Grey Area3.(−)死の翼

夜束牡牛

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ムースーとジゼル 【赤毛の一房から】4

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 向かって来る、大きく開けた赤い口と杭のような牙に、腹の底からぞっとする。
 身を喰われるかとムースーは覚悟したが、トラは揶揄からかうように寸前で口を閉じ、頭突ずつきにかえた。そしてすぐに人型を取り、頭突きの体勢の流れで頭を下に回転し、その勢いを活かしムースーの両肩へと足を掛け、のし上がるようにして彼を地面へと蹴り戻した。
 巡るましい転化にムースーの的が定まらない。

 これがジゼルの最大の特徴だった。

 転化の速さが異常に速い。筋肉や思考、視点や四肢、魔獣の性や人間性をも瞬時に切り替え順応し、次の行動に移っている。
 体長リーチを変え、その姿なら予測できる導線を変え、相手に反撃の判断とその手段と的を捕えさせず、混乱させる。そしてその全てが『トラの魔獣』の魔力と力で行われる。

 トラと戦いなれた者ならば、ジゼルの転化速度でも、考えるより先に動く体で対処できたかもしれないが、いまのところトラと長期にわたり戦い続け、存命している者はいない。それこそ天敵である前・中央座のライオンならまだしもだ。

 蹴り落とされたムースーは、地面に寝そべり背と腹の痛みに呻いた。
 魔力を自己回復へと集中させている間に、喉からひどく苦く生臭いものがせり上がって来た。内臓かと思ったが、それならば頭突きの時に内側を破り、喉元へと来たはずだ。大丈夫、内臓まではいってない。ムースーは顔を背け吐く事を耐えた。そもそもジゼルはそこまで手荒なことはしないはずだ。むかつくことに。

 砂を踏み締める足音で目を開ければ、ジゼルが逆光に立ちこちらへと顔を向けていた。
 いつものように、場違いな陽気で聞き心地の良い声が降って来る。

「ローアングルの蹴り良いね。あれってどこ鍛えればあの威力出せんの? 脇腹? 俺にも出来ると思う? 片肘かたひじは尻尾の代わりに体を固定したのか、だとしたら俺には不向きかな」

「……」

「おーい、ムースゥ。こっちはたった一発頭突きしただけだぜ? 弱すぎんだろ。なぁなぁ、さっきの蹴り教えてよ」

「……」

「ったく、そんなんじゃ妹さんが悲しむ……あ、……と」

 雲が日をさえぎった。

 見上げたジゼルは笑顔を凍らせ、引き攣ったように口元を閉じた。そしてこちらの視線に気づくと、悲しみを濁したようなバツの悪さを隠しきれない、何とも言えぬ顔をした。

「ちが……え、と……ムースー、今のは、」

「……!」

 トラに大きな隙が出来た。

 ムースーは痛む体を瞬時に起こし、後の事も考えず、魔獣体に転化した。
 コンディションは最悪だった。魔力は反撃ではなく自己回復に向かっていたし、転化にも二秒ほど時間を取ってしまった。それでも大カンガルーはその丸太のような尻尾で体を支え、強靭な後足の脚力で、ぼんやりとしたジゼルの胸下を蹴り倒した。

「……っ!」

 確かな手ごたえがあった。いままでにない実感が胸をよぎる。
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