Blackheart

高塚イツキ

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偽りの絆

第7話

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 暑い夏になった。魔物は城にもやってきた。相も変わらず豚顔オーク大鬼オーガーダークエルフ。ベアはセルヴを隊長に任命した。冒険者を三班に分けて一日じゅう見張った。信頼できる者を領内の村や町、街道に派遣した。民百姓を訓練する。鍬も立派な武器になる。
 王からの贈り物は毎週のようにやってくる。食糧に反物、銀貨。置き場に困るほどだ。いまや中庭は鶏小屋の様相、だがおかげで新鮮な卵が食える。小麦は練って乾燥麺にした。樽に詰めて倉で保管する。一年はもつ。
 噂を聞きつけた冒険者がどんどんやってくる。ただ飯食らいに乱暴者、手癖の悪い者。強い者に弱い者。扱いはセルヴに任せている。冒険者に対する偏見は消えていた。いまはそれどころではない。十七になる練習をしなければならない。化粧をするたび虚しさがつのる。
 モディウスから書簡が届いた。至急邸宅まで来るべし、王の招集がかかった、云々。ベアは冒険者十二人を連れてフラニアの町に向かった。
 雑草まみれのブドウ畑を行進する。四角い畑と棚の畝が先の小丘まで広がっている。一帯は無事だった。魔物もじつは酒飲みで、収穫の時期を待っているのかもしれない。
 愛馬の隣をカイが歩いている。飯を入れた袋を長剣ロングソードにくくりつけて担いでいる。水筒の酒をあおる。唾を吐く。いっぱしの大人気取りだ。ロベールを殺した。女の味を知った。効果がありすぎた。アデルはよく泣いている。乱暴なことをやっているらしい。子ができる気配はない。
 ついでにこちらを避けているふしがある。女に見えはじめたということだろう。
 ベアはさりげなく話しかけた。
「勉強もしているか」
「本はまだ読めません。字がわかっても、中身が頭に入ってこないんです」
「わたしの騎士は頭もよくなければ務まらん。強いだけなら獣と一緒だ」
「はい、ご主人様」
 ベアはさらに言いかけて、やめた。やはり百姓の子なのか。
 あぜ道を上る。冒険者に混じって牛が二頭、荷車を牽いている。銀貨の詰まった木箱をどっさり積んでいる。フラニアは重要な港町、落とすわけにはいかない。南の湾はいまのところ無事。漁も行っている。北には囲壁がない。年明けに壕を掘るよう命じた。
 丘を上りきる。向こうもブドウ畑だ。草を刈ったあとの大地の白、垣根の深い緑、作業小屋の灰。夏の陽光を浴びて色を濃くしている。窪地の先には三角屋根が幾層も立ち並んでいる。町の手前には線のような壕が横に伸びている。壕の向こう側には掘り返した土を高く盛ってある。よじ登ってきたところを槍で刺す。土手に見張りがいくつか立っている。
 ブドウ畑を抜けて急ごしらえの橋に着いた。壕の向こうに巻き上げ機が据わっている。木材を三角に組み上げただけの単純なつくり。鎖を引くと橋が上がる。いちおうの守りはできた。
 おそるおそる橋を渡った。隙間だらけだが橋の役目は果たしている。巻き上げ機の下をくぐり抜ける。鉄を打つ音がそこここで聞こえる。土手に差し掛けた門番小屋から男が顔を出した。すすけた顔で愛想よく笑った。
 土手の向こうは広場のようにひらけていた。丸い鍜治小屋が増えている。鍛冶屋が素っ裸で石台の前にあぐらをかいている。槌を振るって赤い錬鉄を鍛える。女子供は地べたにすわって山積みの鉱石を選り分けている。別の女は柄のない剣の刃を羊毛の敷物に並べている。鶏もたくさんうろついている。
 ベアは先を見た。掘っ立て小屋が増えて目抜き通りらしきものができている。まっすぐ南に延びている。半年前はほとんど更地だった。人も多くいる。銀貨があれば栄える。単純な話。
 広場に冒険者を集める。民は副伯の姿に気づいて仕事の手を休める。ベアは満足のうちに見まわした。貧しいフラニアに鉄と木があふれている。これが領主の本来の務めなのだ。
 右手に真新しい高炉が立っていた。矢倉に上った男が上の穴から木炭を入れている。
 ベアは男に話しかけた。
「おい、今度はどこから仕入れた。こんなに鉄を買えたのか」
「北から船が来たんですよ。商人ってのは耳ざといですから。王の銀貨のにおいを嗅ぎつけたんですな」
「また銀貨を持ってきた。どんどん買ってくれ。ところでわたしは十七に見えるか」
「女神様のようにおきれいだが、大人の女です。乙女になるなんざ無理な話だ」
 みなが笑った。飯もしっかり食えているようだ。
 広場を抜けて通りに入る。カイは鍛冶屋の男たちをにらみつけては喧嘩を売った。鍛冶屋は屈強だ。平然と見つめ返す。唾を吐いて仕事に戻る。カイはせせら笑いを返して酒をあおった。通りを見まわし獲物を探す。顔がかわいいだけのちんぴらさん。

 愛馬を修道院の厩舎に預けた。冒険者たちと連れ立ってモディウスの居館に向かう。日は中天から強く照りつける。一杯やりたいだろうが顔合わせに付き合ってもらう。
 モディウスは玄関前の木陰に据えた座椅子にすわっていた。いつもの寝間着のような白い羊毛を着ている。
 大儀そうに立ち上がった。手を前に組んで出迎える。
「すぐヌーヴィルに向かってくれ。それから巡礼者が来ている。悪い脚を引きずり引きずりカサからやってきた。奇跡は起こせるかね」
「化粧すらしていません」
 冒険者たちを紹介する。セルヴら古参の連中を連れてきた。剣の腕は一級品、ヌーヴィルには無事たどり着けるでしょう。暗殺などの心配は万に一つもないのでご安心を。モディウスは気のない様子で挨拶に応じた。もう少し愛想を見せてもいいはずだ。聖女が道半ばで倒れたら遠征もなにもない。そして責任を負うのは言い出しっぺのモディウスだ。
 組合の倉に荷車を運ぶようセルヴに指示した。隊長が号令をかける。ぞろぞろと引き返していく。手綱を取って牛を動かす。フラニアの修道院は王の銀貨を狙っている。いまも僧服姿の男が二人、遠巻きにこちらを見ている。
 カイが後ろを通り過ぎた。残すべきだろうか。王に会う前にいろいろ話して聞かせる必要がある。恋人として。
 背に呼びかけた。カイは立ち止まって横顔を見せた。不機嫌な若者の顔。
「しばらく口づけの練習をさぼっている。今日から特訓だ」
「何度かしたからだいじょうぶです」
「百姓の娘で満足なのか。聖女は口づけ以外にもいろいろと知っているぞ」
「ぼくも百姓ですから。ご主人様とは、お遊びです。本気じゃないんだ」
 カイは目を伏せた。切なげに。ベアは胸に両手を重ねた。少女のように高鳴る。若い痩躯が二十五の女を求めている。背丈は同じくらいになった。力のほうはどうだろう。
 微笑みかけた。練習がてら。
「あなたが好きになった。アデルと別れて」
 カイは眉を上げた。すぐに表情を引き締める。戸惑った様子で主人をにらみつける。どうせ演技。すべては演技。
 背を向けた。走って師匠に追いついた。
 モディウスが腕に触れた。
「たしかに貴人の顔だな。司教として手助けしてやれると思うよ」
「ロベールは種なしでした。おそらく兄のほうも」
 居館に向かう。毛皮を着た女がぽつんと残っていた。ケッサだ。目を丸くして口の端を持ち上げている。愛嬌たっぷりのうさんくさい笑み。
「ついにあたしの出番が来た。奇跡なら任せて。脚が治ったらいくらくれる?」
「どうするつもりかは知らんが、主塔の地下でおまえの略奪品を見つけた。軍資金にする」
 ケッサの頬が引きつった。
「聖女様はあたしを大事にしなきゃいけないの。聖都に行ったこともあるし、神殿で〈黒き心〉も見た。歯痛がひどくて思わず剣先をかじり取っちゃった。虫歯に触って」
 大きく口を開けた。こんな女と話している暇はない。ベアは口の中に指を入れた。虫歯とやらを探る。ケッサはちがうと首を振った。べろで指を導く。
 ケッサが親指を立てた。指を抜く。よだれを拭おうとして気づいた。これで奇跡が起きるのならわざわざ聖都を攻める必要はない。〈黒き心〉の献納も必要ない。フラニアは栄えるだろう。よだれによって。
 なぜいままで黙っていた。
 ケッサは顔を赤くして身もだえした。
「聖女様があたしの口の中をいじくりまわした。感じちゃった」
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