107 / 165
第四章 ざわめく水面~朴念仁と二人の少女~
第二話 旅立ちの朝
しおりを挟むアテネ国王からの依頼を受け、その任務に就いてから三日目の朝を迎えた。
アテネ王国傭兵隊に所属する剣士ダーン・エリン・フォン・アルドナーグは、受けた依頼の内一つをすでに達成している。
任務の経過としてはまずまずの状況なのに、随分と難しい面持ちのまま朝食を摂っていた。
スパイシーな香りが口の中から鼻に抜ける。
朝食として出てきたものは、昨夜のうちにアーク王国軍大佐、ステフ・ティファ・マクベインが作ったものらしい。
それは、一言で言えば揚げパンだ。
昨夜のカレーを、味を調えつつ煮詰めてペースト状にし、それをパンで包み込んで油で揚げたもの。
揚げる際の油があっさりとしたものを使い、温度管理を調理過程によって変化させることで、脂っこさを感じさせないよう工夫されている。
おそらく、パンの生地にも何か仕掛けがあるようだが、とにかく食べやすい揚げパンだ。
それを頬張りつつ、蒼髪の少年は相手に気付かれないように、瞳だけ隣に座った少女に向けた。
今朝の彼女は、深紅のリボンを使って、銀をまぶした蒼い髪をポニーテールに結い上げている。
透けるようなうなじが視界に入ってきて、身体の奥で何かの鼓動が跳ね上がり、思わず咀嚼途中のパンを飲み込んでしまった。
ほとんど噛まずに飲み込んだため、思いっきり咽せるダーン。
慌てて目の前のグラスを手に取ろうとして、その中身が無くなっていることに気付き、とりあえず拳で胸のあたりをたたきはじめる。
グラスの中身、冷たいミルクは、先ほどぼんやり考え事をしながら飲み干してしまったのだった。
すると、「大丈夫?」と声をかけてきて、蒼い髪の少女は自分が飲んでいたミルクを差し出してくれる。
思いのほか苦しかった彼は、それを受け取るなり、一気に飲み干すが――――
なんとか窮地を脱して、お礼を言おうと少女の方を見やれば、彼女は真っ赤な顔をして彼が持つグラスを凝視していた。
「ステフ?」
怪訝に感じて彼女の名を呼べば、少しあわてたように「な、なによ? 別に、この程度のこと気にしてないんだからッ」と言い放ち、そっぽを向いてしまう。
――俺、何か悪いことでもしたのか?
彼女の機嫌が悪い。
今のやりとりだけでなく、なんだか昨夜から悪い気がする。
昨夜のことだが――――
銀髪の女剣士・ルナフィスとの会話で、ある程度の情報を得た次の目的地。
アーク王国内にあるという、水の精霊王との契約を行う祭壇《水霊の神殿》という遺跡。
そのことについて、精霊王との契約を目指すステフ本人に確認をしたあたりでは、冷たく淡々と話をしていた。
特にその後の就寝の挨拶をしてから、彼女の機嫌が悪い。
今朝など、彼女が近づいてきた気配を感じて目を覚まし、視線を向ければ――――
惹きつけられる琥珀の瞳にドキリとさせられ、優しい鈴の音のような挨拶が耳を打つと共に左脛に厳しい痛みが走った。
文句を言ってやろうかとも思ったが、琥珀の視線がなんとなく叱責してきている様に感じて、結局何も言い返せなかった。
朴念仁は途方に暮れつつ、手の中にある空になったグラスを見つめた。
そして、ふと目に付いたグラスの手前側の縁に、極々薄く付着したピンク色の『跡』。
たちまち、ダーンも顔が熱く火照るのを感じてしまうのだった。
☆
『一応言っておきますが、間接キスはセーフです』
胸元から、含みを持たせた感じで言ってくる女性の念話。
昨日契約したばかりの神器の意志、ソルブライトは、契約者たるステフにだけ聞こえる秘話状態で語ってきている。
『う……うるさいわねッ』
間接キス程度で心臓の鼓動が跳ね上がる自分自身に悪態をつく代わりにと、ステフは姿が見えない意思に、思いっきり恨み言を念じていた。
☆
お互い紅潮した顔のまま黙々と食を進める二人に、食事をする必要などない神器の意志は、溜め息混じりな念で話し始める。
『とりあえず、アーク王国に行く訳ですが……先にどちらへ行かれるのですか?』
ソルブライトの言葉に、ステフは軽く息を吐いて気分を落ち着かせた後、口を開く。
「どっちって……《水霊の神殿》は、確かエルモ市の近くよね。あたしとしては、一刻も早く次の精霊王との契約をって言いたいけど……」
未だに気恥ずかしいまま、ステフはダーンの方に視線を送り、彼の意見を求める。
ダーンにしてみれば、アーク王国にステフを送り届ける事と、アーク王国国王に謁見することが本来の任務なのだ。
そのついでにステフの護衛任務をこなしている状態である。
「俺は……その、どちらでもかまわないかな。確かに君をアークの首都まで連れて行ってアーク国王に届けるものがあるんだが……はっきり言って、期限までは言われてないんだ」
少し歯切れの悪い物言いのダーンは、その場でちょっと上の虚空を見て思案する素振りをした。
その彼の態度に、ステフはふと違和感を抱く。
彼ならば、先に首都に向かって当初の任務を完遂したいと言うはずだ。
その後、こちらの用事にも付き合ってやると言ってくるとばかり思っていたが。
ただし――――
その場合、首都に着いたら彼に説明しておかねばならないこともあった。
それは、少女にとって、できるだけ先延ばししたいことで、それこそ、昨日の処女だとか箱入り娘だとかよりも、彼には打ち明けたくない少女の秘密。
それを知らせたら、彼は今と同じように自分を見てくれるだろうか?
もっと、ずっと、今よりも親密な関係になった後なら、この秘密も関係ないと言ってくれるかもしれない。
だから、この秘密はなるべく先送りしておきたいのだ。
『昨夜ダーンがルナフィスという敵の剣士から聞いたとおり、《水霊の神殿》は、あと五日間は立ち入ることはできません。あそこは、一定の周期で水位が変動する湖の中に入り口があります』
「セイレン湖ね。たしか十五日周期で水位が変わるんだけど、その差は十メライ(メートル)位あったはずよ。その湖の真ん中に小さな祠があるんだけど、もっとも水位が下がったときだけその祠は水上に顔をだすの」
ステフの説明にダーンは得心する。
「なるほどな、それで行けるのは五日後なわけか」
『ですから、首都の方に先に向かってしまうのも時間の有効活用と言えるでしょう。更に、ステフ……あなたの銃のこともありますので……」
「確かにね……」
ステフは、スカートの中にある衝撃銃を軽く触りながら、少し肩を落として応じる。
昨日のカラス馬の魔物と戦闘した際、その銃の炉心が壊れてしまったのだ。
追加の武装や、ちょっとした改造はソルブライトの力をもってすれば、簡単なことだったが、さすがに心臓部たる炉心が砕けたら、修理はソルブライトの力をもってしても不可能だという。
主武装が無い状態で、新たに遺跡に向かうのは危険度が高いと言える。
「やっぱり、一度は帰るしかないか……」
諦めたようにつぶやくステフ。
「そうか……まあ、どちらにしても一度こっちの首都アテネに戻ろう? アークにいくのだって定期船に乗らなきゃならないんだろう」
「確かにそうなんだけど……でも定期船の利用は避けたいわ。以前ここにくるとき、ハイジャックにあったりだとかひどい目にあったものね……」
「そうなるとどうするんだ? さすがに小型艇なんかじゃ、用意できたって辿り着けないぞ」
「そうね。だからちょっとした裏技を使うわ」
そう言って、悪戯っぽく笑うステフ。
その笑顔を見てダーンは――――
――ちょっと前まで、何か不機嫌そうだったのに。
ころころと変わっていく少女の表情に、ダーンは難儀し眉間にしわを寄せるのだが、不思議と気分は悪いモノではなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜
のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、
偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。
水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは――
古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。
村を立て直し、仲間と絆を築きながら、
やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。
辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、
静かに進む策略と復讐の物語。
軽トラの荷台にダンジョンができました★車ごと【非破壊オブジェクト化】して移動要塞になったので快適探索者生活を始めたいと思います
こげ丸
ファンタジー
===運べるプライベートダンジョンで自由気ままな快適最強探索者生活!===
ダンジョンが出来て三〇年。平凡なエンジニアとして過ごしていた主人公だが、ある日突然軽トラの荷台にダンジョンゲートが発生したことをきっかけに、遅咲きながら探索者デビューすることを決意する。
でも別に最強なんて目指さない。
それなりに強くなって、それなりに稼げるようになれれば十分と思っていたのだが……。
フィールドボス化した愛犬(パグ)に非破壊オブジェクト化して移動要塞と化した軽トラ。ユニークスキル「ダンジョンアドミニストレーター」を得てダンジョンの管理者となった主人公が「それなり」ですむわけがなかった。
これは、プライベートダンジョンを利用した快適生活を送りつつ、最強探索者へと駆け上がっていく一人と一匹……とその他大勢の配下たちの物語。
転生先はご近所さん?
フロイライン
ファンタジー
大学受験に失敗し、カノジョにフラれた俺は、ある事故に巻き込まれて死んでしまうが…
そんな俺に同情した神様が俺を転生させ、やり直すチャンスをくれた。
でも、並行世界で人々を救うつもりだった俺が転生した先は、近所に住む新婚の伊藤さんだった。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる