超常の神剣 タキオン・ソード! ~闘神王列伝Ⅰ~

駿河防人

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第一章  王国軍大佐~超火力で華麗に変態吸血鬼を撃つ~

第十一話  月光に酔う吸血鬼と彼女の涙

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 《大佐殿》の霞む視界、遠くの湖上に白亜の巨大な船体があり、手前には漆黒の小さな船体があった。

 そして――――

「もう少しゆっくりとおいでいただいてもよろしかったのですがねぇ」

 潜水艇のハッチの前、小さな甲板に漆黒のローブ姿が、どこから取り出したのか、その手に赤ワインを注いだグラスを掲げゆうぜんと立っていた。

 その姿を目の当たりにした《大佐殿》は、すがっていた希望を失ったかのように、その場で砂浜に膝をついてしまう。

 今まで全力で走り続け、呼吸は荒く、その目には涙さえ浮かべていた。

「おやおや……」

 《大佐殿》の様子を潜水艇の甲板から見下ろしながら、サジヴァルドが愉快そうに声を漏らしていた。

「クックックッ……大丈夫ですかぁ? しっかりしていただきたいですねぇ。折角ここまでたどり着いたのですよ。あとは、この中に入って、あの白い船まで戻ればいいだけでしょうに。もしここまで自力で上ってこれないようでしたら、わたくしめがやさしィく、抱き上げてお連れしますよ?」

 吸血鬼の下卑た声に、《大佐殿》は視線だけを彼に向ける。

 しかし、その視線に先ほどたいした時ほどの鋭さがなかった。

 目の前の現実を認めたくないと訴える、涙に濡れた瞳。

 待ち焦がれた彼女のその瞳、舐めればきっと至高の甘味であろうその涙。

 吸血鬼の鼓動はいんなリズムで高鳴っていく。

「そこは……」

 恍惚こうこつになっていくサジヴァルドの眼下で、涙を瞳いっぱいに溜めた《大佐殿》が、絞るように声を上げ始めていた。


「そこは、あたしの場所なんだからぁッ。どいてよッ、変態ッ!」


 唇を恐怖に震わせ、涙声で罵倒する彼女の姿、耳に届く絶望が混じった声のなんと美しいことか。
 
 その音色は、さながらピアンオ(ピアノ)とかいう人類の楽器、その鍵盤をでたらめに叩きつけたかのようだ。

「これはこれは、大変失礼しました。しかし、ここが貴女専用の場所というならば、なおのことどうぞこちらにお越しを。もう一つグラスを用意いたしますよ。今宵の《赤》は月に合う。……無論、貴女の高貴で汚れのない血には及ばないでしょうがねぇ……クックッ……っははっ……はぁっハハハッ」

 努めていんぎんに言葉を発していたサジヴァルドだったが、これから訪れるかんうたげを思い、堪えきれなくなって高笑いを始めた。

 不気味な声が湖面に響き、背後の林から木霊して、涙する《大佐殿》の鼓膜を打った。

 ついに膝をついたまま、がっくりと俯いてしまった《大佐殿》。
 その両肩も力なく落とされ、両腕は外套の中でだらりと垂れている。

 せめてもの抵抗の意思が残っていたのなら、当然のごとく銃把を握っていただろう右手は、《衝撃銃》を持っていなかった。


「もう……終わり……よ……」


 《大佐殿》が俯いたまま諦めたように言葉を漏らした。

 悲痛な彼女の言葉を耳にし、サジヴァルドが勝利に酔って唇を愉悦に歪ませながら、天空の満ちた月を仰ぎ見る。

 月の銀光に身を照らし、《大佐殿》が琥珀の瞳から涙を溢れさせた。

 月光に光る涙が伝う頬、その頬の隣、艶やかな薄い朱の唇が、恐怖と不安に震えていた…………。



 …………が、不意に――――はっきりと笑みを浮かべた。


 彼女は、《衝撃銃》の代わりに握っていた、ペンのように細いリモコン装置のスイッチを押下した。



     ☆



 吸血鬼は空を仰いで、月光に身を晒しながら高笑いしていたが、突如、彼が立っている甲板、いや潜水艇が鳴動し、彼は乾いた疑問の音を挙げる。

 それでも罠であるという危機感から、その場を飛び去ろうとするが、身体全体に力が入らない。

 というよりも、体中の魔力が吸い尽くされそうな感覚を覚えていた。

「……馬鹿な。この船体には攻撃の《理力器》など何もなかったはず」

 驚愕するサジヴァルドの周囲に、蒼白いプラズマが走り始める。

 よく見ると、いつの間にか潜水艇の外壁に、数え切れないほどの小さなアンテナようのものが乱立していた。

「ええ、《理力器》を使った兵器はないわ」

 砂浜に立ち上がった《大佐殿》が、シャツの袖で自らの涙を無造作に拭う。

 その声は、つい今し方の弱々しい涙声ではなく、夜の澄んだ空気によく通る凜としたものだった。

「そう……《理力器》じゃなくて、そこにあるのは《反理力器アンチ・フォース・デバイス》。活力《マナ》を根源とした周囲のありとあらゆる《力》を吸収して分解するものよ……。もちろん、貴方の魔力もね。……こんなこともあろうかと、用意しておいたの」

 少しだけ科学者的な悦に浸る《大佐殿》の言葉通り、サジヴァルドは、どんどん魔力を失っている。

 どうやら、潜水艇全体を包み込む力場が、月の魔力さえも打ち消しているようだ。

「こっ……こんな……こんなものを用意していた……のか?」

 草色の外套に着いた砂を、はたいて落としている《大佐殿》を、毒々しい瞳でめ付けるサジヴァルドだったが、すでに言葉を発するにもおつくうになっていた。

 彼は、魔竜としての肉体を《魔》に捧げて今の魔力に満ちた肉体を手に入れた。

 故に、魔力がある限りその身は不滅だが……魔力がなければ、その存在を保つことは出来ない。

「この《反理力器》は、アーク王国うち王立科学研究所ロイヤル・ソサエティーが、貴方みたいな魔法に長けた魔竜を相手にするために開発したものよ。《理力器》は使えなくなっちゃうから、その機構は既存の理力科学で開発されていないの。貴方もこの潜水艇は調べていたんでしょうけど、《理力器》じゃないからこれに気付いてないと確信していたわ」

「ご……ごの……小娘ぇぐがああああッ」

 すでに、サジヴァルドの肉体は、その輪郭を崩し始めていた。

 そんな彼の姿を半目で睨みつつ、冷たい言葉で《大佐殿》は続ける。

「この《反理力器》まで使うとは本当に想定外だったけど。正直、向こうの林の方で貴方と遭遇したときは、心臓が止まるかと思ったわ。でも、あの場を何とか切り抜けて、私が貴方から必死にここまで逃げれば、きっと貴方はここで待ち伏せていると信じてた」

 《大佐殿》はその琥珀に輝く瞳を一度閉じて、リモコンを手放し、そのままシャツの生地越しに胸元のペンダントを握りしめる。

 一度大きく息を吸い、次の言葉を続ける。

「だって、貴方、女性にとって最悪の趣向の持ち主だもんね。レイナー号を襲うのだって、本当ならもっと人里から離れた、海の上とかでも可能だったはずなのに、わざわざ目的地間際で襲ったり、林で遭遇したときも、わざと気配を少しずつ強くして、こちらの不安を煽ったり」

 言葉を句切って、《大佐殿》はうんざりといった風にため息を吐いた。
 琥珀の瞳に怒りの輝きを込めて、苦しむ吸血鬼を見据える。

「だから、あたしが必死で逃げて、この潜水艇にたどり着き、船にあとちょっとで逃げ帰れると安堵する、その瞬間にこの場へ姿を現した。…………あたしが安堵から一気に絶望する、その姿を眺めて楽しみたいがために」

「ぉ……の……れ……ぇ……」

 その身を崩しながら、断末魔の声を微かに漏らす吸血鬼。

 その姿に向かって、《大佐殿》は最後に言葉をつなげる。

「騙したりしてごめんね、変態さん。……ええ本当に心から悪いと思っているわ。でも……よく言うでしょ、涙は女の武器って……いざって時に馬鹿な男を欺くためのね。――どうだったかしら? 今夜のあたし、ぞくぞくするくらいに迫真の演技だったでしょ」

 《大佐殿》はわざとらしく片目を瞑って見せた。

 その視線の先で、もはや言葉もなく、サジヴァルドの肉体が粉々に崩れて、跡形もなく消滅する。


 本来ならば絶対的な魔力を誇る、満月下の吸血鬼。


 不死であるはずのその肉体が、あっけなく、科学の生み出した兵器によって完全に滅び、周囲には静かで美しい月夜、その澄んだ空気だけが残った。

 吸血鬼が完全に消滅したことを確認し、《大佐殿》は――

「……やっと……勝った……」

 安堵のあまりに、先ほどとは違って本当に膝の力が抜けてしまい、その場にへたり込んだ。

「でも……結局、今ので潜水艇の《理力器》や理力エンジンもダメにしちゃった。……もう船には戻れない」

 力なく呟きながら、彼女は襟元に手を差し入れ、胸のペンダントを服の中から取り出した。
 緋色の宝石が埋め込まれたペンダントヘッドを、両手で胸に抱くように強く握る。

 人智を超える絶大な戦闘能力を有する魔竜との戦い。

 父の語った思い出話にしか出てこなかったそれが、よもや現実の驚異としてこの身に降りかかるとは……。

 今更になって、少女の身体は小刻みに震えているのだった。
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