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56、その終わり
今しがた屋敷で起きた出来事が、あの緊迫や喧騒が、まるで別の世界の話だったかのように思えるほど、王宮の空気は平らに澄んでいた。
ラディウスを連れだすより少し前、カリナには先に帰ってもらった。
外に倒れた魔術師たちの応急処置や、混乱の収束を急ぐ必要があったからでもあるし、何より――あの場にこれ以上彼を置いておくと、余計な混乱を招きかねなかった。
「ここは僕たちに任せて、カリナは戻って」
そう言った時、彼は唇を噛みしめていたけれど、最後には小さく頷き、馬に跨りつつも何度も僕の無事を確かめるように振り返りながら屋敷を後にした。
全ての余韻がまだ胸に残るまま、僕たちは王宮への長い廊下を歩いていた。
連れられて歩くラディウスの足取りは、重いというより空虚。
魂を引き抜かれた器のようで、呼吸だけがかろうじて生きている証のように上下する。
拘束の紋が淡く光り、彼の腕を縛るたびに、その肌に浮かんでいた執念めいた魔力の残滓が、ゆっくりと散っていった。
「……意識はあるんですよね?」
リーゼンが隣で小声で訊いてくる。
「あるよ。ただ……探しているんだと、思う……」
答えながら、胸が少し痛んだ。
ラディウスの視線は空を、あるいは遠い記憶を、あるいはもうどこにもない影を見ている。
(……リセル)
その名を思い浮かべた瞬間、胸の奥がまた揺れた。
僕の身体に残っていた気配はもう消えている。
声も、温度も、あの優しい影も。
ただ、ひとつだけ――
歌った声の揺れだけが、まだ喉の奥に淡く残っていた。
それが胸を締めつける。
「ここもおかしいですね。あれだけイライアス様を捕まえるだと騒いでいてこれですからね……」
そうなのだ。
王宮を逃げ出した時、僕は危険だと断定されて拘束されそうになっていた。
けれどこうして再び戻った王宮では、何一つそんなことは起こらなかった。
どころか、何をもって僕を危険と見做していたかさえも、誰もわからなくなっている。
「まあ、意識操作をされていたと言えばそれまでですが。それにしたって謝罪くらいあっても良いものですが」
「……本当にね……でも、捕まらなくて良かったよ」
苦笑した瞬間、隣のアルバートの視線が静かに僕へ移った。
彼は多くを語らないまま、ただ歩調を合わせ、僕が遅れないよう少しだけ手を背に添えてくれている。
それだけで、呼吸が落ち着いた。
(アルバート……)
昨日なら、気づけなかった触れ方だった。
守るためじゃない。
確かめるためでもない。
ただ――僕がここにいると信じたくて触れているような、そんな温度。
胸がまた揺れた。
※
王宮の謁見室は、さらに静かだった。
王と側近たちが整然と並び、その前にラディウスが立たされる。
裁きは簡潔だった。
彼の犯した罪――
今回の精神支配と屋敷への侵入、それだけが正式に問われる。
それ以前の行いは証拠が曖昧で、記憶も霞んでいて、誰も何もを語れない。
(……繰り返してる、なんて話も言えるわけがない……)
繰り返す中で僕は殺されてきたのだろうけど、それは次元を超えた話で、いわば夢物語のようなものだった。
だから、大きな罪は明るみにはない。
まるで僕の中に残っていたリセルの影が、彼の罪の一部まで連れていってしまったかのようだ。
判決は――蟄居。
「……甘すぎる」
アルバートが低く呟いた声を、僕は聞いた。
けれど、今のラディウスを見ていれば、それが最も妥当だと分かる。
裁きが下り、魔術師たちがラディウスを連れ出そうとした、その時だった。
ラディウスが、動いた。
ゆっくりと、僕の方へ。
警戒が走る。
アルバートが剣に手を添え、殺意がひときわ強く揺れる。
だが――僕は、その腕をそっと押さえた。
「大丈夫……」
アルバートは一瞬だけ渋い顔をしたが、僕の目を見て、剣から手を離した。
ラディウスが、僕の前で立ち止まる。
さっきまで焦点の合わなかった瞳が、ゆっくりと僕の首元へ降りていった。
彼の指先が動く。
迷うように、それでも僕の首筋へ近づく。
(……触れる?)
アルバートの殺気が背後で弾ける。
それでも僕は動かなかった。
ラディウスの指が、そっと、首筋に触れた。
ひやりとした感触。
けれど次の瞬間、僕の皮膚が熱に変わる。
ぱちり。
小さな火花のような魔力が、僕の首筋を走った。
続いて、ずっとあったはずの“術痕”――魔力の傷跡が、すうっと溶けていくように消えた。
「……幾度も、すまなかった」
ラディウスが呟いた。
謝罪とも、贖いともつかない声。
ただ、長い時の中でやっと落とされたひとつの言葉。
その目はリセルを見ていた。
いや――リセルに言っていた。
触れた指先が震えたまま、彼は俯き、魔術師たちに引かれていく。
もう、振り返らなかった。
扉が閉まる音が響いたあと、僕は深く息を吐いた。
「……イリィ、大丈夫か?」
すぐにアルバートが横へ来る。
手が肩へ伸びるより先に、僕は微笑んだ。
「大丈夫だよ。もう、終わったから……」
アルバートはわずかに息を止め、次いでほっと胸を撫で下ろしたような表情を見せた。
「……これで、君を失うことはなもうないんだな……」
「多分、ね。……もう繰り返すことはないと思う」
言いながら、僕は自分の首筋をそっと触れた。
術痕はもう、ない。
代わりに――かすかな温もりだけが残っていた。
あれは、贖いの熱か。
それとも、別れの手向けか。
考えても答えは出ないまま、朝の光がゆっくり謁見室の床へ降りはじめた。
夜はようやく終わったのだ。
———————
本日は最終話まで2ー3回に分けて投稿を行います。
リアクションやコメントいただけると嬉しいです♪
-——————
ラディウスを連れだすより少し前、カリナには先に帰ってもらった。
外に倒れた魔術師たちの応急処置や、混乱の収束を急ぐ必要があったからでもあるし、何より――あの場にこれ以上彼を置いておくと、余計な混乱を招きかねなかった。
「ここは僕たちに任せて、カリナは戻って」
そう言った時、彼は唇を噛みしめていたけれど、最後には小さく頷き、馬に跨りつつも何度も僕の無事を確かめるように振り返りながら屋敷を後にした。
全ての余韻がまだ胸に残るまま、僕たちは王宮への長い廊下を歩いていた。
連れられて歩くラディウスの足取りは、重いというより空虚。
魂を引き抜かれた器のようで、呼吸だけがかろうじて生きている証のように上下する。
拘束の紋が淡く光り、彼の腕を縛るたびに、その肌に浮かんでいた執念めいた魔力の残滓が、ゆっくりと散っていった。
「……意識はあるんですよね?」
リーゼンが隣で小声で訊いてくる。
「あるよ。ただ……探しているんだと、思う……」
答えながら、胸が少し痛んだ。
ラディウスの視線は空を、あるいは遠い記憶を、あるいはもうどこにもない影を見ている。
(……リセル)
その名を思い浮かべた瞬間、胸の奥がまた揺れた。
僕の身体に残っていた気配はもう消えている。
声も、温度も、あの優しい影も。
ただ、ひとつだけ――
歌った声の揺れだけが、まだ喉の奥に淡く残っていた。
それが胸を締めつける。
「ここもおかしいですね。あれだけイライアス様を捕まえるだと騒いでいてこれですからね……」
そうなのだ。
王宮を逃げ出した時、僕は危険だと断定されて拘束されそうになっていた。
けれどこうして再び戻った王宮では、何一つそんなことは起こらなかった。
どころか、何をもって僕を危険と見做していたかさえも、誰もわからなくなっている。
「まあ、意識操作をされていたと言えばそれまでですが。それにしたって謝罪くらいあっても良いものですが」
「……本当にね……でも、捕まらなくて良かったよ」
苦笑した瞬間、隣のアルバートの視線が静かに僕へ移った。
彼は多くを語らないまま、ただ歩調を合わせ、僕が遅れないよう少しだけ手を背に添えてくれている。
それだけで、呼吸が落ち着いた。
(アルバート……)
昨日なら、気づけなかった触れ方だった。
守るためじゃない。
確かめるためでもない。
ただ――僕がここにいると信じたくて触れているような、そんな温度。
胸がまた揺れた。
※
王宮の謁見室は、さらに静かだった。
王と側近たちが整然と並び、その前にラディウスが立たされる。
裁きは簡潔だった。
彼の犯した罪――
今回の精神支配と屋敷への侵入、それだけが正式に問われる。
それ以前の行いは証拠が曖昧で、記憶も霞んでいて、誰も何もを語れない。
(……繰り返してる、なんて話も言えるわけがない……)
繰り返す中で僕は殺されてきたのだろうけど、それは次元を超えた話で、いわば夢物語のようなものだった。
だから、大きな罪は明るみにはない。
まるで僕の中に残っていたリセルの影が、彼の罪の一部まで連れていってしまったかのようだ。
判決は――蟄居。
「……甘すぎる」
アルバートが低く呟いた声を、僕は聞いた。
けれど、今のラディウスを見ていれば、それが最も妥当だと分かる。
裁きが下り、魔術師たちがラディウスを連れ出そうとした、その時だった。
ラディウスが、動いた。
ゆっくりと、僕の方へ。
警戒が走る。
アルバートが剣に手を添え、殺意がひときわ強く揺れる。
だが――僕は、その腕をそっと押さえた。
「大丈夫……」
アルバートは一瞬だけ渋い顔をしたが、僕の目を見て、剣から手を離した。
ラディウスが、僕の前で立ち止まる。
さっきまで焦点の合わなかった瞳が、ゆっくりと僕の首元へ降りていった。
彼の指先が動く。
迷うように、それでも僕の首筋へ近づく。
(……触れる?)
アルバートの殺気が背後で弾ける。
それでも僕は動かなかった。
ラディウスの指が、そっと、首筋に触れた。
ひやりとした感触。
けれど次の瞬間、僕の皮膚が熱に変わる。
ぱちり。
小さな火花のような魔力が、僕の首筋を走った。
続いて、ずっとあったはずの“術痕”――魔力の傷跡が、すうっと溶けていくように消えた。
「……幾度も、すまなかった」
ラディウスが呟いた。
謝罪とも、贖いともつかない声。
ただ、長い時の中でやっと落とされたひとつの言葉。
その目はリセルを見ていた。
いや――リセルに言っていた。
触れた指先が震えたまま、彼は俯き、魔術師たちに引かれていく。
もう、振り返らなかった。
扉が閉まる音が響いたあと、僕は深く息を吐いた。
「……イリィ、大丈夫か?」
すぐにアルバートが横へ来る。
手が肩へ伸びるより先に、僕は微笑んだ。
「大丈夫だよ。もう、終わったから……」
アルバートはわずかに息を止め、次いでほっと胸を撫で下ろしたような表情を見せた。
「……これで、君を失うことはなもうないんだな……」
「多分、ね。……もう繰り返すことはないと思う」
言いながら、僕は自分の首筋をそっと触れた。
術痕はもう、ない。
代わりに――かすかな温もりだけが残っていた。
あれは、贖いの熱か。
それとも、別れの手向けか。
考えても答えは出ないまま、朝の光がゆっくり謁見室の床へ降りはじめた。
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