37 / 61
愚者の構え
第5話
しおりを挟む
聖堂の扉が閉じた。カイは溜めていた息を吐き出した。体じゅうから冷たい汗が噴き出る。劇は終わった。なんとかやりおおせた。二度とやりたくない。鬼の棍棒を頭に食らうほうがはるかにましだ。
王とベアが東の戸口に入った。イーフとジョイスがつづく。前室には兵士以外だれもいない。横長で床は珊瑚色、櫟の長椅子を壁際にしつらえてある。壁から天井まで色鮮やかな絵画であふれている。光輪を纏う聖人、天使、働く民、地獄の悪魔。カイはまた股間を硬くした。ベアは本気で求めてきた。あんなに大勢の人たちの前で。抱きたい。熱いベアの中に入れたい。今夜、旅籠の寝室に忍び込もう。まずは酒を飲みながら話す。見つめ合ううちに高まってくる。じゃれ合いながら寝床に入る。触れただけで果ててしまいそうだ。
カイは無理やり気を引き締めた。愚者の構え。フラニアの田舎者は馬鹿で疑うことを知らない。王の計画どおり事は運んでいる。
戸口を抜けて身廊に入った。歩を速めながら見まわす。靴底が涼しげに石を打つ。とにかく広い。広場にいるようなものだ。両の脇に列柱が並ぶ。幹は天に伸び、枝のように広がって隣の柱と出会う。丸いアーチをかたちづくる。さらに高い窓から日の光が射し込んでいる。カイは自然と天を仰ぎ見ていた。天井も高い。絵画と浮き彫りで白と金に輝いている。ぜんぶでいくらかかったのだろう。なんのために。
さりげなく追いついた。王はまっすぐ東に向かっている。先に亡霊がいくつも漂っていた。祭壇に光の雨が注いでいる。金の天使が炎のように乱舞している。高笑いが堂に響き渡った。あの亡霊は宮廷の男たちだろう。
イーフが振り返って言った。
「また背が高くなったな。ところで最近、都のあちこちで幽鬼が出る。人に取り憑き、悪事をそそのかすのだそうだ。わたしにも取り憑いた。昨晩のことだ。いや、貴重な経験をした」
カイは曖昧にうなずいた。この人は嘘つきだ。
王が横顔を見せた。ベアより背が低い。
「それにしてもなんて化粧だ。だが十七に見えるぞ」
「ありがとうございます、陛下」
「虫歯のせいで台本を書き直す羽目になった。モディウスは気が狂ったわけではなかったようだな。まさに神の導き、遠征では大いに役に立つだろう」
「ご存じなかったのですか」
「なぜわたしが知っている。王にも知らんことはある。おい、兄弟よ。わたしの演技はどうだった」
先にいる若い男が答えた。
「民と同様、わたしも思わずもらい泣きしてしまいましたよ、陛下」
宮廷の者たちが拍手を送る。イーフも馬鹿みたいに手を鳴らしている。
ベアがさりげない調子で振り向いた。おっとりと首をかしげる。カイはうなずきで答えた。愚者の構え。ちゃんと承知している。
「騎士をお貸しくださりありがとうございます、陛下。立派に率いてご覧にいれます」
「すまんがみな断ってきた」
ベアはうろたえる。
「王令は、絶対なのではありませんか」
「慣例ではそうだが、みな問題を抱えている。例の魔物だ。おまえを聖女と認めてから突然増えはじめた。領地を守ってこその領主、訴えを無碍にはできなかった」
「三十の冒険者で聖都は落とせません」
「たしかにそうだ。では都に残れ。いたずらに命を落とすことはない。しばらくわたしのそばにいろ」
東の先に主祭壇が浮かび上がった。祭壇の後ろには彫刻の壁が立ちはだかっている。炎の天使の正体だ。壁のせいで後陣はまったく見えない。
交差部に出る。祭壇の前に豪華な椅子が一脚据わっている。臣下の者が毛皮をかけた。王の椅子だ。カイは馬鹿者のように口を開けて天井を見上げた。身廊の天井よりさらに高い。四つの天窓から光が注いでいる。王弟がこちらを見て鼻で笑った。
王は椅子にすわって両の足を投げ出した。少女が二人、壺と盥を持ってきた。男の格好をしている。王が手を差し出す。一人が壺から手に注ぐ。一人が盥で受け止める。水は薔薇の香りがする。
少女の横顔を見て気づいた。男だ。どちらも金の髪を女みたいに伸ばしている。都会の流行りだろうか。
王は手を振って水滴をはじいた。太った商人風の男が酒樽を積んだ車を引いてやってきた。若者が杯を持ってあとにつづく。へこへこと王に挨拶して去っていった。
みなに杯がまわる。緑色の硝子でできている。王は樽を指さした。大きな指輪が二つ、指の根元に食い込んでいる。
「好きにやってくれ。グリニーのカイン殿も。あまり阿呆のように見上げるな。王の御前だぞ」
「失礼いたしました、陛下」
「男前だな。いくつだ」
「十七でございます、陛下」
カイは面を上げた。はじめて目が合った。ぞっとした。猛獣の目だ。彫刻の壁の向こうに後陣の丸窓がひらいている。王の頭上で太陽が輝いている。
とりあえず酒樽に寄った。蛇口の栓を抜いて注ぐ。ひと口飲む。うまいに決まっている。
王のまわりに寄り集まった。王は上機嫌で杯を傾けた。
「聖女殿。聖ピラヌス衆の代表がおまえと結婚したがっている。例の一番手の男だ。いい暮らしができるぞ。フラニアはわたしに任せろ。隠居爺のモディウスも、王がつけば心強いだろう」
「フラニアは、わたしの故郷でございます。身命を賭して守り抜くと父に誓ったのです」
「あの商人は好みではないか」
「どうか帰国のご許可を。わたしにはわかりません。なぜ、このような話に」
王は肘掛けをたたいた。不機嫌そうに何度も。
「遠征には行かん、邦に帰りたい、では通らんだろう。そもそも聖女云々はおまえらの案だ。どれだけのカネをかけたかわかっているのか」
「では東に向かいましょう。見事〈黒き心〉を奪還してみせましょう」
「ならん。わたしといろ。ところで贈り物はどこだ。まさか手ぶらではないだろうな」
ベアは王を見つめる。王は丸い目をぎらつかせた。
「なんだ、その顔は」
「わが冒険者は忠義に厚く、強者ぞろいでございます。千の兵をもってしても贈り物を奪うことはかなわないでしょう。嘘だと思われるのであれば、旅籠に兵をよこせばよろしい」
無礼な物言い。田舎者は我慢が利かない。王はジョイスを見た。ジョイスはイーフを見た。
全員の目がカイに向いた。王は虫を払うように手を振った。
「聖女と話がある。おまえは帰れ。遊びにいけ。都は楽しいぞ」
「主人の護衛につきたく存じます、陛下」
「なにが護衛だ。わたしがおまえの主人になにかをするとでも思っているのか」
「ですが、陛下」
王は左を見た。手招きする。
男がやってきた。灰色の髪に口髭。年寄りのわりに優雅な歩きぶりだ。全身黒を纏っている。細い剣を佩いている。
「わたしの剣術の師範、バルビエ殿だ。ちょうど従者を欲しがっていた。二人で話をしろ」
南の袖廊から聖堂を出た。群衆は解散していた。代わりに屋台が建ちはじめていた。娘が籠を抱えて卵を売り歩いている。
バルビエが歩きながら肩に手をまわした。乾かした糞のようなにおいがする。
「主人が女では、なにかとやりづらいだろう。身だけでなく心も女になってしまう」
「これからどうなるんですか」
「おまえはわたしの世話をする。たまに殿方の相手もしてもらう。気に入りになるにはな、まず嫌がってみせることだ。事がはじまったら、次第に気持ちよくなってきた、といったふりをする。女のように叫んでもいい。次からは恥じらいながらもまんざらではないといった態度を取る。あのときの興奮が忘れられない、自分はもしかしたら女なのかもしれない、と」
カイはできるだけ平然と振り返った。自分と同じ年くらいの男が四人ついてくる。どれも金の髪に女のような顔をしている。王の手を洗った少年二人を思い出した。男の娼婦など聞いたことがない。
「ぼくは、東に向かいます。主人と二人ででも」
「気持ちはわかるが、そのような話はそもそもなかったのだ。気の毒だったな。明日また会おう。今夜は都を楽しめ」
肩から手を離した。従者とともに引き返す。カイは拍子抜けして立ち尽くした。ただの脅しか。明日捕まえに来るのか。ベアから遠ざけたかっただけか。
ベアの読みは当たっている。なにも知らない田舎の馬鹿者だと思い込んでいる。
広場に人が増えてきた。派手に着飾った男たちが歩きながら話をしている。梱を担いだ荷運びが屋台の裏手に荷を積む。旅の者に都の住人。百姓もうろついている。卵売りの娘はかんばしくない。ひとつも売れていない。
アデルが小走りにやってきた。コートがついている。子豚を一匹脇に抱えている。カイは気づけば歩み寄っていた。都会で知った顔を見つけるとほっとする。
卵売りの娘があいだに割り込んできた。そばかすの浮いた顔でカイに微笑んだ。
「卵はいかが? 新鮮なので生でもいけるんですよ」
アデルは娘を押し退けた。カイの肩越しに見やりながら言った。
「さっきの人だれ? ベアは?」
「王に捕まった。騎士の招集も、遠征も、ぜんぶ嘘だった。ベアは都の商人と結婚するらしい」
「世の中っていやなところね。旅籠に行きましょう。王様が用意してくれたんだって」
カイは振り返った。バルビエと従者が袖廊の玄関前に控えている。こちらを見ている。残っていたらベアに迷惑をかける。
「卵はいかがですか? そちらの妹さんも」
連れ立って広場を出た。通りはさらに人だらけだった。ほとんど押し分けながら進む。埃っぽい空気に薔薇のにおいが入り交じっている。聖女の話がほうぼうから聞こえてくる。説教師が遠くで怒鳴っている。魔女だ、異端だ、癒やしを受けた者も同罪だ。服屋ばかりがつづいた。店先に女が群がっている。通りのど真ん中で足台に乗った男が呼びかける。旅の人は幸運だ、うちは今日で店じまい、絹の着物がただみたいに安いよ。紅色の着物、王家御用達だよ。通りざま話しかけてきた。そちらのお嬢さんにおひとついかが? 式の日取りはいつだい? アデルがさっと振り返った。カイは無視して通り過ぎた。ざわめきと薔薇の香りで頭が痛い。木の一本も見かけない。こんなところでよく暮らせる。
若い男が三人、カイとアデルのあいだを無理やり抜けていった。一人がわざとカイに肩をぶつけた。アデルが小さく叫んだ。別の男が尻をなでた。
後ろ向きに歩きながら冷やかしの声を上げる。一人が木の実を投げた。カイは我慢した。都を出るまで騒ぎは起こさない。なにかが起きたらすべて王の差し金だと思え。
アデルが腕を抱いた。目でなにかを問いかけてくる。
「帯が欲しいな。ぶかぶかの羊毛を着てるの、わたしだけ」
「師匠から銀貨をもらって買いに来ればいい。いくらするのかは知らないけど」
「あんたもついてきて。ねえ、わたしたち、フラニアに帰るんだよね? また村で暮らすのかな。城には戻れないから」
「ベアが心配じゃないのか」
「もちろん心配よ。だけど」
コートが口を挟んだ。
「おまえらには、悪いことをした」
カイは振り返った。愚者の構え。
「なんの話ですか、悪いことって」
「王は、ケッサの恋人を人質に取ったんだ。はじめからフラニアの港を欲しがってた。悪いとは思ったが、黙ってた」
「そうだったんですか」
「おれたちにはおれたちの人生がある。おまえらにもおまえらの人生がある。旅は終わりだ。アデルと故郷に帰れ」
「ベアはすぐにでも発ちますよ。悪いと思うならついてきてください。強い人が必要なんです」
「どうやって都を出るつもりだ」
コートはいつもケッサと一緒だった。どうしていまになってひとりにするのだろう。王は虫歯を欲しがっている。わかりきったことなのに。
ベアは言った。都に入ったらだれひとり信じるな。愛するわたし以外は。
王とベアが東の戸口に入った。イーフとジョイスがつづく。前室には兵士以外だれもいない。横長で床は珊瑚色、櫟の長椅子を壁際にしつらえてある。壁から天井まで色鮮やかな絵画であふれている。光輪を纏う聖人、天使、働く民、地獄の悪魔。カイはまた股間を硬くした。ベアは本気で求めてきた。あんなに大勢の人たちの前で。抱きたい。熱いベアの中に入れたい。今夜、旅籠の寝室に忍び込もう。まずは酒を飲みながら話す。見つめ合ううちに高まってくる。じゃれ合いながら寝床に入る。触れただけで果ててしまいそうだ。
カイは無理やり気を引き締めた。愚者の構え。フラニアの田舎者は馬鹿で疑うことを知らない。王の計画どおり事は運んでいる。
戸口を抜けて身廊に入った。歩を速めながら見まわす。靴底が涼しげに石を打つ。とにかく広い。広場にいるようなものだ。両の脇に列柱が並ぶ。幹は天に伸び、枝のように広がって隣の柱と出会う。丸いアーチをかたちづくる。さらに高い窓から日の光が射し込んでいる。カイは自然と天を仰ぎ見ていた。天井も高い。絵画と浮き彫りで白と金に輝いている。ぜんぶでいくらかかったのだろう。なんのために。
さりげなく追いついた。王はまっすぐ東に向かっている。先に亡霊がいくつも漂っていた。祭壇に光の雨が注いでいる。金の天使が炎のように乱舞している。高笑いが堂に響き渡った。あの亡霊は宮廷の男たちだろう。
イーフが振り返って言った。
「また背が高くなったな。ところで最近、都のあちこちで幽鬼が出る。人に取り憑き、悪事をそそのかすのだそうだ。わたしにも取り憑いた。昨晩のことだ。いや、貴重な経験をした」
カイは曖昧にうなずいた。この人は嘘つきだ。
王が横顔を見せた。ベアより背が低い。
「それにしてもなんて化粧だ。だが十七に見えるぞ」
「ありがとうございます、陛下」
「虫歯のせいで台本を書き直す羽目になった。モディウスは気が狂ったわけではなかったようだな。まさに神の導き、遠征では大いに役に立つだろう」
「ご存じなかったのですか」
「なぜわたしが知っている。王にも知らんことはある。おい、兄弟よ。わたしの演技はどうだった」
先にいる若い男が答えた。
「民と同様、わたしも思わずもらい泣きしてしまいましたよ、陛下」
宮廷の者たちが拍手を送る。イーフも馬鹿みたいに手を鳴らしている。
ベアがさりげない調子で振り向いた。おっとりと首をかしげる。カイはうなずきで答えた。愚者の構え。ちゃんと承知している。
「騎士をお貸しくださりありがとうございます、陛下。立派に率いてご覧にいれます」
「すまんがみな断ってきた」
ベアはうろたえる。
「王令は、絶対なのではありませんか」
「慣例ではそうだが、みな問題を抱えている。例の魔物だ。おまえを聖女と認めてから突然増えはじめた。領地を守ってこその領主、訴えを無碍にはできなかった」
「三十の冒険者で聖都は落とせません」
「たしかにそうだ。では都に残れ。いたずらに命を落とすことはない。しばらくわたしのそばにいろ」
東の先に主祭壇が浮かび上がった。祭壇の後ろには彫刻の壁が立ちはだかっている。炎の天使の正体だ。壁のせいで後陣はまったく見えない。
交差部に出る。祭壇の前に豪華な椅子が一脚据わっている。臣下の者が毛皮をかけた。王の椅子だ。カイは馬鹿者のように口を開けて天井を見上げた。身廊の天井よりさらに高い。四つの天窓から光が注いでいる。王弟がこちらを見て鼻で笑った。
王は椅子にすわって両の足を投げ出した。少女が二人、壺と盥を持ってきた。男の格好をしている。王が手を差し出す。一人が壺から手に注ぐ。一人が盥で受け止める。水は薔薇の香りがする。
少女の横顔を見て気づいた。男だ。どちらも金の髪を女みたいに伸ばしている。都会の流行りだろうか。
王は手を振って水滴をはじいた。太った商人風の男が酒樽を積んだ車を引いてやってきた。若者が杯を持ってあとにつづく。へこへこと王に挨拶して去っていった。
みなに杯がまわる。緑色の硝子でできている。王は樽を指さした。大きな指輪が二つ、指の根元に食い込んでいる。
「好きにやってくれ。グリニーのカイン殿も。あまり阿呆のように見上げるな。王の御前だぞ」
「失礼いたしました、陛下」
「男前だな。いくつだ」
「十七でございます、陛下」
カイは面を上げた。はじめて目が合った。ぞっとした。猛獣の目だ。彫刻の壁の向こうに後陣の丸窓がひらいている。王の頭上で太陽が輝いている。
とりあえず酒樽に寄った。蛇口の栓を抜いて注ぐ。ひと口飲む。うまいに決まっている。
王のまわりに寄り集まった。王は上機嫌で杯を傾けた。
「聖女殿。聖ピラヌス衆の代表がおまえと結婚したがっている。例の一番手の男だ。いい暮らしができるぞ。フラニアはわたしに任せろ。隠居爺のモディウスも、王がつけば心強いだろう」
「フラニアは、わたしの故郷でございます。身命を賭して守り抜くと父に誓ったのです」
「あの商人は好みではないか」
「どうか帰国のご許可を。わたしにはわかりません。なぜ、このような話に」
王は肘掛けをたたいた。不機嫌そうに何度も。
「遠征には行かん、邦に帰りたい、では通らんだろう。そもそも聖女云々はおまえらの案だ。どれだけのカネをかけたかわかっているのか」
「では東に向かいましょう。見事〈黒き心〉を奪還してみせましょう」
「ならん。わたしといろ。ところで贈り物はどこだ。まさか手ぶらではないだろうな」
ベアは王を見つめる。王は丸い目をぎらつかせた。
「なんだ、その顔は」
「わが冒険者は忠義に厚く、強者ぞろいでございます。千の兵をもってしても贈り物を奪うことはかなわないでしょう。嘘だと思われるのであれば、旅籠に兵をよこせばよろしい」
無礼な物言い。田舎者は我慢が利かない。王はジョイスを見た。ジョイスはイーフを見た。
全員の目がカイに向いた。王は虫を払うように手を振った。
「聖女と話がある。おまえは帰れ。遊びにいけ。都は楽しいぞ」
「主人の護衛につきたく存じます、陛下」
「なにが護衛だ。わたしがおまえの主人になにかをするとでも思っているのか」
「ですが、陛下」
王は左を見た。手招きする。
男がやってきた。灰色の髪に口髭。年寄りのわりに優雅な歩きぶりだ。全身黒を纏っている。細い剣を佩いている。
「わたしの剣術の師範、バルビエ殿だ。ちょうど従者を欲しがっていた。二人で話をしろ」
南の袖廊から聖堂を出た。群衆は解散していた。代わりに屋台が建ちはじめていた。娘が籠を抱えて卵を売り歩いている。
バルビエが歩きながら肩に手をまわした。乾かした糞のようなにおいがする。
「主人が女では、なにかとやりづらいだろう。身だけでなく心も女になってしまう」
「これからどうなるんですか」
「おまえはわたしの世話をする。たまに殿方の相手もしてもらう。気に入りになるにはな、まず嫌がってみせることだ。事がはじまったら、次第に気持ちよくなってきた、といったふりをする。女のように叫んでもいい。次からは恥じらいながらもまんざらではないといった態度を取る。あのときの興奮が忘れられない、自分はもしかしたら女なのかもしれない、と」
カイはできるだけ平然と振り返った。自分と同じ年くらいの男が四人ついてくる。どれも金の髪に女のような顔をしている。王の手を洗った少年二人を思い出した。男の娼婦など聞いたことがない。
「ぼくは、東に向かいます。主人と二人ででも」
「気持ちはわかるが、そのような話はそもそもなかったのだ。気の毒だったな。明日また会おう。今夜は都を楽しめ」
肩から手を離した。従者とともに引き返す。カイは拍子抜けして立ち尽くした。ただの脅しか。明日捕まえに来るのか。ベアから遠ざけたかっただけか。
ベアの読みは当たっている。なにも知らない田舎の馬鹿者だと思い込んでいる。
広場に人が増えてきた。派手に着飾った男たちが歩きながら話をしている。梱を担いだ荷運びが屋台の裏手に荷を積む。旅の者に都の住人。百姓もうろついている。卵売りの娘はかんばしくない。ひとつも売れていない。
アデルが小走りにやってきた。コートがついている。子豚を一匹脇に抱えている。カイは気づけば歩み寄っていた。都会で知った顔を見つけるとほっとする。
卵売りの娘があいだに割り込んできた。そばかすの浮いた顔でカイに微笑んだ。
「卵はいかが? 新鮮なので生でもいけるんですよ」
アデルは娘を押し退けた。カイの肩越しに見やりながら言った。
「さっきの人だれ? ベアは?」
「王に捕まった。騎士の招集も、遠征も、ぜんぶ嘘だった。ベアは都の商人と結婚するらしい」
「世の中っていやなところね。旅籠に行きましょう。王様が用意してくれたんだって」
カイは振り返った。バルビエと従者が袖廊の玄関前に控えている。こちらを見ている。残っていたらベアに迷惑をかける。
「卵はいかがですか? そちらの妹さんも」
連れ立って広場を出た。通りはさらに人だらけだった。ほとんど押し分けながら進む。埃っぽい空気に薔薇のにおいが入り交じっている。聖女の話がほうぼうから聞こえてくる。説教師が遠くで怒鳴っている。魔女だ、異端だ、癒やしを受けた者も同罪だ。服屋ばかりがつづいた。店先に女が群がっている。通りのど真ん中で足台に乗った男が呼びかける。旅の人は幸運だ、うちは今日で店じまい、絹の着物がただみたいに安いよ。紅色の着物、王家御用達だよ。通りざま話しかけてきた。そちらのお嬢さんにおひとついかが? 式の日取りはいつだい? アデルがさっと振り返った。カイは無視して通り過ぎた。ざわめきと薔薇の香りで頭が痛い。木の一本も見かけない。こんなところでよく暮らせる。
若い男が三人、カイとアデルのあいだを無理やり抜けていった。一人がわざとカイに肩をぶつけた。アデルが小さく叫んだ。別の男が尻をなでた。
後ろ向きに歩きながら冷やかしの声を上げる。一人が木の実を投げた。カイは我慢した。都を出るまで騒ぎは起こさない。なにかが起きたらすべて王の差し金だと思え。
アデルが腕を抱いた。目でなにかを問いかけてくる。
「帯が欲しいな。ぶかぶかの羊毛を着てるの、わたしだけ」
「師匠から銀貨をもらって買いに来ればいい。いくらするのかは知らないけど」
「あんたもついてきて。ねえ、わたしたち、フラニアに帰るんだよね? また村で暮らすのかな。城には戻れないから」
「ベアが心配じゃないのか」
「もちろん心配よ。だけど」
コートが口を挟んだ。
「おまえらには、悪いことをした」
カイは振り返った。愚者の構え。
「なんの話ですか、悪いことって」
「王は、ケッサの恋人を人質に取ったんだ。はじめからフラニアの港を欲しがってた。悪いとは思ったが、黙ってた」
「そうだったんですか」
「おれたちにはおれたちの人生がある。おまえらにもおまえらの人生がある。旅は終わりだ。アデルと故郷に帰れ」
「ベアはすぐにでも発ちますよ。悪いと思うならついてきてください。強い人が必要なんです」
「どうやって都を出るつもりだ」
コートはいつもケッサと一緒だった。どうしていまになってひとりにするのだろう。王は虫歯を欲しがっている。わかりきったことなのに。
ベアは言った。都に入ったらだれひとり信じるな。愛するわたし以外は。
0
あなたにおすすめの小説
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる