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教室から見える外の風景も、新緑ですっかり鮮やかになった。吹き抜ける風も心地よく、ついうとうとしてしまう。
去年の今頃も講義の最中には、こうして夢見心地で机に突っ伏していたのだが……。
「竜也くん。教職の授業くらいちゃんと起きてないとダメだよ」
おれの意識が他所へ行ってしまっていると見るや度々、通路を挟んで隣に座る由希子が、身を乗り出しながらおれの肩をシャーペンの頭でつつく。
「ちゃんとノート取りなよ」
「ああ。……大丈夫。でも五分だけ休ませてくれ……」
「もー。知らないよ」
また十分もした頃に似た様なやり取りを……。
九十分の講義の間にそんな事を何度か繰り返しているうちに、気付けば終了のチャイムが鳴る――。
「おう。今日はちゃんと授業受けとったみたいじゃの」
講義終わりのチャイムが鳴ってから広場で優一と顔を合わせると、決まってこう声を掛けてくる。だからおれも威勢よく、「あたぼうよ」と返事をするのだ。
「ほとんど寝てたけどね。せっかく私が起こしてあげてるのに」
そしてお決まりの様に由希子が告げ口をする。余計な事を言うとまた優一の小言が始まってしまうではないか。
「まぁたお前は。九十分座っとれる様になったら、次は起きとく練習せないかんやないか。だいたいお前は……」
これ以上黙って聞いているとまた長くなってしまう。
「いやいや。あの先生無駄話が多いんだよ。授業に関係ねぇ話ばっかりしやがって。そりゃあ眠たくもなるっての。ってか優一こそ、おれらより先に出て来てるってことはサボってたんだろ?」
おれのカウンターも、「俺は空きじゃったんや。お前と一緒にすんな」と一蹴。
そんなやり取りをしているうちに、宗太と紗良も合流。学食に流れてくる学生も増えてきた。
「まぁまぁ。人も増えてきたし、とりあえずメシにしようぜ」
「そういや最近、真由の顔見ちょらんの。宗太、あいつどうかしたんけ?」
「ん~。なんか最近体調悪いこと多いみたい」
「ちゃんと看病しちゃりぃや」
昼休みを終え、皆三限のそれぞれ授業へ。次の講義には口やかましい優一も、おれの眠りを妨げる由希子もいない。
さて。のんびり適当に過ごせると思い、教室に入り適当な席に着くと由希子からメールが。
「今日この後時間ある?」
メールの返事が来ないとなれば、授業の開始早々にまた昼寝の体制に入っていると思われる。そうなるとまた後で何を言われるか分からないから、すぐに今日の講義の予定を確認して返事を送った。
「五限まで授業」
「わたし三と四だ」
「何か用あんの? じゃあ五限抜けて行くよ」
「授業はちゃんと受けなさい!それに学校じゃちょっと話しづらいかも……。先帰ってるだろうけど終わったら連絡ちょうだい」
何やら意味深なやり取りだったので、講義の方はほとんど手に付かなかった。これはおれの怠慢ではない。由希子のせいだ。授業はちゃんと受けろと言いながら、おれの集中を欠く様な真似をして。
五限の終了は十八時。帰りに由希子のアパートへ立ち寄ることになった。
夜からは雨の予報だったため、昼間より少し雲行きが怪しくなってきている。日没も相まって大学の前の農道はもうすっかり薄暗く、原付きのライトではやや心許ない。
国道に差し掛かると、流れて行く車は皆ライトを点灯しており、おれの原付きもその中に溶け込んで、夕間暮れの景色の一つとなっていった。
由希子の下宿するアパートへ到着し、そのまま部屋の玄関前に原付きを停めてインターホンを鳴らす。年頃の女がアパートの一階に一人暮らしとは。全く不用心な。
――ガチャ、――ガチャ。
鍵を開ける音が二回。さすがに戸締まりくらいはきちんとやってあるな、などと思っていると玄関のドアが開き、その隙間からひょっこりと由希子が顔を出した。
「おう。来てやったよ」
「うん。雨降りそうだね。とりあえず上がる?」
「いや、いいよ。タバコも吸いてぇし」
タバコを咥え、扉を背にして玄関口に座り込むと、由希子も隣に座る。少し風も出てきて、いつの間にやら空はどす黒い色になってきていた。
「で? 何かあんの?」
途端、由希子は話すのを躊躇う様に小さく俯いた。黒雲が流れる様に駆けている。いよいよ降り出すな、これは。
「真由ね……妊娠してるかもしれないんだって」
「うお? おれの子じゃねぇぞ」
「ばか! 分かってるよ」
「まだ病院には行ってないみたいだけど、二回検査して二回とも陽性だったって」
「そうか……」
優一と宗太の昼間のやり取りで、真由の調子が悪いなどと言っていたがそういうことか。その事実をおれは、再度頭の中で飲み込んだ。
「で? なんでお前がそんな深刻そうなツラしてんの?」
「大事なことでしょ?」
「そりゃあそうだけどよ。産んで育てるにしても何するにしてもさ、まずはあいつらがどうすんのか二人で決めて、お互いの親御さんと話すしかねぇだろ」
「そりゃそうなんだけどさ……」
「真由はなんて言ってんの? ってか当然宗太も知ってんだよな?」
「真由はね、やっぱり産みたい気持ちが強いんだって」
「じゃあ、二人で両親を説得でも何でもして、産みゃあ良いじゃねぇか」
「そんな簡単な問題じゃなくない? それに、まだ宗太には言ってないって」
「かぁー! 何やってんだよ、ったく! よし! おれが間に入ってやっから、とりあえず今から宗太も呼んで、皆んなで真由んとこ行こう!」
「それはダメ!」
「ああ?」
「そう簡単に言えないから真由は悩んでんじゃん」
「悩んでるつったってなぁ……」
玄関口の上に伸びている軒に雨の当たる音がし始めた。そこに停めてあるおれの原付きのシートにも、ぽつん、ぽつん、と水滴が滲んでいく。
「でもよう、もうその悩みは真由一人のもんでもねぇだろ。宗太もだし、一番は、腹ん中にいるガキんちょじゃねぇの?」
「……うん」
「とりあえず真由に言ってやんな。宗太と話してこれからどうすんのか、まずは二人でちゃんと話し合いな、つって。何にしても早ぇとこ通院もしねぇとだしよ。どうしても勇気が出なけりゃ、そん時はおれが、病院でも何でも付き添ってやっから」
「それはいいから」
ようやっと由希子の顔が少し緩んだかに思えた。
軒が受け損なった雨が少しだけ足に当たる。雨足が強まると同時にまた、由希子の顔も再び曇っていく。
「真由が子ども産むってなったらさ、学校辞めちゃうよね……」
「そりゃあ休学って訳にはいかねぇだろうし、おいおい復帰するっつってもなぁ」
雨粒がさっきまでよりも大きい。雪駄の鼻緒にも雨が染みてきた。いよいよ本降りだ、これは。
「それを聞いたら、宗太はどうするのかな?」
「そうなりゃ宗太の奴も、さすがに卒業までのあと二年、真由のことにしろ子どものことにしろ、ほったらかしって訳にはいかねぇから、辞めて働くしかねぇよな」
「だよねー……」
原付きに合羽は積んであっただろうか。まぁでも、濡れた合羽をまた干して片付けてとするのも面倒だから、このままサッと帰って、すぐに風呂にでも浸かればその方が楽かもしれない。
原付きのシートもすっかり濡れてしまった。新車のそれなら水も弾いてくれるのだろうが、いかんせん古だからしっとりしてしまっている。帰りはパンツまでびしょ濡れだな、これは……。
「なんかさ、意外とあっさりしてるよね」
「別にあっさりしてる訳じゃねぇよ」
また一つタバコを付け直した。
「少子化だの、望んでも子どもができねぇ夫婦だの、世の中には色々あんだろ。そんなのに比べたら、本当は明るい話じゃねぇか。ただあいつらが、現時点でお互い学生だったってことが問題なだけで。でもそこはもう変えようのねぇ事実なんだから、これから先のことを考えて二人で動くしかねぇんじゃねぇの? おれらができんのはさ、二人の決めたことの後押しくれぇのもんだろ」
「……うん」
「宗太の奴は、真由の親父さんに二、三発はぶん殴られる覚悟で行かねぇとだろうけどな」
おれがそう言ってカッカッと笑うと、由希子もつられて、「かもね」と綻んだ。
春先の夜雨。足元ばかりとはいえ、しばらく当たっていると指先が少し冷たくなってきたのを感じる。
「由希子の親父さんはどんな人なんだ?」
「うち? うちのお父さんはね、んー。のんびりしてるかな」
普段の由希子の朗らかな雰囲気を見れば分かる通り、きっと由希子の言う様に穏やかな人で、由希子を大事に育ててきたのだろうなきっと。
「真由の親父さんものんびりした人だったら宗太も殴られずにすむかもな」
「確かに。あ、でも、私が竜也くんみたいな人連れて行ったらさすがのお父さんも殴るかもよ?」
「んな訳ねぇよ。むしろそっちから頭下げてくれるよ。是非、由希子を頼みます! つってな」
「なにそれ」
雨音が少しだけ遠のいた気になった。そこにある原付きは相変わらず大粒の雨ざらしだが、この軒下だけは、由希子の笑い声に包まれている様な。
半分体を由希子の方へと向け、眉間と背筋にビッと気合いを入れた。
「娘さんを……、由希子さんを、嫁に下さい!」
由希子はこちらを見て一瞬固まり、目線を下にやったかと思うと、キリッと顎を引きながら胸を張り、「授業もろくに受けず、居眠りばかりしているお前のような者に、娘はやらーん!」と、おれの額をペチンと叩いた。
「え? じゃあちゃんと起きて授業受けてたら嫁に来んの?」
顔をふいと上にやりながら、「ばかじゃないの」と笑っている。おれもつられる様に、黒ずんだ雨空へと顔を。軒を打つ雨音だけが響く中、二人ともしばらくそのまま落ちて来る雨を眺めていた。
「雨……、止みそうにないね」
「だな……」
予報通りなら、今日はもう雨は止まないのだろう。
「……さすがにちょっと冷えてきたし、そろそろ行くわ」
「……うん」
吸殻をまとめてポケットに入れながら立ち上がり、濡れたシートなどお構いなしに原付きに跨った。溜まった雨水が、ズボンからお尻にまで一瞬にして染み渡った。一度こうなると、もう雨なぞどうでも良い。すっかり冷え切ったエンジンに火を入れた。
「じゃあ、また明日な! 真由にもよろしく!」
ヘルメットを打つ雨音とエンジンの音が重なり、やや耳についていたので、少し大きめの声で由希子に挨拶をした。
「うん、気をつけて。……ありがとう」
小さく手を振る由希子。出発するや否や、ププッと小さくクラクションを鳴らして、おれは雨の中を帰路についた。
数日後の昼休み、芝生の広場に久々に真由も顔を見せた。そこで宗太と真由から、改めて報告を受けた。
入籍する。
二人で大学を辞めて子どもを育てる。
週末にはそれぞれの両親に話をしに行く。
それなら決意表明をすべきだと、出発の前日に広場の真ん中で断髪式を行った。皆で代わる代わるバリカンを持ち、宗太の髪の毛を刈り落としてやった。
途中、落武者の様な奇妙な頭になったところで、これも記念だと言い、宗太と真由を囲み六人で記念写真を撮ることにした。
芝生の傾斜でうまくカメラをセットできなかったため、たまたま通りかかった学生にシャッターをお願いしたら、落武者を取り囲むおれ達を見て、何やら怪訝な顔をしていた。
二人の出発からひと月経ったかなといった頃、部屋の片付けと退学手続きのためにと、一度だけ二人揃って顔を見せにやって来た。
丸坊主だったのが少しだけ伸びていたので、また皆んなで刈ってやろうかと言ったのだが、快く断られた。
例年ならもうじき梅雨入りが発表されるという頃。大学生活三度目の夏を迎える前に、宗太と真由は大学を辞めた。
去年の今頃も講義の最中には、こうして夢見心地で机に突っ伏していたのだが……。
「竜也くん。教職の授業くらいちゃんと起きてないとダメだよ」
おれの意識が他所へ行ってしまっていると見るや度々、通路を挟んで隣に座る由希子が、身を乗り出しながらおれの肩をシャーペンの頭でつつく。
「ちゃんとノート取りなよ」
「ああ。……大丈夫。でも五分だけ休ませてくれ……」
「もー。知らないよ」
また十分もした頃に似た様なやり取りを……。
九十分の講義の間にそんな事を何度か繰り返しているうちに、気付けば終了のチャイムが鳴る――。
「おう。今日はちゃんと授業受けとったみたいじゃの」
講義終わりのチャイムが鳴ってから広場で優一と顔を合わせると、決まってこう声を掛けてくる。だからおれも威勢よく、「あたぼうよ」と返事をするのだ。
「ほとんど寝てたけどね。せっかく私が起こしてあげてるのに」
そしてお決まりの様に由希子が告げ口をする。余計な事を言うとまた優一の小言が始まってしまうではないか。
「まぁたお前は。九十分座っとれる様になったら、次は起きとく練習せないかんやないか。だいたいお前は……」
これ以上黙って聞いているとまた長くなってしまう。
「いやいや。あの先生無駄話が多いんだよ。授業に関係ねぇ話ばっかりしやがって。そりゃあ眠たくもなるっての。ってか優一こそ、おれらより先に出て来てるってことはサボってたんだろ?」
おれのカウンターも、「俺は空きじゃったんや。お前と一緒にすんな」と一蹴。
そんなやり取りをしているうちに、宗太と紗良も合流。学食に流れてくる学生も増えてきた。
「まぁまぁ。人も増えてきたし、とりあえずメシにしようぜ」
「そういや最近、真由の顔見ちょらんの。宗太、あいつどうかしたんけ?」
「ん~。なんか最近体調悪いこと多いみたい」
「ちゃんと看病しちゃりぃや」
昼休みを終え、皆三限のそれぞれ授業へ。次の講義には口やかましい優一も、おれの眠りを妨げる由希子もいない。
さて。のんびり適当に過ごせると思い、教室に入り適当な席に着くと由希子からメールが。
「今日この後時間ある?」
メールの返事が来ないとなれば、授業の開始早々にまた昼寝の体制に入っていると思われる。そうなるとまた後で何を言われるか分からないから、すぐに今日の講義の予定を確認して返事を送った。
「五限まで授業」
「わたし三と四だ」
「何か用あんの? じゃあ五限抜けて行くよ」
「授業はちゃんと受けなさい!それに学校じゃちょっと話しづらいかも……。先帰ってるだろうけど終わったら連絡ちょうだい」
何やら意味深なやり取りだったので、講義の方はほとんど手に付かなかった。これはおれの怠慢ではない。由希子のせいだ。授業はちゃんと受けろと言いながら、おれの集中を欠く様な真似をして。
五限の終了は十八時。帰りに由希子のアパートへ立ち寄ることになった。
夜からは雨の予報だったため、昼間より少し雲行きが怪しくなってきている。日没も相まって大学の前の農道はもうすっかり薄暗く、原付きのライトではやや心許ない。
国道に差し掛かると、流れて行く車は皆ライトを点灯しており、おれの原付きもその中に溶け込んで、夕間暮れの景色の一つとなっていった。
由希子の下宿するアパートへ到着し、そのまま部屋の玄関前に原付きを停めてインターホンを鳴らす。年頃の女がアパートの一階に一人暮らしとは。全く不用心な。
――ガチャ、――ガチャ。
鍵を開ける音が二回。さすがに戸締まりくらいはきちんとやってあるな、などと思っていると玄関のドアが開き、その隙間からひょっこりと由希子が顔を出した。
「おう。来てやったよ」
「うん。雨降りそうだね。とりあえず上がる?」
「いや、いいよ。タバコも吸いてぇし」
タバコを咥え、扉を背にして玄関口に座り込むと、由希子も隣に座る。少し風も出てきて、いつの間にやら空はどす黒い色になってきていた。
「で? 何かあんの?」
途端、由希子は話すのを躊躇う様に小さく俯いた。黒雲が流れる様に駆けている。いよいよ降り出すな、これは。
「真由ね……妊娠してるかもしれないんだって」
「うお? おれの子じゃねぇぞ」
「ばか! 分かってるよ」
「まだ病院には行ってないみたいだけど、二回検査して二回とも陽性だったって」
「そうか……」
優一と宗太の昼間のやり取りで、真由の調子が悪いなどと言っていたがそういうことか。その事実をおれは、再度頭の中で飲み込んだ。
「で? なんでお前がそんな深刻そうなツラしてんの?」
「大事なことでしょ?」
「そりゃあそうだけどよ。産んで育てるにしても何するにしてもさ、まずはあいつらがどうすんのか二人で決めて、お互いの親御さんと話すしかねぇだろ」
「そりゃそうなんだけどさ……」
「真由はなんて言ってんの? ってか当然宗太も知ってんだよな?」
「真由はね、やっぱり産みたい気持ちが強いんだって」
「じゃあ、二人で両親を説得でも何でもして、産みゃあ良いじゃねぇか」
「そんな簡単な問題じゃなくない? それに、まだ宗太には言ってないって」
「かぁー! 何やってんだよ、ったく! よし! おれが間に入ってやっから、とりあえず今から宗太も呼んで、皆んなで真由んとこ行こう!」
「それはダメ!」
「ああ?」
「そう簡単に言えないから真由は悩んでんじゃん」
「悩んでるつったってなぁ……」
玄関口の上に伸びている軒に雨の当たる音がし始めた。そこに停めてあるおれの原付きのシートにも、ぽつん、ぽつん、と水滴が滲んでいく。
「でもよう、もうその悩みは真由一人のもんでもねぇだろ。宗太もだし、一番は、腹ん中にいるガキんちょじゃねぇの?」
「……うん」
「とりあえず真由に言ってやんな。宗太と話してこれからどうすんのか、まずは二人でちゃんと話し合いな、つって。何にしても早ぇとこ通院もしねぇとだしよ。どうしても勇気が出なけりゃ、そん時はおれが、病院でも何でも付き添ってやっから」
「それはいいから」
ようやっと由希子の顔が少し緩んだかに思えた。
軒が受け損なった雨が少しだけ足に当たる。雨足が強まると同時にまた、由希子の顔も再び曇っていく。
「真由が子ども産むってなったらさ、学校辞めちゃうよね……」
「そりゃあ休学って訳にはいかねぇだろうし、おいおい復帰するっつってもなぁ」
雨粒がさっきまでよりも大きい。雪駄の鼻緒にも雨が染みてきた。いよいよ本降りだ、これは。
「それを聞いたら、宗太はどうするのかな?」
「そうなりゃ宗太の奴も、さすがに卒業までのあと二年、真由のことにしろ子どものことにしろ、ほったらかしって訳にはいかねぇから、辞めて働くしかねぇよな」
「だよねー……」
原付きに合羽は積んであっただろうか。まぁでも、濡れた合羽をまた干して片付けてとするのも面倒だから、このままサッと帰って、すぐに風呂にでも浸かればその方が楽かもしれない。
原付きのシートもすっかり濡れてしまった。新車のそれなら水も弾いてくれるのだろうが、いかんせん古だからしっとりしてしまっている。帰りはパンツまでびしょ濡れだな、これは……。
「なんかさ、意外とあっさりしてるよね」
「別にあっさりしてる訳じゃねぇよ」
また一つタバコを付け直した。
「少子化だの、望んでも子どもができねぇ夫婦だの、世の中には色々あんだろ。そんなのに比べたら、本当は明るい話じゃねぇか。ただあいつらが、現時点でお互い学生だったってことが問題なだけで。でもそこはもう変えようのねぇ事実なんだから、これから先のことを考えて二人で動くしかねぇんじゃねぇの? おれらができんのはさ、二人の決めたことの後押しくれぇのもんだろ」
「……うん」
「宗太の奴は、真由の親父さんに二、三発はぶん殴られる覚悟で行かねぇとだろうけどな」
おれがそう言ってカッカッと笑うと、由希子もつられて、「かもね」と綻んだ。
春先の夜雨。足元ばかりとはいえ、しばらく当たっていると指先が少し冷たくなってきたのを感じる。
「由希子の親父さんはどんな人なんだ?」
「うち? うちのお父さんはね、んー。のんびりしてるかな」
普段の由希子の朗らかな雰囲気を見れば分かる通り、きっと由希子の言う様に穏やかな人で、由希子を大事に育ててきたのだろうなきっと。
「真由の親父さんものんびりした人だったら宗太も殴られずにすむかもな」
「確かに。あ、でも、私が竜也くんみたいな人連れて行ったらさすがのお父さんも殴るかもよ?」
「んな訳ねぇよ。むしろそっちから頭下げてくれるよ。是非、由希子を頼みます! つってな」
「なにそれ」
雨音が少しだけ遠のいた気になった。そこにある原付きは相変わらず大粒の雨ざらしだが、この軒下だけは、由希子の笑い声に包まれている様な。
半分体を由希子の方へと向け、眉間と背筋にビッと気合いを入れた。
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由希子はこちらを見て一瞬固まり、目線を下にやったかと思うと、キリッと顎を引きながら胸を張り、「授業もろくに受けず、居眠りばかりしているお前のような者に、娘はやらーん!」と、おれの額をペチンと叩いた。
「え? じゃあちゃんと起きて授業受けてたら嫁に来んの?」
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「だな……」
予報通りなら、今日はもう雨は止まないのだろう。
「……さすがにちょっと冷えてきたし、そろそろ行くわ」
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「うん、気をつけて。……ありがとう」
小さく手を振る由希子。出発するや否や、ププッと小さくクラクションを鳴らして、おれは雨の中を帰路についた。
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二人の出発からひと月経ったかなといった頃、部屋の片付けと退学手続きのためにと、一度だけ二人揃って顔を見せにやって来た。
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