もう殺されるのはゴメンなので婚約破棄します!

めがねあざらし

文字の大きさ
47 / 62

46、夜の底に触れる指先

しおりを挟む
「……リセル」

僕が名前を呼ぶと、リセルは静かに微笑む。
風が彼の髪を揺らし、僕の頬にもその空気が触れる。

夢なら触れない。
今のこれは、まるで彼がすぐ近くで息をしているみたいに、確かな温度があった。

「僕は……何を見ているんだろう」

そうつぶやくと、リセルは悲しそうに首を振った。

「夢……ではないけど、それに近いかな。これは……俺の魂が残した記憶の部屋みたいなものだ。君の中にあるけど、君のものじゃない場所」

僕は息を呑んだ。

「じゃあ……君は……僕の中に……?」
「そう。君の中の、ほんの端に。傷んだままの欠片が、ずっと居座ってる」

リセルは自嘲気味に笑った。
その表情だけで胸が痛んだ。

(どうして……この人の痛みが、こんなに……)

「続き、聞いてくれる?」

頷くしかなかった。

「俺は宮廷魔術師でね。中級魔術師だった。騒がしい場所は苦手で、いつも端の席にいて……誰かを守るなんて大したことはできなかった。だけど……」

彼は目を伏せ、少し遠くを見るように言った。

「俺を見つけてくれた人がいたんだ。君を狙っている……あの人。彼はαで、俺はΩだった。番になった相手……大切で、愛おしくて、ほんのちょっと恐ろしくて。俺の全部だった」

喉が焼けるように痛かった。
彼の言葉が、体の奥に落ちていく。

「どうして……僕……?」
「似ていたんだよ。君が……俺に」
「似ていた?……魂とか、生まれ変わりとか……そういうの?」
「いや、そんなご大層なものじゃないよ」

リセルは断言した。

「魔力の性質が、俺に近かった。それだけ。偶然も偶然だ。……君は俺じゃないし、魔力の質が似ていただけなんだ」

似ていた。
ただ、それだけの、理由。

(たったそれだけの理由で……僕が……?)

あまりにも理不尽な話だ。
じゃあ、僕でなくともよかっただろう、と叫びそうになった。
でも、僕は、叫ばなかった。
きっと、それを決めたのは──僕を選んだのは目の前の彼じゃない。
そこに叫んでも意味なんかない。

ゆっくりと息を吐き出して、唇を噛み締める。
すると、リセルはそっと手を伸ばし、僕の肩に触れた。
その温度に、涙がひと粒こぼれた。

「優しいね、君は。ごめん。巻き込みたくなかった」

君だって、被害者だろう?

そう言おうとしたとき、霧が立ち込めるように視界が白んだ。

「……時間がない。君に伝えたいことはまだあるけど……今回はここまでだ」
「待って……リセル……!」

触れようとした僕の指先が、彼の手からするりと離れた。

「またすぐに来るよ。君に全部、話さないといけないから」

世界がほどける。
彼の声だけが残る。

「イライアス……君には生きて欲しい……。だから、どうか……」

音が遠ざかり、すべてが闇に沈んだ。



イライアスの呼吸が乱れた。
寝台の上で胸が上下し、切れ切れの声が喉の奥で漏れる。

「……ぁ……っ……や……」

苦しそうな声に、アルバートの胸がざらりと波立った。

(また……夢を見ているのか……)

ただの悪夢ではない。そう確信できるほど、イライアスの表情は切迫していた。
指がシーツを掴み、眉間に深い影が落ちている。

「……イリィ」

アルバートはそっと手を伸ばし、彼の頬に触れた。
その瞬間――胸の奥に、嫌なほど鋭い痛みが走る。
αが番候補の発情に触れたとき、体内の本能が勝手に引きずられる、あの独特の圧。
呼吸が浅くなり、血流が無理に速まっていく。

こんな状態で判断力が保てる方がおかしい。

リーゼンが戸棚から薬瓶を抱えてくる。

「抑制剤、少しだけありました。ただ、量が……」
「俺が飲む。そして……イライアスにもごく少量、飲ませる」
「わかりました。ですが、起こすわけには……」
「起こさずに済ませる方法ならある」

それ以上リーゼンは言わなかった。
言えなかった。
アルバートの声が、あまりにも本気で、切迫していて、荒かったからだ。

アルバートは瓶の中身をそのまま口に含んだ。
薬の苦味が舌に刺さる。
だが、それよりも先に、内側の衝動を押さえなければいけなかった。

眠り続けるイライアスに近づく。
その唇は、少し震えていて、色が薄いのにどこか柔らかそうだった。

(……許せ。今はこれが必要なんだ)

アルバートはイライアスの顎を指で支え、唇を重ねた。
触れた瞬間、体の奥が熱く跳ねる。

ゆっくりと、息に紛れさせ、薬を流し込んでいく。

イライアスの喉が、細く鳴った。
反射的に飲み込んだらしい。

(……このまま、味わってしまいたい)

僅かな湿り気。
微かな息。
触れれば触れるほど、αの本能が牙を立ててくる。

アルバートは、かろうじて自我を掴むように唇を離した。

「……っ……」

声にならない呼吸が喉から漏れた。
それが抑制剤の効果なのか、彼への欲望なのか判別できなかった。

横を見ると、イライアスはまだ眠っていた。
だが、顔の緊張はゆっくりとほどけている。

アルバートはその手を取り、自分の指を絡めた。

(イリィ……君は、ずるい奴だ。こんな顔して、こんなに……いつだって俺を振り回して)

嫉妬か、保護欲か、それとももっと別の何かなのか、自分でも分からない。

ただ、その手を、離せなかった。

イライアスの呼吸が穏やかになり、部屋には夜の静けさだけが残った。
それでもアルバートの胸は、しばらくの間、痛むように熱かった。



———————
投稿は毎日21:30です。
リアクションやコメントいただけると嬉しいです♪
-——————
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

なぜ処刑予定の悪役子息の俺が溺愛されている?

詩河とんぼ
BL
 前世では過労死し、バース性があるBLゲームに転生した俺は、なる方が珍しいバットエンド以外は全て処刑されるというの世界の悪役子息・カイラントになっていた。処刑されるのはもちろん嫌だし、知識を付けてそれなりのところで働くか婿入りできたらいいな……と思っていたのだが、攻略対象者で王太子のアルスタから猛アプローチを受ける。……どうしてこうなった?

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

妹に婚約者を取られるなんてよくある話

龍の御寮さん
BL
ノエルは義母と妹をひいきする父の代わりに子爵家を支えていた。 そんなノエルの心のよりどころは婚約者のトマスだけだったが、仕事ばかりのノエルより明るくて甘え上手な妹キーラといるほうが楽しそうなトマス。 結婚したら搾取されるだけの家から出ていけると思っていたのに、父からトマスの婚約者は妹と交換すると告げられる。そしてノエルには父たちを養うためにずっと子爵家で働き続けることを求められた。 さすがのノエルもついに我慢できず、事業を片付け、資産を持って家出する。 家族と婚約者に見切りをつけたノエルを慌てて追いかける婚約者や家族。 いろんな事件に巻き込まれながらも幸せになっていくノエルの物語。 *ご都合主義です *更新は不定期です。複数話更新する日とできない日との差がありますm(__)m

お決まりの悪役令息は物語から消えることにします?

麻山おもと
BL
愛読していたblファンタジーものの漫画に転生した主人公は、最推しの悪役令息に転生する。今までとは打って変わって、誰にも興味を示さない主人公に周りが関心を向け始め、執着していく話を書くつもりです。

虐げられΩは冷酷公爵に買われるが、実は最強の浄化能力者で運命の番でした

水凪しおん
BL
貧しい村で育った隠れオメガのリアム。彼の運命は、冷酷無比と噂される『銀薔薇の公爵』アシュレイと出会ったことで、激しく動き出す。 強大な魔力の呪いに苦しむ公爵にとって、リアムの持つ不思議な『浄化』の力は唯一の希望だった。道具として屋敷に囚われたリアムだったが、氷の仮面に隠された公爵の孤独と優しさに触れるうち、抗いがたい絆が芽生え始める。 「お前は、俺だけのものだ」 これは、身分も性も、運命さえも乗り越えていく、不器用で一途な二人の成り上がりロマンス。惹かれ合う魂が、やがて世界の理をも変える奇跡を紡ぎ出す――。

愛などもう求めない

一寸光陰
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした

リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。  仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!  原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!  だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。 「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」  死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?  原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に! 見どころ ・転生 ・主従  ・推しである原作悪役に溺愛される ・前世の経験と知識を活かす ・政治的な駆け引きとバトル要素(少し) ・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程) ・黒猫もふもふ 番外編では。 ・もふもふ獣人化 ・切ない裏側 ・少年時代 などなど 最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。

処理中です...