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[Phantom/]

第二話[鉄の音]

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ウィルグとクロウは城壁の前にいた。

城を囲う高い城壁は二人の来訪を拒絶するかのように見下ろしている。

 「あの、どうやって中に入る気なんですか?この城壁は城を取り囲み、抜け道はないと思いますよ」

ウィルグは無理だと思いながら、クロウに話しかけた。

ここに着くまでどうやってクロウを諦めさせるか考えていた。

侵入できなければ、諦めるだろうとウィルグは考えていた。

 「抜け道?俺は正面から入る気だが?」

ウィルグの心配をよそにクロウはあっけらかんと言った。

諦めるどころか悪化している気さえする。

正面から入るとはまさに自殺行為だ。

強いといってもどれ程強いのか分からない。

森に闊歩するような獣と武術を訓練された人間とでは相手が違うだろう。

ウィルグはクロウの顔をちらりと見る。

口元に弧を描き、笑っている。

緊張し、恐怖に身を震わせているウィルグとは明らかに対称的だ。

死ぬかもしれないとは考えないのだろうか。

それとも、死など恐れぬ愚か者なのか。

どちらにしろ、ウィルグはクロウに伝えることがあった。

 「…あの、入る前に一度母のもとへ戻ってもいいですか?」

クロウを止められないと思ったウィルグは失敗すれば死を免れないからとそう進言した。

もし、最後になるならば、せめて母の顔を見たい。

 「ん?あぁ、そうだな。最後に母親の顔を見ておきたいよな。家はどこだ?」

 「はい、町外れの小さな家です」

すぐに城に乗り込みそうなクロウだったが、ウィルグの申し出に答えてくれた。

ウィルグは少しだけ安堵の息を漏らす。

時間があればクロウは考え直すかもしれない。

自分達の事に他人を巻き込むのはやはり嫌だった。

例え、それが身内の死に繋がるとしてもだ。

何があるにしろ、死を他人に分け与えないこと。

ウィルグの父はウィルグにそう教えていた。

戦争でも人の命は奪わなかった。

誠実で人の命を第一に考える誇りある騎士だった。

だが、それもクローダス軍の兵によって殺された。

父の事は考えないようにしていた。

だが、ふと思い出していた。

やはり、クロウを巻き込むのは駄目だ。

どうにかして、死の確率から遠ざけなければならない。

 「おい、お前ら」

ウィルグの家へと向かう二人に何者かが話しかける。

ウィルグは怯えながら声のする方を向く。

城の近くをうろついていたから、兵士が怪しいものだと疑い、声をかけたのかと思った。

だが、そこには黒一色のフードとマントに身を包む怪しい人物がいた。

男か女かも体型が隠れているため判別がつかない。

声も幼い少年のようにも聞こえるし、女性のようにも聞こえる。

中性的な声をしていた。

その姿はどう見ても兵士ではない。

 「何者だ?おま……」

 「あの森へ行ったか?そこで白い獣を殺さなかったか?殺したのはどっちだ?」

クロウが言葉を言い切る前に黒いフードの人物が続けざまに質問をして来た。

 「あぁ?」

その態度にクロウは不快の声をあげた。

 「何者だ?」

 「答えろ」

クロウが、声を荒げてもフードの人物は狼狽えない。

次の瞬間、クロウの剣が引き抜かれた。

まだ、獣の血がついており真っ赤に染まっている。

 「俺が殺した。文句あるのか?」

 「成る程、お前か……」

その剣を見て、黒いフードの人物は静かにほくそ笑む。

そして、そっと剣を掴むとクロウと同じように剣を差し出した。

「あれはお前程度の人間が手を出していいものじゃない。あれだけは普通の獣ではない。俺が殺さなければならなかったのに」

剣を握る手に力が入る。

 「お前は獣の業を背負った。文句は言うな。お前が悪いのだ。そして、このクローダスを前にして生きていたものはおらん」

 「クローダス?」

黒いフードの人物の言葉にウィルグは耳を疑った。

クローダス。

ここの王。

悪い王。

今から薬草を貰おうと乗り込もうとしていた城の王。

一瞬、何が起こっているのか分からなくなった。

まさに目の前に目的の人物がいるのだ。

 「ハハハッ、おかしな事を言うやつだな。クローダスと名乗るには年若い。なんと言う騙り者よ」

クロウが可笑しそうに笑う。

確かに言われてみれば若い。

長い間統治していたクローダス王がこんな若いはずがない。

声が証明している。

声変わりもしていない少年のようだと。

 「騙り者はどちらだろうな…どちらにしろ俺はクローダスという名前だ。どうであれ、お前は死ぬだけだ」

黒いフードの人物―クローダスは剣をクロウの剣に当てた。

軽い接触だったが、それは戦いを始めるぞと急かしているようだった。

願ってもない戦いだが、ウィルグは複雑だった。

慌てて、クロウの裾を掴むと一目散にクローダスとは違う方向へ駆け出した。

つまり、逃げる事を選んだ。

戦うと身構えていたクロウはとっさのウィルグの行動に驚き、ウィルグのされるがままに引きずられていった。

 「……どこに逃げようと同じだ」

クローダスはそう呟き、そっと剣を鞘に戻した。



………
……






 「離せ、離せ…折角のチャンスにお前は何をしている?うまくいけば、国をぐちゃぐちゃにした張本人を殺せたかもしれなんだぞ」

裾を引っ張り続けるウィルグを振り払い、クロウは声を荒げた。

それもそのはずだ。

本来の目的の人物が目の前に現れ、薬草をもらえたかもしれない。

だが、それをするために絶対に起こるであろう戦いは避けられない。

どちらにしろ、目の前で誰かが死ぬのは嫌だった。

 「僕はそんなこと望んでいません。僕は母さんの病気を治すための薬草が欲しいだけなんです。人を殺すなんて」

ウィルグはその胸の内をクロウに伝えた。

 「甘いやつだな。あいつ一人を殺せば国は制定されるのだぞ。最も本物ならな」

クロウの言うことは最もだ。

悪しき王を退ければ、この国の在り方が変わる。

間違いなくいい方にだ。

だが、あのクローダスと名乗った黒いフードの人物は長く統治しているはずなのに若すぎる印象だった。

騙り者であったならば、本当に関係のない人間が死ぬことになる。

 「そうですよ。本物かどうかも怪しいのに、貴方は殺そうと考えていたんですか?」

 「殺されそうになったら、殺さないと俺が殺されてしまうだろう。正当防衛だ」

ウィルグの疑問にクロウはやはり、あっけらかんと答える。

人を殺すことが悪いとは考えていない。

 「正当防衛だとしても、殺す以外の手段はあると思います」

上手い言葉が見つからずウィルグはそう言うしかなかった。

 「ふぅん、考えたこともないが…念頭に入れておいてもいいな」

クロウは考える素振りを見せてから、そう呟いた。

本当に考えているのかよくは分からなかったが、とりあえず戦いを避けることができたことにウィルグは安堵の息を漏らした。

町の外れにウィルグの家はあった。

ウィルグは家のドアの取っ手に手をかけるが、複雑な気持ちだった。

薬草を持って帰れなかったという残念な気持ちで溢れていた。

それに今から薬草を貰いにクローダス城へ乗り込もうとしているのだ。

取っ手を握る手が震える。

ウィルグがドアの前で立っていると、ドアが開いた。

 「まぁ、ウィルグ、どこにいっていたの?」

ドアを開けたのはウィルグの母親だった。

ウィルグという息子がいるにしては若く見える。

ただ、ウィルグが言うように病気らしく、血色が悪く青冷めている。

 「母さん、起きちゃ駄目だよ。ベッドに横になって。」

ドアを開けたのが母親だと気づくと、ウィルグは慌てて母親をベッドへと押しやった。

 「今日は少しだけ調子がいいの。大丈夫よ」

そう言いながらもウィルグの母親はベッドに横になる。

 「そう言ってこの前も倒れてしまったでしょ?お願いだから、静かに寝ていて」

薬草さえあれば治る、簡単な病のはずなのに、薬草がないせいで治らないどころか悪化して、酷い病気になっている。

 「分かったわ、心配性ね」

母親は心配かけまいと笑うが、ウィルグは分かっていた。

気丈に振る舞ってはいるが、危ない状態だということを。

早く、薬草がほしい。

それさえあれば、またすぐ元気になる。

ウィルグは拳を握りしめた。

 「ウィルグ、あまり無理はしないでね」

ウィルグの母親はウィルグが握りしめた拳に優しく触れ、そう言った。

これからウィルグが何かをしようとしているのを何となく察していた。

 「大丈夫、僕は絶対お母さんを治してあげるから」

必ず帰ろう。

そう、決意する。

 「お母さん、また、出ていくけど…ゆっくり寝ていてね」

ウィルグは振り返らずにそう言って家を出た。

 「綺麗な母さんだな……」

ウィルグが外に出ると、クロウがそっと話しかけた。

 「あんなに綺麗な女性は見たことがない。残念だな、病気で…。」

クロウは壁に背を預け、どこか遠くを見るように呟いた。

 「薬草があればすぐにでも元気になるんだ…クロウさん。僕……」

ウィルグは拳を握りしめた。

 「母さんに早く元気になってほしい。クローダス城へ行って薬草を貰いに行く」

それは精一杯の決意だった。

震えながらも前へ進もうとしている。

 「そうか、行こう。ふふっ、楽しいことになりそうだな」

クロウはほくそ笑み、そっと剣に手を回す。

戦いたいと言うように剣を握りしめていた。

 「クロウさん。あの、どうか、誰の命も奪わないようにしてください。僕は薬草だけあればいいんです。お願いします」

その、戦いを面白がる様子から、ウィルグはクロウにそう呼び掛けた。

どうにか、城に侵入し、薬草だけ貰うことができればいい。

 「分かった。そうだな…なら、逆に捕まって侵入すれば誰も傷つけずに中に入れるんじゃないか?まぁ、問答無用で斬りつけるのならば正当防衛で手を出すが…どうだ?」

クロウの提案はどこか危うさを秘めていたが、確かに言われてみれば侵入するには簡単そうだ。
捕まればいいのだ。

だが、どうやって捕まればいいのかウィルグには考え付かなかった。

もちろん、捕まった後にどう逃げ出すのかも考えられない。

 「任せておけよ。俺に考えがある」

クロウは笑いながら、ウィルグにそう言った。

不安だが、乗るしかない。

命を懸けても、母を救うと決めたのだから後戻りはできない。

 「俺が兵士に話をする、お前は立っているだけでいい」

 「え…?」

一瞬、クロウの言っている事が分からなくて聞き返していた。

 「罪人か何か適当なことを言って捕まえさせるんだよ。そしたら戦わずに済むし。お前が抵抗をしなければ怪我をすることもないだろう」

かなり、無茶なやり方だとウィルグは思った。

そんな、簡単に事が運ぶのだろうか?

 「うまくいくと思いますか?」

 「うまくいく。俺がそう言うんだから間違いはないさ」

その自信がどこから出てくるのかウィルグには分からなかったが、信じるしかないのだろう。

クロウは初めて会ったばかりなのに色々と協力しようとしてくれている。

ありがたいことだ。

一人ならば、きっと森の奥で死んでいたに違いない。

命の恩人でもあり、助けてくれる協力者だ。

 「あの、クロウさん。ありがとうございます」

ウィルグはそういうと、城へと歩き出した。

その背中をクロウは見つめ、そっと笑った



………
……

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