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「日戸くん。ちょっと今、いいかな?」
「……はい。」
まただ。嫌な汗が背中を伝う。なるべく感情が表に出ないように表情を固くして部長の席に向かえば、ゾッとするほど穏やかな笑みを浮かべた矢擬部長と目が合った。
「昨日提出してもらった資料だけど…ちょっと不備があってね。例えばここ、売り上げの数字が去年のままだよ。あと、8ページの図式には必要な指標が入ってないし、資料番号も重複してる。」
「も、申し訳ありません、確認次第すぐ直し…」
「ああいや、実はもう裳部さんに修正してもらったんだ。彼の方が仕事が早いからね。」
「…は、あ、はい…」
「ヒトはミスしやすい生き物だからしょうがないけど、こういうことを繰り返されるとみんなに迷惑がかかってしまうから…日戸くん。これからはもう少し気をつけて仕事に取り組んでね?」
「……も、うしわけありませ…」
「部長!先ほどのお客様の件についてお話が…」
「ああ、今行くよ。じゃ、これからは不注意のないよう頑張って…」
「…あ、あのっ。」
「ん?なにかな。」
なるべく落ち着いて話そうと思っているのに、どうしても声が震える。それでも何とか顔を上げて、部長の目を見て口を開いた。
「あの、同じミスを繰り返さないためにも、一度自分の資料を見返したいのですが…」
「あぁ、それは良い心掛けだね!…でもね、一度私に預けてもらった以上は私が管理しないとならないから、これを君に返すわけにはいかないんだよ。」
「…い、いや、しかし…」
「しかし、何かな?」
人外特有の、横に長く伸びた四角い瞳孔がすっと細められる。…こんな、睨まれただけでビビってどうする。俺がいつまでも毅然とした態度を取れないから、あっちも舐めて掛かってくるんだ。落ち着け、落ち着いて、まず言いたいことをちゃんと伝えないと…
「こ、今回作った資料は不備がないか事前に何度も確認しましたし、内容も一度他の方にチェックして頂いて問題ないと言われたものを記載しています。ですから、さ、先ほど部長が仰ったようなミスが見つかったなら、また別の問題があるはずで…」
「なるほど…つまり、私に不出来の責任を押し付けたいと?」
「えっ?!ち、ちが、そうではなくてっ…!」
「それとも、私が君の資料をわざと改ざんして、こんなケアレスミス塗れにしたとでも言いたいのかな。」
「っ……い、いや、俺は…」
「実に結構。」
昨日俺が渡した資料をヒラヒラと手で弄んだかと思えば、いきなり、それをビリビリと真っ二つに引き裂いた。唖然として何もできない俺の前で細かくなるまで丁寧に千切った後、何でもないようにくしゃっと丸めてゴミ箱に捨てた。
「……な……」
「確かに、部下の責任は私の責任だからね。自分ばかり責められて不快な気持ちにさせてしまったなら謝るよ。でも、だからって自分に一切の非が無いなんて言い出されると、ははっ、困ってしまうな…」
「…ち、ちが、そ、うじゃ…」
「そうだ、今度新卒向けに勉強会を開く予定があるんだけど、特別に日戸くんも参加させてあげようか?あれなら基本的な資料作成の方法を一から学べるよ。担当者には私から話をつけておくから…どうかな?」
「………」
「部長!お時間が…」
「ああ、ごめんごめん。じゃ、少し席を外すね。」
部長は流れるような仕草で席から立ち上がると、震える俺の肩に軽く手を置いた。生温く重たい感覚が肩に広がり、あまりに耐えがたい嫌悪感が胃の奥から込み上げてきたが、爪が肉に食い込むほど強く拳を握ってこらえた。
「これからはこんな不注意がないよう、頑張ってね。期待してるよ。」
「……は…」
部長が肩から手を離し、何事もなかったように颯爽とオフィスから出ていった途端、クスクスと背後から嘲笑するような声が聞こえる。
「…っふ、ダサ…また怒られてたよ。今月何回目…?」
「さぁな。部長があんなキツく言うこと滅多にないし、相当出来が悪いってことだろ…」
「でもさ、あんなに沢山喋れてちょっと羨ましくない?あたしも部長に怒られたいし、わざとミスしてみんなの足引っ張っちゃおっかな~」
「ちょっとやめなよ~、本人に聞こえちゃうって…!」
あからさまに聞こえる声量で喋り続ける同僚を横目に、俺は棒みたいになった足を無理やり動かして自分のデスクに戻った。
…いちいち気を病む暇はない、早く目の前の仕事に集中して、今度こそミスしないように気を付けないと…
と、頭では分かっているのに、パソコン画面の文字がうまく頭に入ってこない。今朝通達されたメール文を何度読み返そうとしても、文字が滑ってどうしても読めない。
…一度メール画面を閉じて、パソコンに残っていた資料の元データを開いた。一ページずつ、何度確認しても、さっき部長に指摘されたような間違いは見当たらなかった。
こんなの明らかにおかしい。全く別の資料を渡した訳でもない、制作途中のデータを渡した訳でもない、紙に印刷した後で急にミスが生じるなんてことあり得ない。だから一体どこであんなミスが起きたのか、それこそ、本当に部長が嘘でも言ってなければ…
さっきのゴミ箱に、自然と目が向かう。
なんで部長は、あそこまで俺に資料を返すのを渋ったんだ。断るだけで済ませばいいのに、なんであんなに細かく破いて捨てた?
俺の作った資料には、本当に、ミスがあったのか?
「…さん、日戸さん!」
「はっ、はい!」
大きな声で呼ばれて慌てて振り返ると、同僚の裳部さんが怪訝な顔でこちらを見下ろしていた。
「す、すみません少しぼーっとしていて…」
「…ぼーっとできるほど暇そうで、丁度よかったです。この資料、20部印刷しておいてもらえますか。明日使うんで。」
「あ…は、はい。」
黙ってそれを受け取る。明らかな雑務を押し付けられても、今の俺に断る選択肢はない。
「……はい。」
まただ。嫌な汗が背中を伝う。なるべく感情が表に出ないように表情を固くして部長の席に向かえば、ゾッとするほど穏やかな笑みを浮かべた矢擬部長と目が合った。
「昨日提出してもらった資料だけど…ちょっと不備があってね。例えばここ、売り上げの数字が去年のままだよ。あと、8ページの図式には必要な指標が入ってないし、資料番号も重複してる。」
「も、申し訳ありません、確認次第すぐ直し…」
「ああいや、実はもう裳部さんに修正してもらったんだ。彼の方が仕事が早いからね。」
「…は、あ、はい…」
「ヒトはミスしやすい生き物だからしょうがないけど、こういうことを繰り返されるとみんなに迷惑がかかってしまうから…日戸くん。これからはもう少し気をつけて仕事に取り組んでね?」
「……も、うしわけありませ…」
「部長!先ほどのお客様の件についてお話が…」
「ああ、今行くよ。じゃ、これからは不注意のないよう頑張って…」
「…あ、あのっ。」
「ん?なにかな。」
なるべく落ち着いて話そうと思っているのに、どうしても声が震える。それでも何とか顔を上げて、部長の目を見て口を開いた。
「あの、同じミスを繰り返さないためにも、一度自分の資料を見返したいのですが…」
「あぁ、それは良い心掛けだね!…でもね、一度私に預けてもらった以上は私が管理しないとならないから、これを君に返すわけにはいかないんだよ。」
「…い、いや、しかし…」
「しかし、何かな?」
人外特有の、横に長く伸びた四角い瞳孔がすっと細められる。…こんな、睨まれただけでビビってどうする。俺がいつまでも毅然とした態度を取れないから、あっちも舐めて掛かってくるんだ。落ち着け、落ち着いて、まず言いたいことをちゃんと伝えないと…
「こ、今回作った資料は不備がないか事前に何度も確認しましたし、内容も一度他の方にチェックして頂いて問題ないと言われたものを記載しています。ですから、さ、先ほど部長が仰ったようなミスが見つかったなら、また別の問題があるはずで…」
「なるほど…つまり、私に不出来の責任を押し付けたいと?」
「えっ?!ち、ちが、そうではなくてっ…!」
「それとも、私が君の資料をわざと改ざんして、こんなケアレスミス塗れにしたとでも言いたいのかな。」
「っ……い、いや、俺は…」
「実に結構。」
昨日俺が渡した資料をヒラヒラと手で弄んだかと思えば、いきなり、それをビリビリと真っ二つに引き裂いた。唖然として何もできない俺の前で細かくなるまで丁寧に千切った後、何でもないようにくしゃっと丸めてゴミ箱に捨てた。
「……な……」
「確かに、部下の責任は私の責任だからね。自分ばかり責められて不快な気持ちにさせてしまったなら謝るよ。でも、だからって自分に一切の非が無いなんて言い出されると、ははっ、困ってしまうな…」
「…ち、ちが、そ、うじゃ…」
「そうだ、今度新卒向けに勉強会を開く予定があるんだけど、特別に日戸くんも参加させてあげようか?あれなら基本的な資料作成の方法を一から学べるよ。担当者には私から話をつけておくから…どうかな?」
「………」
「部長!お時間が…」
「ああ、ごめんごめん。じゃ、少し席を外すね。」
部長は流れるような仕草で席から立ち上がると、震える俺の肩に軽く手を置いた。生温く重たい感覚が肩に広がり、あまりに耐えがたい嫌悪感が胃の奥から込み上げてきたが、爪が肉に食い込むほど強く拳を握ってこらえた。
「これからはこんな不注意がないよう、頑張ってね。期待してるよ。」
「……は…」
部長が肩から手を離し、何事もなかったように颯爽とオフィスから出ていった途端、クスクスと背後から嘲笑するような声が聞こえる。
「…っふ、ダサ…また怒られてたよ。今月何回目…?」
「さぁな。部長があんなキツく言うこと滅多にないし、相当出来が悪いってことだろ…」
「でもさ、あんなに沢山喋れてちょっと羨ましくない?あたしも部長に怒られたいし、わざとミスしてみんなの足引っ張っちゃおっかな~」
「ちょっとやめなよ~、本人に聞こえちゃうって…!」
あからさまに聞こえる声量で喋り続ける同僚を横目に、俺は棒みたいになった足を無理やり動かして自分のデスクに戻った。
…いちいち気を病む暇はない、早く目の前の仕事に集中して、今度こそミスしないように気を付けないと…
と、頭では分かっているのに、パソコン画面の文字がうまく頭に入ってこない。今朝通達されたメール文を何度読み返そうとしても、文字が滑ってどうしても読めない。
…一度メール画面を閉じて、パソコンに残っていた資料の元データを開いた。一ページずつ、何度確認しても、さっき部長に指摘されたような間違いは見当たらなかった。
こんなの明らかにおかしい。全く別の資料を渡した訳でもない、制作途中のデータを渡した訳でもない、紙に印刷した後で急にミスが生じるなんてことあり得ない。だから一体どこであんなミスが起きたのか、それこそ、本当に部長が嘘でも言ってなければ…
さっきのゴミ箱に、自然と目が向かう。
なんで部長は、あそこまで俺に資料を返すのを渋ったんだ。断るだけで済ませばいいのに、なんであんなに細かく破いて捨てた?
俺の作った資料には、本当に、ミスがあったのか?
「…さん、日戸さん!」
「はっ、はい!」
大きな声で呼ばれて慌てて振り返ると、同僚の裳部さんが怪訝な顔でこちらを見下ろしていた。
「す、すみません少しぼーっとしていて…」
「…ぼーっとできるほど暇そうで、丁度よかったです。この資料、20部印刷しておいてもらえますか。明日使うんで。」
「あ…は、はい。」
黙ってそれを受け取る。明らかな雑務を押し付けられても、今の俺に断る選択肢はない。
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