女給志乃の謎解き奇譚

有馬 千博

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1.そういうこと

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「初めまして、阪井時宗と申します」

 外の国の文化の品物が入ることがそう珍しくなった昨今、やけに豪華なホテルの一室に時宗はいた。

 ガラスが太陽光に照らされ、キラキラ輝いている。大きな窓の外は庭師が丁寧に世話をしているのが、時宗にもわかる。

 こんなに美しいホテルにくるならば、噂の外の国の菓子でも食べたいものだ。

 口角を下げることがないように懸命に引き上げたまま目の前に座る女性を見た。

 女性側もあまり時宗に興味を持っていないのか、伏し目がちだ。

 どうして、ここにいることになったかを改めて思い出すと大きくため息を吐きたくもなる。

 何故、見合いなんぞ。

 ちらりと横目で父の宗一を見ると、実家で顔を合わせているときよりも上機嫌のように見えた。商談が上手い宗一のことだ、何枚もの猫の皮を被っているのかもしれない。

 宗一に言われ、見合いをすることになったのはつい1週間前の話。いつものことながら、結婚のけの字も受け入れない時宗は父の顔だけをたてるため、渋々出席することにした。

 豪華なホテルに対し、分不相応とまではいかないように、時宗は絹で仕立てられた訪問着を着ていた。

 馬子にも衣装だな。
 心のなかでこっそりと自虐する。

 向かいに座っている女性は、時宗と同じ年くらいだろうか。この辺では珍しい断髪に、同じく絹の訪問着。この時期に良く似合う紅葉のような色の着物だ。

 しかし、時宗の見立てでは、この女性には和装よりも洋装が似合うはずである。
 今の流行であれば、ワンピースが似合うんじゃないだろうか。

 そんなことをぼんやり考えていると、目の前の女性が深々と頭を下げる。

「初めまして、萩原志乃と申します。本日はよろしくお願いいたします」

 家での躾が徹底されているのだろう。頭を下げる所作一つをとっても美しい。

 萩原家といえば貿易商として昔から名を聞くほどだ。
 見合い前の雑談では、志乃の父親は西の方からモノを取り寄せることも最近は増えてきていると言っていた。この先の日本はもしかしたら、西からのモノがもっと溢れていくのかもしれない。

 一方で時宗の実家である阪井家は江戸時代から続く呉服屋。父の代でも萩原家のような外の国との貿易をする家柄との付き合いは薄いはず。それが一体どうしてこうなったのだろうか。

 時宗は笑顔を崩さずに、お茶を一口飲む。
 そろそろ口角あたりの筋肉がつりそうだ。

「わたくしどもも今後は新しい文化を取り入れなければ、これからの世の中を生き抜いていけませんからね。萩原様と懇意にさせていただければ、お互いの利益のためになるのではないでしょうか」

 ああ、そういうことか。

 宗一は根っからの商売人だ。どんな時も商売の機会となるものは逃さない。
 その勘の良さで、家を継いでから呉服屋の成長が著しいのは誰もが知っている。
 そんな阪井家の跡継ぎは、時宗の兄である宗和が継ぐのが既定路線だ。
 本来ならば、次男の時宗は奉公に出されてもおかしくなかったが、宗一の心配症により今日まで阪井家にいることができている。

「時宗は、新しいもの好きでして、今後は阪井の呉服屋ではなく、新しい事業を継がせようと考えています。その時に志乃さんが傍にいてくれれば、心強いことこの上ないです」

 時宗は宗一の言葉で、今回の見合いが何のために用意されたのかをはっきり理解した。それは志乃も同じようで、少し目を見張ったが、すぐに時宗から視線をお茶に移した。

「それは私たちにとっても嬉しいことです。なあ、志乃」
「ええ、お父様」

 志乃は反抗する言葉を言わない。従順そうに見えるが、何となく彼女は従順な娘を演じているように見える。
 
 その証拠に彼女の手が茶器を少しだけ強く掴んでいる。両家の父親が気づいていないところをみるに、もしかしたら時宗だけに見えているのかもしれない。

 ならば。

 時宗はお茶を一口飲んでから、誰にでも冷たく聞こえるように言う。

「俺は志乃さんに全く興味がありません。従順な方よりも、意見をはっきり言ってくださる方が良いです」

 隣に座っている宗一が頭を抱えるのを目の端で見ながら、時宗は素知らぬ顔をしてもう一度お茶を啜る。

 時宗のこの言葉が、この日の見合いを破談にさせたのは言うまでもない。
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