Blackheart

高塚イツキ

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戦う理由

第6話

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 豚顔オークが柵を越えた。駆け上がってくる。五十。もっといる。手斧アックスではなく短い槍ジャベリンを持っている。
 ベアが言った。
「投げてくるかもしれん。長槍スピアの突きだと思って対処しろ。外れたやつは気にするな」
 カイは歩きながら長剣ロングソードを構えた。豚が近づく。いわば伸びる槍だ。油断するな。
 ばらばらに投げてきた。カイは立ち止まった。山なりに向かってくる。よく見ろ。
 一つが顔に迫る。長剣を左に押した。柄に当てた。流れていく。右の槍。線が外れている。気にするな。正面。頭上から落ちてくる。長剣を右に戻す。切っ先ではじいた。
 ほとんどが力なく草地に落ちた。カイは駆け下りた。豚は腰に挿した手斧をまさぐっている。豚に小細工は無用だ。思い切り振りかぶる。
 右足を突っ張った。力任せに薙ぐ。首が飛んだ。隣の豚の鼻面がちぎれ飛んだ。豚の悲鳴。群がる。ベアが戦っている。流れるような剣さばき。よそ見をするな。
 右からまわりこんできた。手斧が背中を殴った。力が弱い。新しい鎧は頑丈だ。カイは左に駆けた。立ち止まる。踵をまわして振り返る。来い。豚は皆殺しだ。

 二十の死体が草地に散らばる。残りの豚が逃げ出す。道なりに町に引き返していく。
 緑色の魔物が入れちがいでやってきた。剣を担いで二列で行進している。蜥蜴の頭に強靱な体。革鎧まで着けている。
 柵を越えて草地に入った。二十はいる。草地はほとんど平らだ。丘に引き返して迎え撃ったほうがいいかもしれない。
 男の甲高い叫び声が聞こえた。
「待て待て。待て」
 蜥蜴が立ち止まった。振り返って見上げる。門塔の頂上、ぎざぎざの狭間のあたりで黒い布が揺れていた。だれかが手を振っている。
 カイは目を凝らした。白い髪に青い顔。ダークエルフの魔道士だ。
「フラニアのベアトリーチェ。わたしはラプラドだ。お会いできて光栄だ」
「おまえなど知らんしどうでもいい」
「冷たいことを言うな。そもそもおまえら人間がわれわれを地上に呼び出したのだ。〈黒き心〉の奇跡によってな。おまえらは自らの手で滅びようとしているのだ」
 ベアと顔を見合わせた。
「おい小僧、おまえの魂を知っているぞ。大悪魔イヴォーク様はおまえを欲しておられる。黒き心が宿る美味な魂だ。強くなったか。剣術は楽しいか。町を返してほしいか。ならば竜人リザードと一騎打ちしろ」
「全員でかかってこい」
「それでは死んでしまうだろう。さあ、破滅に向かって突き進むがよい。竜人、進み出ろ。カサ金貨で五枚やるぞ。女には手を出すなよ。もったいないから」
 竜人が諍いをはじめた。カネが好きなようだ。
 殴り合いのすえ一匹が進み出た。反り返った巨大な片手剣を手にしている。見たことがない剣だ。
 ベアがささやいた。
「刃は表だけだ。師匠の教えを忘れるな。おまえの秘技は強力だぞ」
 カイは顔を寄せて口づけした。甘い死を味わう。ベアは笑いながら顔を軽く突き飛ばした。右に離れていく。
 竜人が目の前に仁王立ちする。構えもしない。頭一つ分も高い。肩幅が広く胸も分厚い。恐ろしい。だがこれこそが生だ。戦え。勝ってベアを手に入れろ。
 両の腕をいっぱいに押し出した。切っ先が蜥蜴の顔に向く。竜人はひるまない。なにも考えていないからか。大鬼のように。
 左手で邪険に押しのけた。カイはすばやく巻いて再び顔に向けた。蜥蜴の口が歪んだ。笑っている。知が宿っている。
 カイは右足で踏み込んだ。軽く突く。竜人は一歩引いた。餓鬼を相手にふざけるように。左足を踏み出す。突く。竜人はさらに引く。右足を出す。じれてきた。はやく殺してしまえ。
 左足を引いて右の踵に添えた。右半身で右足を大きく踏み出す。胸を突く。半身になったぶん間合いは狭くなった。だが的は小さくなった。
 竜人はようやく曲刀シミターを持ち上げた。虫でも払うように横に振った。刀身の内側にぶつけた。がちんと鳴った。切っ先が右に逃げる。力は大鬼ほどではない。
 カイは逆らわずに右の肩を入れた。刀身を右下に寝かせる。同時に左足を寄せる。刃どうしが離れていく。
 右足で踏み込んだ。腰を入れて突き上げる。竜人は曲刀を振り上げた。たたき落とす。来い。表刃で思い切りぶち当てろ。
 もろに打ち合った。鋼鉄が鳴る。肩が落ちそうになった。剣を放すな。
 十字に組み合う。裏刃が首の右に触れている。うまくいった。竜人は押しつぶす。カイは左足を引いた。左手を目いっぱい押し上げる。竜人はさらに押す。首に裏刃が食い込んでいく。
 思い切り振り下ろした。斬った。深い手応え。傷口から血があふれ出る。うがいのような叫び声を上げた。左に曲刀が落ちていく。カイはすでに右の腰に構えている。
 腰を入れて薙いだ。首を両断する。竜人が反応した。下ろしたばかりの曲刀がなめらかに円を描く。体の前でまわすようにして振り上げる。剣士の動きだ。
 鋼鉄が勢いよくぶつかった。曲刀が長剣をはじき飛ばした。表刃が竜人の鶏冠をかすめて左に流れた。
 振りが強すぎて体ごと左に傾いた。竜人はすでに流れの中で振り上げていた。まずい。
 曲刀を振り下ろした。右の腰骨を打った。重い衝撃。どくんと胸が揺れた。鎧が守ってくれた。だが砕けたかもしれない。
 カイは草地に這いつくばった。急いで振り返る。竜人が一歩踏み出した。歩幅が大きい。
 曲刀を持ち上げる。逃げるな。間に合わない。カイはごろりと仰向けになった。右手で長剣の切っ先を握る。受け止めろ。
 たたき落とした。曲刀がぶち当たった。長剣がたわむ。力のかぎり押し返す。もう少しで自分の喉を押し斬るところだった。
 竜人が右足を持ち上げた。剣ごと胸を踏みつけた。息があらかた漏れ出る。苦しい。まずい。竜人は曲刀を逆手に持ち替えた。切っ先が顔に向く。カイはもがいた。処刑だ。重い。死ぬ。
 蜥蜴顔を見る。カイは気づいた。隙だ。さっさと殺せばいいのに。右手で切っ先を強く握る。痛くない。左手は柄頭を握っている。顎を引いて顔を背ける。うまくいけ。
 長剣を思い切り持ち上げた。足と革鎧のあいだから刀身が抜けた。刃が左のこめかみをかすめた。新しい手袋が役に立った。
 竜人が切っ先を落とした。カイは右手で柄を握った。左手は柄頭。寝転んでいても基本は同じだ。外側で受けろ。ただ受けてはだめだ。
 カイは両の腕を押し出した。長剣を真上に突き上げる。一瞬激しくこすれた。外側に当てた。曲刀の線が顔の右に流れる。カイは同時に突いている。
 曲刀の刃が右手の親指をかすめた。痛い。だが甲斐はあったようだ。
 突いた。喉に突き刺さる。骨に当たった。目いっぱい振り上げる。喉を裂いて顎の骨で止まった。手首を返してえぐる。
 引き抜く。血があふれ出る。死んだか。
 頭の右に曲刀が当たった。返す刀で振ってきた。痛みを無視する。刃のない裏側で殴っただけだ。竜人は口を閉じて歯を食いしばっている。猫の目が怒りに燃えている。まだ生きている。曲刀を高々と持ち上げた。だがすぐに死ぬ。急所を傷つけた。おまえは勝った。急いで離れろ。
 竜人の喉から血が噴き出た。足の戒めが緩む。カイは転がって血の雨から逃げた。
 起き上がって片膝を立てた。とたんにがくりと前のめりになった。右足がおかしい。力が入らない。顔を上げて竜人を見る。
 曲刀が手から落ちた。仰向けにどうと倒れた。ようやく死んだ。足が利かない。
 膝に手をついて無理やり立ち上がった。息をつく。力が入らない。右の親指がじんじんと痛む。頭が割れそうだ。やはり兜をかぶったほうがいいのか。
 ラプラドが手を振りまわして叫んだ。
「次はだれだ。金貨五枚だぞ。その男を絶望の淵に追い詰めろ」
 ベアが進み出た。右腕をしならせて長剣を振る。子を守る母。
「どれでもいい。来い」
「決闘するのは男のほうだ」
「勝手に決めるな。わたしが死ねば困るのだろう? なぜかは知らんが、好都合だ」
 竜人に詰め寄る。竜人は迷っている。振り返ってラプラドを見上げた。
「よそ見をするな。男を狙え」
 ベアは竜人の間合いに入った。歩きながら振り下ろす。鋭い斬撃。竜人は思わずといった調子で受け止めた。ベアは押す。竜人は上に突き飛ばした。
 跳ね上がりの勢いを使って頭上で櫂を漕いだ。左から右にまわす。腰を入れて薙ぐ。
 喉が裂けた。血が噴き出す。竜人は死なない。曲刀を振り上げる。ベアはすでに左肩の上で構えていた。切っ先がまっすぐ顔に向いている。
 右足で踏み込む。猫の目を突き刺す。抜く。竜人は前のめりに倒れた。
 次の竜人に迫る。ベアは強い。そのうちいっせいに襲いかかってくる。カイは右足を持ち上げて強く地を踏んだ。動いてくれ。
 背後から怒号が上がった。カイは振り返った。冒険者たちが駆け下りてくる。ベアは見上げながら目を丸くしている。
 先頭のケッサが弓を押した。鏃を空に向ける。
 アデルも弓を構えている。どうして。
 カイは絶叫した。
「来るな。ぼくを放っておいてくれ。おまえはもういらないんだ。頼むから消えてくれ」
 だれかが手を握った。ベアが真顔でうなずく。手を取り合って丘を駆け上がる。竜人が追いかけてくる。冒険者たちは左右に分かれている。なにをするつもりだ。
 ケッサとアデルが空に向けて矢を放った。弱々しい二本の矢。背後に立つリュシアンが手のひらを突き出した。
 視界のすべてが揺さぶるように震えた。二重、三重。矢が増えていく。揺れがさらに増す。カイは口を押さえた。吐きそうだ。
 出し抜けに揺れが止まった。千の矢が音を立てて竜人に降り注いだ。次々と突き刺さる。竜人は頭をかばう。曲刀を振りまわす。
 矢は草地に落ちるや消えた。冒険者たちが左右から襲いかかる。セルヴが針の大剣エストックで突く。クロードは斧槍ハルバードの鉤を革鎧の襟首に引っかけた。押し、引く。体勢を崩す。ガモが酔っ払いのように背後を横切った。すばやく腰に短剣ダガーを埋め込んだ。竜人はうつ伏せに倒れた。別の竜人がガモに詰め寄る。ふざけた悲鳴を上げて逃げ出した。
 大鬼たちがやってきた。柵を越える。五十もいる。コートがひとり迎え撃つ。技もなにもない。ひたすら戦斧アックスを振りまわす。ボーモンは竜人と一騎打ちしている。片手剣スパタが軽やかに円を描く。受けては流す。稽古をつけているような風情だ。ガモが駆け足で横切る。竜人が倒れる。ボーモンはガモに文句をつけた。
 カイは思わずへたり込んだ。目を閉じる。アデルが駆け寄ってくる。どうしてなんだ。
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