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糸3
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夏なのに真冬のように寒い。ナナフシに会いに行きたい。母さんと手を繋ぎたい。館へ帰りたい――。そうキイトが思った時、何者かが勢いよく水路へ飛び込み、覆いかぶさって来た。
首に温かい唇が寄せられ、糸切り歯で糸が切られる。水中越しでも聞こえる、糸が断ち切られる音。イトムシの糸を切れるのは、イトムシだけ……。
(母さんだ! 母さんが、来てくれた……)
酸欠で混濁していた意識が、再び浮き上がる。
キイトが、いつの間にか閉じていた目を開けると、目前にぎらりと光る、母の力強い夜の目があった。その目を受け、灯されたようにキイトの目も輝き、夜を取り戻していく。
首の糸をが切られたことで、水が容赦なく喉へと滑り込んでくる。しかしキイトは、肺と吐糸管を意識的に絞り、水を防いだ。
(母さんが糸を切ってくれる……母さんの邪魔をしちゃいけない)
キイトは息を止めると、ヒノデが糸を切りやすいように一度水路へと沈んだ。キイトの意思は通じ、すぐにヒノデが追いかけきて、体の糸を水中で噛み切っていく。
水路へと縫い付けようとする糸が全て切られると、ヒノデは水の中からキイトを抱き起した。
「キイト、もう大丈夫よ。私がいるわ」
「っふ……う」
キイトは水路から抱き上げてもらうと、意識で制御していた肺も吐糸管も、放り投げるように自由にさせた。とたんに荒い息と、跳ね返えるように吐糸管が引きつる。
ぜいぜいと騒がしい呼吸音の中、キイトの耳に母の声が聞こえた。
「あなたは本当に強いイトムシ。よく頑張ったわ」
「……かあさん」
水路で冷やされきった指に、母の熱い手が重なって来る。
キイトは強い腕に運ばれ、ぐっしょりと濡れたまま、渇いた地面にそっと寝かされた。
寝かされたキイトは人間たちに囲まれ、宮臣に顎を掴まれ、首の傷を見られた。次に口を開けられ、出血の原因を調べられる。イトムシにとって、口の中を探られるのは酷く不快なことだが、体も頭も重く、抵抗する力は残っていなかった。
「喉は無事だ。血は唇だな」
「……」
ふと、キイトの視界から母の姿が消えた。不安になり探すと、宮守の間から水路へと戻った母が見えた。
母は水路から何かをすくい上げている、しかし、それを握り潰すように掴んだ母の顔は険しく、なんだか苦しそうに見えた。
「イトムシ・キイトをすぐに休養室2へ、人払いをしろ」
宮臣が、宮守と宮使いたちに指示を出している中、国王が母と何事か話しをしている。キイトの位置からでは二人の顔は見えない。
キイトは、口の痛みも手足の痺れもそのままでいいから、二人の元へ行きたかった。しかしすぐに、宮守に抱きかかえられ、庭から運ばれてしまった。
○○○○○
灰色と青色で整えられた部屋。その部屋のベッドに腰かけ、キイトは手当を受けていた。
手当をしてくれているのは、灰色のドレスを着た、女の宮使いだ。
濡れた服を着替え終えたキイトは、首に巻かれていく包帯を無意識に数えながら、考えた。
(一回、二回、三回……、あれは、誰の糸? 知らないイトムシ? イトムシは殺し合いをしないんじゃなかったの? 僕を殺そうとした? イトムシは仲間じゃないの?)
殺されかけたショックと恐怖で、自分の身に起こったことが整理しきれない。キイトの目がさざめき、不安の波が浮かぶ。
(わからない、いやだ、こわい)
キイトの指が、シーツを握りしめる。
そんな、神経が高ぶり気が静まらないキイトを見つめ、宮使いの女がそっとキイトの切れた唇へと、薬を塗り始めた。
薬は、唇の内側にも塗られ、甘味の含んだ味が広がるにつれ、キイトに不思議な眠気がやって来た。
(ねむい……つかれた)
頭がぼんやりとする。不安や恐怖が遠ざかっていく。
女は、こくりと傾ぐキイトの頭を優しく支え、そっと横に寝かせた。
キイトがうっすらと目を開くと、女のドレスの袖が、眠りの蝶のようにひらひらと目の前をよぎって行く。
(きみ、庭にいた蝶? 付いて来たの?)
キイトが眠りに就くのを嫌がり、何度も瞬きをしていると、その瞼に灰色の蝶が舞い降りた。
蝶は、軽やかな重さで、しかし、抵抗できないよう抑えてくる。女の手から甘い香りがする。
「お休みください。イトムシ様」
灰色の蝶が優しく語りかけて来る。
起きたら蝶を捕えて、あの庭へ逃がしてやろう。眠りへと落ちる前に、キイトはそう思った。
どのくらい眠ったのだろうか。目覚めたキイトがうとうととしていると、コツコツと向かって来る足音が聞えた。何人だろう誰だろう。高い天井を見上げ考えていると、そこに夢の残滓が、灰色の翅でよぎった。
(灰色の蝶、思い出した。僕、あの水路で……)
冷たい水、首に巻かれた糸、噛み切った唇の痛み――キイトはそれらを思い出しながら、手を伸ばして灰色の蝶を捕まえようとした。しかしその指が捕えたのは、温かい人間の手だった。
「わ、あれ? なんで?」
指の先を飛んでいた蝶は消え、その手を掴んだまま身を起こした。ずきりと頭が痛む。扉が開く音がして、誰かが入って来た。
「キイト、起きていたの。具合はどう?」
母の声に顔を向けると、ヒノデに続き、宮臣、国王、そして宮守が部屋へと入って来た。
「たったいま、お目覚めになりました」
女の声に顔を戻すと、ベッド脇に灰色のドレスを着た女の宮使いが座っていた。さらにその手は、キイトに握られている。
キイトはぽかんとしたまま、女の手を放した。夢と現実が混ざり合い、不思議な心地だ。
女はそんなキイトへと、秘密めいた笑みを向け、皆に一礼し部屋を出て行ってしまった。代わりにヒノデがキイトのそばへとやって来て、傷の具合を確かめはじめた。
首に温かい唇が寄せられ、糸切り歯で糸が切られる。水中越しでも聞こえる、糸が断ち切られる音。イトムシの糸を切れるのは、イトムシだけ……。
(母さんだ! 母さんが、来てくれた……)
酸欠で混濁していた意識が、再び浮き上がる。
キイトが、いつの間にか閉じていた目を開けると、目前にぎらりと光る、母の力強い夜の目があった。その目を受け、灯されたようにキイトの目も輝き、夜を取り戻していく。
首の糸をが切られたことで、水が容赦なく喉へと滑り込んでくる。しかしキイトは、肺と吐糸管を意識的に絞り、水を防いだ。
(母さんが糸を切ってくれる……母さんの邪魔をしちゃいけない)
キイトは息を止めると、ヒノデが糸を切りやすいように一度水路へと沈んだ。キイトの意思は通じ、すぐにヒノデが追いかけきて、体の糸を水中で噛み切っていく。
水路へと縫い付けようとする糸が全て切られると、ヒノデは水の中からキイトを抱き起した。
「キイト、もう大丈夫よ。私がいるわ」
「っふ……う」
キイトは水路から抱き上げてもらうと、意識で制御していた肺も吐糸管も、放り投げるように自由にさせた。とたんに荒い息と、跳ね返えるように吐糸管が引きつる。
ぜいぜいと騒がしい呼吸音の中、キイトの耳に母の声が聞こえた。
「あなたは本当に強いイトムシ。よく頑張ったわ」
「……かあさん」
水路で冷やされきった指に、母の熱い手が重なって来る。
キイトは強い腕に運ばれ、ぐっしょりと濡れたまま、渇いた地面にそっと寝かされた。
寝かされたキイトは人間たちに囲まれ、宮臣に顎を掴まれ、首の傷を見られた。次に口を開けられ、出血の原因を調べられる。イトムシにとって、口の中を探られるのは酷く不快なことだが、体も頭も重く、抵抗する力は残っていなかった。
「喉は無事だ。血は唇だな」
「……」
ふと、キイトの視界から母の姿が消えた。不安になり探すと、宮守の間から水路へと戻った母が見えた。
母は水路から何かをすくい上げている、しかし、それを握り潰すように掴んだ母の顔は険しく、なんだか苦しそうに見えた。
「イトムシ・キイトをすぐに休養室2へ、人払いをしろ」
宮臣が、宮守と宮使いたちに指示を出している中、国王が母と何事か話しをしている。キイトの位置からでは二人の顔は見えない。
キイトは、口の痛みも手足の痺れもそのままでいいから、二人の元へ行きたかった。しかしすぐに、宮守に抱きかかえられ、庭から運ばれてしまった。
○○○○○
灰色と青色で整えられた部屋。その部屋のベッドに腰かけ、キイトは手当を受けていた。
手当をしてくれているのは、灰色のドレスを着た、女の宮使いだ。
濡れた服を着替え終えたキイトは、首に巻かれていく包帯を無意識に数えながら、考えた。
(一回、二回、三回……、あれは、誰の糸? 知らないイトムシ? イトムシは殺し合いをしないんじゃなかったの? 僕を殺そうとした? イトムシは仲間じゃないの?)
殺されかけたショックと恐怖で、自分の身に起こったことが整理しきれない。キイトの目がさざめき、不安の波が浮かぶ。
(わからない、いやだ、こわい)
キイトの指が、シーツを握りしめる。
そんな、神経が高ぶり気が静まらないキイトを見つめ、宮使いの女がそっとキイトの切れた唇へと、薬を塗り始めた。
薬は、唇の内側にも塗られ、甘味の含んだ味が広がるにつれ、キイトに不思議な眠気がやって来た。
(ねむい……つかれた)
頭がぼんやりとする。不安や恐怖が遠ざかっていく。
女は、こくりと傾ぐキイトの頭を優しく支え、そっと横に寝かせた。
キイトがうっすらと目を開くと、女のドレスの袖が、眠りの蝶のようにひらひらと目の前をよぎって行く。
(きみ、庭にいた蝶? 付いて来たの?)
キイトが眠りに就くのを嫌がり、何度も瞬きをしていると、その瞼に灰色の蝶が舞い降りた。
蝶は、軽やかな重さで、しかし、抵抗できないよう抑えてくる。女の手から甘い香りがする。
「お休みください。イトムシ様」
灰色の蝶が優しく語りかけて来る。
起きたら蝶を捕えて、あの庭へ逃がしてやろう。眠りへと落ちる前に、キイトはそう思った。
どのくらい眠ったのだろうか。目覚めたキイトがうとうととしていると、コツコツと向かって来る足音が聞えた。何人だろう誰だろう。高い天井を見上げ考えていると、そこに夢の残滓が、灰色の翅でよぎった。
(灰色の蝶、思い出した。僕、あの水路で……)
冷たい水、首に巻かれた糸、噛み切った唇の痛み――キイトはそれらを思い出しながら、手を伸ばして灰色の蝶を捕まえようとした。しかしその指が捕えたのは、温かい人間の手だった。
「わ、あれ? なんで?」
指の先を飛んでいた蝶は消え、その手を掴んだまま身を起こした。ずきりと頭が痛む。扉が開く音がして、誰かが入って来た。
「キイト、起きていたの。具合はどう?」
母の声に顔を向けると、ヒノデに続き、宮臣、国王、そして宮守が部屋へと入って来た。
「たったいま、お目覚めになりました」
女の声に顔を戻すと、ベッド脇に灰色のドレスを着た女の宮使いが座っていた。さらにその手は、キイトに握られている。
キイトはぽかんとしたまま、女の手を放した。夢と現実が混ざり合い、不思議な心地だ。
女はそんなキイトへと、秘密めいた笑みを向け、皆に一礼し部屋を出て行ってしまった。代わりにヒノデがキイトのそばへとやって来て、傷の具合を確かめはじめた。
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