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本編
第12話 理想と現実
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ショーンは、王都に帰り着くと、即座に従者を走らせた。
一人はレーヴェレット侯爵邸へ。
もう一人は王子の部屋へ。
王妃は部屋に籠ってしまった。
無理も無いだろう。
ショーンだって、逃げられるものならこんな現実からは逃げてしまいたい。
だが、彼にそのような贅沢は許されていないのだ。
執務室で書類を捌きながら待つことしばし。
リオンが執務室へやってきた。
「父上、お呼びと伺いましたが」
リオンの表情は明るい。
と言うことは、立太子の件だとでも思っているのだろうか。
だが、そのような日は永遠に来ないのだ。
ショーンは表情を厳しくし、リオンを見据える。
「リオン。
其方の王位継承権を剥奪し、謹慎処分とする」
リオンは最初、何を言われたのか理解できないようだった。
その意味が浸透するに従って、表情から血の気が引いていく。
「そんな……なぜ……」
「それが分からぬことが何よりも問題なのだ」
「……オリヴィアと……宰相の娘との婚約を破棄したからですか?」
「それがきっかけではあるが本質ではない」
「辺境伯と険悪になったからですか?」
「それも大きいが本質では無い」
大きくため息を吐く。
「理由がそれだけであったなら、まだ取り返しが付いただろう。
だが、それらは枝葉に過ぎんのだ」
「其方には、王たる資質が無い。
そう判断した」
「そんな……そんなわけがありません!」
リオンが叫ぶ。
これまで、良き王になるために励んできた彼には、受け容れられない言葉なのだろう。
「あるのだ。
其方には、王に最も必要な資質が欠けている」
「それはいったい……」
「現実を見る目だ」
そう。
リオンには現実が見えていないのだ。
もっと現実に向き合わざるを得ないように育てるべきだったのだろう。
祖父はアルスター平野に割拠する小勢力からのし上がった。
父は祖父の征服戦争に従軍して戦っていた。
ショーンも幼い頃には、まだアルスターの統一は果たされていなかった。
リオンはそうではない。
頂点に立つ者に最も必要なのは、見たくもなくとも現実を直視する能力だ。
リオンが直視するべきだった現実は、王家は「大きな領主」に過ぎないということ。
アルスター王国の「相対的支配者」に過ぎないということ。
絶対者ではないのだ。
「理想を抱くのは良い。
それも王に必要なことだ。
王が理想を抱かねば、国をどちらに導くかも定まるまい。
だが、理想に溺れてはならぬ。
理想に生きてはならぬ。
我らが生きていくのは現実の世界だ。
この世界に、理想の国など存在し得ぬ。
理想の現実の狭間で、もがき苦しみながら、何とか理想に近づけていくしかないのだ。
理想と現実、どちらも王に必要なものではあるが、比べれば現実の方が勝る。
だが、其方の目に現実は映っておらず、理想ばかりを見ている。
それが継承権剥奪の理由だ。
婚約破棄の件はきっかけに過ぎぬ」
一度、言葉を切る。
リオンを見据える。
青褪めた顔で、目を見開いて、ショーンを見ている。
改めて、告げる。
「其方に王たる資質は無い」
呆然としたリオンを、従者が連れ出していく。
それを見送り、扉が閉まると、大きく息を吐き出した。
体を背もたれに預け、天を仰ぐ。
ショーンも、先王も、建国王も、アルスターをユヴェールのような強い国にしたかったのは間違いない。
だが、それはショーンやリオンの代で成し遂げられるような道のりではないのだ。
ショーン自身が急ぎすぎたのだろう。
この国のことをしっかりと知るまでは、ユヴェールのことを教えるのではなかった。
現実を理解する前に、目の眩むような理想を見せてしまった。
今更言っても、取り返しの付かないことではあるが。
胸が痛む。
リオンはリオンなりに、アルスターのことを考え、懸命に努力してきたことは間違い無いのだ。
考えてみれば、リオンは王都から出たことがほとんど無い。
学校を卒業してから、共に実務をする中で、教えていけば良いだろうと考えていた。
だが、それでは遅かったのだ。
いっそ、ノーマン辺境伯領の領都コルムにでも放り込むべきだったかもしれない。
あそこを見れば、世界は王都だけではないことを、否が応でも理解しただろう。
昔、一度だけ視察に訪れた街を思い出す。
ノーマン領に住む者たちは、上から下まで、現実との戦いという点では随一だ。
そうでなければ生き延びることができないのだから。
誰もが日々を必死に生きている。
だから発展する。
領主の手腕ももちろんあるが、それが根底にある。
むしろ因果は逆で、そのことがノーマン家に多くの名君を生んでいるのかもしれない。
物思いに耽っていると、侍従が来客を告げた。
フェリクスだ。
随分と久しぶりに会う気がする、長い付き合いの宰相は、静かにショーンを見ていた。
ショーンは護衛や侍従たちを全て別室へ下がらせた。
扉が閉まり、しばしの沈黙。
「すまなかった」
深々と頭を下げる。
王が頭を下げるなど、よほどのことだ。
だが、ショーンとしてはそうせずにはいられなかった。
「お受けいたします」
フェリクスはその謝罪を受け取る。
そして表情を崩す。
無表情から、痛ましそうに。
「私ども宮廷貴族にも、責の一端はあるのでしょう。
日頃からお諌めしていれば、このようなことにならなかったのではないか、と」
「其方たちの責任ではない。
私の意を汲んだだけなのだからな」
再び沈黙が訪れた。
「……いつまでも過ぎたことを悔やんでいる暇は無いな。
出仕を再開し、執務にかかってくれるか」
「謹んで承ります」
フェリクスは恭しく一礼した。
「それと、ご一考いただきたいことが」
「……これ以上何かあるのか?」
「関連することではございます。
今年の卒業生の身分です。
卒業式が中断された場合に、その時の卒業生を成人として扱って良いのか否か、規定がございませぬ。
このような想定ができるはずも無いため当然と言えますが、このため今年の卒業生の身分が不明確です」
ショーンは深々とため息を吐いた。
「当然、成人として認める。
その方向で処理を進めてくれ。
今後のために規定をしておくのも必要だが、卒業生の気持ちを考えると、改めて式を執り行うべきだろうな」
「必要なことかと存じます」
不祥事を起こしたリオンは公の場から消え、卒業生の身分を保証し、公式には中断となっている卒業式をやり直す。
あとはノーマン辺境伯との手打ちか。
もっとも……
「これらをしたからと言って、この国は元には戻るまいな」
「……おそらくは」
「頭の痛いことだ」
だが、どれだけ頭の痛い現実だろうと、向き合わなければならない。
彼は王なのだから。
執務室へと歩みながら、フェリクスは王家について考える。
王権を強化したいという考えは理解できるし、それ自体には賛同できた。
レーヴェレット家は宮廷貴族であり、力の源泉は王の権力だ。
王家に寄生していると言っても的外れでは無いだろう。
だが、王権を強化するにしても進め方というものがある。
政治は王の都合だけで動いているわけではないのだ。
ユヴェール王国は強力な中央集権国家だ。
確かに手本にしたい国だ。
だが、国の成り立ちからしてアルスターとは違う。
建国の時点で、王家がどれだけ貴族に対して優位に立てたか、という点で大差を付けられている。
土台から違う上に、その上に積み重ねている年数も違う。
アルスターは現国王で三代目だが、ユヴェール王は八代目だ。
八代もの間、常に強国であり続けるというのは尋常なことではない。
ましてやその間、領土拡張を続けているのだ。
海で隔絶された島国に引きこもるような形で続いているわけではないのである。
表には出てこないが、ユヴェールにもユヴェールの問題があるだろう。
例えば後継問題。
王権が強いからこそ、後継者不在の状況は絶対に避けねばならず、今のアルスター王家のように嫡出の男児が一人しかいない状況など許されない。
そしてその後継者たちの間での王位争いの激しさは筆舌に尽くしがたい。
表立っては何も言えないようだが、不自然に「病死」や「事故死」した王族はあまりにも多い。
王族の生活は、アルスターからでは想像もできないほど殺伐としたもののようだ。
他にも、中層以上の平民は様々な恩恵を受けているようだが、下層民はどうだろうか。
貴族たちも、負けたから従ってはいるが、内心はどうだろうか。
国全体としては成長を続けているが、貧富の差は広がっているとも聞く。
国の成長の波に乗れる者ばかりではないのだ。
アルスターからでは見えないが、社会に内在している不満は相当大きいことが想像できる。
それでもそういった諸問題を解決するために工夫し、さらにそれを実現するための努力をしている。
何よりも勝ち続け、拡張し続けている。
それが不満を上回っているのだろう。
それによって国をまとめている。
拡張が止まり、不満が内に向いた時にどうなるか。
おそらく、それがユヴェール王国の現実だ。
だが、リオンはそれを理解できていない。
彼の意識にあるのは、伝聞に過ぎない、華々しい成果のみだ。
その煌めきに目を奪われるだけで、陰の存在を認識していない。
青少年らしい理想論と言えるかもしれない。
だが、王の器では無い。
ショーンは悪くない王だ。
悪くないどころか、名君と評されてもおかしくない実績を積んできていた。
王家に絶対的な優位性が無いことを理解した上で、王家の力を着実に強め、長期的な中央集権化を狙っていた。
絶対的な強者ではないとは言え、王家がアルスターで最大の領主であることは間違い無い。
その領土を活用し、農業生産を拡大し、商工業を活性化した。
王国内に三圃式農業を定着させたのはショーンだし、その技術の提供と引き換えにノーマンから農耕用牛馬の大幅な輸出緩和を引き出したのもショーンだ。
元から牧畜の盛んなノーマン領のように、牛馬を個人で保有するようなことは到底できないから、村落で共同所有するような形ではあるが。
それでもその結果、二圃式から三圃式への移行で土地活用の効率が向上し、農民には農耕用の牛馬が渡り、農業の生産性が向上した。
成果が出るのに時間がかかる教育事業も根気良く継続している。
世代を経たことで、王国貴族は一人残らず宮廷学校の卒業生に入れ替わった。
アルスターという国家における共同体意識が根付いているのも感じる。
遠く離れたノーマン領に対してさえ、「辺境」「異文化」「未開の地」という意識はあっても「国の外」という意識は無いだろう。
造船・航海技術も難航しながらも導入し、近年では従来の河川水運だけでなく、近海ではあるが自国製の船舶による海運交易も始まった。
特にルガリア河口の港湾都市トレストでは、上流の豊かな森の木材を下流に流す形で取り寄せることが容易なため、大規模な造船業を根付かせることができた。
自分はそれを間近で支えてきた。
それは間違いなく自分の人生の誇りだ。
だが、それらを帳消しにしてしまったのが、後継者育成の失敗だ。
王になる素養を持った王子だった。
それは間違い無いのだ。
だが、どこかで決定的に、道を外れてしまった。
もう、戻れないところまで。
このままではいけない。
焦燥感が募る。
ショーンと共にここまで育ててきたアルスターが混乱の最中にある。
このままでは分裂して建国前のような状態に戻ってしまう未来が想像できてしまうほどに。
だが、ここまで混乱してしまった状況を、どう収拾すれば良いのか。
何もかもが丸く収まるような、理想的な解決法など思いもよらない。
つくづく、自分もショーンも平時の人間なのだろう。
自嘲しながらも、まずは手元の政務に向かう。
今自分にできることは、これしか無いのだから。
「別に間違ってはいないんだよな」
アルバートは羊皮紙の束をめくりながら呟いた。
先日、ソフィアがオリヴィアからもらってきたものだ。
リオンがこれまでに唱えた政策案をまとめたものだと言う、
リオンが提案している政策は、アルバートの目から見て、強大な中央集権国家を作るため、という目的に合致しているように見える。
自分自身で明確にビジョンを描き、その実現のために方策を立てる。
国のトップとして必要な姿勢だ。
そしてその方策も、実現すれば確かに効果があるだろうと思える物だった。
政策の『原案としてならば』良い案と言えるのではないだろうか。
問題があるとすれば
「実現が不可能ってことだ」
この『原案』を修正せずにそのまま押し通そうとすると、問題だらけになる。
リオンの案は全て、リオンの政策を貴族も民衆も大人しく受け入れ、協力するという前提に基づいている。
その前提に基づけば効果的な良い政策と言えるのだが、前提が間違っているために全てが覆るのだ。
貴族たちは自分に都合の悪い政策を大人しく受け入れたりしないし、民衆は直接的なメリットを示さなければ積極的には動かない。
絵に描いた餅でしかないのだ。
現実的な修正をしなければ、使い物にならない。
例えば、王都の都市計画。
放射線と同心円で区画された整然とした都市。
それは良い。
素晴らしい計画だろう。
その効率性もよく『知っている』。
だが、どうやって実現するのか。
二十一世紀の社会でさえ、城下町から発展した都市の区画整理というのは実現できていないことが多いのだ。
成功したのは、関東大震災という不可抗力で一度更地に近い状態になった東京くらいではないだろうか。
それでさえ、完全とは言い難いのだ。
リオンが例として挙げたというユヴェールの王都だって、元からあった都市の城壁を取り払って区画整理をしたわけではない。
更地に一から作った都市に遷都したのだ。
街の形は違うが、平城京や平安京のようなものだ。
計画都市にできて当然だろう。
シュレージの城壁を解体して区画整理を行うというのは、現実には不可能と言って良い。
軍に関してもそうだ。
常備軍を擁するべきだという理論は理解できる。
だが、その予算をどこから持ってくるというのか。
アルスター王国が守らなければならないのは王都だけではない。
国全体だ。
領軍を廃して近衛でそれを守るというなら、近衛隊は自然と王都に常駐するような軍ではなくなる。
国を守る軍は国境にいるべきだからだ。
当然、全ての国境に必要だ。
莫大な軍事費がかかる。
常備軍は大喰らいの金食い虫だ。
そのことも、骨身に沁みて『知っている』。
もしそのような規模の常備軍を抱えるとするならば、近衛では不適だ。
アルスターにおいて、いかに大きいとは言え王家は一つの家でしかない。
その程度の財政規模で運営する近衛隊では、全く足りない。
国家財政の中で運営する「国軍」であるべきだろう。
オリヴィアとのタッグが上手くいかなかったことが残念だ。
オリヴィアはバランス感覚に優れた現実的な政治家になれる可能性が高い。
リオンが大きなビジョンを描き、オリヴィアが現実とのすり合わせを行う。
良いタッグになっただろう。
ショーンもフェリクスも、そこに大きな期待を寄せていたのだろう。
ただ、致命的に性格が合わなかった。
リオンは自分の理想を重んじ過ぎて、現実に合わせるために理想を妥協させようとするオリヴィアを受け容れられなかった。
オリヴィアは現実を無視して理想に走るばかりのリオンを理解できなかった。
男性はロマンチスト、女性はリアリストと言うが、それが悪い方向に出てしまった組み合わせだと思う。
リオンとオリヴィアが上手くいった場合を想像しようとしたが、何となく不快だったのでやめた。
ともあれ、リオンは次期国王の座から下ろされた。
一つの区切りではあるだろうが、これで収まるとは思えない。
この状況を収拾するには、相当なアクロバットが必要になるだろう。
アルバートは別に天才ではないから、ゼロからこの状況を打開する方法など思い付けない。
頼れる物は前世の記憶。
理想的な結果を齎した、現実の施策。
そんな物も、長い歴史の中には確かに存在したのだ。
その中から解決の糸口を探すべく、アルバートは思索の内へと沈んでいった。
一人はレーヴェレット侯爵邸へ。
もう一人は王子の部屋へ。
王妃は部屋に籠ってしまった。
無理も無いだろう。
ショーンだって、逃げられるものならこんな現実からは逃げてしまいたい。
だが、彼にそのような贅沢は許されていないのだ。
執務室で書類を捌きながら待つことしばし。
リオンが執務室へやってきた。
「父上、お呼びと伺いましたが」
リオンの表情は明るい。
と言うことは、立太子の件だとでも思っているのだろうか。
だが、そのような日は永遠に来ないのだ。
ショーンは表情を厳しくし、リオンを見据える。
「リオン。
其方の王位継承権を剥奪し、謹慎処分とする」
リオンは最初、何を言われたのか理解できないようだった。
その意味が浸透するに従って、表情から血の気が引いていく。
「そんな……なぜ……」
「それが分からぬことが何よりも問題なのだ」
「……オリヴィアと……宰相の娘との婚約を破棄したからですか?」
「それがきっかけではあるが本質ではない」
「辺境伯と険悪になったからですか?」
「それも大きいが本質では無い」
大きくため息を吐く。
「理由がそれだけであったなら、まだ取り返しが付いただろう。
だが、それらは枝葉に過ぎんのだ」
「其方には、王たる資質が無い。
そう判断した」
「そんな……そんなわけがありません!」
リオンが叫ぶ。
これまで、良き王になるために励んできた彼には、受け容れられない言葉なのだろう。
「あるのだ。
其方には、王に最も必要な資質が欠けている」
「それはいったい……」
「現実を見る目だ」
そう。
リオンには現実が見えていないのだ。
もっと現実に向き合わざるを得ないように育てるべきだったのだろう。
祖父はアルスター平野に割拠する小勢力からのし上がった。
父は祖父の征服戦争に従軍して戦っていた。
ショーンも幼い頃には、まだアルスターの統一は果たされていなかった。
リオンはそうではない。
頂点に立つ者に最も必要なのは、見たくもなくとも現実を直視する能力だ。
リオンが直視するべきだった現実は、王家は「大きな領主」に過ぎないということ。
アルスター王国の「相対的支配者」に過ぎないということ。
絶対者ではないのだ。
「理想を抱くのは良い。
それも王に必要なことだ。
王が理想を抱かねば、国をどちらに導くかも定まるまい。
だが、理想に溺れてはならぬ。
理想に生きてはならぬ。
我らが生きていくのは現実の世界だ。
この世界に、理想の国など存在し得ぬ。
理想の現実の狭間で、もがき苦しみながら、何とか理想に近づけていくしかないのだ。
理想と現実、どちらも王に必要なものではあるが、比べれば現実の方が勝る。
だが、其方の目に現実は映っておらず、理想ばかりを見ている。
それが継承権剥奪の理由だ。
婚約破棄の件はきっかけに過ぎぬ」
一度、言葉を切る。
リオンを見据える。
青褪めた顔で、目を見開いて、ショーンを見ている。
改めて、告げる。
「其方に王たる資質は無い」
呆然としたリオンを、従者が連れ出していく。
それを見送り、扉が閉まると、大きく息を吐き出した。
体を背もたれに預け、天を仰ぐ。
ショーンも、先王も、建国王も、アルスターをユヴェールのような強い国にしたかったのは間違いない。
だが、それはショーンやリオンの代で成し遂げられるような道のりではないのだ。
ショーン自身が急ぎすぎたのだろう。
この国のことをしっかりと知るまでは、ユヴェールのことを教えるのではなかった。
現実を理解する前に、目の眩むような理想を見せてしまった。
今更言っても、取り返しの付かないことではあるが。
胸が痛む。
リオンはリオンなりに、アルスターのことを考え、懸命に努力してきたことは間違い無いのだ。
考えてみれば、リオンは王都から出たことがほとんど無い。
学校を卒業してから、共に実務をする中で、教えていけば良いだろうと考えていた。
だが、それでは遅かったのだ。
いっそ、ノーマン辺境伯領の領都コルムにでも放り込むべきだったかもしれない。
あそこを見れば、世界は王都だけではないことを、否が応でも理解しただろう。
昔、一度だけ視察に訪れた街を思い出す。
ノーマン領に住む者たちは、上から下まで、現実との戦いという点では随一だ。
そうでなければ生き延びることができないのだから。
誰もが日々を必死に生きている。
だから発展する。
領主の手腕ももちろんあるが、それが根底にある。
むしろ因果は逆で、そのことがノーマン家に多くの名君を生んでいるのかもしれない。
物思いに耽っていると、侍従が来客を告げた。
フェリクスだ。
随分と久しぶりに会う気がする、長い付き合いの宰相は、静かにショーンを見ていた。
ショーンは護衛や侍従たちを全て別室へ下がらせた。
扉が閉まり、しばしの沈黙。
「すまなかった」
深々と頭を下げる。
王が頭を下げるなど、よほどのことだ。
だが、ショーンとしてはそうせずにはいられなかった。
「お受けいたします」
フェリクスはその謝罪を受け取る。
そして表情を崩す。
無表情から、痛ましそうに。
「私ども宮廷貴族にも、責の一端はあるのでしょう。
日頃からお諌めしていれば、このようなことにならなかったのではないか、と」
「其方たちの責任ではない。
私の意を汲んだだけなのだからな」
再び沈黙が訪れた。
「……いつまでも過ぎたことを悔やんでいる暇は無いな。
出仕を再開し、執務にかかってくれるか」
「謹んで承ります」
フェリクスは恭しく一礼した。
「それと、ご一考いただきたいことが」
「……これ以上何かあるのか?」
「関連することではございます。
今年の卒業生の身分です。
卒業式が中断された場合に、その時の卒業生を成人として扱って良いのか否か、規定がございませぬ。
このような想定ができるはずも無いため当然と言えますが、このため今年の卒業生の身分が不明確です」
ショーンは深々とため息を吐いた。
「当然、成人として認める。
その方向で処理を進めてくれ。
今後のために規定をしておくのも必要だが、卒業生の気持ちを考えると、改めて式を執り行うべきだろうな」
「必要なことかと存じます」
不祥事を起こしたリオンは公の場から消え、卒業生の身分を保証し、公式には中断となっている卒業式をやり直す。
あとはノーマン辺境伯との手打ちか。
もっとも……
「これらをしたからと言って、この国は元には戻るまいな」
「……おそらくは」
「頭の痛いことだ」
だが、どれだけ頭の痛い現実だろうと、向き合わなければならない。
彼は王なのだから。
執務室へと歩みながら、フェリクスは王家について考える。
王権を強化したいという考えは理解できるし、それ自体には賛同できた。
レーヴェレット家は宮廷貴族であり、力の源泉は王の権力だ。
王家に寄生していると言っても的外れでは無いだろう。
だが、王権を強化するにしても進め方というものがある。
政治は王の都合だけで動いているわけではないのだ。
ユヴェール王国は強力な中央集権国家だ。
確かに手本にしたい国だ。
だが、国の成り立ちからしてアルスターとは違う。
建国の時点で、王家がどれだけ貴族に対して優位に立てたか、という点で大差を付けられている。
土台から違う上に、その上に積み重ねている年数も違う。
アルスターは現国王で三代目だが、ユヴェール王は八代目だ。
八代もの間、常に強国であり続けるというのは尋常なことではない。
ましてやその間、領土拡張を続けているのだ。
海で隔絶された島国に引きこもるような形で続いているわけではないのである。
表には出てこないが、ユヴェールにもユヴェールの問題があるだろう。
例えば後継問題。
王権が強いからこそ、後継者不在の状況は絶対に避けねばならず、今のアルスター王家のように嫡出の男児が一人しかいない状況など許されない。
そしてその後継者たちの間での王位争いの激しさは筆舌に尽くしがたい。
表立っては何も言えないようだが、不自然に「病死」や「事故死」した王族はあまりにも多い。
王族の生活は、アルスターからでは想像もできないほど殺伐としたもののようだ。
他にも、中層以上の平民は様々な恩恵を受けているようだが、下層民はどうだろうか。
貴族たちも、負けたから従ってはいるが、内心はどうだろうか。
国全体としては成長を続けているが、貧富の差は広がっているとも聞く。
国の成長の波に乗れる者ばかりではないのだ。
アルスターからでは見えないが、社会に内在している不満は相当大きいことが想像できる。
それでもそういった諸問題を解決するために工夫し、さらにそれを実現するための努力をしている。
何よりも勝ち続け、拡張し続けている。
それが不満を上回っているのだろう。
それによって国をまとめている。
拡張が止まり、不満が内に向いた時にどうなるか。
おそらく、それがユヴェール王国の現実だ。
だが、リオンはそれを理解できていない。
彼の意識にあるのは、伝聞に過ぎない、華々しい成果のみだ。
その煌めきに目を奪われるだけで、陰の存在を認識していない。
青少年らしい理想論と言えるかもしれない。
だが、王の器では無い。
ショーンは悪くない王だ。
悪くないどころか、名君と評されてもおかしくない実績を積んできていた。
王家に絶対的な優位性が無いことを理解した上で、王家の力を着実に強め、長期的な中央集権化を狙っていた。
絶対的な強者ではないとは言え、王家がアルスターで最大の領主であることは間違い無い。
その領土を活用し、農業生産を拡大し、商工業を活性化した。
王国内に三圃式農業を定着させたのはショーンだし、その技術の提供と引き換えにノーマンから農耕用牛馬の大幅な輸出緩和を引き出したのもショーンだ。
元から牧畜の盛んなノーマン領のように、牛馬を個人で保有するようなことは到底できないから、村落で共同所有するような形ではあるが。
それでもその結果、二圃式から三圃式への移行で土地活用の効率が向上し、農民には農耕用の牛馬が渡り、農業の生産性が向上した。
成果が出るのに時間がかかる教育事業も根気良く継続している。
世代を経たことで、王国貴族は一人残らず宮廷学校の卒業生に入れ替わった。
アルスターという国家における共同体意識が根付いているのも感じる。
遠く離れたノーマン領に対してさえ、「辺境」「異文化」「未開の地」という意識はあっても「国の外」という意識は無いだろう。
造船・航海技術も難航しながらも導入し、近年では従来の河川水運だけでなく、近海ではあるが自国製の船舶による海運交易も始まった。
特にルガリア河口の港湾都市トレストでは、上流の豊かな森の木材を下流に流す形で取り寄せることが容易なため、大規模な造船業を根付かせることができた。
自分はそれを間近で支えてきた。
それは間違いなく自分の人生の誇りだ。
だが、それらを帳消しにしてしまったのが、後継者育成の失敗だ。
王になる素養を持った王子だった。
それは間違い無いのだ。
だが、どこかで決定的に、道を外れてしまった。
もう、戻れないところまで。
このままではいけない。
焦燥感が募る。
ショーンと共にここまで育ててきたアルスターが混乱の最中にある。
このままでは分裂して建国前のような状態に戻ってしまう未来が想像できてしまうほどに。
だが、ここまで混乱してしまった状況を、どう収拾すれば良いのか。
何もかもが丸く収まるような、理想的な解決法など思いもよらない。
つくづく、自分もショーンも平時の人間なのだろう。
自嘲しながらも、まずは手元の政務に向かう。
今自分にできることは、これしか無いのだから。
「別に間違ってはいないんだよな」
アルバートは羊皮紙の束をめくりながら呟いた。
先日、ソフィアがオリヴィアからもらってきたものだ。
リオンがこれまでに唱えた政策案をまとめたものだと言う、
リオンが提案している政策は、アルバートの目から見て、強大な中央集権国家を作るため、という目的に合致しているように見える。
自分自身で明確にビジョンを描き、その実現のために方策を立てる。
国のトップとして必要な姿勢だ。
そしてその方策も、実現すれば確かに効果があるだろうと思える物だった。
政策の『原案としてならば』良い案と言えるのではないだろうか。
問題があるとすれば
「実現が不可能ってことだ」
この『原案』を修正せずにそのまま押し通そうとすると、問題だらけになる。
リオンの案は全て、リオンの政策を貴族も民衆も大人しく受け入れ、協力するという前提に基づいている。
その前提に基づけば効果的な良い政策と言えるのだが、前提が間違っているために全てが覆るのだ。
貴族たちは自分に都合の悪い政策を大人しく受け入れたりしないし、民衆は直接的なメリットを示さなければ積極的には動かない。
絵に描いた餅でしかないのだ。
現実的な修正をしなければ、使い物にならない。
例えば、王都の都市計画。
放射線と同心円で区画された整然とした都市。
それは良い。
素晴らしい計画だろう。
その効率性もよく『知っている』。
だが、どうやって実現するのか。
二十一世紀の社会でさえ、城下町から発展した都市の区画整理というのは実現できていないことが多いのだ。
成功したのは、関東大震災という不可抗力で一度更地に近い状態になった東京くらいではないだろうか。
それでさえ、完全とは言い難いのだ。
リオンが例として挙げたというユヴェールの王都だって、元からあった都市の城壁を取り払って区画整理をしたわけではない。
更地に一から作った都市に遷都したのだ。
街の形は違うが、平城京や平安京のようなものだ。
計画都市にできて当然だろう。
シュレージの城壁を解体して区画整理を行うというのは、現実には不可能と言って良い。
軍に関してもそうだ。
常備軍を擁するべきだという理論は理解できる。
だが、その予算をどこから持ってくるというのか。
アルスター王国が守らなければならないのは王都だけではない。
国全体だ。
領軍を廃して近衛でそれを守るというなら、近衛隊は自然と王都に常駐するような軍ではなくなる。
国を守る軍は国境にいるべきだからだ。
当然、全ての国境に必要だ。
莫大な軍事費がかかる。
常備軍は大喰らいの金食い虫だ。
そのことも、骨身に沁みて『知っている』。
もしそのような規模の常備軍を抱えるとするならば、近衛では不適だ。
アルスターにおいて、いかに大きいとは言え王家は一つの家でしかない。
その程度の財政規模で運営する近衛隊では、全く足りない。
国家財政の中で運営する「国軍」であるべきだろう。
オリヴィアとのタッグが上手くいかなかったことが残念だ。
オリヴィアはバランス感覚に優れた現実的な政治家になれる可能性が高い。
リオンが大きなビジョンを描き、オリヴィアが現実とのすり合わせを行う。
良いタッグになっただろう。
ショーンもフェリクスも、そこに大きな期待を寄せていたのだろう。
ただ、致命的に性格が合わなかった。
リオンは自分の理想を重んじ過ぎて、現実に合わせるために理想を妥協させようとするオリヴィアを受け容れられなかった。
オリヴィアは現実を無視して理想に走るばかりのリオンを理解できなかった。
男性はロマンチスト、女性はリアリストと言うが、それが悪い方向に出てしまった組み合わせだと思う。
リオンとオリヴィアが上手くいった場合を想像しようとしたが、何となく不快だったのでやめた。
ともあれ、リオンは次期国王の座から下ろされた。
一つの区切りではあるだろうが、これで収まるとは思えない。
この状況を収拾するには、相当なアクロバットが必要になるだろう。
アルバートは別に天才ではないから、ゼロからこの状況を打開する方法など思い付けない。
頼れる物は前世の記憶。
理想的な結果を齎した、現実の施策。
そんな物も、長い歴史の中には確かに存在したのだ。
その中から解決の糸口を探すべく、アルバートは思索の内へと沈んでいった。
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