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1巻
1-2
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今回のお見合いは、顔合わせをしてみて大丈夫そうなら子作りのことを提案し、その用件が済んだら破談にするつもりでやってきた。
傑も乗り気でないことを期待したが、そうではなさそうだ。家のために結婚すると覚悟しているのか、単純に風花のことを気に入っているのかは分からない。
「風花さんは、乗馬が趣味なんですか?」
「あ、はい……。昔、習っていたことがあります」
「僕もなんです。一緒ですね。なかなか乗馬をやっていたという人と出会わないので嬉しいです。共通の趣味があるっていいですね」
傑は、口数の少ない風花に気を使ってか、この場を和ませようと話しかけてくれる。答えやすいような話題ばかりなので、返事がしやすい。
(貫地谷さん、女性に人気だろうな。感じもいいし、御曹司だし。いい大学を卒業しているみたいだし、頭もいいなんて、悪いところが見つからない)
風花の契約している大手下着メーカーの女子たちに話したら、「その人、紹介して‼」と血眼になって言われるだろう。
(ほんと、何でお見合いなんてしたんだろう)
そんな疑問を抱きつつ、両親とともに食事を済ませると、風花は傑と部屋にふたりきりにされた。
「ふたりきりだと緊張しますね」
「そうですね……」
はは、と笑いながら、傑は話しかけてくる。足を崩しましょうと言われ、お互いに正座から座りやすい姿勢に変えた。
「風花さんは、やっぱり和菓子が好きなんですか? 洋菓子はどうですか?」
「洋菓子も好きですよ。何でも食べます」
「そうですか。美味しいケーキ屋があるんですが、知っていますか? 季節のフルーツをふんだんに使ったタルトが絶品の、ラグジュ・ボヌールという店なんですけど――」
「え、ラグジュ・ボヌールですか⁉ あそこって、半年くらい予約しないと買えない店ですよね? どうして買えるんですか?」
思わず身を乗り出して尋ねてしまった。ちょうど、ラグジュ・ボヌールのぶどうや柿、イチジクがたくさん載ったオータムフルーツのタルトを一度でいいから食べたいと思っていたところだったのだ。
「僕は百貨店勤務ですから、バイヤーの繋がりがあるんです」
「そうなんですか、羨ましいです」
「じゃあ、今度一緒に食べましょう。風花さんの欲しいものを教えてください。用意します」
「いいんですか?」
タルトが食べられる! と舞い上がったあと、ふと我に返って俯く。
(何を楽しんでいるの! 相手のペースに呑まれて会話している場合じゃない)
結婚の意志はないが、例の件をお願いしたいという話をするために今日来たんじゃないか、と自分自身に言い聞かせる。
(それにしても格好よすぎる……直視しづらいな)
向こうは風花のことを品定めするように、上から下まで見てくる。
こんなにじっと見られたら、メイクが濃いだとか、思っていたよりも髪の色が明るいだとか、よく思われていないのではないかと不安になってくる。
清楚なお嬢様ではないと、がっかりさせてしまったかも。
(いやいや、気に入られなくてもいいんだけど)
だから相手から断られたら、それはそれでいいと思っている。
しかし――
「風花さんとお会いできて、嬉しいです。ずっと話してみたいと思っていたんですよ」
予想外にも、傑はふたりきりになっても好意的な態度を取ってくる。もしかして、本当に結婚する気なのだろうか。
しかし風花と結婚するということは、永寿桔梗堂の未来を背負わなければならない。跡継ぎのいない柳家にとって、風花の結婚相手になるイコール永寿桔梗堂の跡継ぎになることを指している。
傑はそれでもいいと今回の見合い話を承諾しているようだが、本当に納得しているのかまでは不明だ。そのあたりを探るため、聞いてみることにする。
「あの……貫地谷さんは、仲人さんに言われて、仕方なくここに来たわけではないのですか?」
「違いますよ。自分の意思で来ました」
「そうですか……」
自信たっぷりにそう答えられ、乗り気でないのが自分だけだったと思い知る。
そうなると、彼は風花を結婚相手として認めているということだ。
すなわち、この先の人生を一緒に歩んでもいい相手だと思ってくれているということ。
(ってことは……もしかしたら、もしかする?)
この人なら、子どもだけ欲しいという風花の協力者になってくれるかもしれないと思い始める。
(これなら、頼めるかもしれない)
傑の優しい雰囲気と真面目そうな気質を見て、信頼できる人だと判断する。
結婚に興味がないとはいえ、自分の子どもを見てみたい気持ちが再び急速に膨らんでいく。できれば男の子を育ててみたい。
出産にはタイムリミットがあると聞くし、早いうちに産んでおいて損はないだろう。
もし孫が生まれたら両親も焦らなくて済むかもしれない。今は一人娘の風花に全てを託せないかと必死だが、孫が生まれればその子が永寿桔梗堂を継ぐ可能性が出てくる。
(子どもに押し付けるわけじゃない。だけど、その子がもし和菓子に興味を持って継ぎたいって言ったら、そのときは継がせてあげたい。嫌ならそのときに改めて後継者問題を考えるとして)
そう決めたのなら、行動あるのみ。
他愛もない話をいくつかしたあと、風花は緊張しながら話を切り出した。
「あの……貫地谷さん、お話があるのですが」
「はい、何でしょう?」
今から突拍子もないことを言われるとも知らずに笑顔で答える傑を不憫に思いつつ、本題に入る。
「あの……ですね。私、子どもが欲しいんです」
「はい。それは僕も同じ気持ちです。結婚するからには、家族が増えてほしいと思っています」
「あ、いえ……そういう意味ではなくて。子どもだけが欲しいっていうか……」
「え?」
何を言っているのだろうと、不思議そうにしている傑の表情に緊張する。
「……それは、どういうことですか?」
「えっと……入籍せずに、私と子作りしてもらえませんか?」
「入籍……せずに、ですか……?」
一瞬の間があって、傑の表情から笑みが消える。
「はい。私、結婚願望がないんです。今、好きな仕事をして、ひとりで生活していることに満足しています。しかし親がどうしても結婚してほしいと言うので、今日お見合いに来ましたけど……実は全然乗り気じゃなくて。でも子どもは欲しいと思っているんです。この先一生結婚しないような気がするので、子どもだけでも産んでおきたくて」
「結婚、したくないんですか……」
「そうですね。今はそんな気になれないです。仕事が楽しいので」
十八歳の頃から実家を出てひとり暮らしをしていることもあって、他人の生活に合わせる自分が想像できない。好きな時間に起きて、仕事をして、徹夜したり一日中寝たり、好き放題している。
ただ、子どものためだったら、できると思う。血を分けた家族だし、どんなことがあっても乗り越えられる気がするのだ。
「話を戻しますが、そんな理由があって、貫地谷さんに協力していただきたいんです。婚約していたら、そういう行為をしていても不自然じゃないですよね。妊娠したら婚約解消してもらって大丈夫です。性格の不一致とか、私のせいにしていただければ……」
付き合ってみて性格が合わなかった、でも子どもはできてしまった。だから、結婚はしないけれど出産するという流れに持っていけば辻褄が合うと考えた。
「私……こういうことを頼める男性の知り合いがいなくて。だから、今回貫地谷さんにご相談したんです」
仕事ばかりで、恋愛とは何だろうと思うほど、色恋沙汰からかけ離れた生活を送っている。
出会いもないし、男友達もいない。仕事関係もほぼ女性ばかりだ。
そんなとき現れたお見合い相手の貫地谷傑。
しかも傑はとても魅力的な男性だ。もし今回の縁談が破談になっても、問題なく次の相手が見つかるだろう。
「認知もしてもらわなくて結構ですし、一切子どもの責任は問いません。安心してください。何なら誓約書をお作りします。あなたが父親であることも絶対に明かしません」
懸念材料を少なくするため、風花は必死で説明する。けれど、言葉を重ねれば重ねるほど傑の表情がどんどん暗くなっていく。それにともない、なぜか不穏な空気を感じた。
(気を悪くしたかな、こんなことを言われて……)
友達に「風花は前触れもなく突拍子もないことを言うよね」と指摘されることがあるが、傑もそう考えているに違いない。思ったことはすぐ行動に移してしまう性分を少し反省する。
「すみません、変なことを言い出して」
「いえ……」
ひとこと謝ってはみるものの、傑の表情は冴えない。今から大いに非難されるのでは、と風花は縮こまる。
「もし僕が承諾しなかったら、どうするつもりなのですか?」
「それは……えっと……。誰か協力してくれる人をこれから探します」
男性との出会いは皆無だが、それでも何とかして探すしかない。
「他を、探すんですか……」
さっきまでの温かみのある茶色ではなく、真っ黒闇に堕ちて光を失ったような瞳に睨まれる。
(ひえ……っ、何か地雷でも踏んだ⁉)
永遠のように長く感じる沈黙が続く。
やはりコケにされたと怒っているのだろうか。イケメン御曹司の傑のことだから、今まで女性からこんなぞんざいな扱いを受けたことはないと、気分を悪くしたのかもしれない。
両親も仲人も、こんな険悪なムードで話し合っているなどとは想像もしていないだろう。
ビクビクと怯えながら、風花は傑の返事を待つ。
「……分かりました、その役目、引き受けます」
傑は凄みを感じる真顔から一変、ぱっと笑顔に切り替えた。
(今、いいって言ったよね? ってことは、オッケーしてくれたってことだよね?)
「ほ、本当にいいんですか?」
「いいですよ。その代わり、こちらにも条件がありますから」
含みのある言い方に、風花はごくり、と唾を呑む。
「あの……条件って、何ですか?」
「子どもができるまでの間、月に数回、僕のために時間を作ってください」
それはどういう意味なのだろう、と首を傾げると、傑が神妙な顔つきで話を続ける。
「僕と定期的に会って、婚約者のふりをし続けてほしいんです」
「え……?」
(婚約者のふりを続ける……? なぜ?)
自分のことは棚に上げて、変なことを頼まれたと驚く。
「今回、お見合いを受けたのは両親を安心させるためでした。なのでそれなりに乗り気な振る舞いをしていましたし、あなたの家業を継ぐことも承諾していました。いったんはお見合い話を進めて、一定期間経過したら解消をお願いしようと思っていたんです」
「そうなんですか……」
「僕も適齢期ですし、両親から結婚をしてほしいと望まれています。あなたと婚約していれば、口うるさく言われないはずです。最終的に破談になったのなら、傷ついたふりもできますので、しばらくは結婚をすすめられずに済むでしょう」
「確かにそうですね」
「なので、しばらくの間、僕の婚約者として過ごしてください」
傑には傑なりの理由があるのだと納得する。こんなにハイスペックな人と恋愛したい、結婚したいと望む女性は多いはず。だけど、解消前提で婚約してくれる女性となると、すぐには見つからないだろう。その点、風花はお互いにメリットがあって婚約することになるので、後腐れなく付き合えるということか。
それならできる、と返事をしようとしたところで、傑は思い出したように口を開いた。
「ちなみに、子作りって簡単に言いましたけど、まさか精子だけ提供してくれとかそういうことですか?」
「え……っ」
ご名答、とは言い出せず、風花は顔を引きつらせる。
「それだったら、僕はお断りします。こちらの条件としては、ちゃんとした自然な方法で作ることです。それができるのなら、このお話を受けます」
「えええーっ」
まさかそうくるとは!
(なんで、なんで⁉ 貫地谷さんの手を煩わせたくないのに、どうしてそんなことを言い出すの?)
興味のない女と寝るなんてこと、普通はしたくないだろう。
なのに、営むことを条件に出されるなんて理解に苦しむ。
この条件は一歩も譲りませんよ、という傑の強気な態度に、風花は思わずたじろいだ。しかし、なぜ自然な方法を取ることが条件なのだろうか。
(もしかして貫地谷さんは、絶賛セフレ募集中だった? 結婚しなくていいのなら、セフレにでもしてやろうという魂胆なのかな……?)
風花は自分から酷い提案をしたにもかかわらず、何を企んでいるんだろうと彼を警戒する。
「誤解しないでください。僕は、セックスがしたいわけではありません。そちらに関して不自由な思いをしているわけではありませんから」
(わあ……!)
生身の男性の口から「セックス」というワードが飛び出したことに、内心で激しく動揺する。
「僕も子どもは好きなので、父親になるのなら、ちゃんとした手順を踏みたいだけです。籍は入れないにしても、父親になるのだから、それなりの責任を感じて子作りをしたいんです」
つまりは、精子を渡すだけでは、実感が湧かない。ちゃんと行為をして、我が子を作るべきだということか。どうやら彼には譲れないこだわりがあるらしい。
「この条件が受け入れられないのなら、この話はなかったことにしましょう。風花さんからこんな提案を突き付けられました、とあなたの両親に話してもいいんですよ」
「ぐ……」
それを言われると、何も言い返せなくなる。
こんな失礼極まりないことをお願いしたなんて両親にバレたら、激怒されるだろう。
「で、でも、子どもを一緒に育てることはないんですよ? 父親の実感が湧いたら、子どもを手放すのが惜しくなりませんか?」
「大丈夫です、心配ありません。妊娠したら、そのあとは潔く身を引きます」
「そうですか……」
きっぱりと言い切られると、それ以上突っ込めなくなる。
ただ単にセックスがしたいだけというよりは、子どもを授かるための過程を一緒に味わっていきたいということか。確かに新しい命を作っていくのだから、淡々とした作業であるよりはいいかもしれない。
しかし――
「私と……そういうことが、できるんですか?」
「はい。できます」
恥ずかし気もなく堂々と答える傑が清々しい。
男性は、愛情がなくても性行為ができると聞いたことがある。愛情と性欲は別物なのかもしれない。
そもそも、こちらから提案した子作りなのだから、恥ずかしがっている場合ではない。
傑のように割り切るべきだと自分に言い聞かせる。
(こっちだって生半可な気持ちじゃないんだから)
ひとりで育てていく覚悟があって、この提案をしたことを改めて心に刻み、自分を奮い立たせる。
「分かりました。それでお願いします」
「では、後日この件について詳しく決めましょう」
まるで仕事のアポを取るように、次に会う日を決めた。そうして、善は急げということで二週間後の週末、傑の仕事が終わったあと食事に行くことになった。
2
見合いのあと、両親に傑とのことを前向きに考えていると話すと、すごく喜んでもらえた。
まさか、ふたりが子どもを作るためだけに婚約するなんて微塵も思っていないだろう。嘘をついているようで罪悪感で胸が痛んだ。
(けど、後には引けない)
やると決めたら、やる。
固く決意した風花は、平日の間に自分でできることを進めた。
傑と次に会うまでに、お互いの体に問題がないか調べておこうという話になったのだ。
ネットで調べて、家の近所のクリニックへ向かい、ブライダルチェックを受けた。その結果を見て、ほっと胸を撫でおろす。ここで何か問題があったら、前途多難になっていたはずだ。まずは第一関門を突破した。
そんなとき、スマホにメッセージが届く。
誰からだろう、とメッセージアプリを開けると、貫地谷傑と名前が表示されていた。
【今日の七時に、風花さんの自宅まで迎えにいきます。場所を教えてください】
「ひえっ」
傑からの連絡に胸が跳ね上がる。
(そうだ、今日会う約束をしていたんだった)
男性からのメッセージに慣れていないため、風花は慌てふためく。
すぐさま【迎えに来てもらうなんて申し訳ないです】と返信した。男性に自宅の場所を教えるなんてしたことないし、聞かれても大体の場所しか言ったことがない。
しかし、ふと考え直す。傑はそこまで警戒しなくていい相手だった。
一応、風花の婚約者であるし、妊活協力者なのだ。自宅の場所を知ったところで、悪さをするような男性ではない。
「そうか……貫地谷さんには教えてもいいのか」
そんなことを考えていると、もう一度メッセージが届いた。
【気にしないでください。車で迎えにいきますので、自宅付近の地図を送ってください】
そう言ってもらえるのなら、と自宅位置を示した地図のURLを送った。
傑と会うことに緊張しながら、ソファから体を起こす。そして夕方までもう少し仕事を進めようと、ローテーブルに置いてあるタブレットを起動した。
来年の春夏シーズンのブラジャーのデザインを考え、ある程度できたところで出かける準備に取り掛かる。
「さすがに今日は、何もしないよね」
妊活をお願いしたものの、今日は今後のことを話し合うために会うだけ。何もしないはずだから、気負わずに会いにいこうと考える。
しかし、男性とふたりきりで出かけるなんていつぶりだろう。何を着ていくべきか頭を悩ませながら、お風呂に入る。その結果、服は上品なワンピースを着ることにした。
夜になると肌寒いかもしれないので、カーディガンを肩からかけると、どこからどう見てもお嬢様スタイルに仕上がった。御曹司の隣に相応しいであろう格好になったと満足する。
約束の時間の少し前に、待ち合わせ場所に決めたマンションの近くのコンビニの前に向かうと、すでに傑の車が停車していた。
「わ……」
ドイツ製の高級車の前に立って、風花が来るのを待っている。
雑誌の一ページのように様になっている彼の姿はスタイリッシュで、周囲を歩く女性の視線を集めていた。スリーピースのスーツを着て、腕時計を見ている長身のイケメンは、そこにいるだけでかなり目立つ。
街中で見ると、こんなに輝いて見える人だったのかと、改めて傑の格好よさを実感してしまった。
しばらく遠目から見ていると、傑は腕時計から顔を上げ、周囲を見渡した。風花の姿を見つけた途端、ぱっと表情が明るくなる。
「風花さん、こちらです」
(ああっ、そんなふうに呼ばないで……)
傑がそう声をかけると、周囲にいた女性たちの視線が一斉にこちらに向いた。
あの素敵な男性の相手がどんな女性なのだろうと、品定めするような鋭い視線が痛い。
傑は風花のもとへ近づくと、手を差し伸べてエスコートしようとする。
「いや、あの……」
「手を貸してください」
こんな扱いされるなんて初めてで、どうしていいか分からない。しかし傑にとっては普通のことらしく、流れるような仕草で風花の手をそっと掴む。
彼に導かれるまま車の傍まで歩くと、助手席のドアを開いて座るよう促された。
(すごい……貫地谷さん、王子様みたいだ……)
小さい頃から躾けられ、自然と身についているのであろう仕草の数々に圧倒される。
運転席に乗り込んできた傑は、エンジンをかけると風花のほうへ顔を向けた。
「僕の家に行こうと思いますが、いいですか?」
「え……っ、家ですか?」
今日は、てっきりレストランにでも行くのかと思っていたのに、まさか家とは。
自宅はもう少し仲を深めてから行くべきなのではと返事に戸惑っていると、傑が風花の様子を窺いながら話を進める。
「そんなに警戒しないでください。子どもを作る云々の話を外でできるわけがないでしょう。個室の店だったとしても、従業員は必ずいますから」
「ごもっともです……」
「では、向かいますね」
そう言って車を発進させようとした傑だったが、助手席でカチコチに固まっている風花を見て、ふっと笑った。
「な、何ですか……?」
「風花さん、意識しすぎですよ。もう少しリラックスしてください」
「は、はい」
「何の変哲もない面白味のない部屋ですから。あまり期待しないでくださいね」
「またまた……」
緊張で口数が少なくなっている風花を気遣って、傑は他愛ない会話を始める。
「今日も仕事だったんですか?」
「あ、はい……。私の場合、家で仕事をしているので、ずっと仕事のような、プライベートのような。何をしていても仕事のことを考えている感じですが」
デザインが浮かばないときは、ネットサーフィンをしたり、動画を見たりして時間を過ごしてしまう日もある。だけど、そうやってダラダラしたあとに、ふとアイディアが浮かんできたりするのだ。
「自分でデザインを考えるっていうのがすごいですよね。僕にはできないです」
「そうですか?」
「そういうセンスはないから、尊敬します」
(褒められた……)
そんなふうに言ってくれた男性は初めてだ。というか、ビジネス以外で男性とこうして話をする機会なんてそもそもないのだけど。
そうやって自分の話をしていると、少しずつ肩の力が抜けてきた。
しばらくすると車は左車線に移動し、あるマンションの近くでウィンカーを出した。
「僕の家はここです」
「すごいところですね……」
車の窓からマンションの一番上を見ようとすると首が痛くなるほど、高層だ。港区エリアの一等地に立地しているタワーマンションは、夜の街に溶け込んで美しく輝いている。
「ご実家にお住まいかと思っていました」
「四六時中家族といるのは疲れますし、ずっとひとり暮らしをしています」
傑も乗り気でないことを期待したが、そうではなさそうだ。家のために結婚すると覚悟しているのか、単純に風花のことを気に入っているのかは分からない。
「風花さんは、乗馬が趣味なんですか?」
「あ、はい……。昔、習っていたことがあります」
「僕もなんです。一緒ですね。なかなか乗馬をやっていたという人と出会わないので嬉しいです。共通の趣味があるっていいですね」
傑は、口数の少ない風花に気を使ってか、この場を和ませようと話しかけてくれる。答えやすいような話題ばかりなので、返事がしやすい。
(貫地谷さん、女性に人気だろうな。感じもいいし、御曹司だし。いい大学を卒業しているみたいだし、頭もいいなんて、悪いところが見つからない)
風花の契約している大手下着メーカーの女子たちに話したら、「その人、紹介して‼」と血眼になって言われるだろう。
(ほんと、何でお見合いなんてしたんだろう)
そんな疑問を抱きつつ、両親とともに食事を済ませると、風花は傑と部屋にふたりきりにされた。
「ふたりきりだと緊張しますね」
「そうですね……」
はは、と笑いながら、傑は話しかけてくる。足を崩しましょうと言われ、お互いに正座から座りやすい姿勢に変えた。
「風花さんは、やっぱり和菓子が好きなんですか? 洋菓子はどうですか?」
「洋菓子も好きですよ。何でも食べます」
「そうですか。美味しいケーキ屋があるんですが、知っていますか? 季節のフルーツをふんだんに使ったタルトが絶品の、ラグジュ・ボヌールという店なんですけど――」
「え、ラグジュ・ボヌールですか⁉ あそこって、半年くらい予約しないと買えない店ですよね? どうして買えるんですか?」
思わず身を乗り出して尋ねてしまった。ちょうど、ラグジュ・ボヌールのぶどうや柿、イチジクがたくさん載ったオータムフルーツのタルトを一度でいいから食べたいと思っていたところだったのだ。
「僕は百貨店勤務ですから、バイヤーの繋がりがあるんです」
「そうなんですか、羨ましいです」
「じゃあ、今度一緒に食べましょう。風花さんの欲しいものを教えてください。用意します」
「いいんですか?」
タルトが食べられる! と舞い上がったあと、ふと我に返って俯く。
(何を楽しんでいるの! 相手のペースに呑まれて会話している場合じゃない)
結婚の意志はないが、例の件をお願いしたいという話をするために今日来たんじゃないか、と自分自身に言い聞かせる。
(それにしても格好よすぎる……直視しづらいな)
向こうは風花のことを品定めするように、上から下まで見てくる。
こんなにじっと見られたら、メイクが濃いだとか、思っていたよりも髪の色が明るいだとか、よく思われていないのではないかと不安になってくる。
清楚なお嬢様ではないと、がっかりさせてしまったかも。
(いやいや、気に入られなくてもいいんだけど)
だから相手から断られたら、それはそれでいいと思っている。
しかし――
「風花さんとお会いできて、嬉しいです。ずっと話してみたいと思っていたんですよ」
予想外にも、傑はふたりきりになっても好意的な態度を取ってくる。もしかして、本当に結婚する気なのだろうか。
しかし風花と結婚するということは、永寿桔梗堂の未来を背負わなければならない。跡継ぎのいない柳家にとって、風花の結婚相手になるイコール永寿桔梗堂の跡継ぎになることを指している。
傑はそれでもいいと今回の見合い話を承諾しているようだが、本当に納得しているのかまでは不明だ。そのあたりを探るため、聞いてみることにする。
「あの……貫地谷さんは、仲人さんに言われて、仕方なくここに来たわけではないのですか?」
「違いますよ。自分の意思で来ました」
「そうですか……」
自信たっぷりにそう答えられ、乗り気でないのが自分だけだったと思い知る。
そうなると、彼は風花を結婚相手として認めているということだ。
すなわち、この先の人生を一緒に歩んでもいい相手だと思ってくれているということ。
(ってことは……もしかしたら、もしかする?)
この人なら、子どもだけ欲しいという風花の協力者になってくれるかもしれないと思い始める。
(これなら、頼めるかもしれない)
傑の優しい雰囲気と真面目そうな気質を見て、信頼できる人だと判断する。
結婚に興味がないとはいえ、自分の子どもを見てみたい気持ちが再び急速に膨らんでいく。できれば男の子を育ててみたい。
出産にはタイムリミットがあると聞くし、早いうちに産んでおいて損はないだろう。
もし孫が生まれたら両親も焦らなくて済むかもしれない。今は一人娘の風花に全てを託せないかと必死だが、孫が生まれればその子が永寿桔梗堂を継ぐ可能性が出てくる。
(子どもに押し付けるわけじゃない。だけど、その子がもし和菓子に興味を持って継ぎたいって言ったら、そのときは継がせてあげたい。嫌ならそのときに改めて後継者問題を考えるとして)
そう決めたのなら、行動あるのみ。
他愛もない話をいくつかしたあと、風花は緊張しながら話を切り出した。
「あの……貫地谷さん、お話があるのですが」
「はい、何でしょう?」
今から突拍子もないことを言われるとも知らずに笑顔で答える傑を不憫に思いつつ、本題に入る。
「あの……ですね。私、子どもが欲しいんです」
「はい。それは僕も同じ気持ちです。結婚するからには、家族が増えてほしいと思っています」
「あ、いえ……そういう意味ではなくて。子どもだけが欲しいっていうか……」
「え?」
何を言っているのだろうと、不思議そうにしている傑の表情に緊張する。
「……それは、どういうことですか?」
「えっと……入籍せずに、私と子作りしてもらえませんか?」
「入籍……せずに、ですか……?」
一瞬の間があって、傑の表情から笑みが消える。
「はい。私、結婚願望がないんです。今、好きな仕事をして、ひとりで生活していることに満足しています。しかし親がどうしても結婚してほしいと言うので、今日お見合いに来ましたけど……実は全然乗り気じゃなくて。でも子どもは欲しいと思っているんです。この先一生結婚しないような気がするので、子どもだけでも産んでおきたくて」
「結婚、したくないんですか……」
「そうですね。今はそんな気になれないです。仕事が楽しいので」
十八歳の頃から実家を出てひとり暮らしをしていることもあって、他人の生活に合わせる自分が想像できない。好きな時間に起きて、仕事をして、徹夜したり一日中寝たり、好き放題している。
ただ、子どものためだったら、できると思う。血を分けた家族だし、どんなことがあっても乗り越えられる気がするのだ。
「話を戻しますが、そんな理由があって、貫地谷さんに協力していただきたいんです。婚約していたら、そういう行為をしていても不自然じゃないですよね。妊娠したら婚約解消してもらって大丈夫です。性格の不一致とか、私のせいにしていただければ……」
付き合ってみて性格が合わなかった、でも子どもはできてしまった。だから、結婚はしないけれど出産するという流れに持っていけば辻褄が合うと考えた。
「私……こういうことを頼める男性の知り合いがいなくて。だから、今回貫地谷さんにご相談したんです」
仕事ばかりで、恋愛とは何だろうと思うほど、色恋沙汰からかけ離れた生活を送っている。
出会いもないし、男友達もいない。仕事関係もほぼ女性ばかりだ。
そんなとき現れたお見合い相手の貫地谷傑。
しかも傑はとても魅力的な男性だ。もし今回の縁談が破談になっても、問題なく次の相手が見つかるだろう。
「認知もしてもらわなくて結構ですし、一切子どもの責任は問いません。安心してください。何なら誓約書をお作りします。あなたが父親であることも絶対に明かしません」
懸念材料を少なくするため、風花は必死で説明する。けれど、言葉を重ねれば重ねるほど傑の表情がどんどん暗くなっていく。それにともない、なぜか不穏な空気を感じた。
(気を悪くしたかな、こんなことを言われて……)
友達に「風花は前触れもなく突拍子もないことを言うよね」と指摘されることがあるが、傑もそう考えているに違いない。思ったことはすぐ行動に移してしまう性分を少し反省する。
「すみません、変なことを言い出して」
「いえ……」
ひとこと謝ってはみるものの、傑の表情は冴えない。今から大いに非難されるのでは、と風花は縮こまる。
「もし僕が承諾しなかったら、どうするつもりなのですか?」
「それは……えっと……。誰か協力してくれる人をこれから探します」
男性との出会いは皆無だが、それでも何とかして探すしかない。
「他を、探すんですか……」
さっきまでの温かみのある茶色ではなく、真っ黒闇に堕ちて光を失ったような瞳に睨まれる。
(ひえ……っ、何か地雷でも踏んだ⁉)
永遠のように長く感じる沈黙が続く。
やはりコケにされたと怒っているのだろうか。イケメン御曹司の傑のことだから、今まで女性からこんなぞんざいな扱いを受けたことはないと、気分を悪くしたのかもしれない。
両親も仲人も、こんな険悪なムードで話し合っているなどとは想像もしていないだろう。
ビクビクと怯えながら、風花は傑の返事を待つ。
「……分かりました、その役目、引き受けます」
傑は凄みを感じる真顔から一変、ぱっと笑顔に切り替えた。
(今、いいって言ったよね? ってことは、オッケーしてくれたってことだよね?)
「ほ、本当にいいんですか?」
「いいですよ。その代わり、こちらにも条件がありますから」
含みのある言い方に、風花はごくり、と唾を呑む。
「あの……条件って、何ですか?」
「子どもができるまでの間、月に数回、僕のために時間を作ってください」
それはどういう意味なのだろう、と首を傾げると、傑が神妙な顔つきで話を続ける。
「僕と定期的に会って、婚約者のふりをし続けてほしいんです」
「え……?」
(婚約者のふりを続ける……? なぜ?)
自分のことは棚に上げて、変なことを頼まれたと驚く。
「今回、お見合いを受けたのは両親を安心させるためでした。なのでそれなりに乗り気な振る舞いをしていましたし、あなたの家業を継ぐことも承諾していました。いったんはお見合い話を進めて、一定期間経過したら解消をお願いしようと思っていたんです」
「そうなんですか……」
「僕も適齢期ですし、両親から結婚をしてほしいと望まれています。あなたと婚約していれば、口うるさく言われないはずです。最終的に破談になったのなら、傷ついたふりもできますので、しばらくは結婚をすすめられずに済むでしょう」
「確かにそうですね」
「なので、しばらくの間、僕の婚約者として過ごしてください」
傑には傑なりの理由があるのだと納得する。こんなにハイスペックな人と恋愛したい、結婚したいと望む女性は多いはず。だけど、解消前提で婚約してくれる女性となると、すぐには見つからないだろう。その点、風花はお互いにメリットがあって婚約することになるので、後腐れなく付き合えるということか。
それならできる、と返事をしようとしたところで、傑は思い出したように口を開いた。
「ちなみに、子作りって簡単に言いましたけど、まさか精子だけ提供してくれとかそういうことですか?」
「え……っ」
ご名答、とは言い出せず、風花は顔を引きつらせる。
「それだったら、僕はお断りします。こちらの条件としては、ちゃんとした自然な方法で作ることです。それができるのなら、このお話を受けます」
「えええーっ」
まさかそうくるとは!
(なんで、なんで⁉ 貫地谷さんの手を煩わせたくないのに、どうしてそんなことを言い出すの?)
興味のない女と寝るなんてこと、普通はしたくないだろう。
なのに、営むことを条件に出されるなんて理解に苦しむ。
この条件は一歩も譲りませんよ、という傑の強気な態度に、風花は思わずたじろいだ。しかし、なぜ自然な方法を取ることが条件なのだろうか。
(もしかして貫地谷さんは、絶賛セフレ募集中だった? 結婚しなくていいのなら、セフレにでもしてやろうという魂胆なのかな……?)
風花は自分から酷い提案をしたにもかかわらず、何を企んでいるんだろうと彼を警戒する。
「誤解しないでください。僕は、セックスがしたいわけではありません。そちらに関して不自由な思いをしているわけではありませんから」
(わあ……!)
生身の男性の口から「セックス」というワードが飛び出したことに、内心で激しく動揺する。
「僕も子どもは好きなので、父親になるのなら、ちゃんとした手順を踏みたいだけです。籍は入れないにしても、父親になるのだから、それなりの責任を感じて子作りをしたいんです」
つまりは、精子を渡すだけでは、実感が湧かない。ちゃんと行為をして、我が子を作るべきだということか。どうやら彼には譲れないこだわりがあるらしい。
「この条件が受け入れられないのなら、この話はなかったことにしましょう。風花さんからこんな提案を突き付けられました、とあなたの両親に話してもいいんですよ」
「ぐ……」
それを言われると、何も言い返せなくなる。
こんな失礼極まりないことをお願いしたなんて両親にバレたら、激怒されるだろう。
「で、でも、子どもを一緒に育てることはないんですよ? 父親の実感が湧いたら、子どもを手放すのが惜しくなりませんか?」
「大丈夫です、心配ありません。妊娠したら、そのあとは潔く身を引きます」
「そうですか……」
きっぱりと言い切られると、それ以上突っ込めなくなる。
ただ単にセックスがしたいだけというよりは、子どもを授かるための過程を一緒に味わっていきたいということか。確かに新しい命を作っていくのだから、淡々とした作業であるよりはいいかもしれない。
しかし――
「私と……そういうことが、できるんですか?」
「はい。できます」
恥ずかし気もなく堂々と答える傑が清々しい。
男性は、愛情がなくても性行為ができると聞いたことがある。愛情と性欲は別物なのかもしれない。
そもそも、こちらから提案した子作りなのだから、恥ずかしがっている場合ではない。
傑のように割り切るべきだと自分に言い聞かせる。
(こっちだって生半可な気持ちじゃないんだから)
ひとりで育てていく覚悟があって、この提案をしたことを改めて心に刻み、自分を奮い立たせる。
「分かりました。それでお願いします」
「では、後日この件について詳しく決めましょう」
まるで仕事のアポを取るように、次に会う日を決めた。そうして、善は急げということで二週間後の週末、傑の仕事が終わったあと食事に行くことになった。
2
見合いのあと、両親に傑とのことを前向きに考えていると話すと、すごく喜んでもらえた。
まさか、ふたりが子どもを作るためだけに婚約するなんて微塵も思っていないだろう。嘘をついているようで罪悪感で胸が痛んだ。
(けど、後には引けない)
やると決めたら、やる。
固く決意した風花は、平日の間に自分でできることを進めた。
傑と次に会うまでに、お互いの体に問題がないか調べておこうという話になったのだ。
ネットで調べて、家の近所のクリニックへ向かい、ブライダルチェックを受けた。その結果を見て、ほっと胸を撫でおろす。ここで何か問題があったら、前途多難になっていたはずだ。まずは第一関門を突破した。
そんなとき、スマホにメッセージが届く。
誰からだろう、とメッセージアプリを開けると、貫地谷傑と名前が表示されていた。
【今日の七時に、風花さんの自宅まで迎えにいきます。場所を教えてください】
「ひえっ」
傑からの連絡に胸が跳ね上がる。
(そうだ、今日会う約束をしていたんだった)
男性からのメッセージに慣れていないため、風花は慌てふためく。
すぐさま【迎えに来てもらうなんて申し訳ないです】と返信した。男性に自宅の場所を教えるなんてしたことないし、聞かれても大体の場所しか言ったことがない。
しかし、ふと考え直す。傑はそこまで警戒しなくていい相手だった。
一応、風花の婚約者であるし、妊活協力者なのだ。自宅の場所を知ったところで、悪さをするような男性ではない。
「そうか……貫地谷さんには教えてもいいのか」
そんなことを考えていると、もう一度メッセージが届いた。
【気にしないでください。車で迎えにいきますので、自宅付近の地図を送ってください】
そう言ってもらえるのなら、と自宅位置を示した地図のURLを送った。
傑と会うことに緊張しながら、ソファから体を起こす。そして夕方までもう少し仕事を進めようと、ローテーブルに置いてあるタブレットを起動した。
来年の春夏シーズンのブラジャーのデザインを考え、ある程度できたところで出かける準備に取り掛かる。
「さすがに今日は、何もしないよね」
妊活をお願いしたものの、今日は今後のことを話し合うために会うだけ。何もしないはずだから、気負わずに会いにいこうと考える。
しかし、男性とふたりきりで出かけるなんていつぶりだろう。何を着ていくべきか頭を悩ませながら、お風呂に入る。その結果、服は上品なワンピースを着ることにした。
夜になると肌寒いかもしれないので、カーディガンを肩からかけると、どこからどう見てもお嬢様スタイルに仕上がった。御曹司の隣に相応しいであろう格好になったと満足する。
約束の時間の少し前に、待ち合わせ場所に決めたマンションの近くのコンビニの前に向かうと、すでに傑の車が停車していた。
「わ……」
ドイツ製の高級車の前に立って、風花が来るのを待っている。
雑誌の一ページのように様になっている彼の姿はスタイリッシュで、周囲を歩く女性の視線を集めていた。スリーピースのスーツを着て、腕時計を見ている長身のイケメンは、そこにいるだけでかなり目立つ。
街中で見ると、こんなに輝いて見える人だったのかと、改めて傑の格好よさを実感してしまった。
しばらく遠目から見ていると、傑は腕時計から顔を上げ、周囲を見渡した。風花の姿を見つけた途端、ぱっと表情が明るくなる。
「風花さん、こちらです」
(ああっ、そんなふうに呼ばないで……)
傑がそう声をかけると、周囲にいた女性たちの視線が一斉にこちらに向いた。
あの素敵な男性の相手がどんな女性なのだろうと、品定めするような鋭い視線が痛い。
傑は風花のもとへ近づくと、手を差し伸べてエスコートしようとする。
「いや、あの……」
「手を貸してください」
こんな扱いされるなんて初めてで、どうしていいか分からない。しかし傑にとっては普通のことらしく、流れるような仕草で風花の手をそっと掴む。
彼に導かれるまま車の傍まで歩くと、助手席のドアを開いて座るよう促された。
(すごい……貫地谷さん、王子様みたいだ……)
小さい頃から躾けられ、自然と身についているのであろう仕草の数々に圧倒される。
運転席に乗り込んできた傑は、エンジンをかけると風花のほうへ顔を向けた。
「僕の家に行こうと思いますが、いいですか?」
「え……っ、家ですか?」
今日は、てっきりレストランにでも行くのかと思っていたのに、まさか家とは。
自宅はもう少し仲を深めてから行くべきなのではと返事に戸惑っていると、傑が風花の様子を窺いながら話を進める。
「そんなに警戒しないでください。子どもを作る云々の話を外でできるわけがないでしょう。個室の店だったとしても、従業員は必ずいますから」
「ごもっともです……」
「では、向かいますね」
そう言って車を発進させようとした傑だったが、助手席でカチコチに固まっている風花を見て、ふっと笑った。
「な、何ですか……?」
「風花さん、意識しすぎですよ。もう少しリラックスしてください」
「は、はい」
「何の変哲もない面白味のない部屋ですから。あまり期待しないでくださいね」
「またまた……」
緊張で口数が少なくなっている風花を気遣って、傑は他愛ない会話を始める。
「今日も仕事だったんですか?」
「あ、はい……。私の場合、家で仕事をしているので、ずっと仕事のような、プライベートのような。何をしていても仕事のことを考えている感じですが」
デザインが浮かばないときは、ネットサーフィンをしたり、動画を見たりして時間を過ごしてしまう日もある。だけど、そうやってダラダラしたあとに、ふとアイディアが浮かんできたりするのだ。
「自分でデザインを考えるっていうのがすごいですよね。僕にはできないです」
「そうですか?」
「そういうセンスはないから、尊敬します」
(褒められた……)
そんなふうに言ってくれた男性は初めてだ。というか、ビジネス以外で男性とこうして話をする機会なんてそもそもないのだけど。
そうやって自分の話をしていると、少しずつ肩の力が抜けてきた。
しばらくすると車は左車線に移動し、あるマンションの近くでウィンカーを出した。
「僕の家はここです」
「すごいところですね……」
車の窓からマンションの一番上を見ようとすると首が痛くなるほど、高層だ。港区エリアの一等地に立地しているタワーマンションは、夜の街に溶け込んで美しく輝いている。
「ご実家にお住まいかと思っていました」
「四六時中家族といるのは疲れますし、ずっとひとり暮らしをしています」
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