やかな音がする。その音とは裏腹に、優人の剣を下ろす動きは重い。
 シンシアの機転や優人の効率化などが効果を発揮し、予想していたよりもはやく最後の封印は行われた。
 ひとつひとつ突き刺していくのではなく、民たちの協力のもと、雨雫を綺麗に一列に並べ、その表面を滑らせるようにして剣を下ろしていく。稀につるりと列から滑り出てしまうものはあるが、きちんと並べることが出来ていれば小さなひとつにいちいち狙いを定めることもなく、一度に複数を封印できるという訳だ。そのぶん、伝わってくる憂鬱感は色が濃くなるものの、そこは優人が耐えられる程度に調整していた。
「……ユウト!」
 それでも、最後のひと振りを終えた優人は、がくりと膝をついた。結局いくつの雨雫を封印したのかは、数えるのも馬鹿馬鹿しいほどになる。優人を蝕む憂鬱感や倦怠感は想像にさえ容易くはない。
 その場に倒れかけた優人を、ずっとそばにいたエリーが咄嗟に支えてくれる。虚ろな目をした優人も、なんとか口を開き、ありがとうと言った。
 もう立ち上がることなど叶わないのかと思うくらいに体が重い。これまで封印してきた魔物のときのように強い感情に揺さぶられるのではなく、ただただ憂鬱で重苦しい気持ちが心にも体にも降りのしかかるようで、運動量に見合わぬ途方もない疲労感が全身に纏わりつく。
 それでもグッと力を込め、無理矢理にでも顔を上げた。虚ろに閉じかけていた瞼が、次の瞬間には眩しさにぎゅっと閉じられる。
「……晴れたね」
 空は、既に雲ひとつない快晴となった。長い時間をかけて、厚い雲をすべて振り払ったのだ。思わず目を細めてしまうほどに明るい空の色は、待ち望んだ鮮やかな青色をしている。
「ああ、すごく綺麗だ」
 町の人々も、喜びの声をあげている。これできっと、残りの住人たちも目を覚ますだろう。
 今回の異変では、これまでとはまた違う変わったものだった。しかし、うまくやれたのは、これまで経験したことや鍛えてきたことが活きたのだろうと優人は思う。頑張ってきてよかった、みんな助かってよかった、そう思いながらもやはり、落ちてくる瞼には抗うことができなかった。
しおりを挟む

処理中です...