イトムシ    〜 幼少期〜

夜束牡牛

文字の大きさ
91 / 119

指の傷5

しおりを挟む

「しっかり聞くのよ、キイト」
「っ……」

 母の声が耳元で聞こえた。
 抱き寄せられた時に、頭の後ろを掴まれるようにされた。耳の後ろで、ぎゅっと力のこもる母の指が、痛いほどだ。

「あなたはまだ、母の元に帰って来てはダメ。
まだ学ばなくてはいけない。……小石丸様は厳しく怖い方だけど、あなたが恐れる事はない。何故なら、キイトは強いから。強いイトムシだから。いまはまだ、じっと耐えるのです。悲しい事も苦しい事も」

 キイトの涙が、母のドレスに吸われていく。
 優しい心臓の音が聞こえる。

「キイトが言っていること、良く分かるわ。
追放者はみな、美しく愛しい。母さんもあの生き物たちが、たまらなく好きです。……イトムシは追放者に、無条件に親愛を感じるの。同じ夜の生き物だから。
……だから悲しいの。大好きな者を、送っていかなくちゃいけないから辛いの」
「……同じ夜の生き物。……つらい」

 キイトが感じていた苦しみが、言葉になって胸に落ちる。

「そうよ、あの子達に会うと傍にいたくなる。けど、ずっと傍にはいられない。
彼らは昼に追放された夜の生き物。どんなに時間をかけても、どんなに苦しませても、夜の楽園に送るの。
ムシは追放された者に、容赦なく罰を与える。追放されたとはいえ、夜の奥方の民に罰を与えるのは、ことわりが違うわ。ムシの罰は、それこそ、私たちが送る際に与えてしまう痛みよりも、残酷なものです。
だから私たちは、どんなに辛くても悲しくても、糸を使い、あの美しい体を壊すのです。いいわね」

 キイトはじっとしたまま答えない。
 ヒノデはかまわず続けた。

「……あなたは一度ムシを呼びました。それは他のイトムシには出来なかった事。キイトが特別なイトムシである証明よ。素敵ね。いまはまだ、どの条件でどうやって呼べたのか、私にも分かりません。でも、あなたならその内わかるわ」
「……ムシはあまり好きじゃない」

 キイトが拗ねたような、甘えたような仕草で、母の腕にぐいぐいと額を押し付ける。
 ヒノデはその額を捉え、泣き止んだ赤い目を覗いた。
 二人の視線が交わる。ヒノデが微笑んだ。

「いまはね。……でも、もしかしたらムシたちにも親愛を感じ、互いに良い関係を築けるかもしれないわ。いつだって、今と違う事が起きるもの」
「……」

 キイトはじっと考えた。母がそう言うならば、なるほど、好きになれるかもしれない。

「それに、キイトは人間とも、良い関係を築けるでしょう」

 ヒノデはキイトから体を離し、棟に肘をかけると、通りを見下ろした。

「館士兵は気持ちの良い人ばかり。水館は無口な好奇心の塊。宮の人間はどこまでも真面目で、面白い」

 ヒノデが下の人間たちを観察しながら、誘うように言うが、キイトは覗こうとはしない。
 下を覗いていたヒノデが、何かを見つけたように首を傾げた。

「……あら? ヤモリが菊と喧嘩をしている。随分威勢の良いヤモリがいたのね。ヌーが止めにはいったわ、危ないから放って置けばいいのに……。菊はまわりを見ないで暴れるから、あぁ、ほら、危ない」
「っ! だめ、助けなきゃ!」

 キイトの脳裏に、菊の逞しい腕にやすやすと投げ飛ばされるヌーが想像できた。慌てて棟に手を着くと、下へと身を乗り出す。

「あれ?」

 しかし下の通りでは、ワッカに背を蹴られている菊、それを眺める深山、人が戻りはじめ、馬の移動をするイチヤに、手伝おうとして馬に嫌がれられるヌーが見えた。
 平穏を取り戻した風景。
 馬に嫌われてはいるが、ヌーは無傷だ。
 キイトはじっと下を見て、次いで横を見た。母が頬杖を着き、こちらを眺めている。

「……」
「……」
「……あの」
「嘘です」

 ヒノデが、桜色の唇を少し上げて言う。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ 

さら
恋愛
 会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。  ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。  けれど、測定された“能力値”は最低。  「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。  そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。  優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。  彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。  人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。  やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。  不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。

捨てられた王妃は情熱王子に攫われて

きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。 貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?  猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。  疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り―― ざまあ系の物語です。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

【完結】傷モノ令嬢は冷徹辺境伯に溺愛される

中山紡希
恋愛
父の再婚後、絶世の美女と名高きアイリーンは意地悪な継母と義妹に虐げられる日々を送っていた。 実は、彼女の目元にはある事件をキッカケに痛々しい傷ができてしまった。 それ以来「傷モノ」として扱われ、屋敷に軟禁されて過ごしてきた。 ある日、ひょんなことから仮面舞踏会に参加することに。 目元の傷を隠して参加するアイリーンだが、義妹のソニアによって仮面が剥がされてしまう。 すると、なぜか冷徹辺境伯と呼ばれているエドガーが跪まずき、アイリーンに「結婚してください」と求婚する。 抜群の容姿の良さで社交界で人気のあるエドガーだが、実はある重要な秘密を抱えていて……? 傷モノになったアイリーンが冷徹辺境伯のエドガーに たっぷり愛され甘やかされるお話。 このお話は書き終えていますので、最後までお楽しみ頂けます。 修正をしながら順次更新していきます。 また、この作品は全年齢ですが、私の他の作品はRシーンありのものがあります。 もし御覧頂けた際にはご注意ください。 ※注意※他サイトにも別名義で投稿しています。

処理中です...