巡る季節に育つ葦 ー夏の高鳴りー

瀬戸口 大河

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夏至【partⅡ】

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 海斗にはっきりと意識が戻ってきたのは病院のベッドに運ばれてしばらく経ってからだった。海斗は競泳水着の上から貸し出し用と思われる白地に青ストライプ柄のパジャマを着せられていた。どこかの大きな病院だろうか。窓の外からは高層ビルが見える。目を開けると顧問と医者がベッドわきに立っているのがはっきりと見えた。海斗が目を大きく見開くと二人は「あっ」と口を開き、石のように固まった表情が解放されたように一気に緩んだ。
「海斗、お前大丈夫か。本当に驚いたんだからな」
 顧問が頬を緩ませ、優し気な表情で声を掛ける。顧問のいつになく安心した表情を見て、海斗は気恥ずかしい気持ちになった。
「山下先生。また助けられちったよ」
 いつも敬語を使っている海斗も安心感で思わず子どもらしい言葉づかいをした。顧問も嫌な顔はせず笑顔でうなずいていた。
 すると、笑顔で顧問とのやり取りを見守っていた医者がやっと口を開いた。
「海斗君、とにかく無事で安心したよ。山下先生は救急車からずっと付き添ってくれて、海斗君にずっと付きっきりだったんだよ。ところで自分の名前と生年月日を覚えているかい」
 医者の業務的であるが、どこか心のこもった問いかけに海斗は答えた。
「夏木海斗です。生年月日は平成十五年の八月二十三日です」
 海斗ははっきりと覚えていた。
「病院に運ばれるまでの記憶はあるかい?」
 医者は続けざまに質問する。
「確か部活中に頭が急に痛くなって。あと吐き気も。先生の声は聞こえていたけど返事できるような状態じゃなくて。先生から横になるように言われて。横になってからはずっと意識が朦朧としてまして。救急車に乗ってからは眠っていたのか気を失っていたのかはわかりませんが覚えていません」
 海斗は丁寧な言葉で細かく説明した。
「そうですか。最後に一つ。今日は何日かわかるかい?」
「六月二十三日です」
「そうだね。ちゃんと記憶はあるみたいだね。記憶障害というのは脳の機能にも関係あるが、現代の子どもは大変なことが多いからね。学校や友達付き合い、家族関係なんかが悩みの種で過度のストレスで急激な頭痛とともに記憶喪失をするなんてこともよくあるんですよ」
 きっと海斗は医者の事情を知っていいるような言い方に勘ぐった。顧問には家が貧乏だと話したことはある。きっと医者が原因はストレスかもしれないと口にし始めたから、顧問も仕方なく答えたといったところなのだろうと海斗は勝手に納得した。
「山下先生、海斗君と少しだけ二人にさせていただいてもいいですか」
「ええ。私は海斗君のご家族に連絡をしてきますので」
 顧問は真剣な表情を見せながら低い声で足早にその場を去っていった。丁寧な言葉遣いも相まって一層、風格があった。海斗は普段の学校での温和で柔らかい対応の顧問とは違う、貫禄のある振る舞いにかっこよさを感じていた。
 顧問が病室から立ち去ると医者は神妙な表情で話を切り出した。
「海斗君、今回の頭痛で何か思い当たることはあるかな。頭をぶたれたりしたとか」
 海斗は六月六日のプール清掃で頭を強打したことを医者に伝えた。海斗はさして気にはしていなかったが、思い当たることといえばプールの床に頭を打ったことしかなかった。
「そうだったんだね。もしかするとその件が原因かもしれないね。それが原因であれば脳や頭部に何らかの異常があると考えられるんだ。できれば今すぐにMRI検査をすることを進めたいんだけれども同意書に保護者のサインがなければいけないんだ。今ここに来てもらうことはできないかい」
「わかりました。今はスマホがないので連絡が取れないんです。また後日でもいいですか?同意書は家に持ち帰って書いてもらいます」
 正直、海斗は母親がわざわざ自分のために病院に来るなんて期待はしなかった。それに母は今日も出かけているし、同意書なんて見せたところで興味も示さないだろうと海斗は母親が自分に対して全くの無関心だし、検査など受ける金だって出してくれる訳もないしもうこのままバックレてしまおうと考えていた。
「いいですよ。じゃあこの用紙の保護者同意欄に親御さんからサインをもらってください。あともう一枚の用紙は受付に渡して支払いをしてね。もし、手持ちがない場合は後日支払うこともできるので受付のお姉さんに伝えてください。今日は気を付けて帰ってくださいね。顧問の先生を呼んできます」
「はい。今日はありがございました」
 医者は海斗に軽く会釈をしながら病室を出て行った。顧問が来までの間、海斗は病室を見回す。ベッド、カーテン、天井、床のすべてが白基調で無機質な印象を受ける病室に差し込む夕日の橙色をただ眺めながら感傷に浸った。部屋を染める暖色に目をやる海斗の耳に扉を二回、甲高くノックする音が刺さった。すると海斗の返事を待たずに、顧問が勢いよくドンと扉を開けて入ってきた。
「海斗、どうだった」
 熱く燃えたぎった目には怒りがこもっており、鈍く低い声色が海斗の耳を殴打するような衝撃を与えた。海斗は今にも火を吹きそうな顧問の顔を直視できなかった。
「いろいろ聞かれましたけどそう大したことではないようです。MRIを取ったほうがいいと勧められたので後日また検査を受けにきます」
 海斗の返答を聞いても顧問の表情は変わらない。
「そうか。海斗の家に電話したけど弟さんが出てな。お母さんが不在だと言っていたんだ。仕事をしてるのかと聞いてみたらいつもどこかに遊びにいっているっていうじゃないか。」
 話しながら顧問の眉間に鋭い亀裂が入る。海斗は返す言葉を持ち合わせていなかった。
「海斗は入部するとき俺に言ってたよな。家にお金がなくて入部を決めかねていると。あれは嘘だったのか」
 顧問の怒りの矛先が自分に向けられていると気付いた海斗の感情は一瞬でぐちゃぐちゃに溶ける。
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