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12. ラクレル村

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 ラクレルの中心には、村の守護聖人であるホロロギウスを祀る教会が建っている。青空に長く伸びた尖塔を仰ぎながら歩いていると、不意に隣のカイが足を止めた。

「ん?」

 ヴィクトールが振り向くと、カイの視線の先にはラクレル名物、山羊乳のジェラートの引き車がある。

「さっきお昼ご飯食べた気がするけど。食いしん坊さんだね」
「ああああの、いやそういうわけでは」
「ジェラート2つください」
「ちょっと、その、おいしそうだなあって思っただけで」
「うん。美味しいから食べてみてほしいな」

 はいよ、と威勢良く突き出されたジェラートは、硬めに焼かれたワッフル容器の中に入っている。1つをカイに渡し、湖に臨むベンチに腰掛ける。少し離れて、隣にカイが座った。

「……おいしいっ!」

 真っ白なジェラートをひと舐めしたカイは、夏の太陽のように笑った。屋台のお姉さんに微笑まれているのにも気づかず、ぱくりと大口で山形の先端にかぶりつく。ヴィクトールがちまちまと自分の分を舐めている間に、容器になっていたワッフルまであっという間にカイの口の中に消えていた。名残惜しそうに両手を見下ろし、手をはたくカイの頬についていたワッフルの欠片を取ってやる。
 ジェラート1つでこんなに喜んでもらえるとは。ガラス玉だと思って拾った石が実は宝石だったと知ったような気分だった。心の奥底から広がる幸福に浸りながらジェラートを舐めていると、隣のカイに凝視されていることに気が付いた。

「……僕のもいる? ちょっと舐めちゃったけど」
「そ、そんなっ……! だ、大丈夫です!」
「そうか……」

 顔を赤らめて必死で手を振って遠慮してくるカイに、悪戯心が沸いた。あえて悲しそうな顔をしてみる。「ああ」「うう」とあちらこちらに彷徨ったカイの視線が、少ししてヴィクトールの方に戻ってきた。

「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて、ちょっとだけ……」

 ちらりと口元から舌を出したカイが、ヴィクトールの差し出すジェラートに顔を近づけた。可愛らしい、肉厚の花びらのようなカイの舌がゆっくりとジェラートの側面に触れ、その柔らかな表面をなめとり、唾液の糸を引きながら離れていく。白い液体をつけた紅い舌先がまた口内に戻り、味わうようにその中で動く様子を、ヴィクトールはじっと見つめていた。唇に少しついた白色の部分を、最後に舌先がぺろりと舐めとる。

「一口でいいの? 遠慮せずもっと食べてもいいのに」
「もう、あの、本当に大丈夫です!」

 ぱたぱたと手を振るカイの顔は、もう耳まで真っ赤だ。初々しい様子に笑いをこらえながら、カイが舐めた上に舌を伸ばす。山羊乳のジェラートは濃厚ながらさっぱりとした後味が特徴だ。

「そ、それにしてもあれですね、距離が近いから似ているかと思ったんですけど、結構違うところもあるんですね、ラクレルって」

 あたりをわざとらしく見回したカイは、取ってつけたようにそんなことを言い出した。

「そうだね、気候はほぼ同じだけど、やっぱり外国だからね」

 ヴィクトールもカイの視線を追い、同じようにあたりを見回した。木枠にレンガ造りの、雪国らしく急勾配の屋根の家、石畳の道、ずらりと並ぶショーウインドー。クラコット村より規模は大きいが、見た目の基本的なところは同じだ。違うのは、町の真ん中に聳えているのは領主の館ではなく教会であるということ、羊よりヤギの放牧が盛んだということ、そして――魔道具ではなく、時計や望遠鏡を特産品としていることだ。
 クラコット村では魔道具や幻影角燈店がこれでもかと軒を連ねているが、湖を挟んだ向こう、ラクレル村では同じように時計店や光学機器店、眼鏡店などがひたすら並んでいる。ヴィクトールとカイは教会のステンドグラスを見学し、そして一見見慣れたものによく似た、しかし全く違う町並みを楽しみながら歩いてきたところだった。

「不思議ですね、機械って。このジェラートも冷却魔法で冷やされているわけじゃないんですよね?」
「うん」

 動力であろう謎の箱が繋がり、排気口が伸びる押し車を見てヴィクトールは頷いた。溶けたジェラートがたっぷりと染み込んだワッフルを齧る。

「……機械って、俺でも使えるんですかね」
「多分使えると思うけど。どうしたの? ジェラート売ってみたいの?」
「そうじゃないですけど……なんか……ちょっと、いいなって」
「ああ……」

 寂し気にジェラート売りを見るカイの表情で、ようやくヴィクトールは察した。『魔法』が羨ましいのだ。どんなに欲しくても手に入れられない天賦の才。世の中には魔法が使えない人も多いが、妹のアルマの方は膨大な魔力の持ち主だし、どうしても引け目に感じてしまうのだろう。
 所詮「魔力がある」というのは「顔がいい」「足が速い」というのと同じ、ただの生まれつきの特徴でしかない。だが、それを言ったところでなんの慰めになるとも思えなかった。ヴィクトールだってできればもっと美形に生まれたかったと思っているのだから。

「カイ君には……カイ君にできることがあるよ」
「……はい。そうですよね」

 ようやくヴィクトールが口にした言葉に、カイは微笑んで頷いてくれた。だが、その表情が晴れたとは言い難い。気の利いた言葉の1つもかけてやれない自分の頭をヴィクトールは石畳に叩きつけてかち割ってしまいたかった。

「そうだ。カイ君、懐中時計買おうか」

 何か、何かしなければ。思わずヴィクトールはそう口走っていた。脈絡のない会話にカイがぽかんとした顔になる。

「ラクレルに来たからどうかなって。客先に行くときとか、メッキの漬け込み時間計る時とか便利だし」

 不審に思われただろうか。焦りながら理由を付け足し、自分のローブの腰に引っ掛けていた金の懐中時計を取り出して示す。カイの劣等感に対し、物を買い与えるという対処法は間違っている、と思いはした。気をそらしているだけに過ぎない。だがそれ以外、どうすればいいか分からなかった。
 また、それはそれとして時計をカイに贈りたいという気持ちもあった。実用的で、しかも長く使えるからだ。ヴィクトールが持っている懐中時計も、下宿の廊下にある置時計の前で鍋をかき回していたのを不憫に思ったエックハルトが贈ってくれたものである。「質屋にいいのがあったから」と彼は言っていたが、Vと彫られたエックハルト好みの派手な懐中時計がそう都合よく質流れになるものなのか、ヴィクトールにはいまだに分からない。

「いや、その……えっと」
「せっかく来たんだし、なにか贈らせてほしいな」
「うう……安いやつでお願いします」

 突然の申し出に目を瞬かせるカイ。驚きのせいで感傷的な気分がどこかへ行ったらしいことに、ヴィクトールは安堵した。
 時計店を3件ほど回り、じっくりと――主に値段の面を――精査したカイは、ヴィクトールが腰につけているものとよく似たデザインの物を選んだ。手巻き式で、中の機構が一部透けて見える金時計だ。

「これにするの? 巻かなくていい魔導式もあるけど……」
「いいんです、これが」

 やけにはっきりと断言するカイに頷き、お金を払って店を出る。太陽は山の向こうに消えようとしていた。

「カイ君」

 名前を呼ばれたカイが振り向く。日暮れの淡い光に照らされた髪の毛と瞳が、透き通るような黄金色に輝いていた。そのまま夕陽にカイが溶けていってしまいそうに見えて、ヴィクトールの背筋がぞくりと震える。手元に繋ぎ止めたい一心でカイのコートに手をかけ、中に着たベストのボタンホールに金の鎖を引っ掛けた。鎖の先、繋がった金時計を右手に握らせる。

「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」

 照れくさそうに時計の蓋を撫でたカイは、パチリと透かし彫りの入った蓋を開けた。文字盤の上をゆっくりと視線がなぞり、そして口元がわずかに緩む。
 腰につけた懐中時計を握りしめ、その絵画のような景色をヴィクトールはただ見つめていた。
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