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第49話:祈りよりも、あの声を
暗い部屋だった。
閉ざされた窓。灯りもない。けれど、僕の目は覚めていた。
身体は重く、視界の端がまだ少しぼやけている。薬の影響だろう。
けれどそれよりも――僕の中で、ずっと、ある想いが燃えていた。
(殿下……)
クラウスのあの手が、また伸びてくるかもしれない。
あの目が、僕のすべてを否定するように見下ろしてくるかもしれない。
だけど、どうしてだろう。
僕は、まだ折れていなかった。
たぶん、それは――
心のどこかに、“声”があるからだ。
あの人の声。
ガルハルト殿下の、低くて優しい声。
力を持たない僕に、何も求めなかった人。
役目を押しつけるでもなく、ただ隣にいてくれた人。
「……殿下の声が、聞きたい……」
ふと、口に出たその言葉に、自分で驚いた。
言葉にしてやはり、と思う。
僕はあの人の元へ――“帰りたい”のだと。
ただ逃げたいんじゃない。
誰でもいい誰かに救ってほしいわけじゃない。
“あの人”がいる場所に、戻りたい。
(……ああ、そうか)
逃げたい理由が、変わっていた。
怖いからじゃない。
屈辱からでもない。
ただ――
“想っている”から。
(好きだから、か……)
ゆっくりと目を閉じる。まだ身体は動かないけれど、心は、確かに生きていた。
あの人の手が触れてくれた場所。
背中から感じた体温。
頸に落とされた、ひとつの問い。
『――ずっと、と言ったら、君はどう思う?』
その問いに、まだ答えられないままだ。
けれど、それでも。
もう、誰のものにもなりたくないと、はっきりと思った。
僕は、僕の意志であの人を選ぶ。
振り向いてもらえなくてもいい。それはその時考えよう。
そう、心の中で呟いた。
※
王宮の謁見の間の奥――
ガルハルトは、沈黙のまま地図を睨んでいた。
緻密に描かれた地図上には、使節団の足取りが記されている。
だが、見れば見るほど、不自然な点が際立った。
リオンが攫われた村。
その直前、使節団が近くの街に滞在していた。
にもかかわらず、彼らは事件について「何も知らない」と繰り返す。
――証拠も出ない。だが、それがかえって作為を物語っているようにも思えた。
「……臭いが残っていなかった、だと?」
報告を受けた彼の声は、低く、鋭かった。
「はい。所々には香料が残されていましたが、リオン様の痕跡は完全に消されていました。……人工の香です。かなり強く、獣人の嗅覚ですら欺くほどに」
狼の耳がぴくりと動く。
ガルハルトは静かに目を細めた。
それは怒りではなく――焦燥だった。
リオンが姿を消してニ日。
捜索は水面下で続いているが、有力な手がかりは未だない。
(――時間がない。あの男はリオンを必ず……)
じわじわと、心が蝕まれていく。
それは王太子としての冷静さを、少しずつ侵していた。
「使節団の者どもは?」
「動きに乱れはありません。“平常通り”を保とうとする意図が見えます。……ですが」
「だが、動揺は隠しきれていない……というわけか」
金の双眸に冷たい光が灯る。
その中に、ひとつの名前が浮かんでいた。
(クラウス……)
彼ならば、やりかねない。
汚れなきものを、手の届かぬ宝としてではなく、自らの手で“閉じ込めようとする”男。
リオンを、道具としてではなく“所有物”として扱うだろう男だ。
けれど。
リオンは、そんな場所にいる存在ではない。
この国にとっても、民にとっても。
そして――彼自身にとっても。
あの少年は、誰よりも“自由”であるべきだ。
その光は、檻の中で燃やし尽くすためのものではない。
ガルハルトの尾が、大きくひと振りされた。
所有ではない。
奪うでもない。
ただ、名を呼ぶように。
彼の居場所を、確かにするように。
「リオンを、必ず連れ戻す。……あの子を、もう二度と……苦しませはしない」
その声は、静かに空を割った。
———————
投稿は毎日8時・21時の2回です。
リアクションやコメントいただけると嬉しいです♪
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閉ざされた窓。灯りもない。けれど、僕の目は覚めていた。
身体は重く、視界の端がまだ少しぼやけている。薬の影響だろう。
けれどそれよりも――僕の中で、ずっと、ある想いが燃えていた。
(殿下……)
クラウスのあの手が、また伸びてくるかもしれない。
あの目が、僕のすべてを否定するように見下ろしてくるかもしれない。
だけど、どうしてだろう。
僕は、まだ折れていなかった。
たぶん、それは――
心のどこかに、“声”があるからだ。
あの人の声。
ガルハルト殿下の、低くて優しい声。
力を持たない僕に、何も求めなかった人。
役目を押しつけるでもなく、ただ隣にいてくれた人。
「……殿下の声が、聞きたい……」
ふと、口に出たその言葉に、自分で驚いた。
言葉にしてやはり、と思う。
僕はあの人の元へ――“帰りたい”のだと。
ただ逃げたいんじゃない。
誰でもいい誰かに救ってほしいわけじゃない。
“あの人”がいる場所に、戻りたい。
(……ああ、そうか)
逃げたい理由が、変わっていた。
怖いからじゃない。
屈辱からでもない。
ただ――
“想っている”から。
(好きだから、か……)
ゆっくりと目を閉じる。まだ身体は動かないけれど、心は、確かに生きていた。
あの人の手が触れてくれた場所。
背中から感じた体温。
頸に落とされた、ひとつの問い。
『――ずっと、と言ったら、君はどう思う?』
その問いに、まだ答えられないままだ。
けれど、それでも。
もう、誰のものにもなりたくないと、はっきりと思った。
僕は、僕の意志であの人を選ぶ。
振り向いてもらえなくてもいい。それはその時考えよう。
そう、心の中で呟いた。
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王宮の謁見の間の奥――
ガルハルトは、沈黙のまま地図を睨んでいた。
緻密に描かれた地図上には、使節団の足取りが記されている。
だが、見れば見るほど、不自然な点が際立った。
リオンが攫われた村。
その直前、使節団が近くの街に滞在していた。
にもかかわらず、彼らは事件について「何も知らない」と繰り返す。
――証拠も出ない。だが、それがかえって作為を物語っているようにも思えた。
「……臭いが残っていなかった、だと?」
報告を受けた彼の声は、低く、鋭かった。
「はい。所々には香料が残されていましたが、リオン様の痕跡は完全に消されていました。……人工の香です。かなり強く、獣人の嗅覚ですら欺くほどに」
狼の耳がぴくりと動く。
ガルハルトは静かに目を細めた。
それは怒りではなく――焦燥だった。
リオンが姿を消してニ日。
捜索は水面下で続いているが、有力な手がかりは未だない。
(――時間がない。あの男はリオンを必ず……)
じわじわと、心が蝕まれていく。
それは王太子としての冷静さを、少しずつ侵していた。
「使節団の者どもは?」
「動きに乱れはありません。“平常通り”を保とうとする意図が見えます。……ですが」
「だが、動揺は隠しきれていない……というわけか」
金の双眸に冷たい光が灯る。
その中に、ひとつの名前が浮かんでいた。
(クラウス……)
彼ならば、やりかねない。
汚れなきものを、手の届かぬ宝としてではなく、自らの手で“閉じ込めようとする”男。
リオンを、道具としてではなく“所有物”として扱うだろう男だ。
けれど。
リオンは、そんな場所にいる存在ではない。
この国にとっても、民にとっても。
そして――彼自身にとっても。
あの少年は、誰よりも“自由”であるべきだ。
その光は、檻の中で燃やし尽くすためのものではない。
ガルハルトの尾が、大きくひと振りされた。
所有ではない。
奪うでもない。
ただ、名を呼ぶように。
彼の居場所を、確かにするように。
「リオンを、必ず連れ戻す。……あの子を、もう二度と……苦しませはしない」
その声は、静かに空を割った。
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