51 / 61
戦う理由
第8話
しおりを挟む
ヨアニスは神殿の石段を上った。列柱を抜けて前室に入る。柱と屋根だけの空間に巡礼者の集団がたむろしている。胸に赤い札をつけて順番待ちをしている。〈黒き心〉について口々に話す。癒やしだけではなく幸運をももたらしてくれるらしい。ヨアニスは押し分けて進みながら笑みを浮かべた。なぜおのれだけが幸せになれると思うのだろう。
四角い門をくぐる。主室に入った。暗く、なにもない。墓場そのものだ。左右の格子窓から陽光がわずかに射し込んでいる。
ゆっくりと東に歩く。草履が白大理石の床をこする。神官たちが亡霊めいた風情で祭壇の前に立ち並んでいる。巡礼者に主の教えをぐだぐだと話して聞かせている。ほかの聖堂も詣でるようさりげなく勧める。儲けは分かち合わなければならない。
中途で立ち止まった。人を待つ。アンナと婚約して一月が経った。ヨアニスはあと二十年も生きれば御の字だ。神殿は何百年と変わらず立ちつづけている。千年以上かもしれない。人の命は儚い。だからこそ永遠を望むべきではない。剣での命のやり取り。燃え上がる一夜の愛。瞬間にこそ価値がある。出世すると恋しくなった。
婚礼の準備は進んでいる。縁者に宛てる招待状、婚資の内訳の作成、贈答品。もちろん宴会もある。席順の調整に演目決め、料理の種類と順番。業者を雇い、肉にパン、香辛料を発注する。貿易商との交渉。資金の借り入れ。魔物が二度襲来した。大いに気晴らしになった。
西からこするような足音が近づいてくる。ヨアニスはさりげなく顔を向けた。
会計役のパルミィがかたわらに立った。若くて賢く、信頼できる。
「手首が痛いと学生たちが嘆いております」
「招待状で苦労をかけているようだな」
「ゾモスから修道院長が参られました。新たな巡礼者の入都に際し、大隊長殿のご意見をうかがいたいと」
「問題があるのか」
「フラニアの副伯ベアトリーチェがやってまいりました。身分を証明できるものは持ち合わせておりませんでしたが、騙りではないでしょう。非常に美しい貴婦人でございます。流れる黒髪に白き肌、瞳は翠玉の緑、微笑みは女神も嫉妬するほどでございます。おまけに剣の腕も一級。いい男子を産むでしょう」
言葉を止めた。言いたいことはわかる。修道院長も一枚噛みたいようだ。
「なぜわざわざ名乗ったと思う」
「西の王が手をまわすことはじゅうぶん承知していたはずです。推測ですが、高貴な男子との婚姻を望まれているのではないでしょうか。身分を明かさなければ会えませんから」
ヨアニスは考えた。聖都で暮らすためにか。〈黒き心〉を奪おうとはさすがにもう考えていないだろう。西の王に引き渡せば、皇帝は多少の贈り物をいただける。
皇帝を説得する方法などいくらでもある。
「おまえの言うとおりの美しさならば、断じてフラニアの副伯ではない。天使だ」
「さようでございますね。ぜひ修道院に向かわれ、ご自身の目でお確かめください」
意味ありげに見つめてくる。うっすらと笑った。
「アンナ様との婚儀がつつがなく済みましたら、ヨアニス様は向かうところ敵なしでございます」
「取りやめたらどうなる」
「お立場を失われます。皇帝はもとより、さまざまな高官の顔に泥を塗ることとなり」
巡礼者がどっと湧いた。ヨアニスは一瞬居場所がわからなくなった。また奇跡が起きた。ふと思った。〈黒き心〉は曲がった性根も治せるのだろうか。
「ところで毒というものは、どんな味がするのかな」
「飲んだ者には聞けませんね。必ず死にますから」
「卑劣な輩が増えたものだ。取り締まらなければならない。どのようにして手に入れる」
「毒を買うのではなく、材料を買うのです。証拠は残らない」
ムーラーが近づいてきた。パルミィに目配せする。聖都の壁には耳がある。
パルミィの親しげに肩をたたいた。
「婚儀の準備をつづけてくれ。美しき巡礼者に会ってこよう。瞳と瞳が合った瞬間、主は答えを与えてくださるはずだ」
対岸の村で山羊を売った。痩せた牛を二頭買った。重い荷車を牽かせる。食糧と酒は持てるぶんだけ買った。巡礼の道をたどれば食うに困ることはないだろう。
ベアはなるべくカイのそばにいた。幽鬼が憑いていないのは二人だけ。二人は愛し合っている。ずっと思い詰めたような顔で歩いていた。しつこく右足を気にしていた。恐れがカイを飲み込んでいる。役立たずの農奴に戻りかけている。エミリーの傷は一晩で治った。道中言いたい放題のやりたい放題だった。しばらく放っておく。いまのカイに必要なのは怒りだ。
四日経った。巡礼の道を進むごとに泊まりづらくなっていった。どの集落も歓待できないほど貧しかった。修道院さえ飼い葉や麦に困っていた。ベアは修道院長と話した。貧しいのは魔物のせいではない。真に恐れるべきは人の欲だ。巡礼の手引をくれた。いわく、道中の歓待は期待するべからず。リシェで麦粉と塩を買い、行商がてら向かうべし。リシェの商人組合は大陸じゅうに手引をばらまいた。愚か者は権力者の言を信じる。次第に行商が消え、すると買い付け人も消えた。銀貨が出まわらなくなった。手引の忠告が現実になった。そうして組合は利益を独占した。聖遺物箱と引き換えにどうにか一晩の宿を得た。晩飯は日干しの川魚とキャベツの汁のみだった。高すぎる宿代。
森、そして村。再び森。三日歩いても集落に出くわさない。修道院の土産物はとうに食い尽くした。荷に乗るのは役に立たない銀貨と宝物。
八日目。ケッサが熱病に罹った。歯を抜いたせいだ。
森がひらける。死んだ村があらわれた。家屋と教会堂はそのまま残っていた。逃げ出したのだろう。みなで食い物を漁った。腐った豚の塩漬けしか見つからなかった。
十日目。囲壁が忽然とあらわれた。農村だった。井戸を借りて水を汲んでいると小娘が話しかけてきた。訛りがあった。ハーベンだかワーベンだか、とにかく大きな町に麦を供給している。村人は家畜同然の扱い、かなり悪徳が栄えているらしい。旅のお方、どうか村の者たちをお救いくださいませ。
娘の屋敷で歓待を受けた。のらりくらりとかわしながら腹いっぱい飲み食いした。久々に生き返った。土産物を持って村を出た。約束は当然守らない。
十二日目。愛馬が弱ってきた。ベアは背から下りておのれの大麦を背負わせた。村で買った塩の塊を与える。麦は全然足りない。森に放り込めば済む豚とはちがうのだ。
十五日目。森が消えた。起伏が激しく岩がちになった。よけいに力を失う。渓谷は血の川と化していた。人間の頭と四肢が無数に散らばる。串刺しになった幼子の死体が警告するように並んでいた。
昼、魔物が出た。両側面から渓谷になだれ込んできた。相も変わらず豚、豚、豚。数は五十ほど。みな疲れ切っていた。腹が減っていた。
冒険者が荷車を守る。気づけば七人になっていた。セルヴにリュシアン、ガモ、ボーモンにクロード、ケッサにコート。苦しい旅は真の関係をあぶり出す。こいつらは信頼してやってもいい。幽鬼が憑いていようといまいと。
豚顔が押し寄せる。愛する騎士とともに迎え撃つ。突き、蹴り、斬った。手斧の打撃を何度も受ける。鎖帷子は持ちこたえている。脱いだら痣だらけになっているだろう。カイはひたすら長剣を振りまわしていた。剣術を忘れている。かわいい顔が血まみれになっていく。
大鬼が崖を駆け下りてくる。五十。無理だ。ごちゃまぜになって押し込んできた。カイの袖が大きく裂けている。血を流している。ベアは気づけば命じていた。荷を捨てて退け。荷よりカイのほうが大事だなんて。まるで恋する乙女。
長剣を振りながらあとじさる。魔物どもは牛に八方から群がった。銀貨には目もくれずに食いはじめた。鋭い牙がいくつも刺さる。哀れっぽい鳴き声。こいつらも腹を空かせていたのだ。つまり先には人がいない。
息を整えながら狂餐の様子を見守る。隣にカイがいる。右足をかばって立っている。左手の指を押さえている。
「だいじょうぶか」
カイは首を振った。
「もう、無理です。足が利かない。指の先が」
「それが戦だ。ずっと五体満足でいたのは友が強かったからだ」
ベアは全身に痛みを感じた。左の脇腹がとくに痛む。冷や汗が噴き出す。息苦しい。渓谷に白い陽光が強烈に降り注いでいる。夢を見ているようだ。死は近い。
竜人が二十ほど崖を駆け下りてきた。ベアは振り返った。セルヴがケッサを背負っている。思わず声を荒げた。
「隊長。豚に背負わせろ。いまのうちに突撃するぞ」
エミリーが離れたところで叫んだ。
「いやだね。ぼくまで病気に罹る」
リュシアンが後ろ向きに歩きながら手を振った。
「みなさん、もっと離れてください。竜人も荷に用があるでしょう」
ベアはうなずいた。ガモが引き返しながらぶつくさ文句を垂れる。
「腹が減った。喉が渇いた。ついでに文なしになる。なんでついてきたんだろ」
「もっとついてこい。これから山越えだぞ」
じゅうぶん離れてから竜人に呼ばわった。
「おおい、銀貨をやる。荷車に山ほどある。見逃してくれ」
ほかの者も叫びはじめる。荷を調べろ。
怪訝そうに立ち止まった。何匹かが食事中の豚と大鬼を押し分けた。荷を調べる。
奪い合いをはじめた。ほかの竜人も群がる。豚と大鬼を斬り捨てる。同族どうしで殴り合う。
魔物の頭上に巨大な赤の方円があらわれた。草葉模様が刺繍のように縁を彩っている。波打ちながら宙をたゆたう。
赤い掛け布団がどさりと落ちた。竜人がいっせいにくずおれた。豚と大鬼が寄り集まりながら頭を預け合う。動かなくなった。盛大ないびき。
リュシアンが深々と息を吐いた。
「魔法はこれで最後です。わたしはしばらく眠れなくなる」
四角い門をくぐる。主室に入った。暗く、なにもない。墓場そのものだ。左右の格子窓から陽光がわずかに射し込んでいる。
ゆっくりと東に歩く。草履が白大理石の床をこする。神官たちが亡霊めいた風情で祭壇の前に立ち並んでいる。巡礼者に主の教えをぐだぐだと話して聞かせている。ほかの聖堂も詣でるようさりげなく勧める。儲けは分かち合わなければならない。
中途で立ち止まった。人を待つ。アンナと婚約して一月が経った。ヨアニスはあと二十年も生きれば御の字だ。神殿は何百年と変わらず立ちつづけている。千年以上かもしれない。人の命は儚い。だからこそ永遠を望むべきではない。剣での命のやり取り。燃え上がる一夜の愛。瞬間にこそ価値がある。出世すると恋しくなった。
婚礼の準備は進んでいる。縁者に宛てる招待状、婚資の内訳の作成、贈答品。もちろん宴会もある。席順の調整に演目決め、料理の種類と順番。業者を雇い、肉にパン、香辛料を発注する。貿易商との交渉。資金の借り入れ。魔物が二度襲来した。大いに気晴らしになった。
西からこするような足音が近づいてくる。ヨアニスはさりげなく顔を向けた。
会計役のパルミィがかたわらに立った。若くて賢く、信頼できる。
「手首が痛いと学生たちが嘆いております」
「招待状で苦労をかけているようだな」
「ゾモスから修道院長が参られました。新たな巡礼者の入都に際し、大隊長殿のご意見をうかがいたいと」
「問題があるのか」
「フラニアの副伯ベアトリーチェがやってまいりました。身分を証明できるものは持ち合わせておりませんでしたが、騙りではないでしょう。非常に美しい貴婦人でございます。流れる黒髪に白き肌、瞳は翠玉の緑、微笑みは女神も嫉妬するほどでございます。おまけに剣の腕も一級。いい男子を産むでしょう」
言葉を止めた。言いたいことはわかる。修道院長も一枚噛みたいようだ。
「なぜわざわざ名乗ったと思う」
「西の王が手をまわすことはじゅうぶん承知していたはずです。推測ですが、高貴な男子との婚姻を望まれているのではないでしょうか。身分を明かさなければ会えませんから」
ヨアニスは考えた。聖都で暮らすためにか。〈黒き心〉を奪おうとはさすがにもう考えていないだろう。西の王に引き渡せば、皇帝は多少の贈り物をいただける。
皇帝を説得する方法などいくらでもある。
「おまえの言うとおりの美しさならば、断じてフラニアの副伯ではない。天使だ」
「さようでございますね。ぜひ修道院に向かわれ、ご自身の目でお確かめください」
意味ありげに見つめてくる。うっすらと笑った。
「アンナ様との婚儀がつつがなく済みましたら、ヨアニス様は向かうところ敵なしでございます」
「取りやめたらどうなる」
「お立場を失われます。皇帝はもとより、さまざまな高官の顔に泥を塗ることとなり」
巡礼者がどっと湧いた。ヨアニスは一瞬居場所がわからなくなった。また奇跡が起きた。ふと思った。〈黒き心〉は曲がった性根も治せるのだろうか。
「ところで毒というものは、どんな味がするのかな」
「飲んだ者には聞けませんね。必ず死にますから」
「卑劣な輩が増えたものだ。取り締まらなければならない。どのようにして手に入れる」
「毒を買うのではなく、材料を買うのです。証拠は残らない」
ムーラーが近づいてきた。パルミィに目配せする。聖都の壁には耳がある。
パルミィの親しげに肩をたたいた。
「婚儀の準備をつづけてくれ。美しき巡礼者に会ってこよう。瞳と瞳が合った瞬間、主は答えを与えてくださるはずだ」
対岸の村で山羊を売った。痩せた牛を二頭買った。重い荷車を牽かせる。食糧と酒は持てるぶんだけ買った。巡礼の道をたどれば食うに困ることはないだろう。
ベアはなるべくカイのそばにいた。幽鬼が憑いていないのは二人だけ。二人は愛し合っている。ずっと思い詰めたような顔で歩いていた。しつこく右足を気にしていた。恐れがカイを飲み込んでいる。役立たずの農奴に戻りかけている。エミリーの傷は一晩で治った。道中言いたい放題のやりたい放題だった。しばらく放っておく。いまのカイに必要なのは怒りだ。
四日経った。巡礼の道を進むごとに泊まりづらくなっていった。どの集落も歓待できないほど貧しかった。修道院さえ飼い葉や麦に困っていた。ベアは修道院長と話した。貧しいのは魔物のせいではない。真に恐れるべきは人の欲だ。巡礼の手引をくれた。いわく、道中の歓待は期待するべからず。リシェで麦粉と塩を買い、行商がてら向かうべし。リシェの商人組合は大陸じゅうに手引をばらまいた。愚か者は権力者の言を信じる。次第に行商が消え、すると買い付け人も消えた。銀貨が出まわらなくなった。手引の忠告が現実になった。そうして組合は利益を独占した。聖遺物箱と引き換えにどうにか一晩の宿を得た。晩飯は日干しの川魚とキャベツの汁のみだった。高すぎる宿代。
森、そして村。再び森。三日歩いても集落に出くわさない。修道院の土産物はとうに食い尽くした。荷に乗るのは役に立たない銀貨と宝物。
八日目。ケッサが熱病に罹った。歯を抜いたせいだ。
森がひらける。死んだ村があらわれた。家屋と教会堂はそのまま残っていた。逃げ出したのだろう。みなで食い物を漁った。腐った豚の塩漬けしか見つからなかった。
十日目。囲壁が忽然とあらわれた。農村だった。井戸を借りて水を汲んでいると小娘が話しかけてきた。訛りがあった。ハーベンだかワーベンだか、とにかく大きな町に麦を供給している。村人は家畜同然の扱い、かなり悪徳が栄えているらしい。旅のお方、どうか村の者たちをお救いくださいませ。
娘の屋敷で歓待を受けた。のらりくらりとかわしながら腹いっぱい飲み食いした。久々に生き返った。土産物を持って村を出た。約束は当然守らない。
十二日目。愛馬が弱ってきた。ベアは背から下りておのれの大麦を背負わせた。村で買った塩の塊を与える。麦は全然足りない。森に放り込めば済む豚とはちがうのだ。
十五日目。森が消えた。起伏が激しく岩がちになった。よけいに力を失う。渓谷は血の川と化していた。人間の頭と四肢が無数に散らばる。串刺しになった幼子の死体が警告するように並んでいた。
昼、魔物が出た。両側面から渓谷になだれ込んできた。相も変わらず豚、豚、豚。数は五十ほど。みな疲れ切っていた。腹が減っていた。
冒険者が荷車を守る。気づけば七人になっていた。セルヴにリュシアン、ガモ、ボーモンにクロード、ケッサにコート。苦しい旅は真の関係をあぶり出す。こいつらは信頼してやってもいい。幽鬼が憑いていようといまいと。
豚顔が押し寄せる。愛する騎士とともに迎え撃つ。突き、蹴り、斬った。手斧の打撃を何度も受ける。鎖帷子は持ちこたえている。脱いだら痣だらけになっているだろう。カイはひたすら長剣を振りまわしていた。剣術を忘れている。かわいい顔が血まみれになっていく。
大鬼が崖を駆け下りてくる。五十。無理だ。ごちゃまぜになって押し込んできた。カイの袖が大きく裂けている。血を流している。ベアは気づけば命じていた。荷を捨てて退け。荷よりカイのほうが大事だなんて。まるで恋する乙女。
長剣を振りながらあとじさる。魔物どもは牛に八方から群がった。銀貨には目もくれずに食いはじめた。鋭い牙がいくつも刺さる。哀れっぽい鳴き声。こいつらも腹を空かせていたのだ。つまり先には人がいない。
息を整えながら狂餐の様子を見守る。隣にカイがいる。右足をかばって立っている。左手の指を押さえている。
「だいじょうぶか」
カイは首を振った。
「もう、無理です。足が利かない。指の先が」
「それが戦だ。ずっと五体満足でいたのは友が強かったからだ」
ベアは全身に痛みを感じた。左の脇腹がとくに痛む。冷や汗が噴き出す。息苦しい。渓谷に白い陽光が強烈に降り注いでいる。夢を見ているようだ。死は近い。
竜人が二十ほど崖を駆け下りてきた。ベアは振り返った。セルヴがケッサを背負っている。思わず声を荒げた。
「隊長。豚に背負わせろ。いまのうちに突撃するぞ」
エミリーが離れたところで叫んだ。
「いやだね。ぼくまで病気に罹る」
リュシアンが後ろ向きに歩きながら手を振った。
「みなさん、もっと離れてください。竜人も荷に用があるでしょう」
ベアはうなずいた。ガモが引き返しながらぶつくさ文句を垂れる。
「腹が減った。喉が渇いた。ついでに文なしになる。なんでついてきたんだろ」
「もっとついてこい。これから山越えだぞ」
じゅうぶん離れてから竜人に呼ばわった。
「おおい、銀貨をやる。荷車に山ほどある。見逃してくれ」
ほかの者も叫びはじめる。荷を調べろ。
怪訝そうに立ち止まった。何匹かが食事中の豚と大鬼を押し分けた。荷を調べる。
奪い合いをはじめた。ほかの竜人も群がる。豚と大鬼を斬り捨てる。同族どうしで殴り合う。
魔物の頭上に巨大な赤の方円があらわれた。草葉模様が刺繍のように縁を彩っている。波打ちながら宙をたゆたう。
赤い掛け布団がどさりと落ちた。竜人がいっせいにくずおれた。豚と大鬼が寄り集まりながら頭を預け合う。動かなくなった。盛大ないびき。
リュシアンが深々と息を吐いた。
「魔法はこれで最後です。わたしはしばらく眠れなくなる」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
5
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる