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第四章 ざわめく水面~朴念仁と二人の少女~
第二十九話 湖上の対峙
しおりを挟む眩しさに目を細めるルナフィスは、掌を額にかざし、日の光を遮って前を見渡す。
しばらくして、目が慣れてくると、穏やかな水面が陽光の銀を照り返す景色が視界に入り、爽やかな風が緩やかに吹いて頬を撫でてきた。
その風の感触や太陽の輝きは、自然の息吹が感じられ、先程まで感じていた《具象結界》特有の術者の思念は消え去っている。
どうやら、セイレン湖の中央付近に浮かぶ島の上にいるようだ。
湖面を撫でてそよぐ風は、涼やかで強い日差しに焼ける肌を適度に冷やして心地がいい。
その湖面に、浮かび上がるように三〇メライ(メートル)四方程度のほぼ正方形の舞台のような岩場があり、それはまるで湖上に設けられた特設の闘技場の武道台だ。
その武道台からルナフィスが立つ島の岸までは、浮き石のように大小様々な岩が湖面から浮き出ている。
浮き出た岩を伝っていけば、正方形の岩場まで渡るのに苦はないだろう。
今ルナフィスが立っているのは、先程の温泉あった空洞から脱衣所の様な建物を経由して、少し長めの螺旋階段を上ってきた先である。
階段を上った先は、湖の湖面に浮き出た島の地上部分に繋がっていた。
つまり、《水神の姫君》の神殿から一度外に出たのである。
朝方ケーニッヒと出会い、神殿の入り口になっていた小さな祠や鳥居のある場所とは、島の反対側でないかとルナフィスは予測する。
思えば、神殿に入ったのは早朝のことだったが、既に日は高く昇りつつあり気温もかなり上がってきていた。
朝には湖面に白い霧が立ちこめていたが、今は完全に霧も晴れている。
太陽の光を照り返す湖面、その揺らぎの向こう側には、緋色の巨大な龍がのたうち回った様な、奇妙な構造物が見てとれた。
セイレン湖は、この大陸にあるいくつかの淡水湖の中でも、比較的小さな湖であるから、その湖面の中央に位置するこの島からは、対岸の町並み等は見通せるのだ。
しかし、今見ている構造物は異様なものだ。
ルナフィスも、直接その場に行ったことはないが、どうやら、アーク王国の科学技術を用いて建造された遊楽施設のようで、特に目立つあの紅い龍の様な構造物は、その上を高速で移動する遊具の軌道を構造するものらしい。
その他にも、その遊楽施設には様々な乗り物やら見世物やらがあるようだが――――
――私が行くような場所でも無いしね……。
遊楽施設ということは、人間達の憩いの場、あるいは娯楽に興じる場所である。
魔竜人であり、今や共に娯楽に興じる相手のいない自分には、全くもって無縁の場所だろうとルナフィスは嘆息する。
そんな彼女の視界の中に、湖面の上をゆっくりとこちらに歩いてくる人影が映り込んだ。
「なんでアンタがここに来るのよ?」
湖面をそよぐ風の清々しさが一転、肌に纏わり付くような禍々しさに変わった錯覚を覚え、ルナフィスは嫌悪を隠さずにその人影に詰問する。
「アハハッ……本当わぁ、来る予定は無かったんだけどねぇ。お呼ばれしちゃって、その誘い方が上手かったからつい、お誘いに乗っちゃったのよん」
妖しい声音が、血の色に濡れるルージュの隙間よりこぼれ出る。
片手で禍々しい赤髪を払いつつ、その女は薄ら笑って見せた。
ルナフィスにステフをさらうように依頼した、今回の依頼主。
異界の魔神――――リンザー・グレモリーという女だ。
「おや……どうやら、私の用意させた招待状が届いていたようですね」
風に乗って流れてくる魔力の禍々しさを気にもとめず、スレームが微かな含みをもたせて言う。
そのすぐそばで、ケーニッヒが軽く鼻で笑いを漏らした。
「確か……アークのマクベイン財閥だったっけ? そこじゃ、こーんな玩具まで作っているのぉ?」
グレモリーは不敵に笑って、上着のポケットから何かを取り出した。
それは、金箔のような物で象られた鳥の形にも見えるが……。
「その鶴を折ったのは確かに私ですが……。折り紙はともかく、流石に折り鶴はウチの工房も製品として製造しておりませんね。ああ……その折り鶴に編み込まれた魔法は私のものではないですよ。それを為したのは、国外から客人として私の研究所に来ているこちらの変態です」
スレームはにこやかに微笑んで、金髪優男を指し示す。
「あのぉ……スレーム会長? 今このタイミングでその仕打ちはちょっと……。ええ、確かにボクにとっては、その呼ばれ方はご褒美ですけど……」
ケーニッヒも流石に苦笑いを隠せなかったが、対するリンザー・グレモリーはその紅い唇に愉悦を浮かべて――――
「……ふーん。興味深いわぁ……お兄さん、コレ終わったら私のトコに来ない? 私達の魔法とは方向性がまるで違うのに、その編み上げ方は無視できないシロモノだったわん。……っていうか、アナタ一体何者?」
グレモリーは手の平の上に金色の折り鶴を乗せて、それに軽く魔力を当てながら言う。
折り鶴は、まるで生きているかのように翼をはためかせ、ゆっくりと浮かび上がって、そのままケーニッヒの方に舞い始めた。
「何者かと問われれば、世界中を旅する愛の狩人としか答えを持ち合わせていないんだが。うーん……本来なら女性からのお誘いは嬉しいんだけどねぇ……。君からのお誘いとなると、流石のボクでもご遠慮したいかな」
舞ってきた折り鶴を右手の人差し指に受け止め、ケーニッヒはおどけてみせる。
折り鶴は、そのまま数回羽ばたいたあと、その場で燃え上がり消滅した。
「あらぁ、残念」
グレモリーは、口の端に愉悦を浮かべたままわざとらしく残念がる。
「……どういうことよ?」
スレーム達の会話に訝しげに聞いていたルナフィスが、ケーニッヒに詰め寄る。
「ああ、スレーム会長からの依頼でね。君とダーンの決闘に君の依頼主を招待するよう言われたんだよ。それで、ここは一応《水神の姫君》の神殿だからね、ただ招待状を送りつけても彼女は来やしないだろ……だから、彼女が興味を示すよう、このボクが趣向を凝らしたというわけさ」
ケーニッヒの言葉は極めて軽い調子であったが、ルナフィスはさらに疑問に感じてしまう。
ケーニッヒの言う「グレモリーが興味を示すような趣向」とは一体何なのか?
相手は極めて高度で複雑な構造の魔法を得意とする魔神だ。
それが興味を持ったからこそ、グレモリーがここに来たのだ。
しかし、ルナフィスがその疑問を口にする前に、グレモリーが口を開く。
「紙で造った鶴が私の元まで飛んできた上に、ここの場所やおおよその時間とかを喋りだしたから、久しぶりに私も笑ったわン。まあ、何かの罠かもと思うとこだろうけどぉ……そちらの期待は裏切ってくれたみたいね? 本当にぃ、ここじゃ罠もなければ魔力も使えるなんて……」
「ここは神殿の外ですので、貴女方に特別な制約が掛かることはありませんよ。私が貴女をここにお呼びしたのは、彼らの勝負の立ち会いが我々の側だけでは公正さに欠けると思ったからです。おや……どうやら役者が揃いましたようですね」
スレームは微笑み、彼女たちが神殿から出てきた場所から少し離れた場所に視線を移す。
その視線の先に、地下に延びる石畳の階段が設けられた空洞があり、そこから二人の人影が姿をあらわした。
装備を調えたダーンとステフである。
さらに、ステフは既にソルブライトとのリンケージ状態で、白を基調とした戦闘用の服装だった。
「待たせたみたいだな。ここまで少し遠回りだったが……早速やるかい?」
まるで食事に誘うかのような気負いのないダーンの物言いに、ルナフィスはグレモリーの来訪のせいで芽生えていた妙な緊張が抜けるのを感じた。
本来、敵であり今からまさに命のやりとりをしようという相手に、こんな感慨を受けるとは――――
――これも、さっきの妙な勝負のせいかな……でも。
ルナフィスはダーンに頷いて、そのまま湖上に浮かぶようにある武道台へと、浮き石のような岩を渡り始める。
視界の端に、同じように武道台へ向かう蒼髪の長身が映っていた。
武道台に渡りその中央付近に立つと、正面に当然のように対峙するダーンの姿。
湖上を吹き抜ける爽やかな風が、ダーンの蒼い髪を揺らし、そのままルナフィスの頬を撫でる。
「本気でいくわよ」
レイピアを抜剣し、ルナフィスは対峙する蒼髪の剣士を睨めつけると、相手もゆっくりと長剣を鞘から抜き放つ。
途端に浴びせられる鋭い剣気と沸き上がる高揚感に、銀髪の少女の全身が震える。
一週間程前に初めて対峙したあの夜よりもはるかに強敵となったと改めて感じ、奇妙な高揚感から自分自身から沸き上がる闘気もかつてないものになっていた。
「こちらも最初から全力全開でいかせてもらうぜ! ステフ、合図をたのむ」
ダーンの申し出にスレーム達のところまで移動していたステフが頷く。
「勝敗は、どちらかが死亡、もしくは戦闘不能に陥るか、降参を宣言した場合に決します。仕合は一対一であること以外の制約はなし。……約束通り、ルナフィスが勝利すればあたしの身柄はルナフィスの自由にしていいわ。両者いいわね?」
ステフの言葉に武道台の二人が頷いて、構えをとる。
瞬間――――
周囲の空気が重くなり、近くに水辺で戯れていた水鳥達が一斉に逃げるように飛び立った。
そして――――
湖上に勝負の開始を告げるステフの凛とした号令が響き渡る。
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