もう殺されるのはゴメンなので婚約破棄します!

めがねあざらし

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36、導かれる者たち

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石壁を揺らすように響いた轟音のあと、赤く染まった通路に沈黙が戻った。
わずかに立ちこめる粉塵の中で、アルバートは剣を握り直し、呼吸を抑える。
足下の石畳は警戒術式に焼かれた跡をまだ赤黒く光らせていたが、追い詰めるには遅れたのだと、痛いほど自覚していた。

「……ここで転送された」

リーゼンの低い声が隣に落ちる。
彼の指先は宙に複雑な数式をなぞり、光の粒をひとつひとつ拾い集めるように揺らしていた。
赤い残滓が層をなし、その流れがまだ完全には散っていない。
つまり、術の痕跡は追える――そう判断できるだけの余地は残されている。

「座標の固定は……不完全だな」

アルバートの呟きに、リーゼンが頷く。

「ええ。術者が急いで書き換えた痕跡がある。完璧には隠せていません。辿れますよ」

その言葉に、アルバートは短く息を吐いた。
希望ではない。まだ間に合うという現実を、強引に心へ刻み込むための呼吸だった。

封印区画への通路は、自然の岩を削ったように見えて、その実きわめて人工的だった。
何層もの術式が石壁に染み込むように刻まれ、通るたびに肌をかすかに撫でる。
霊素の流れは地下水脈のように複雑に交錯し、一本の筋を見誤れば、即座に罠が作動する造りだ。

リーゼンが前に立ち、淡い光で目印を描いてゆく。
アルバートはその背を守りつつ、時折壁に指を滑らせた。
冷たい石の感触の奥に、震えるような残響が伝わる。
それはさっきまで確かに触れていた、イリィの気配の名残。
まだ遠くない――そう感じられるだけで、足取りは一層固くなった。

「心臓部は……この先だな」

リーゼンが立ち止まり、壁へ掌を押し当てた。
淡い紋様が浮かび上がり、いくつもの回路が蜘蛛の巣のように広がっていく。

「この封印は厄介です。二重三重に絡められている……ですが突破はできる」
「急いでくれ」

アルバートは声を低く押し殺した。
自分で出来ないことが歯痒くて仕方なかった。
しかし感情を吐き出せば、心の奥で膨れあがる焦燥に飲み込まれる。
今はただ、目の前の術を打ち破ることだけに集中する。

だがそのとき、不意に胸の奥がざわりと疼いた。

――赤い床。
――割れた椅子。
――刃の光。

脳裏に閃光のように過ぎる映像に、アルバートは思わず足を止めた。
それはイリィが囚われて思い出しかけている記憶と、奇妙に重なる。
なぜ自分まで――。
問いが喉に引っかかり、答えは霧散する。

「……アルバート様?」

リーゼンが怪訝そうに振り返る。

「いや……何でもない」

言葉を切り捨てる。
今は立ち止まるわけにはいかない。

封印は厚く、開くには幾重もの段階を踏まねばならなかった。
リーゼンは指先で術式を一つひとつ解きほぐし、アルバートはその間に周囲の霊流を斬り払い、罠の芽を断つ。
時間はかかる。だが確実に進んでいる。
壁の奥から微かな鼓動が伝わってくる。まるで心臓の脈動のように、一定のリズムで。

――あそこにいる。
アルバートは確信する。
光の残滓はまだ温かく、イリィの名を呼べば届くほど近くに。

「……見えました」

リーゼンの声がわずかに高ぶる。

「転送術式の痕跡が、この扉の奥に繋がっています。準備さえ整えば、必ず開けられる」

アルバートは頷き、剣を下ろした。
呼吸を整え、集中を深める。
焦燥は剣を鈍らせるだけだと知っている。だが胸の奥に滾る熱は、もはや抑えきれなかった。

その刹那。

遠くから重い足音が響いた。
金属のぶつかる音と、術式が走る気配。
補強部隊が動き出したのだ。
敵は彼らの侵入を許しながらも、同時に包囲を狭めてきている。

アルバートは深く息を吸い、扉の奥を睨んだ。

「……待っていろ、イリィ」

その呟きは誰にも届かない。
けれど、胸の奥では確かに燃え続ける炎だった。
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