3 / 20
3 広い庭と、二人乗り
しおりを挟む
近衛兵が連れてきた黒馬に載せられた柚季は、バルコニーから見下ろしていた大庭園を抜けていた。上からではわからなかったが、咲きかけのバラの華やかな香りがしている。
だが今の柚季には、その香りを楽しむ余裕はどこにもなかった。
ぴったりと近衛兵の胸に横抱きにされ、ただただ体を強張らせていたからだ。
女王ライラがスミレのために作った――という触れ込みで、宮殿の庭には日本の田舎風になっている一角がある。
柚季の住む水車小屋はそこにあるのだが、馬鹿みたいに庭が広いせいで宮殿から徒歩で30分もかかる。馬だともう少し短いだろうが、それでも家に着く前に柚季の心臓の方がどうにかなってしまいそうだった。
――今日は……もう、全部に流されっぱなしだ。
女王とスミレの話を適当に聞きながらお茶を飲み、家に帰り、洗ったばかりのシーツの上でちょっと昼寝でもしてから夕飯の支度をする。そういう代わり映えのない日常を柚季は今日も過ごすつもりだったのだ。
なのに、女王が突然結婚なんて言うから、調子が狂ってしまった。
だからいい年して階段から落ちるし、久しぶりにスキルなんて使ってしまうし、近衛兵となぜか馬に二人乗りすることになるのだ。
想定外のことが連続している時点で軽くパニックになっているのに、馬が歩くたびに近衛の顔や肩に軽く触れてしまうのが気になってしょうがないし、視線の高さにも慣れない。今自分がどう振舞うべきか柚季は全くわからなかった。引きこもっているとこういう時に困る。
いっそのこと馬から突き落としてくれた方が気が楽だ。
「ああ……もう」
なんでこうなってしまったのだろう。嘆息すると、柚季を支える近衛兵の腕がぴくりと反応した。
「隠者殿、痛みますか?」
近衛の声は柔らかく、耳に心地よく響く。それがすぐ近くから聞こえるから、余計に対処に困る。
「えっ、あ、だ、大丈夫です!」
慌てて笑顔を作り、柚季は自分を抱く近衛兵を見上げた。だが互いの顔が至近距離にあるという事実に耐えられず、またすぐ視線を自分の膝に向けてしまう。
身長は頭一つ分違ったのに、座高はそんなに変わらないなんてどうかしている。
「やはり、医者を呼んだ方が……」
「いやいやいや本当にそこまで気遣ってもらう必要ないので!」
「……そうですか」
近衛の声は、納得いかない、とはっきりと意思表示をしていた。だが柚季が女王の食客であるせいか、面と向かって反論はしてこない。
何をしたようにも見えないのに、二人を乗せた黒馬は運河の手前を右に曲がった。左手で柚季を支えているのだから、右手の手綱と足さばきだけで近衛は馬を操っているのだろう。
さすがだ、と思う。柚季なんて未だに馬にもろくに乗れないのに。
バハール全土から集められた、300人の精鋭。眉目秀麗、文武両道、賢良方正、全てを兼ね備えた女王直属のエリート。女王本人と宮殿の護衛を行い、宮殿内で唯一帯刀が許されている存在――それが近衛兵だ。
女王の部屋の前に立つくらいなのだから、彼は中でもそれなりの位だろう。この程度、朝飯前に違いない。
「あの……隠者殿、もしかして、なんですが」
視線すら動かせないほど体を硬直させている柚季を不審に思ったのだろう。周囲が日本風になった頃、おずおずと近衛が口を開いた。
「馬、苦手だったりしますか?」
「え? あ、いや、そんなことは別に……」
柚季は内心どきりとした。指摘された通り、今異常なまでに緊張しているのは、近衛と至近距離になってしまっているだけでなく、馬に対する恐怖感もあったからだ。
柚季がこの世界に残るきっかけになった、馬車の暴走事故――それ以来、どうしても馬に対して身構えてしまう。
「ならよいのですが。以前隠者殿は……」
「あ、あの!」
話がその事故の方へと転がっていきそうな気配を察し、柚季は声を張り上げた。できればそのあたりの話はしたくない。
突然の大声に、馬も近衛も一瞬驚いて体を震わせる。
言葉を遮ってしまってから会話の内容を探したせいで、変な間が少し空いた。
「ひ、一つお願いがあるんですけど……その、『隠者』って呼ぶの、やめていただけませんか?」
とってつけたようにそう言うと、横目で見上げた近衛兵の眉が下がった。
「あっ、もちろん立場上難しかったりしたら……いいんですけど……」
ただ、その呼ばれ方が好きではないのも事実だった。
異世界から来た、いい年なのに結婚もせずふらふらと庭で暮らす女王お気に入りの謎ニート。女王とスミレくらいしか柚季の「スキル」は知らないから、傍目から見たら柚季はそういう存在である。
藁葺きの水車小屋はバハール人から見れば貧乏人の掘っ建て小屋だし、召使の一人も置かずに過ごしているのも「人嫌いの世捨て人」のイメージに拍車をかけてしまっているらしい。
理由は分かるが、別に修養や自省に勤しんでいるわけでもないし、隠者、と言われるたびに「穀潰し!」と呼ばれている気がして嫌なのだ。
「できれば、柚季と呼んでもらえれば」
「承知しました、柚季様とお呼びしますね」
正直、様とつけられるのもむず痒いが、女王の食客である以上それは仕方ないだろう。
「それで……お願いします」
だが今の柚季には、その香りを楽しむ余裕はどこにもなかった。
ぴったりと近衛兵の胸に横抱きにされ、ただただ体を強張らせていたからだ。
女王ライラがスミレのために作った――という触れ込みで、宮殿の庭には日本の田舎風になっている一角がある。
柚季の住む水車小屋はそこにあるのだが、馬鹿みたいに庭が広いせいで宮殿から徒歩で30分もかかる。馬だともう少し短いだろうが、それでも家に着く前に柚季の心臓の方がどうにかなってしまいそうだった。
――今日は……もう、全部に流されっぱなしだ。
女王とスミレの話を適当に聞きながらお茶を飲み、家に帰り、洗ったばかりのシーツの上でちょっと昼寝でもしてから夕飯の支度をする。そういう代わり映えのない日常を柚季は今日も過ごすつもりだったのだ。
なのに、女王が突然結婚なんて言うから、調子が狂ってしまった。
だからいい年して階段から落ちるし、久しぶりにスキルなんて使ってしまうし、近衛兵となぜか馬に二人乗りすることになるのだ。
想定外のことが連続している時点で軽くパニックになっているのに、馬が歩くたびに近衛の顔や肩に軽く触れてしまうのが気になってしょうがないし、視線の高さにも慣れない。今自分がどう振舞うべきか柚季は全くわからなかった。引きこもっているとこういう時に困る。
いっそのこと馬から突き落としてくれた方が気が楽だ。
「ああ……もう」
なんでこうなってしまったのだろう。嘆息すると、柚季を支える近衛兵の腕がぴくりと反応した。
「隠者殿、痛みますか?」
近衛の声は柔らかく、耳に心地よく響く。それがすぐ近くから聞こえるから、余計に対処に困る。
「えっ、あ、だ、大丈夫です!」
慌てて笑顔を作り、柚季は自分を抱く近衛兵を見上げた。だが互いの顔が至近距離にあるという事実に耐えられず、またすぐ視線を自分の膝に向けてしまう。
身長は頭一つ分違ったのに、座高はそんなに変わらないなんてどうかしている。
「やはり、医者を呼んだ方が……」
「いやいやいや本当にそこまで気遣ってもらう必要ないので!」
「……そうですか」
近衛の声は、納得いかない、とはっきりと意思表示をしていた。だが柚季が女王の食客であるせいか、面と向かって反論はしてこない。
何をしたようにも見えないのに、二人を乗せた黒馬は運河の手前を右に曲がった。左手で柚季を支えているのだから、右手の手綱と足さばきだけで近衛は馬を操っているのだろう。
さすがだ、と思う。柚季なんて未だに馬にもろくに乗れないのに。
バハール全土から集められた、300人の精鋭。眉目秀麗、文武両道、賢良方正、全てを兼ね備えた女王直属のエリート。女王本人と宮殿の護衛を行い、宮殿内で唯一帯刀が許されている存在――それが近衛兵だ。
女王の部屋の前に立つくらいなのだから、彼は中でもそれなりの位だろう。この程度、朝飯前に違いない。
「あの……隠者殿、もしかして、なんですが」
視線すら動かせないほど体を硬直させている柚季を不審に思ったのだろう。周囲が日本風になった頃、おずおずと近衛が口を開いた。
「馬、苦手だったりしますか?」
「え? あ、いや、そんなことは別に……」
柚季は内心どきりとした。指摘された通り、今異常なまでに緊張しているのは、近衛と至近距離になってしまっているだけでなく、馬に対する恐怖感もあったからだ。
柚季がこの世界に残るきっかけになった、馬車の暴走事故――それ以来、どうしても馬に対して身構えてしまう。
「ならよいのですが。以前隠者殿は……」
「あ、あの!」
話がその事故の方へと転がっていきそうな気配を察し、柚季は声を張り上げた。できればそのあたりの話はしたくない。
突然の大声に、馬も近衛も一瞬驚いて体を震わせる。
言葉を遮ってしまってから会話の内容を探したせいで、変な間が少し空いた。
「ひ、一つお願いがあるんですけど……その、『隠者』って呼ぶの、やめていただけませんか?」
とってつけたようにそう言うと、横目で見上げた近衛兵の眉が下がった。
「あっ、もちろん立場上難しかったりしたら……いいんですけど……」
ただ、その呼ばれ方が好きではないのも事実だった。
異世界から来た、いい年なのに結婚もせずふらふらと庭で暮らす女王お気に入りの謎ニート。女王とスミレくらいしか柚季の「スキル」は知らないから、傍目から見たら柚季はそういう存在である。
藁葺きの水車小屋はバハール人から見れば貧乏人の掘っ建て小屋だし、召使の一人も置かずに過ごしているのも「人嫌いの世捨て人」のイメージに拍車をかけてしまっているらしい。
理由は分かるが、別に修養や自省に勤しんでいるわけでもないし、隠者、と言われるたびに「穀潰し!」と呼ばれている気がして嫌なのだ。
「できれば、柚季と呼んでもらえれば」
「承知しました、柚季様とお呼びしますね」
正直、様とつけられるのもむず痒いが、女王の食客である以上それは仕方ないだろう。
「それで……お願いします」
0
あなたにおすすめの小説
2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。
ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。
異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。
二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。
しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。
再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。
【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】
ゆらり
BL
帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。
着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。
凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。
撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。
帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。
独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。
甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。
※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。
★お気に入りやいいね、エールをありがとうございます! お気に召しましたらぜひポチリとお願いします。凄く励みになります!
魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由
スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの二人は、スキルを得た事で魔王討伐に旅立つ勇者と彼の帰還を待つだけのただの親友となる。
勇者と親友の無自覚両片想いのじれったい恋愛の物語。
呪われた辺境伯は、異世界転生者を手放さない
波崎 亨璃
BL
ーーー呪われた辺境伯に捕まったのは、俺の方だった。
異世界に迷い込んだ駆真は「呪われた辺境伯」と呼ばれるレオニスの領地に落ちてしまう。
強すぎる魔力のせいで、人を近づけることができないレオニス。
彼に触れれば衰弱し、最悪の場合、命を落とす。
しかしカルマだけはなぜかその影響を一切受けなかった。その事実に気づいたレオニスは次第にカルマを手放さなくなっていく。
「俺に触れられるのは、お前だけだ」
呪いよりも重い執着と孤独から始まる、救済BL。
となります。
異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!
めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈
社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。
もらった能力は“全言語理解”と“回復力”!
……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
--------------------
※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
悪役令息に転生した俺は推しの為に舞台から退場する
スノウマン(ユッキー)
BL
前世の記憶を思い出したアレクシスは悪役令息に転生したことに気づく。このままでは推しである義弟ノアが世界を救った後も幸せになれない未来を迎えてしまう。それを回避する為に、俺は舞台から退場することを選んだ。全てを燃やし尽くす事で。
そんな俺の行動によってノアが俺に執着することになるとも知らずに。
【土壌改良】スキルで追放された俺、辺境で奇跡の野菜を作ってたら、聖剣の呪いに苦しむ伝説の英雄がやってきて胃袋と心を掴んでしまった
水凪しおん
BL
戦闘にも魔法にも役立たない【土壌改良】スキルを授かった伯爵家三男のフィンは、実家から追放され、痩せ果てた辺境の地へと送られる。しかし、彼は全くめげていなかった。「美味しい野菜が育てばそれでいいや」と、のんびり畑を耕し始める。
そんな彼の作る野菜は、文献にしか存在しない幻の品種だったり、食べた者の体調を回復させたりと、とんでもない奇跡の作物だった。
ある嵐の夜、フィンは一人の男と出会う。彼の名はアッシュ。魔王を倒した伝説の英雄だが、聖剣の呪いに蝕まれ、死を待つ身だった。
フィンの作る野菜スープを口にし、初めて呪いの痛みから解放されたアッシュは、フィンに宣言する。「君の作る野菜が毎日食べたい。……夫もできる」と。
ハズレスキルだと思っていた力は、実は世界を浄化する『創生の力』だった!?
無自覚な追放貴族と、彼に胃袋と心を掴まれた最強の元英雄。二人の甘くて美味しい辺境開拓スローライフが、今、始まる。
鬼神と恐れられる呪われた銀狼当主の元へ生贄として送られた僕、前世知識と癒やしの力で旦那様と郷を救ったら、めちゃくちゃ過保護に溺愛されています
水凪しおん
BL
東の山々に抱かれた獣人たちの国、彩峰の郷。最強と謳われる銀狼一族の若き当主・涯狼(ガイロウ)は、古き呪いにより発情の度に理性を失う宿命を背負い、「鬼神」と恐れられ孤独の中に生きていた。
一方、都で没落した家の息子・陽向(ヒナタ)は、借金の形として涯狼の元へ「花嫁」として差し出される。死を覚悟して郷を訪れた陽向を待っていたのは、噂とはかけ離れた、不器用で優しい一匹の狼だった。
前世の知識と、植物の力を引き出す不思議な才能を持つ陽向。彼が作る温かな料理と癒やしの香りは、涯狼の頑なな心を少しずつ溶かしていく。しかし、二人の穏やかな日々は、古き慣習に囚われた者たちの思惑によって引き裂かれようとしていた。
これは、孤独な狼と心優しき花嫁が、運命を乗り越え、愛の力で奇跡を起こす、温かくも切ない和風ファンタジー・ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる