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【第一章「剣客と花魁と芸者と暴れん坊旗本」】
五 暴れん坊旗本~勝小吉という男~
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※ ※ ※
「おらぁ、梅次郎! どうしたどうした! 前を向け! 後ろに下がるんじゃねえ!」
「へい!」
「剣術の極意ってのは『斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ踏みこみいけばあとは極楽』って歌のとおりだ! 悩む暇があるなら踏みこめ! 自分の人生が間違ってようが正しくなかろうが最後は踏み込んだ者が、前に進んだ者だけが勝つんだ!」
道場で梅次郎は師匠の小吉と稽古をしていた。
小吉は四十代前半だが、年齢より若く見える。
痩せているが眼光は鋭く、闘気溌溂。周りを圧する空気を纏っている。
「おらぁ、梅次郎、下がるなって言ってんだろうが!」
小吉の振るう竹刀は、まるで荒れ狂う嵐のようだ。
まったく下がらない、動じない。
梅次郎の小手先の技など児戯に等しい扱いで弾かれる。
「小手なんて狙うな! 男なら面だ、面! 面! 面! めぇーーん!」
真正面から襲いかかってくる小吉に対して咄嗟に竹刀で受けとめようとしたが、勢いを殺しきることはできない。そのまま強かに脳天を打たれてしまった。
「ぐあっ!」
頭上への強烈すぎる打撃によって、思いっきり顔面を床に叩きつけられる。
(なんて力だ)
まさに剛腕。
世が世なら、確実に歴史に名を残していたであろう。
戦国時代なら間違いなく大名まで昇り詰めていただろうし、もう少し時代が下がれば幕末の血生臭い京で不逞浪士を思うさま斬り捨てていたに違いない。
(勝様は生まれる時代を間違えた)
それは小吉自身もわかっているはずだ。
だからこそ、これほどまでに剣が荒々しい。
「鬱屈するな! てめぇのできることを力いっぱいやりゃあいいんだ!」
それは梅次郎のみならず小吉自身にも向けられた言葉のようでもある。
ここでもう一度立ちあがって稽古を乞いたいところであったが、今夜は見回りがある。
夜鷹という名のとおり、彼女たちは夜に出没する私娼だ。
ゆえに、夜の見回りをしっかりすればいい。
「勝様……今夜から、夜回りを始めます……」
梅次郎は激痛に耐えながら、搾りだすように言った。
「そうかえ。なら目を闇に慣らせておけ。夜は間合いが掴みにくい。でも、闇に心は呑まれんじゃねえぞ」
「……はい」
梅次郎は倒れたまま頷いた。
「俺も行く」
「いえ、勝様、今度の件は俺に任せてください」
小吉がいれば百人力だが、今回は自分自身で解決したい気持ちが強かった。
「そうかえ。ふむ……」
小吉は珍しく悩むような素振りを見せた。
「わかった。好きにしろい。手に負えねぇと思ったら、すぐに俺を頼りな。まあ、夜鷹を襲うような弱虫なんぞ雑魚もいいところだと思うが、闘ってみるまで結果はわからねぇ。油断するなよ」
「はい」
痛みが和らいだ梅次郎はしっかりとした声で応えた。
剣客なんてものは頑丈さと回復力がないとやってられない。
数えきれないほどぶっ叩かれて強くなるのだ。
「頭のほうは大丈夫か」
「死んでないので大丈夫です」
むくりと起き上がる。
「違ぇねぇ。おまえの石頭には恐れ入る。こっちの手までジンジンしやがるからな。誇っていい頭だぜ。刀の目利きなら大業物ってところだ。千両出しても買えねぇ」
「ありがとうございます」
褒められた石頭を下げた。
男同士のぶっきらぼうなやりとりだが、これでいい。
(玉糸とやりとりするより、わかりやすくて単純だからな)
男同士は最低限の言葉を交わし、あとは闘えばいい。
それでお互いのことはわかる。
男女の仲のように、わざわざ口説きあってわかりあう必要もない。
梅次郎と小吉の間には師弟というより奇妙な友情関係があった。
そもそも身分からして、旗本と町人という差がある。
「俺ぁな。身分なんてものほどつまらねぇものはねぇと思っている。息子の麟太郎にもそう教えてきた。あいつもそのうち出世して幕臣として重きをなしたとしても、誰とも分け隔てなくつきあうような男になってほしいものさ。脱藩浪人だろうと町人百姓だろうとな」
しかし、まだまだ江戸の世は一応の泰平が続いている。
身分制度は、一見、盤石そのものだ。
(……勝様のいうような世がいつか来るだろうか……まぁ、今、こうして俺が勝様とつきあっていることが世の中が動き始めているということなのかもな……)
勝小吉という一個の人間の大きさは、身分という矮小なものを吹き飛ばしてしまう。
この暴れん坊は、稀代の英雄としか言いようがない。
(勝様は明らかに生まれる時代を本当に間違えた。それを自身でもよくわかっている)
だからこそ、息子の麟太郎が飛翔する日に思いを馳せているのだろう。
「ええい、俺らしくもねぇ。今日のところはこのくらいで勘弁してやる。夜鷹を襲う腐れ外道なんてさっさと始末しちまえ!」
小吉はぶっきらぼうに言うと竹刀を投げ捨て、道場から出ていってしまった。
この男らしい照れ隠しだろう。
(勝様はガキ大将がそのまま大きくなったような御方だ)
だから、いくらぶちのめされても腹が立たない。
子分のように懐いてしまう。
(戯作者の息子が剣客の弟子になるなんて滑稽話にもならねぇけどな)
梅次郎は口元を緩ませると、小吉の捨てた竹刀を拾って道場のもとあったところへ立てかけた。
「さて、夜までに腹ごしらえをしておくか」
梅次郎は自らの竹刀をしまうと、道場を出た。
「おらぁ、梅次郎! どうしたどうした! 前を向け! 後ろに下がるんじゃねえ!」
「へい!」
「剣術の極意ってのは『斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ踏みこみいけばあとは極楽』って歌のとおりだ! 悩む暇があるなら踏みこめ! 自分の人生が間違ってようが正しくなかろうが最後は踏み込んだ者が、前に進んだ者だけが勝つんだ!」
道場で梅次郎は師匠の小吉と稽古をしていた。
小吉は四十代前半だが、年齢より若く見える。
痩せているが眼光は鋭く、闘気溌溂。周りを圧する空気を纏っている。
「おらぁ、梅次郎、下がるなって言ってんだろうが!」
小吉の振るう竹刀は、まるで荒れ狂う嵐のようだ。
まったく下がらない、動じない。
梅次郎の小手先の技など児戯に等しい扱いで弾かれる。
「小手なんて狙うな! 男なら面だ、面! 面! 面! めぇーーん!」
真正面から襲いかかってくる小吉に対して咄嗟に竹刀で受けとめようとしたが、勢いを殺しきることはできない。そのまま強かに脳天を打たれてしまった。
「ぐあっ!」
頭上への強烈すぎる打撃によって、思いっきり顔面を床に叩きつけられる。
(なんて力だ)
まさに剛腕。
世が世なら、確実に歴史に名を残していたであろう。
戦国時代なら間違いなく大名まで昇り詰めていただろうし、もう少し時代が下がれば幕末の血生臭い京で不逞浪士を思うさま斬り捨てていたに違いない。
(勝様は生まれる時代を間違えた)
それは小吉自身もわかっているはずだ。
だからこそ、これほどまでに剣が荒々しい。
「鬱屈するな! てめぇのできることを力いっぱいやりゃあいいんだ!」
それは梅次郎のみならず小吉自身にも向けられた言葉のようでもある。
ここでもう一度立ちあがって稽古を乞いたいところであったが、今夜は見回りがある。
夜鷹という名のとおり、彼女たちは夜に出没する私娼だ。
ゆえに、夜の見回りをしっかりすればいい。
「勝様……今夜から、夜回りを始めます……」
梅次郎は激痛に耐えながら、搾りだすように言った。
「そうかえ。なら目を闇に慣らせておけ。夜は間合いが掴みにくい。でも、闇に心は呑まれんじゃねえぞ」
「……はい」
梅次郎は倒れたまま頷いた。
「俺も行く」
「いえ、勝様、今度の件は俺に任せてください」
小吉がいれば百人力だが、今回は自分自身で解決したい気持ちが強かった。
「そうかえ。ふむ……」
小吉は珍しく悩むような素振りを見せた。
「わかった。好きにしろい。手に負えねぇと思ったら、すぐに俺を頼りな。まあ、夜鷹を襲うような弱虫なんぞ雑魚もいいところだと思うが、闘ってみるまで結果はわからねぇ。油断するなよ」
「はい」
痛みが和らいだ梅次郎はしっかりとした声で応えた。
剣客なんてものは頑丈さと回復力がないとやってられない。
数えきれないほどぶっ叩かれて強くなるのだ。
「頭のほうは大丈夫か」
「死んでないので大丈夫です」
むくりと起き上がる。
「違ぇねぇ。おまえの石頭には恐れ入る。こっちの手までジンジンしやがるからな。誇っていい頭だぜ。刀の目利きなら大業物ってところだ。千両出しても買えねぇ」
「ありがとうございます」
褒められた石頭を下げた。
男同士のぶっきらぼうなやりとりだが、これでいい。
(玉糸とやりとりするより、わかりやすくて単純だからな)
男同士は最低限の言葉を交わし、あとは闘えばいい。
それでお互いのことはわかる。
男女の仲のように、わざわざ口説きあってわかりあう必要もない。
梅次郎と小吉の間には師弟というより奇妙な友情関係があった。
そもそも身分からして、旗本と町人という差がある。
「俺ぁな。身分なんてものほどつまらねぇものはねぇと思っている。息子の麟太郎にもそう教えてきた。あいつもそのうち出世して幕臣として重きをなしたとしても、誰とも分け隔てなくつきあうような男になってほしいものさ。脱藩浪人だろうと町人百姓だろうとな」
しかし、まだまだ江戸の世は一応の泰平が続いている。
身分制度は、一見、盤石そのものだ。
(……勝様のいうような世がいつか来るだろうか……まぁ、今、こうして俺が勝様とつきあっていることが世の中が動き始めているということなのかもな……)
勝小吉という一個の人間の大きさは、身分という矮小なものを吹き飛ばしてしまう。
この暴れん坊は、稀代の英雄としか言いようがない。
(勝様は明らかに生まれる時代を本当に間違えた。それを自身でもよくわかっている)
だからこそ、息子の麟太郎が飛翔する日に思いを馳せているのだろう。
「ええい、俺らしくもねぇ。今日のところはこのくらいで勘弁してやる。夜鷹を襲う腐れ外道なんてさっさと始末しちまえ!」
小吉はぶっきらぼうに言うと竹刀を投げ捨て、道場から出ていってしまった。
この男らしい照れ隠しだろう。
(勝様はガキ大将がそのまま大きくなったような御方だ)
だから、いくらぶちのめされても腹が立たない。
子分のように懐いてしまう。
(戯作者の息子が剣客の弟子になるなんて滑稽話にもならねぇけどな)
梅次郎は口元を緩ませると、小吉の捨てた竹刀を拾って道場のもとあったところへ立てかけた。
「さて、夜までに腹ごしらえをしておくか」
梅次郎は自らの竹刀をしまうと、道場を出た。
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