女給志乃の謎解き奇譚

有馬 千博

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2.もしかして

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「お前はどうしてあそこであんな言葉を。私の顔に泥を塗りたいのか」

 呆れた顔と声でそう言った宗一に時宗は目線も合わせず頭を下げる。

「申し訳ありませんでした。ですが、俺は俺の意見を言ったまでです」

 大きなため息が頭の上から聞こえてきたが、とりあえず頭は下げたままにしておく。

「もういい。お前に何を言っても響かないのは昔からのことだ。今日は学校に戻れ」

 何度目かの見合いの破談だったためか、いつもの説教の時間の半分で終わった。

 あっさりと開放されたことに、肩透かしをくらった気分になる。しかし宗一に、その素振りを感じさせないようにもう一度頭を下げてから時宗は家の玄関を出た。

「そんなに俺を出したいのかね、親父殿は」

 誰にも聞かれていないが、心のどこかで答えて欲しかった言葉を時宗はポツリと漏らす。

「今日はずいぶん早い解散だな」

 時宗と同じ青雲高等学校に通っている藤島道信が阪井家の門のそばに立っていた。

 道信は、時宗の同級生であり学生寮の同部屋の相手でもある。にやついた顔をしている道信に時宗はわざと嫌味を込めて言う。

「お前、補習だったんじゃないのか」
「補習なんて、さっさと終わらせたけどな」

 道信は肩をすくめて答える。せっかくの嫌味も道信には嫌味も通じない。

 シャツにスラックス。和装が多いこの地区では、その洋装は目立つ。
 しかし、洋装の制服がある学校は、近くでは青雲高等学校しかないのも周知の事実だ。現に歩いている人にちらちら見られては、小声で何か話されているような気がする。

 周りが何を言っていても気にしないようにしながら、時宗は道信に言葉を投げる。

「それにしても、俺が出てくる時間がよくわかったな」
「なんていうか、勘、かな。時宗のことなら、わかるんだ」
「気持ち悪いな。やめろよ、そういうセリフ」
「冗談だって。今日はこのまま寮に直帰?」
「とてもじゃないが、そんな気分になれない」

 いくら説教がいつもより短かったとはいえ、モヤモヤした気持ちは消化しきれていない。
 それにまっすぐ帰ったところで、やることは勉強くらいしかない。たが、行きたいところがあるわけでもない。

「最近目を付けているところがあるんだけど、そこに行ってみないか?」

 道信が楽しそうな声で誘ってきた。その声につられて、時宗は道信を見ると彼はいたずら小僧のような顔になっていた。

 道信は時宗以上に新しいもの好きで、西洋の物も好きだ。

 しかし周りの学生たちのほとんどは西の文化に興味を持っていなく、きちんと家長である父親に従順で、まじめだ。

 そんな雰囲気の学校の中で、時宗と道信は変わり者扱いをされているのは、二人とも知っている。

 だが、自分が好きなものを好きと言える、その強い意志こそ、これから変わりゆく日本の世には必要じゃないかというのが、時宗と道信の考えだ。
 
 何に興味があり、これから何が必要とされていくのかを知る。
 
 時宗と道信がいつも大切にしていることだった。

 道信が歩き始めたので、時宗も隣を歩き始める。

「お前の家は結婚とか言われないのか。一応長男だろう?」
「まあな。だけど、親父は学生のうちは学生らしいことをしろって言っているから、多分卒業近くに結婚かな。許嫁もいるし」
「春子さんか。今は女学校だっけ?」
「手紙でやり取りしているけど、あっちも学生生活を楽しんでいるみたいだな。年末は家に来てくれるらしい」

 よほど楽しみなのだろう。道信の声が弾んでいた。

「楽しそうで何よりだ」

 時宗の言葉に意外そうな顔で道信は時宗の顔を見てくる。

「時宗は結婚を考えていないのか?」

 時宗はぎゅっと眉根を寄せた。

「親父殿は婚約させたいみたいだけど、俺自身がまだ結婚を考えられないんだ。日本だけではなく、西の文化にも興味がある。勉強をしてからでも遅くないと思うんだけどな」
「結婚する気がないだけだろ。親父さんが心配するのもわかる」

 確かに周りの同年代や少し上の年代は結婚するか、婚約している人の方が多い。
 家督を継ぐため、というのが大半の理由かもしれない。だが、継ぐ立場ではない時宗からすると、結婚する意味がない。

「それにしても、何を風呂敷に包んでいるんだ?」

 結婚の話から興味を反らそうと時宗は道信が持っていた風呂敷に話を向ける。
 大事そうに風呂敷に包んだものを道信はにやりと笑いながら、時宗に見せた。

「今日の書庫掃除で見つけた。喫茶店で開けてみないか?」
「書庫で? 本以外は特に面白いものなんてないだろう?」
「数学の本棚の奥に隠されていたんだ。手持ち金庫にしてはやけに軽くてな。隠すように置かれていたのが気になって、持ってきた」
「持ってくるもののほどか? さしずめ教師がうっかり置いたまま、忘れ去られたもんだろう?」
「それだったら、暗号なんて書かないだろう?」
「暗号?」

 なんと興味がそそられる言葉だろう。時宗が興味を持ったのが分かったのか、道信は片頬だけあげた。

「お前、こういうのも好きだったよな? 喫茶店で解いてみようぜ。そこだしな」

 学校からも家からもちょうどよい距離に『純喫茶 浪漫俱楽部』はあった。

 駅からもバス停からも少し距離があるせいか、人通りが少ないところに立てられた煉瓦造りのビルの1階。壁にツタが所々絡まっているが、それすらも年代を感じさせる。

 道信に導かれ、浪漫倶楽部の入口をくぐり、中に入ると、ふわりとコーヒーの香りが漂ってきた。
 ラジオはかかっておらず、静寂な雰囲気が店内に広がっている。客は時宗と道信の他にいなく、カウンターの中に座っていた老齢のマスターが下がっていた眼鏡を上げなおした。

「2人ですが、席はどうすれば良いですか?」
「お好きな席にどうぞ。今女給に品書きを持たせます」

 客入りがない店にもかかわらず、女給がいる。もしかしたら昼間は混むような店なのかもしれない。
 時宗はそんなことを考えながら、道信と共に店の奥に置かれていた2人掛けの席に座る。2人が一息ついたタイミングを見計らったように女給がやってきた。

 断髪、フリルのついた真っ白なエプロンに着物。色白の肌に、すらりとした手足。

 もったいない。彼女はもっと洋装の方が似合うかもしれない、などと時宗が考えていると女給の顔に見覚えがあった。

「人の顔をジロジロ見るのは不躾ではないでしょうか」

 ツンとした物言い、切れ長の目、きゅっと閉じられた意志の強そうな口元。きれいに手入れされた断髪。

 時宗は数時間前に正面から向き合っていた女性の名を口にする。

「もしかして、萩原志乃さん、ですか?」
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