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13. 自己嫌悪

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 ポーン、と通信球が鳴ったのは、それから二週間後の夜だった。ほぼ反射的に腰の通信球をはじき、対応文句を口にする。

「はい、ゼーア工房のヴィクトールです」
「あっ、ヴィクター! チーズありがとう! また熱出したって聞いたけど平気?」

 映し出されたのはエックハルトだった。半透明の映像の向こうでふわふわと笑っている。

「あ、うん……元気。もう大丈夫」

 お土産をエックハルトとアルマのもとへ送る時、そういえばカイが手紙をつけていた。そんなことまで書かなくていいのに、と思いながらもそもそと答える。
 カイとラクレル村に行った後、ヴィクトールは風邪をひいて数日寝込んでいた。カイと出かけられたのが嬉しくてはしゃぎすぎたのだろう。事情を知らないカイには心配されたが、ロジウムには大いに呆れられてしまった。

「ならよかった。ところでさ、もうそっち雪解けしたよね? カイの顔も見たいし、遊びに行ってもいいかな?」
「いいよ」

 答えてしまってから、心にひやりとしたものを感じる。

(……来るんだ、エックハルト)

 ヴィクトール個人としては、エックハルトに会えるのは嬉しい。だが、カイの顔を見に来るという点に懸念がある。師匠として弟子の顔を見に来るのは当然なのだが、カイがエックハルトに想いを寄せていると気づいてしまった今、できれば顔を合わせてほしくない。

「えっと……再来週の店休日にお邪魔してもいいかな?」

 画面の向こうで手帳を繰ったエックハルトが、無邪気に提案してくる。特に断る理由もないので、いいよ、というしかない。

「その頃には二世花咲いてるかな。あの花きれいだよね」
「あー……どうだろう。早ければ咲いているかもしれないけど、例年だと開花はもう少し先だからなあ」

 咲いていたら何だっていうんだ。お前には何も関係がないだろう。何でもない世間話にすら無性に噛みつきたい気持ちになり、ヴィクトールは自己嫌悪に陥った。違うのだ。何もエックハルトは悪くない。ただヴィクトールの心が狭くなってしまっているだけなのだ。
 平静を装いながらチーズの感想を聞き、ラクレル村へ行ったときの話などをして、通話を切る。ちょうどカイが風呂から戻ってきたところだった。

「カイ君、エックハルトとアルマが再来週来るって」
「え? し、師匠とアルマが……来る、んですか」

 まだ湿り気を帯びたまつ毛の下で、焦げ茶色の目が揺れる。悲しそうに一瞬下を向いた後また持ち上がった顔には、取り繕うような笑顔が張り付いていた。

「久しぶりですね! 楽しみです」
「そうだね」

 うわべばかりの空虚なやり取りをする。だがそれ以上の会話が続かず、しん、と気まずい沈黙が下りた。カイの顔を見、目線が合いそうになって慌てて少しそらす。

「カイ、風呂出てきたんなら夕飯出すわよー、食器準備しなさい」

 互いにちらちらと顔を見ながら相手の出方を伺っていると、キッチンからロジウムの声が聞こえた。気まずさから解放されたことにほっとしながら、ヴィクトールはぱたぱたと走っていくカイの背中を見送った。
 夕食後、カイが自室に向かったのを確認してヴィクトールも寝室に向かう。
 カイがその日着ていたシャツをこっそり部屋に持ち帰るのは、もはやヴィクトールの日課になりかけていた。回数を重ねるごとに感じる後ろめたさは募っていたが、一度味わってしまった快感には抗いがたいものがある。それに、こうでもして気を紛らわせないと、心が壊れてしまいそうに軋むのだ。

(……ああ、やっぱりまだ、カイはエックハルトのことが好きなんだ)

 自室のベッドの上でカイのシャツを抱きしめながら、ヴィクトールはカイに師匠の来訪を告げたときのことを思い出していた。あんなに悲しそうな顔をするなんて。彼のことを忘れようとしてここに来ていただろうに、かわいそうなことをしてしまった。やはりなんと理由をつけてでも、エックハルトの来訪は阻止すべきだったのだ。いや今からでも遅くはない。当日急な体調不良になったと言えばいいのだ。

(でも……それじゃ一時しのぎにしかならないし、仮病じゃカイが了承しないだろうし)

 大体、そこまでしてエックハルトに会うことを避けるのはおかしいだろう。手紙のやり取りをしているから、ヴィクトールが勝手に断ってもばれてしまうだろうし。そもそもエックハルトに嘘はつきたくない。

(どうしたらよかったんだ)

 カイのシャツに顔を押し当てると、微かに鼻をつく匂いがする。今日少しだけメッキをやらせてみたから、その下処理やメッキに使う液の匂いが付いたのだ。強酸の液を扱ったりするし、あまりカイに危ないことはやらせたくないのだが、あまりに興味津々の顔で見てくるのでつい「やってみる?」と聞いてしまったのだ。
 エックハルトにカイの成長を見せたい、だがカイには会ってほしくない。矛盾した気持ちの落とし所が分からず、腕の中にあるシャツの襟に噛みついた。

「うぅ……っ」

 本当は、エックハルトではなく自分を見てほしい――声にすらできないその感情を、何度も強く噛みつくことで宥めていく。
 カイが工房に来てくれて、生活を共にできることが嬉しい。だが、そのせいで彼への想いは募っていく一方だった。毎日同じ食卓を囲み、仕事を教え、微笑む彼を間近で見るのだ。日ごとにより愛おしく、そしてより苦しくなるのは当然である。

 良き先達として彼を指導するのが、自分の役目だ。そう言い聞かせ、妄想で自分を慰める。それしか今のヴィクトールにはできないのだった。
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