Blackheart

高塚イツキ

文字の大きさ
42 / 61
愚者の構え

第10話

しおりを挟む
 カイは厠に行った。豚の丸焼きは時間がかかる。
 北の端の細長い部屋に入る。床に二十ほどの穴がずらりと口を開けている。
 穴の前に立ってのぞく。下には川が流れている。股袋を下ろして構える。なるべく縁に引っかけないように垂れる。
 板張りの床がみしりと鳴った。隣に男が立った。ボーモンは竿を出してじょろじょろとはじめた。
「みんな風呂に行ったんでしょうか」
「やめておけ。都会の病気は怖いぞ。それに都遊びは虚しさがつのるだけだ」
 もちろん遊びに行く気分ではない。大部屋に戻る。ボーモンは東の出身だからか風変わりな顔をしている。鷲の鼻に小さな目。いつもきれいに剃刀を当てている。
 アデルが膝を抱いてすわっていた。旅籠に着いてからずっと考え込んでいる。
 カイに気づいて顔を上げた。媚びるような笑みをよこす。
「もうすぐ豚が焼けるって。新鮮な肉、久しぶりね」
 ボーモンは壁際に寄った。片手剣スパタを取る。腕をしならせて振る。両刃で長剣ロングソードより短い。短剣よりは長い。
「東方の兵士はこの剣を使う。ほとんどは雑魚だが、隊長となると手強い」
「ベアにはなにか、考えがあるようです。必ず〈黒き心〉を手に入れると言ってました」
「戦って死ね、って作戦かもしれないぞ。剣を取れ」
 カイは腰帯から手袋を抜いた。きっちりと嵌める。どっと疲れが押し寄せてきた。飯は朝にパンを食ったきりだ。都に入ってからは緊張のしどおしだった。
 長剣を取った。少し元気が出る。いまや相棒だ。針金を巻いた柄、丸い柄頭、刀身の鋭さと厚み、重さに長さ。すべてが手になじんでいる。
 相対する。ボーモンは右半身で構えた。左手を背に添える。右腕をゆっくりと突き出す。片手剣は垂直に立っている。
「腹が減ったか」
「はい」
「へばるまで打ってこい。小細工は無用だ。きみは才はあるが力がない。腕っぷしを鍛えるんだ」
 カイはうなずいた。上段に構える。
 右足で踏み込む。力任せに振り下ろす。ボーモンは軽く踏み込んだ。片手剣を突き上げる。
 きんと鳴った。外側にはじいた。長剣がボーモンの背中側に流れていく。
 目の前にボーモンの顔があった。すでに振り上げている。
 腹で頭のてっぺんをぶん殴った。カイはよろめいてあとじさった。目の前が暗くなった。
「力を入れて打て。きみは弱い打撃しか繰り出せない。非力で、ゆえに技に溺れているからだ。相手が人間ならすぐにばれるぞ。雑魚は受けなどできない。気迫でたたきつぶせ」
 カイは顔を上げた。間合いを計る。上段に構える。
 腰を入れて振り下ろした。ボーモンの頭を両断する。
 ボーモンは刀身を寝かせてまともに受けた。鋼鉄が激しく音を立てた。力のかぎり押す。だめだ。すでに勢いを失っている。相手は片手なのに。
 ごみでも放るように右に払った。失望の表情。カイは踏ん張った。強く柄を握る。腰を入れる。右から思い切り薙ぐ。
 ボーモンはすでに大きく踏み込んでいた。長剣の根元に刀身をぶち当てた。両手から柄がすっぽ抜けた。
 首の右に刃が触れた。アデルが悲鳴を上げた。長剣ががしゃんと床に落ちた。
 手首を返して刀身の腹で殴った。カイは顔を押さえながら引いた。頭が痛くなってきた。腹が減っている。
「剣を取れ。おれはセルヴのように甘くはないぞ」
 アデルがおずおずと口を挟んだ。
「夕飯のあとにしましょうよ。おなかが空いてるのよ」
「飯を食うのは強くなってからだ。ずっと腹を空かして生きてきたんだろう? それが強さだ。生きるために戦うんだ。百姓だったころを思い出せ」

 男がうつ伏せで横たわっている。セルヴは顎髭を掻いた。怪力自慢の染め物屋。何度も大剣で頭を殴っているうちに気絶した。
 銀貨が乱れ飛ぶ。床にしゃりしゃりと落ちる。黄色と緑を着た派手な男が次の挑戦者を求めている。兵士は戸惑っている。王は作戦を変えたようだ。祭りの余興なら死んでもだれも不審に思わない。
 とりあえず銀貨を拾った。せいぜい楽しませてやろう。カネを稼げるし目的も果たせる。
 しばらく待つと戸口から男が入ってきた。仲間が露払いをしながらやんやと持ち上げている。男は粋がって短剣をくるくるともてあそんでいる。若者倶楽部の連中か。いいとこの次男三男は家の取り決めで結婚できない。親は長男にカネを使うので騎士にもなれない。商売をはじめるか助祭にでもなるか。先が見えてくるまではああして遊び呆ける。
 いちおう対峙した。観客が期待している。セルヴは悪人面でにじった。獣の声で威嚇する。観客が沸く。
 若者が斬りかかってきた。祭りは一晩じゅうつづく。

 王が問う。
「なぜ手に入らん」
「かけらを虫歯から抜き取り、わたしが飲み込んだからです。腹を割いて取り出しますか」
 王は口の端を片方持ち上げている。疲れている。〈黒き心〉などどうでもよくなるほどに。
「嘘だな」
「わたしは嘘は申しません」
「だから嘘だと言っている。ところで、腹が減っただろう。なにか食うか。昨日の晩の砂糖漬けが残っていたな。甘い梨だぞ。好きだろう」
「素直に食べると思いますか」
「毒など盛らん。おまえが気に入った。そばに置きたい。弟とイーフにはあらためて紹介する。年金も出す」
「また嘘をつかれる。母を騙すことはできませんよ」
「嘘ではない! もう、疲れた」
 ほとんど女の悲鳴だ。にらみ合う。こちらも疲れている。〈黒き心〉などどうでもよくなるほどに。
 ベアは深く息を吐いた。
「陛下。わたしの負けでございます。かけらは差し上げましょう。フラニアも差し上げましょう。代わりにひとつだけ約束を。わたしを解放し、どうか東に向かわせてください」
 王は目を丸くして固まった。
「なんだ。いきなりどうした」
「わたしは、陛下のお役に立てると、お心を和ますことができると確信しております。ですが陛下はいまも、わたしの裡に悪魔を見ていらっしゃる。そのようなお方のおそばにつくことはできません」
「裡なる悪魔を気に入ったのだ。手下の冒険者どもをどう説得する。癒やしの技がなければだれもついてこないぞ」
「ひとりの巡礼者としてまいります。戦だけが旅ではございません」
 意外そうに眉を動かした。ゆっくりと椅子にもたれる。両の手を肘掛けに置く。顎に手を添える。真意を探っている。巡礼など嘘に決まっている。だがかけらを失った女になにができるだろう。
 聖堂の鐘が鳴った。もう九時だ。軽快な音色が連なる。二人の仲を取り持つかのように。
「縁談についてはわたしから断っておく」
「ありがとうございます、陛下」
「好きな日に発つといい。供もいくつかつけてやろう。女の一人旅は危険だ」
「陛下。どうか騙されずに。女の身でここまでやってまいりました」
「必ず守る。居場所を言え」
 ベアは聖堂を出た。強い風が吹き抜けて頬を冷やした。無数の灯籠が広場を照らしている。昼のように明るい。市は賑わっている。祭りはつづく。聖女などどこにもいないというのに。
 南に歩を進める。思わず笑みがこぼれる。ケッサは目抜き通りの魔道学院長宅にいる。クロードが連れていく。リュシアンが学院長に賄賂を渡す。魔法で姿を隠せば見つからないだろう。
 すべてを王に伝えた。明日、兵が大挙して押しかける。冒険者たちは望んだとおりに愚か者を演じてくれた。
 民が遠巻きにしている。おびえている。聖女の顔に悪魔を見ている。今日は偽りの夜。多くの悪霊が弱い心を狙っている。ベアは構わず歩きつづける。かけらなどいらない。元から王にくれてやるつもりだった。命をかけた交渉。化かし合い。王から譲歩を引き出した。旅立ちさえできればよかった。わたしは王に勝った。
 わたしは〈黒き心〉そのものを手に入れる。策などない。わたしのカイン様が戦って奪い取るのだ。愛する主人のために、命をかけて。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

処理中です...