おふとん

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 国道から路地に入り、民家を二、三軒過ぎたところで錆びついた大きな格子の門が見えた。おれの背丈より少し高めのゴツゴツとした石造りの門柱が左右に二本。右側の門柱には「児童養施設 少年ホーム光」と彫られた黒い大理石が埋め込まれてある。パッと見渡した限り入り口はここだけで、門からは敷地に沿って三メートル程の金網のフェンスがずうっと囲っている。門を引くと、ギギギっと耳をつん裂く様な音。一歩中へ入るとテニスコート三面には満たないくらいのグラウンド。そこを横切ると正面に一つ、その西側にも一つ、三階建ての建物が並んで聳えている。その正面の建物の玄関らしきところから入るとすぐに事務室が見えたので、中の職員に向かって声を掛けた。
「今日から出勤する田村です」
 中に三人いるうちの一人、眼鏡を掛けた無愛想な女性の職員が、中へどうぞ、靴はあちらへと、見た目通りの暗い声でおれに指示を下した。そして招かれるままにホーム長の部屋へと連れて行かれ、そこには、小柄で白髪頭だがやけに貫禄のある爺さんが大層な肘掛け椅子にどっかりと座っている。おれが先程玄関先でした様に挨拶をしたらその爺さんは、今日からしっかり頼むよという風なことを野太い声で発した。面接の際にも感じたが、なかなか厳つい爺さんである。小柄ではあるが華奢ではない。整髪料で整えた頭に純白の顎髭を蓄えており、貫禄のある体躯にギョロッと大きな目。小さめの動物くらいならその声だけで射止めてしまいそうで、おれはやや萎縮してしまった。
 
 挨拶を済ませ事務室の方へ戻ると、さっきは居なかったはずの別の職員がおれを待ち構えていた。三階フロア、小学生と中学生の居住エリアの班長兼、寮内児童指導員の主任であると自己紹介をされた。さっそく中へと案内されるのかと思いきや、今日から出勤する新任職員がもう一人来るから待つとのこと。ちらと事務室の時計に目を向けると十二時五十分。初出勤の今日、十三時に出勤する様にと事前に連絡を受けていたので、おれは少し余裕を持って出勤してきた。
 
 針は五十五分を指す。主任とやらは、少しソワソワし始めた。指定された十三時の二分前、低い排気音を響かせながら一台の単車が門から入ってきた。その単車は正面の玄関を横切る様に大きく曲がり、建物のすぐ目の前の駐輪場でエンジンを止めた。おれは事務室からその様子を眺めており、横切る際に真っ白な単車のタンクに反射する光がツンと目を刺した。おれが学生の時分に人気だったクルーザースタイルのアメリカン。チョッパーと言うのか、少し高めの絞ったハンドルにしてあり、なかなか運転しづらそうである。その運転手は単車から降りると、優雅に歩いて玄関へとやって来た。
「おはようございます!菊崎です!」
 時計はちょうど十三時を指している。どうやら彼が、皆が待っていたもう一人の新任職員だ。主任に急かされる様にして、彼もおれと同じ様にホーム長の所へ挨拶に行き、その間おれは事務室に残された。
「時間ギリギリじゃないか」
「おはようって、今は昼間なのに」
 事務室の職員が彼の小言を言い合っているのを、おれは黙って聞きながら二人の帰りを待っていた。確かに、初出勤の日に遅刻ギリギリに登場するなど、おれには真似できない図太さだと、ある意味で感心に値した。そうこうしているうちに二人がホーム長の部屋から戻ってきて、改めて主任からおれと先程の菊崎は中へと案内された。
 
 建物の三階へと向かう道すがら、簡単に挨拶と説明を受けた。ここは男子寮で西側に見えたのは女子寮。おれが常勤する様になるのはこちらの男子寮であると。そして菊崎もおれと同じく、男子寮三階フロアでの勤務になるらしい。
 階段を登りきるとすぐに職員室があり、その先の廊下には開けた広いスペースがあった。壁際には四十インチくらいだろうか。やや大きめのテレビが据えられており、それをソファーでくつろぎながら眺めている子ども達。流れているのはどうやら録画してあった歌番組。炬燵机に集まってゲームをしている者や、寝転がって漫画を読んでいる者も。隅には冷蔵庫も設置されている。どうやらここが一般家庭でいうところのリビングの様な場所だ。リビングの向こうにもずっと廊下が伸びており、そっちの方でも何やら子ども達の遊ぶ声がしている。
 世間で言う春休みの今、子ども達は各々の過ごし方で寮内にいる。主任が子ども達を呼び集めた。奥からは小学生の小さい子達が駆けて来て、リビングにいた中学生くらいの大きな子達も顔をこちらへ向ける。またここで、おれ達二人は挨拶を促された。
「今日からここで働きます、田村です。皆さん、よろしくお願いします」
 おれに続いて菊崎も同じ様に挨拶をしている。
 
 ふと、三階のリビングの窓からグラウンドが見渡せた。入って来る時には気にならなかったが、グラウンドの角に一本の桜の木が植えてある。今年の桜は例年よりやや早めで、三月末だというのにもうすっかり満開。木の周りは落ち始めた花びらで、薄ピンクの絨毯が敷かれている風だ。
 
 この春からおれはここ、少年ホーム光で勤めることになった。被虐待児。職員総出で連携し、彼ら彼女らに人権と、人としての心を与えるための場所だ。
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