1月半ば、落ち着かない日

二ッ木ヨウカ

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1月半ば、落ち着かない日

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 吉見が待ち合わせのカフェに入ると、寒暖差で視界が白く曇った。もたもたと眼鏡を外した視界に、奥の方の席から手を振る人影がぼんやりと視界に入る。
 結露を拭いた眼鏡越しにメニューを眺め、カウンターでホットコーヒーを買う。その間も席に座った男からの視線はずっと吉見を追っていた。

「お待たせ」

 テーブルにコーヒーを置き、向かいの席に座る。目を合わせると、そこに座った細身の男――宮池はふわりと目を細めた。

「うん、待ってた」

 宮池とは恋人同士だが、会うのは2ヶ月ぶりである。少しやつれたような風に見えるのは、おそらく吉見の気のせいではない。この時期はいつもそうなのだ。

「ちゃんと食べてるか?」
「う、うん、まあ?」

 つうっと宮池の視線が泳ぐ。わかりやすいことこの上ない。やれやれ、と吉見は肩をすくめた。せめてもの抵抗で自分用に持ってきた砂糖とミルクを目の前の男が持つコーヒーに追加する。もう、と口では文句めいた声を出した宮池だったが、それに反して表情は嬉しそうだ。

 一口飲んで「甘い」と言わずもがなの感想を述べた宮池は、椅子の背にかけていた紙袋を手に取った。

「そうだ吉見、これ。遅くなって悪いんだけどクリスマスプレゼント」
「え? 俺、何も用意してないんだけど」
「別に自分が渡したかっただけだから。気にしないでくれ、大したもんじゃないし」
「ありがとう……なんか、ごめん……あ、開けていい?」

 若干の気まずさを抱えつつ手渡された袋を覗く。濃い赤色の袋をあけると、中から出てきたのは入浴剤の詰め合わせだった。ピラミッドを思わせる形のバスボム、バラを象ったインテリアにもなりそうなもの。

「へえ、おしゃれだな」
「何にすればいいか分からなくて……自分が欲しいものにしてみたんだけど」
「分かる。冬は風呂であったまりたくなるよな。ありがたいよ」

 自分が欲しいもの、ということは宮池はバラ風呂に入りたいと思っているのだろうか。三十路過ぎのおっさんがメルヘンチックなことだと笑いそうになったが、今ここでそんなことをしたら宮池はヘソを曲げるだろう。

(えっと、こっちは普通にバスボムで……花びらは泡風呂になるのか。クラシカルローズの香りってなんだ、クラシックバラとモダンバラがあるのか?)

 使い方の説明をひとしきり読み込んでから袋をに戻し、顔を上げる。宮池はコーヒーを片手で持ったままスマホをつついていた。

「ありがとう、宮池」

 返事がない。

「……宮池? おい宮池」

「ん、んぁ、あ、ごめん吉見」

 テーブルの下で足を軽く蹴る。はっと顔を上げた宮池だったが、その視線はちらちらと手元のスマホと吉見の顔を行き来している。

「いや、いま問題出てて、だからちょっと、いやごめん、気になっちゃって」
「……あー、今日センター、いや今センターて言わねえのか、共テか」

 何のことを言っているのか、吉見が気づくまでに少しかかった。吉見が宮池と同じ塾で働いていたのは5年以上前になる。意識しない間に過ぎていた年月の長さに驚きつつ宮池の手元を覗き込むと、虫食いになった数学の問題が見えた。

「ん、そう。僕的にはセンターのほうが教科書に忠実だったし数学の基礎力をはかるっていう点では優れていたと思うし正直なところ思考力を問うのはその後にしたほうがいいと思う、というかそれこそが国立二次の役割だったんだと思うんだけど、でもそういうの考えるのって自分が老害になってきたみたいな気もするんだよね、なんか昨今の波に乗れてないおっさんというか」
「おう」

 突然熱を帯びた口調で饒舌に話し始めた宮池は、そのまま「んで、ざっと見た感じなんだけどⅠAは去年より若干難化した感じかな」と今年の所感に入る。内容は正直なところもう吉見にはついていけない点が多いのだが、自信に満ちて楽しそうな宮池の表情を見ているだけで嬉しい。

(だからこそ、「本当は塾講師を辞めてほしい」なんて思っている、とは言えなくなるんだけどな……)

 吉見が塾講師を辞めたのは、簡単に言えば体を壊したからである。非正規だからコマ数分の賃金しか貰えないのだが、授業時間以外に会議はあるし、予習だって欠かせないし、テキスト作成の仕事もあった。そういうのはこだわり始めたらいくら時間があっても足りなかったし――20代の頃はそれでも全然平気だったのだが、30を越したあたりで体がついて行かなくなったのだ。

「数学の先生だったの? じゃあ計算はバッチリだね!」という雑な偏見で経理として採用され、拘束時間の短さに愕然としたことはもはや懐かしい。

 教えるのが楽しい、それは吉見にも分かる。やりがいも、昔のほうがあった。だが、このままだとそのうち宮池も潰れていくのではないか、吉見はそんな恐怖感をずっと抱えていた。
 何度か訴えたものの、宮池本人は「僕は大丈夫だよ」とふにゃふにゃと笑うばかりで暖簾に腕押しというのがまたもどかしい。

「……あ、ご、ごめん、もう……吉見は、こういう話聞きたくないよな」

 複雑な表情をしている吉見に気づいたのだろう、宮池はしゅんとなってコーヒーに口をつけた。

「いや?」

 楽しそうな宮池を見るのは吉見にとってこの上もなく幸せな時間だ。
 たとえ、それが何の話であろうとも。
 笑みを浮かべた吉見は冷めてきたブラックコーヒーを一気に飲み干した。

「それじゃ、宮池ん家ち行こうか」
「えっ」

 コートを手に取ると、宮池は目を丸くした。

「このあと映画でもって言ってなかったっけ?」
「うん、まあそういう予定だったけど……解きたいだろ、それ」

 吉見が宮池のスマホを指差すと「うっ」と宮池の視線が揺れる。素直だ。

「いや、うん、それはまあ、でも……久しぶりに会ったんだし……」
「いいよ、チケット買ってたわけじゃないし。どうせ映画見に行っても集中できないだろ。今日が何の日か忘れてた俺も悪いし」
「そんなことはないんだけど、うん」

 立ち上がった吉見がコートを羽織ると、「んんん」と唸った宮池もコーヒーを飲み干して顔を覆った。

「ごめん、そうしてくれると……嬉しい」

 指の間から聞こえてくる恥ずかしそうな、そして少しの罪悪感の籠もった声が愛おしい。
 コートを羽織った宮池と連れ立って店外に出ると、今度はふわりと息が白くなる。

「コンビニ寄ってくか?」

 歩きながら見えた看板を指差すと、宮池は不思議そうに首を傾げた。

「印刷したほうが解きやすいだろ」
「あ、そうだな!」

 ポケットのスマホを探りながら、いそいそとコンビニに向かう宮池。

「終わったらバラ風呂やろうぜ」
「いいな」

(ああ……でも、やっぱり)

 この顔が、こういう時が、一番宮池はいきいきしていて。
 そういうところに惚れたんだよな、とその背中を追いながら吉見は考えたのだった。
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