Blackheart

高塚イツキ

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世は強い者が得る

第2話

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 目が覚めた。風が枝葉を鳴らしている。カイは目をこすって見まわした。まだ夜だ。アデルはいない。
 森から人が出てきた。息が止まった。下生えを踏みつけている。ダークエルフだ。
 後ろからもう一人出てきた。また一人。ぜんぶで三人。垣根の手前に寄り集まってしゃがんだ。
 火花が小さく散った。もう一度。火をつくっている。
 カイはわれにかえった。急いで腹這いになった。屋根の反対側に身を潜める。
 棟越しにのぞく。一人が松明を灯した。一人が木板をがたがたと外した。垣根の壊れたところから空き地に入る。どれも羊飼いのような羊毛を着ている。一人は弓を肩にかけている。
 カイは気づいた。梯子は空き地側に立てかけてある。下りられない。
 弓弦が鳴った。
 矢がひゅっと笛の音を立てる。黒エルフがうめいた。娘の罵声。
「ざまみろ。糞エルフ」
 左から聞こえた。カイは思い切って頭を持ち上げた。アデルがいた。白楢の太い枝に腰かけている。短い弓を下向きに押している。
 空き地に向けて放った。今度はうめき声はしなかった。
 そうだ。カイは右手を広げた。羊飼いの笛はまだ手のひらの中にあった。
 くわえてふと思った。鳴らしたら居場所がばれる。死にたくない。
 松明の明かりが倉の陰に隠れた。土を駆ける足音。止まった。奇妙な言葉でささやき合っている。
 倉の左に炎がちらついた。反対側に隠れたらしい。カイは腹這いで棟を乗り越えた。空き地側に身を潜める。振り向いてアデルを見た。
 矢がひゅうと鳴った。白楢の幹に突き刺さった。黒エルフの反撃。アデルは立ち上がって隣の枝に飛んだ。さらに飛ぶ。太い幹の後ろに隠れた。
 大人たちはやってこない。カイは思い切って笛を鳴らした。音は小さく調子外れに響いた。こんな音で聞こえるのだろうか。もう一度吹いたほうがいいだろうか。
 アデルの頭が幹の向こうからのぞいた。
「馬鹿。下手くそ」
 矢を放った。大きく外れて木の引き車に刺さった。矢の反撃。アデルは隠れた。矢は闇に消えた。
 幹の反対側から顔を見せた。汚い言葉で罵った。少し低めの枝に飛ぶ。アデルは勇敢だ。
 足を踏み外した。つま先が跳ね上がって枝に背を打った。頭から落ちた。
 胸の悪くなる音。地面に下生えは生えていない。松明が笑いながら駆け寄る。どうしよう。梯子で下りたら見つかる。振り返って空き地の反対側を見た。北風よけの木が並んでいる。
 飛べば枝に届くだろうか。
 アデルが悲鳴を上げた。カイは向き直った。生きている。白楢の根元で黒エルフが覆い被さっている。悪さをするつもりだ。放っておけばいい。いつも豚と言って馬鹿にする。腹が減った。豚ならなにも感じないだろう。
 カイは笛を懐にしまった。急な屋根を駆け下りた。
 飛んだ。葉をくぐる。小枝が顔を裂いた。枝に片足が乗った。勢いがつきすぎた。あわてて幹に爪を立てた。
 目の前に隣の木の枝があった。勢いのまま飛んだ。
 今度は足りない。腕を伸ばす。枝が肘に当たった。両腕でしがみつく。枝葉ががさがさぱちぱちと音を立てる。必死でしがみつく。勢いで足が跳ね上がってほとんど逆さまになった。
 揺り返す。必死でぶら下がる。アデルが叫んだ。カイはなんとなく笑った。豚がお姫様を助けるつもりでいる。
 揺れが落ち着いた。下を見る。高い。足を折るかもしれない。
 目の前に低い枝があった。カイは左足を伸ばした。右足を幹に乗せて踏ん張る。木靴ががりっと樹皮をこすった。アデルが泣き叫んでいる。
 足が届いた。左手を離して幹を抱いた。右足を踏ん張る。左足がしっかりと枝を踏んだ。
 右手で元の枝をつかんだ。右足で踏ん張りながらぐいと押した。両手で幹にしがみつく。右足も枝に乗った。体はまだ斜めに傾いている。左手を伸ばして引き寄せる。右手をたぐる。少しずつ体を起こしていく。アデルの悲鳴。
 ようやくまっすぐ立てた。息が上がっている。下を見る。これくらいなら平気だ。思い切って飛んだ。
 地面を踏んだとたん膝ががくんと折れた。顎を強く打った。じんと痺れる。我慢して立ち上がる。少しふらついた。
 幹に寄りかかって見まわす。先に松明の明かりが見えた。黒エルフが二人。もう一人は死んだのだろうか。うずくまりながらせわしなくうごめいている。アデルの激しい息づかいが聞こえる。
 カイは幹の陰から飛び出した。倉の裏側の壁に貼りついた。右から空き地にまわりこもう。歩くたびにがさがさと下生えが鳴る。できるだけ足音を殺す。
 壁の陰から空き地をのぞいた。黒エルフが仰向けで寝ていた。頭に矢が刺さっている。一撃で仕留めたのだ。死体の向こうに白楢が見える。一人はこちらに背を向けてアデルに覆い被さっている。一人は松明を手に見物している。アデルは泣いている。間に合わなかった。
 カイは飛び出した。死体にかぶりついてまさぐった。腰帯をつかむ。短剣の鞘がぶら下がっている。
 引き抜いた。やぶれかぶれで突進した。
 見物しているほうが振り返った。あわてて松明を捨てた。肩にぶら下げた鞘を外す。明かりが地面に落ちて黒エルフの顔が闇に沈んだ。長い耳に青い顔。切れ長の目。こいつらはどこから来るんだ。
 カイはわめきながらやっているほうの背中に体当たりした。短剣の柄に手応えを感じた。
 別の黒エルフが髪をつかんだ。地面に突き飛ばした。カイは急いで上体を起こした。短剣がない。背に刺さったままだ。
 黒エルフはゆっくりと剣を抜いた。頬を歪めて笑っている。剣を振りかぶった。死ぬ。
 蹄の音が聞こえた。黒エルフは垣根のほうを見やった。どんどん近づいてくる。
 思い出したように向き直った。急いで剣を振り下ろした。
 アデルが脇腹に体当たりした。黒エルフはよろめいた。剣の切っ先が地面を打った。手から落ちる。アデルは下になにも着けていなかった。濃い毛が一瞬見えた。
 カイはわれにかえった。刺したほうの黒エルフはぐったりしている。目の前に剣が落ちている。手を伸ばす。
 黒エルフがカイの手を踏んだ。アデルを突き飛ばした。蹄の音が地に響く。
 白馬が垣根の向こうの道を駆け抜けていった。乗り手の長い髪がなびく。
 女騎士が呼ばわった。
「やれ。眠らせろ」
 カイは声で気づいた。主人のベアトリーチェだ。父さんを買った領主様。
 空き地に男たちがなだれ込んできた。村の大人ではない。松明と剣を手にした戦士が三人。白いローブを着た男があとにつづく。
 ローブの男は奇妙な言葉を叫びながら黒エルフを指さした。黒エルフはなにが恐ろしいのか森に向かって逃げ出した。
 垣根の壊れたところを抜ける。馬が引き返してきた。主人は剣を掲げながら黒エルフの目の前を駆け抜けていった。黒エルフはよろめいた。
 人魂のような靄がどこからか漂ってきた。黒エルフの頭を包み込む。両の腕を振りまわしている。必死でもがきつづける。
 腕が垂れた。垣根の向こうにどさりと消えた。
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