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第三章 蒼い髪の少女~朴念仁と可憐な護衛対象~
第四話 月夜に溶ける溜め息
しおりを挟むダーンとステフは握手を交わし、口頭ではあるが護衛の依頼契約を済ませた。
握手の後、ステフは左手に持っていた狩猟用のライフルを胸の前に持ってきて、その銃の機構に異常がないか確かめる。
その姿を見て、ダーンは思い出したように口を開いた。
「そうだ……この近くで十四歳くらいの男の子を見なかったか? 多分君と同じくらいの背だと思うんだが」
ダーンの問いかけに、ステフは得心したように、
「なるほどね……ダーンもノム君のこと探していたんだ」
「ああ……ここに来る途中、その子の母親に会ったんで、もしかしたら魔物に襲われているのはその子かもしれないとは思っていたが……って、君もか?」
ダーンの言葉に、ステフは横目で視線を送りつつ、軽い溜め息を吐く。
「つまり、彼と同じような外套を着ていたあたしを彼と間違えて助けたのね……。男の子と間違われていたなんて、初めての経験だわ」
半目で睨まれて、ダーンは及び腰になる。
「う……その面目ない。だが、夜の暗がりで君もフードをかぶっていたし、咄嗟のことだったんだ……仕方ないと思ってくれないかな?」
本当のことを話しているのに、ダーンは何故か、自分で苦しい言い訳になっているような気がしていた。
「その結果、強制わいせつに発展したと……。間違いであんな目にあったあたしの立場って、ある意味、故意に狙われたよりも不幸かしら」
真っ正面に向き直って、さらに鋭い視線と共に口撃を仕掛けてくるステフ。
「ぐッ……その、なんと謝ればいいか……いや、しかし……」
この件に関しては、少なからず非があると思うダーンは、肩を落としつつ呟いた。
こういったことは、たとえ過失でも罪になり得るようだ……。
そのダーンを見て、ステフは軽く吹き出した。
「フフフッ……ごめんごめん。流石に虐めすぎだったわ……。胸のことはおいといて、ダーンがあたしを助けてくれたことは紛れもない事実だから。その、だからね……」
そこまで言って急に後ろを向くと、ステフは一度夜空の星々を見上げつつ、上擦った声でさらに続ける。
「ありがと……ホントは嬉しかったわ」
頭から湯気が上がりそうな感じのステフだったが、その言葉はダーンにも届いており、彼は口元を綻ばせた。
ただ、彼女がその後一人呟いた「また会えて……」という言葉は、彼には届かず夜の虚空に消えていく。
ステフは夜空を見上げたまま一度大きく深呼吸。
冷たく澄んだ夜の空気を胸に取り込んで、クールダウン。
ゆっくり暖められた息を吐き出すと、ダーンの方を向き直り、手にしていたライフルを彼に掲げてみせた。
「とにかく、あたしはノム君を探してこの森に来ていたのよ。あたしがアリオスで泊まっている宿の子供なの。それで、あの魔物に襲われる直前に、彼のライフルを見つけたんだけど」
ステフが持っていたのはノムという少年のものだったようだ。
「どこで見つけたんだ?」
「この森のもう少し奥に入った岩壁の下よ。多分、岩壁の上から落ちてきたと思うんだけど彼の姿も、彼が落ちた形跡もなかったわ」
「そうなると、まだ上にいるんじゃないか? その上も森になっているんだろ」
「可能性はあるけど、この時間まで帰ってこないっていうのが気になるのよ。上の方の森にはここよりも北側から回り込むんだけど、そんなに距離があるわけでもないから、遅くはならないはずだし」
「取り敢えず、確認に行こうか」
ダーンの提案に、ステフが頷いたその時だった。
森の奥から、下草を踏みしめる小さな足音が聞こえ始めた。
その瞬間、音がした方向に警戒を強める二人。
ダーンは長剣を抜刀する構えをし、ステフがスカートの中にある《衝撃銃》のグリップを握りこむ。
「あ……『たゆん、たゆんっ』オッパイのお姉ちゃんだ」
聞こえてくる少年の無邪気な声に、ダーンが安堵の息を漏らしたが。
横のステフが銃を抜きそうなほどの剣幕で「この、エロガキ……」と呟いていた。
☆
月の光が注ぐ清涼な夜の空気に、溜め息が白い尾を引いて消えていく。
森の岩山の影から眼下の情景を瞳に映し、赤みのかかった銀髪の少女、ルナフィス・デルマイーユは複雑な気分を味わっていた。
ルナフィスがここにいるのは、ある依頼を果たすためだ。
その依頼とは眼下にいるアーク王国の要人、ステフの拉致。
本来、彼女の兄が請け負った依頼だったが、その兄は標的に返り討ちにあったらしく、音信不通になった。
おそらくは、死んだのだろう。
実の兄のはずだが、その死については特に感慨が湧かなかった――いや、むしろ感慨がわかないからこそ何故か不安になってくることがあった。
その不安に関わる部分で、兄がいなくなると一つだけ困ることがある。
今回の依頼について、彼女は兄のバックアップだった。
人間の女一人を拉致するなど、彼女にとっては実にくだらない依頼であり、始めから投げやりであったが。
そんな彼女に、『兄がいなくなって困っていたこと』を見透かした依頼人が直接交渉をしてきた。
いけ好かない赤い髪の女――――《異界の神》たるその女は、ルナフィスにとっては魅力的すぎる報酬を提示する。
それは、ステフ・ティファ・マクベインを拉致し、依頼人の元に連れて行けば、彼女の失われた記憶を取り戻してやるとのものだった。
ルナフィスは、今から数年前までの記憶しかない。
彼の兄は、本来巨大な体躯をもつ魔竜だ。
彼は、《異界の神》との魔法契約により、魔力に満ちた人間の身体を手に入れた。
《魔竜人》と人間どもが呼称するその姿になった兄は、人の生き血をすする吸血鬼として、限りなく不死に近い存在となる。
その魔力も強大で、彼が吸血することにより、その対象を彼の眷属としてしまう力もあった。
ルナフィスは、その兄に吸血の洗礼を受け、竜の巨体を捨て今の魔竜人の姿になった――――と聞いているのだが。
そのあたりから以前の記憶が全くなかった。
かつて魔竜だった自分自身のことや、故郷の竜界のことも。
既にいないであろう、彼女たちの両親のことについても。
記憶がないから、実の兄にも愛情が湧かない。
最近の兄は魔力の巨大さのためか暴走気味で、支離滅裂なところもあったが……。
そんな兄の姿を見て、嫌悪感しか湧かなかったのだ。
そんな自分自身が、ルナフィスは一番嫌いだった。
だから、欲しかった。
かつての自分の記憶が。
記憶が戻れば、自分は人並みに涙を流すことも出来るだろうに……。
その依頼にある標的の女がこの場に現れたのは偶然である。
これは仕掛ける絶好の好機とみて、獣が踏みつぶした名も知らない花を一輪、悪魔の女が用意した小さな魔法の矢で刺して魔物化し、標的にけしかけた。
花ならば、人を襲っても食い散らすこともないだろう。
それにより標的の女を無力化、もしくは戦闘中の隙を見計らって、麻酔の魔法をかけて拉致しようという策だった。
この場から気配や魔力を絶ち、一部始終を見ていたが、蒼髪の剣士がこの場に現れたのはとんだ誤算である。
彼女と昼過ぎまで行動を共にしていた仲間――――人狼・ディン。
ディンは受けた依頼遂行の障害となる、アテネ王国傭兵隊の四人を陽動でひきつける役割だった。
そのディンが始末する予定だった傭兵隊の剣士が、この場にいるということは……。
ディンは敗れたのだろうか。
兄の死にも全く感慨が湧かなかったのに、何故かルナフィスの胸に鈍い痛みが湧いていた。
ただし、他の傭兵隊メンバーが一人もいないところを見ると、人狼が始末したのか、それとも単に別行動を取っているだけなのか。
人狼の安否も気になるところだが、最大の問題は眼下の戦闘結果である。
標的の女も蒼髪の剣士も、全くの無傷であの魔物を撃破しているのだ。
二人の戦闘を上から見ていて、個々の能力も充分警戒に値する。
ましてあの二人が連携した場合は、真っ正面から敵対して必ず勝てるという自信もない。
狙うなら、あの二人が単独行動をとる瞬間だ。
この場は見逃すほかないと結論づけつつ、さらに眼下の状況を眺めたルナフィスはふと口元を緩めた。
彼女がこの場から、眼下の二人に追撃をかけない理由は、二人の連携を気にしただけではない。
複雑な気分を味わっていたのは、二人を取り逃がす口惜しさと、あの少年が無事町に帰れそうだという安堵が混じっていたからだ。
標的の女と蒼髪の剣士が、草色の外套を着た少年となにやら話をしているが、その内容までは聞き取れない。
あの少年が、この森の奥で野犬の群れと遭遇し、逃げ惑うところを見かけたのは三時間以上前のことだ。
その頃、ルナフィスはいかにして標的を拉致しようか考えつつも、森の中で魔物化する対象を探していたところだった。
仕入れた情報では、アリオスの街に宿泊する標的は、どうもこの森の奥にある神殿の廃墟に興味があるらしい。
それを踏まえ、最適な魔物は何かと思慮して、出来れば動物は避けたいなどと考えていた。
あの悪趣味な悪魔の女の玩具を使うことすら、生理的に受け付けないのに、この上自然界の生き物たちをその魔の毒牙にかけるのは気が引ける思いだった。
そんなルナフィスが、たまたま遭遇したのが、襲われているその少年。
別に人間に興味があったわけでもないが、少年が必死になって逃げ惑うのを見て、彼女はついその少年を助けてやりたくなってしまった。
野犬に追い詰められ、森の崖から落下したところを、重力制御で浮き上がった彼女が救出したのだが。
結局その後、気を失った少年の介抱をほんの二十分程前までしていたのだった。
人間の少年など、初めて間近で見て、目を覚ました彼とも少しの間話をしたが、悪い気分ではなかった。
猟銃を持っていたのに、何故野犬を撃たなかったのかとその少年に聞くと、彼は、森に狩りに出ている以上、必要最低限の殺傷しかしないのが狩人の森に対する礼儀だと答えた。
本当に命の危険を感じた時には、身を守るため銃を撃っているが、まだ何とかなりそうだったからなどとも答える少年。
結局、崖から転落しているじゃないかと、軽く突っ込むと、バツの悪い顔をしていた。
ああいう純真さはささくれた今の自分の心を癒やしてくれると感じた。
その少年が、あの二人と共にアリオスの街に帰っていく姿を眺め――――
ルナフィスは結局安堵の息を漏らしてしまうのだった。
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