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愚者の構え
第9話
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ベアは風のうなり声を聞いた。神の怒り、または悪魔のささやき。天から注ぐ光が薄らいでいく。後陣の丸窓も没しようとしている。王は次第に輝きを失う。
ガモが息を切らしながら駆け込んできた。ケッサを逃がしてしまった。隊が総出で捜索している。王は探せとだけ言った。ずっと物思いに沈んでいる。いまだ空っぽの堂に留まっている。
目を上げてベアを見た。すぐに伏せた。指輪をいじる。
「おまえを信頼したい。聖女が心根の腐った謀反者をあぶり出す。王の右手よりよほど賢い使い道だ。おまえはほうぼうを旅しては民を癒やす。諸侯と会い、話す。旅の生活はいやか」
「望むところでございます、陛下」
「だがおまえに関わると魂の破滅が待ち受けているような気がする。フラニアの地も、おまえが呪ったのかもしれん」
言葉を切った。ベアは考えた。魔物の話ではないだろう。手つかずの土地。肥えた大地。港に貿易。人の欲。
「なぜ人払いをされたのですか」
「おまえがしろとけしかけたのだろう」
「弟君は残されるかと。どなたも信用されていないのですね」
「ああ。元凶はカネだ」
正直な吐露。罠かもしれない。あからさまに見せる悩ましい顔も。
「やれ水車小屋だ、土地境だ、森だ道路だ川の使用料だ。だれがどの権利を得るかでずっと調整をつづけている。家令は年代記までひっくり返している。できるかぎり平等にしたいからな。たいした諍いは起きていないが、仲裁するたび小さな恨みが降り積もっていく。わたしは盗賊団を鎮圧し、王国の平和に貢献した、上乗せがあってもいいはずだ、などと言う。幕の向こう側で」
「人の欲、でございますね」
「だがおまえのような大それた野心ではない。銀貨の音に耳を澄ましているだけだ。どれもこれも、帽子をかぶった両替屋のようにな。野心などない」
「では陛下は、わたしを信頼すべきです。陛下は野心を欲しておられる。王にたてつく男気ある騎士を」
「ああ」
「かけらを欲するのも王ご自身の欲のあらわれでございます。欲をかくとろくなことがございませんよ。さあ、出立の許可を」
男が南からやってきた。バルビエとかいう老剣士だ。糞のような老臭を放っている。
王のかたわらに立った。報告する。強者が蛮族の女を守っている。手出しができない。
「決闘で負けたのか」
「まさか。陛下、わたしは事を荒立てぬよう、自ら身を引いたまで。なにせ聖女の隊の者でございますから。なぜ王が敵対する、などと噂が立てば」
「さすがの慧眼だ。先生、すまんが蝋燭を用意してくれるか」
南に消えた。王はぎろりと目を上げた。
「女はどこにいる」
「旅籠か、監獄か。世は嘘つきの腰抜けだらけでございます。小賢しげな策を練り、王の顔色をうかがい、なぜかと問えば言い訳ばかり。もはやまっすぐ目を見て話すこともできない」
「そうだ。わが師範は色宿の経営で忙しくしている。おかげでわたしはいっこうに上達せん。これも呪いだ。銀貨の呪い。欲の呪い。なんでもいい」
両の足をだらしなく投げ出した。ベアは笑いをこらえた。駄々っ子のようだ。二十二はやはり若い。政治に倦み疲れている。いまの王に必要なのは戦だ。槍試合でもいい。刀傷の友情は銀貨の詰まった宝箱に勝る。
王の顔を探る。ここで切り出すべきか。
「陛下。ケッサを捕まえても〈黒き心〉のかけらは手に入らないでしょう」
「なぜだ」
少年が蝋燭受けを手に南からやってきた。十人ばかりが行列する。どれも愛らしい頬と金の髪をしている。噂に聞く男娼だ。ヌーヴィルにも宮廷にも悪霊が取り憑いている。おそらくこの聖堂にも。
王とベアのまわりを巡る。屈んでは蜜蝋を床に置く。蝋燭の炎が取り囲む。ベアは眉をひそめた。これでは葬式だ。王は考えごとに没頭している。気づく様子もない。
少年たちは表情なく去っていく。一人が振り返ってベアを見た。わざとだ。ささやかな反抗。密かな伝言。聖女様がぼくらを救い出してくださるにちがいない。
風もないのに炎が揺らめく。表ではさらに激しく吹き荒れている。王は騎士を招集するべきだったのだ。くだらない策謀など弄せず、心のままに。
「なぜ手に入らん。正直に言え」
「まだ玩具が欲しいのですか。嘘つきの欲たかりどもが群がると申したでしょう」
「王の宿命だ。いいから答えろ」
「いいえ。あれを持てばあなたは破滅します。必ずや」
「威厳を示せるのだ。〈黒き心〉さえあれば、諸国とも堂々と」
「笏と冠だけでは渡り合えないのですか。権利の調整など王のやることではありませんよ。すべてを召し上げ、堂々と構えておればいいのです」
「母の声が聞こえる」
日が没しようとしている。蜜蝋の明かりが死者を照らす。風がうなりを上げる。堂の壁をたたきつづける。いくら呼んでも返事はない。
クロードはケッサと並んで目抜き通りを歩いていた。旅籠を抜け出して通りに出ると例の白の布が消えていた。即席の屋台が立ち並んでいる。無数の灯籠が赤く輝く。遠くで楽の音が聞こえる。祭りは一晩じゅうつづく。
ケッサは油紙を開けてパイにかぶりついた。あちあちと口を動かす。なにも考えていないのだろう。薔薇の花びらが風に乗って宙を舞う。ひらひらと舞い降りる。大勢の者が踏みつけにしていく。
包みを差し出した。いつもの陽気な笑みで見上げる。クロードは屈んでひと口かぶりついた。中身は牛肉にタマネギ。辛みがぴりっと舌にくる。悪くない。
「あんた、男前だよね。一緒にいい暮らししない? ベアが東に発ったあと、王様が道化師にしてくれるんだって」
「なんの話だ」
「巡礼から戻ったあと、取引したの。ぜんぶ王様の罠だったんだよ。聖都を攻めてるあいだにフラニアをぶんどるの」
「きみが道化なら、コートはさしずめ熊いじめの熊だな」
「ううん。コートはおカネで雇ったただの用心棒。お勤めはヌーヴィルに着くまで」
嘘だ。コートはケッサに特別な情を抱いていた。恋心ではない。無償の奉仕だ。騎士のような。
「王はかけらが欲しいんだろう。きみではなく」
「どうやっても取り出せないの。だからあたしがそばにつくしかないの」
「そうかな」
見上げたまま目を丸くした。額に細かなしわが寄る。人はみなおのれの利しか考えていないと思い込んでいる。
「主人に仕えるのが臣下の役目だ。たとえ、どのような主人であっても。おれは以前」
いきなり駆け出した。クロードは二、三歩追いかけて止まった。座台にすわった足萎えの前にしゃがんでいる。よだれを足に塗りつける。
そろそろと立ち上がった。悲鳴のようなどよめきが起きる。ケッサはけらけらと笑いながら引き返してくる。
ガモが息を切らしながら駆け込んできた。ケッサを逃がしてしまった。隊が総出で捜索している。王は探せとだけ言った。ずっと物思いに沈んでいる。いまだ空っぽの堂に留まっている。
目を上げてベアを見た。すぐに伏せた。指輪をいじる。
「おまえを信頼したい。聖女が心根の腐った謀反者をあぶり出す。王の右手よりよほど賢い使い道だ。おまえはほうぼうを旅しては民を癒やす。諸侯と会い、話す。旅の生活はいやか」
「望むところでございます、陛下」
「だがおまえに関わると魂の破滅が待ち受けているような気がする。フラニアの地も、おまえが呪ったのかもしれん」
言葉を切った。ベアは考えた。魔物の話ではないだろう。手つかずの土地。肥えた大地。港に貿易。人の欲。
「なぜ人払いをされたのですか」
「おまえがしろとけしかけたのだろう」
「弟君は残されるかと。どなたも信用されていないのですね」
「ああ。元凶はカネだ」
正直な吐露。罠かもしれない。あからさまに見せる悩ましい顔も。
「やれ水車小屋だ、土地境だ、森だ道路だ川の使用料だ。だれがどの権利を得るかでずっと調整をつづけている。家令は年代記までひっくり返している。できるかぎり平等にしたいからな。たいした諍いは起きていないが、仲裁するたび小さな恨みが降り積もっていく。わたしは盗賊団を鎮圧し、王国の平和に貢献した、上乗せがあってもいいはずだ、などと言う。幕の向こう側で」
「人の欲、でございますね」
「だがおまえのような大それた野心ではない。銀貨の音に耳を澄ましているだけだ。どれもこれも、帽子をかぶった両替屋のようにな。野心などない」
「では陛下は、わたしを信頼すべきです。陛下は野心を欲しておられる。王にたてつく男気ある騎士を」
「ああ」
「かけらを欲するのも王ご自身の欲のあらわれでございます。欲をかくとろくなことがございませんよ。さあ、出立の許可を」
男が南からやってきた。バルビエとかいう老剣士だ。糞のような老臭を放っている。
王のかたわらに立った。報告する。強者が蛮族の女を守っている。手出しができない。
「決闘で負けたのか」
「まさか。陛下、わたしは事を荒立てぬよう、自ら身を引いたまで。なにせ聖女の隊の者でございますから。なぜ王が敵対する、などと噂が立てば」
「さすがの慧眼だ。先生、すまんが蝋燭を用意してくれるか」
南に消えた。王はぎろりと目を上げた。
「女はどこにいる」
「旅籠か、監獄か。世は嘘つきの腰抜けだらけでございます。小賢しげな策を練り、王の顔色をうかがい、なぜかと問えば言い訳ばかり。もはやまっすぐ目を見て話すこともできない」
「そうだ。わが師範は色宿の経営で忙しくしている。おかげでわたしはいっこうに上達せん。これも呪いだ。銀貨の呪い。欲の呪い。なんでもいい」
両の足をだらしなく投げ出した。ベアは笑いをこらえた。駄々っ子のようだ。二十二はやはり若い。政治に倦み疲れている。いまの王に必要なのは戦だ。槍試合でもいい。刀傷の友情は銀貨の詰まった宝箱に勝る。
王の顔を探る。ここで切り出すべきか。
「陛下。ケッサを捕まえても〈黒き心〉のかけらは手に入らないでしょう」
「なぜだ」
少年が蝋燭受けを手に南からやってきた。十人ばかりが行列する。どれも愛らしい頬と金の髪をしている。噂に聞く男娼だ。ヌーヴィルにも宮廷にも悪霊が取り憑いている。おそらくこの聖堂にも。
王とベアのまわりを巡る。屈んでは蜜蝋を床に置く。蝋燭の炎が取り囲む。ベアは眉をひそめた。これでは葬式だ。王は考えごとに没頭している。気づく様子もない。
少年たちは表情なく去っていく。一人が振り返ってベアを見た。わざとだ。ささやかな反抗。密かな伝言。聖女様がぼくらを救い出してくださるにちがいない。
風もないのに炎が揺らめく。表ではさらに激しく吹き荒れている。王は騎士を招集するべきだったのだ。くだらない策謀など弄せず、心のままに。
「なぜ手に入らん。正直に言え」
「まだ玩具が欲しいのですか。嘘つきの欲たかりどもが群がると申したでしょう」
「王の宿命だ。いいから答えろ」
「いいえ。あれを持てばあなたは破滅します。必ずや」
「威厳を示せるのだ。〈黒き心〉さえあれば、諸国とも堂々と」
「笏と冠だけでは渡り合えないのですか。権利の調整など王のやることではありませんよ。すべてを召し上げ、堂々と構えておればいいのです」
「母の声が聞こえる」
日が没しようとしている。蜜蝋の明かりが死者を照らす。風がうなりを上げる。堂の壁をたたきつづける。いくら呼んでも返事はない。
クロードはケッサと並んで目抜き通りを歩いていた。旅籠を抜け出して通りに出ると例の白の布が消えていた。即席の屋台が立ち並んでいる。無数の灯籠が赤く輝く。遠くで楽の音が聞こえる。祭りは一晩じゅうつづく。
ケッサは油紙を開けてパイにかぶりついた。あちあちと口を動かす。なにも考えていないのだろう。薔薇の花びらが風に乗って宙を舞う。ひらひらと舞い降りる。大勢の者が踏みつけにしていく。
包みを差し出した。いつもの陽気な笑みで見上げる。クロードは屈んでひと口かぶりついた。中身は牛肉にタマネギ。辛みがぴりっと舌にくる。悪くない。
「あんた、男前だよね。一緒にいい暮らししない? ベアが東に発ったあと、王様が道化師にしてくれるんだって」
「なんの話だ」
「巡礼から戻ったあと、取引したの。ぜんぶ王様の罠だったんだよ。聖都を攻めてるあいだにフラニアをぶんどるの」
「きみが道化なら、コートはさしずめ熊いじめの熊だな」
「ううん。コートはおカネで雇ったただの用心棒。お勤めはヌーヴィルに着くまで」
嘘だ。コートはケッサに特別な情を抱いていた。恋心ではない。無償の奉仕だ。騎士のような。
「王はかけらが欲しいんだろう。きみではなく」
「どうやっても取り出せないの。だからあたしがそばにつくしかないの」
「そうかな」
見上げたまま目を丸くした。額に細かなしわが寄る。人はみなおのれの利しか考えていないと思い込んでいる。
「主人に仕えるのが臣下の役目だ。たとえ、どのような主人であっても。おれは以前」
いきなり駆け出した。クロードは二、三歩追いかけて止まった。座台にすわった足萎えの前にしゃがんでいる。よだれを足に塗りつける。
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