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アキはとにかく喧しい奴だ。口から先に生まれたとはこいつのことを言うのだろう。授業中には五分と黙っていない。ハルさん、ハルさんと、それもよく通る声で、授業に関係あること無いこと、のべつ喋りかけてくる。
そして授業が終わると寄って来て、「今日もハルさんの授業はグダグダやったね!」などと吐かしやがる。誰のせいで授業が進まないか分かっていないのかこいつは。鈴を転がしたように笑うと言うが、実際こいつが笑ったり口を開いたりすると、本当に鈴を鳴らす様に喧しい。それも神社の境内にある様な大鈴だ。大声ではしゃぐその様は、まるで品がない。おれが思うのだからよっぽど下品なのだろう。天真爛漫と言うと聞こえは良いが、まぁ無邪気で明るい騒がしい奴だ。
ある放課後、いつも通り自分の席で時間を潰していると博士に呼びつけられ、ここでは何だからと、席を立つ様に促された。わざわざ場所を移さずとも、この社会科準備室で話せば良いではないかと思ったが、おれと二人で話したかった様だ。
生徒が下校した後の空っぽの教室に入り、適当な席に落ち着いて、博士はいつも通り静かに話を始めた。仕事には慣れたか、授業はうまくいっているか、と聞いてくるから、差し当たりないと返事をしておいた。
「ところで、先生は生徒からハルさんと呼ばれてますね」
当然だろう。おれの名前なのだから。
「そう呼ばれることについて、先生自身はどうお考えですか?」
博士はまた難しいなぞなぞを出してきたものだ。おれがおれの名前で呼ばれることに、何をどう考えろと言うのだろうか。一向に答えが分からないので、眉間にシワを寄せたまましばらく天井を眺めていると、博士は痺れを切らした様だ。
「生徒と仲が良いのは結構なことです。でもね、あくまで私達は教師で、生徒達は生徒ですから」
博士の言い分はいまいち要領を得ていない。頭の良い人間の話は、どうしてこうも遠回しで、わざわざ分かりにくく分かりにくく、濁した話し方をするのだろう。
「つまり、名前で呼ぶのをやめさせろって言いたい訳ですか?」
「まぁ、そこまで強くは言いませんが……。でも、そうですね。例えば授業中はやめさせるとか、関係性にもメリハリを付けた方が良いのかもしれませんね」
何とも煮え切らない物言いに、おれはだんだん腹が立ってきた。でも、一瞬アキの顔が頭によぎり、ごもっともな意見だとも思った。確かにあいつのせいであのクラスの授業は授業にならない。ただ、呼び方を変えさせる以前の問題ではあるのかもしれないが。
「やはり距離感というのは大切ですよ。それに、一部の生徒とだけ親しくしていると、周りの人達からは、あまり良い目では見られませんし」
再びアキの顔が頭に浮かんだ。確かに他の生徒達よりは親しく話している様に見えるのだろうが、ほとんどは勝手にあいつが話し掛けて来ているだけだ。特にアキだからと、特別扱いをしているつもりは無かったが、周りの人間からすればそう見えるのだろうか。何だかもう面倒になってきたので、へえへえと適当に返事をして博士との話を終わらせ、路地裏へと出た。
タバコを咥えて座り込んだ。さて、どうしたものか。分別をつけろと言われても、そもそもアキに関しては、あいつが勝手に騒いでいるだけだ。かと言って、「おい、お前!もっとおれを教師らしく扱え!」と、突然アキを叱りつけるのは、何だか違う気がする。
まぁどうせ、教師か生徒かはしらないが、おれ達のやり取りが楽しそうに見えるものだから、それを妬んで自分の都合の良い様に、おれの上司に当たる博士へと密告しただけの話だろう。その輩がもし生徒なのだとしたら、そいつもおれに勝手に話し掛けてくれば良いのだ。
いや、おれは仕事で学校へ来ているのだから、生徒全員が文句を垂れない様に、おれの方が気を配り、公正に扱うべきなのか。
些細な問題かもしれないが、こういう面倒事を少しでも避けるために、校長は教師らしくあれと熱弁を奮っていたのかもしれない。つまり一歩外に出れば、教師という仮面を被っていないと身が持たなくなるということだろう。
では、自分らしくというものはどこに置いてきてしまったのだろう。自分らしく、生き生きと、主体的な子どもを育てることが仕事である教師は、自分らしさを極力出さない方が良いということになるのではなかろうか。特におれみたいな者は、教師という人種の対極の位置にいる様なものだから。
こんなことになるのだから、講師といえど、やはりきちんと選別をした上で教壇に立たせるべきだ。いやはや。我ながら面倒な仕事に就いてしまったものだ。タバコが二本、三本と灰になっていく。
「あー!ハルさん!」
聞き慣れた声が耳に響いた。
「また仕事サボってタバコ吸いよるなー!」
そう口にしながらアキが寄って来た。タイミングが良いのやら悪いのやら。おれが今考え事をしているその原因はお前にもあるのだ。
「あら?今日はいつもより元気無いやん?」
隣にちょこんと腰掛けてきた。
「お前は毎日元気で暇そうで、何の悩みも無さそうでええな」
「えー、ひどー!ウチだって悩み事の一つや二つあるし!」
こっちを見ながら頬を膨らませている。でも、いつもすぐにケロッと笑顔になる。表情がコロコロと変わって忙しい奴だ。
「ハルさんは何か悩んどん?」
「あたぼうよ。大人は悩みがいっぱいで大変なんや」
「ほんならウチで良かったら聞いてあげよか?」
「バカタレ。ガキのくせにいっちょ前の事言うな」
「なんなんそれ!」
そう言いながらアキは何やら自分の鞄を漁り、おもむろに携帯を取り出した。
「はい!ハルさんの番号教えて!いつでもウチが聞いてあげるで!」
「新手のナンパけ?」
「ええけん!早よ番号言うて!」
うまい断る理由が咄嗟に見つからなかったので番号を教えると、すぐにおれの携帯の着信音が鳴った。
「ハルさん、電話鳴りよるで!早よ取らんと!」
この三文芝居に付き合わないといけないのかおれは。渋々ながら通話を押し、受話器を耳にやった。
「もしもーし!ハルさん?ウチやで!」
両方の耳からアキの声が響く。たまらないのですぐに電話を切ってやった。
「あ!切ったな!まぁいいや!ちゃんと登録しといてな!」
隣でじっと目を光らせているので、言われるままにアキの番号を登録した。
「じゃあ行くわ!ハルさんまた明日ねー!」
時計を見るともうすぐ十七時だ。あいつはいつもいつも家に帰らずフラフラ何をしてるのだ。年頃のガキだからそんなものか。
もう一本タバコを取り出し火を付けたところで、先程の博士からの有り難い小言を思い出した。話は結局振り出しに戻る。今度、黒縁にでも少し話を聞いてみよう。あの、ドが付く真面目なら、校長の言いつけにも忠実で、模範的な教師の在り方を説いてくれるかもしれない。
そして授業が終わると寄って来て、「今日もハルさんの授業はグダグダやったね!」などと吐かしやがる。誰のせいで授業が進まないか分かっていないのかこいつは。鈴を転がしたように笑うと言うが、実際こいつが笑ったり口を開いたりすると、本当に鈴を鳴らす様に喧しい。それも神社の境内にある様な大鈴だ。大声ではしゃぐその様は、まるで品がない。おれが思うのだからよっぽど下品なのだろう。天真爛漫と言うと聞こえは良いが、まぁ無邪気で明るい騒がしい奴だ。
ある放課後、いつも通り自分の席で時間を潰していると博士に呼びつけられ、ここでは何だからと、席を立つ様に促された。わざわざ場所を移さずとも、この社会科準備室で話せば良いではないかと思ったが、おれと二人で話したかった様だ。
生徒が下校した後の空っぽの教室に入り、適当な席に落ち着いて、博士はいつも通り静かに話を始めた。仕事には慣れたか、授業はうまくいっているか、と聞いてくるから、差し当たりないと返事をしておいた。
「ところで、先生は生徒からハルさんと呼ばれてますね」
当然だろう。おれの名前なのだから。
「そう呼ばれることについて、先生自身はどうお考えですか?」
博士はまた難しいなぞなぞを出してきたものだ。おれがおれの名前で呼ばれることに、何をどう考えろと言うのだろうか。一向に答えが分からないので、眉間にシワを寄せたまましばらく天井を眺めていると、博士は痺れを切らした様だ。
「生徒と仲が良いのは結構なことです。でもね、あくまで私達は教師で、生徒達は生徒ですから」
博士の言い分はいまいち要領を得ていない。頭の良い人間の話は、どうしてこうも遠回しで、わざわざ分かりにくく分かりにくく、濁した話し方をするのだろう。
「つまり、名前で呼ぶのをやめさせろって言いたい訳ですか?」
「まぁ、そこまで強くは言いませんが……。でも、そうですね。例えば授業中はやめさせるとか、関係性にもメリハリを付けた方が良いのかもしれませんね」
何とも煮え切らない物言いに、おれはだんだん腹が立ってきた。でも、一瞬アキの顔が頭によぎり、ごもっともな意見だとも思った。確かにあいつのせいであのクラスの授業は授業にならない。ただ、呼び方を変えさせる以前の問題ではあるのかもしれないが。
「やはり距離感というのは大切ですよ。それに、一部の生徒とだけ親しくしていると、周りの人達からは、あまり良い目では見られませんし」
再びアキの顔が頭に浮かんだ。確かに他の生徒達よりは親しく話している様に見えるのだろうが、ほとんどは勝手にあいつが話し掛けて来ているだけだ。特にアキだからと、特別扱いをしているつもりは無かったが、周りの人間からすればそう見えるのだろうか。何だかもう面倒になってきたので、へえへえと適当に返事をして博士との話を終わらせ、路地裏へと出た。
タバコを咥えて座り込んだ。さて、どうしたものか。分別をつけろと言われても、そもそもアキに関しては、あいつが勝手に騒いでいるだけだ。かと言って、「おい、お前!もっとおれを教師らしく扱え!」と、突然アキを叱りつけるのは、何だか違う気がする。
まぁどうせ、教師か生徒かはしらないが、おれ達のやり取りが楽しそうに見えるものだから、それを妬んで自分の都合の良い様に、おれの上司に当たる博士へと密告しただけの話だろう。その輩がもし生徒なのだとしたら、そいつもおれに勝手に話し掛けてくれば良いのだ。
いや、おれは仕事で学校へ来ているのだから、生徒全員が文句を垂れない様に、おれの方が気を配り、公正に扱うべきなのか。
些細な問題かもしれないが、こういう面倒事を少しでも避けるために、校長は教師らしくあれと熱弁を奮っていたのかもしれない。つまり一歩外に出れば、教師という仮面を被っていないと身が持たなくなるということだろう。
では、自分らしくというものはどこに置いてきてしまったのだろう。自分らしく、生き生きと、主体的な子どもを育てることが仕事である教師は、自分らしさを極力出さない方が良いということになるのではなかろうか。特におれみたいな者は、教師という人種の対極の位置にいる様なものだから。
こんなことになるのだから、講師といえど、やはりきちんと選別をした上で教壇に立たせるべきだ。いやはや。我ながら面倒な仕事に就いてしまったものだ。タバコが二本、三本と灰になっていく。
「あー!ハルさん!」
聞き慣れた声が耳に響いた。
「また仕事サボってタバコ吸いよるなー!」
そう口にしながらアキが寄って来た。タイミングが良いのやら悪いのやら。おれが今考え事をしているその原因はお前にもあるのだ。
「あら?今日はいつもより元気無いやん?」
隣にちょこんと腰掛けてきた。
「お前は毎日元気で暇そうで、何の悩みも無さそうでええな」
「えー、ひどー!ウチだって悩み事の一つや二つあるし!」
こっちを見ながら頬を膨らませている。でも、いつもすぐにケロッと笑顔になる。表情がコロコロと変わって忙しい奴だ。
「ハルさんは何か悩んどん?」
「あたぼうよ。大人は悩みがいっぱいで大変なんや」
「ほんならウチで良かったら聞いてあげよか?」
「バカタレ。ガキのくせにいっちょ前の事言うな」
「なんなんそれ!」
そう言いながらアキは何やら自分の鞄を漁り、おもむろに携帯を取り出した。
「はい!ハルさんの番号教えて!いつでもウチが聞いてあげるで!」
「新手のナンパけ?」
「ええけん!早よ番号言うて!」
うまい断る理由が咄嗟に見つからなかったので番号を教えると、すぐにおれの携帯の着信音が鳴った。
「ハルさん、電話鳴りよるで!早よ取らんと!」
この三文芝居に付き合わないといけないのかおれは。渋々ながら通話を押し、受話器を耳にやった。
「もしもーし!ハルさん?ウチやで!」
両方の耳からアキの声が響く。たまらないのですぐに電話を切ってやった。
「あ!切ったな!まぁいいや!ちゃんと登録しといてな!」
隣でじっと目を光らせているので、言われるままにアキの番号を登録した。
「じゃあ行くわ!ハルさんまた明日ねー!」
時計を見るともうすぐ十七時だ。あいつはいつもいつも家に帰らずフラフラ何をしてるのだ。年頃のガキだからそんなものか。
もう一本タバコを取り出し火を付けたところで、先程の博士からの有り難い小言を思い出した。話は結局振り出しに戻る。今度、黒縁にでも少し話を聞いてみよう。あの、ドが付く真面目なら、校長の言いつけにも忠実で、模範的な教師の在り方を説いてくれるかもしれない。
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