取り残された隠者様は近衛騎士とは結婚しない

二ッ木ヨウカ

文字の大きさ
19 / 20

19 喪失と呪い

しおりを挟む
 ライラはすでに宮殿内の医務室に運び込まれていた。

「遅い! 走りなさいよ! 早く!」
「ちょっ、お願い、待っ……」
「ライラがどうなってもいいっていうの!?」
「そ……じゃな……」

 スミレに引きずられるように走り、部屋に着いた時には、柚季はもう走りすぎて吐きそうなほどだった。
 部屋の中にいた医師たちは、突然乱入してきた柚季に対して一瞬不思議そうな視線を向けたものの、すぐに各自の作業に戻っていく。

『みんな、柚季を連れてきたわ。どきなさい』

 静かな、よく通るスミレの声が室内に響いた。「魅了」の力を使ったのだろう。室内にいる医師も看護師もほとんどがに熱に浮かされたような表情になった。皆が手を止め、ライラから数歩下がって気をつけの姿勢になる。

「柚季」
「……うん」

 小さく頷き、柚季は前に進んだ。ライラを中心に円のようになっている人々をかき分け、ベッドの横に行く。
 そこにいたライラは、真っ白な顔で目を閉じていた。
 手足は全体に添え木が当てられていたが、左脚の太腿にはまだ大きな木材が貫通したままだった。動脈を切ってしまっているのだろう。
 頭や胴体は比較的綺麗に見えるが、中身のことなんて柚季にはわからない。

 ただ大切なのは、それでもライラは息をしている、ということだった。
 生きていれば、助けられる。

「……柚季様」

 不意に左手を握られ、柚季は弾かれたように振り向いた。

「あ、べ、ベルカント……」

 家においてきたような気がするのに。まだ邪魔するつもりか、と身構えると、ベルカントは暗い顔のままただ小さく首を振った。

「お供、します」
「……うん、ありがとう」

ベルカントに頷き返し、柚季は大きく息を吸った。ベッドの横に膝立ちになり、ライラの額に手を当てて意識を集中させる。

 ちりっとした痛みが左腿に走り――柚季の全身が震えた。

 かすかな痛みに息苦しくなり、胸の中がざわざわと波立っていく。集中しなきゃ、と思うのになぜか痛みを、その向こうにある怪我を直視できない。

 思わずベルカントの手を握り込んでしまう。それが震えていることに気づき、また意識の先が分散していく。

 どうしよう。駄目だ。
 ライラを、女王を助けなきゃいけないのに――

「柚季! やめろ!」

 響いた大声に柚季は目を開けた。
 ベッドの上で、ライラが目を開いている。まだそこには強い光が宿っていた。

「何をしている」
「な、なにをって、お怪我を……」
「私を侮辱する気か!」
「え? いや、侮辱だなんて、そんな……?」

 怒っている。それも、とてつもなく。この状況で怒鳴れるほど。
 それはわかるが、それしかわからない。
 柚季がライラの額に手を当てたまま固まっていると、ライラは少しだけ口角を上げた。

「……この私を、臣民を犠牲にしてまで生き永らえた王にしてくれるなよ、柚季」
「でも」
「舐めるな。私はこの国を王の不在ぐらいで傾くようなちゃちな作りにした覚えはないぞ。それに……貴様らの残していった技術で、この国の医学だって発展してるんだ」

 苦しそうな息の下から、ふっと笑うような音がした。

「柚季、お前の命はお前のために使え」

 ライラの視線だけが横に動き、彼女を取り巻いていた医師たちに向いた。

「何をしている、他の負傷者もいるだろう? キリキリ動け!」

 スミレの効果が解けたのか、途端に人々が動き始める。
 わらわらと寄ってきた人に押しやられ、柚季は部屋の隅に追いやられる。急に自分たちだけが蚊帳の外に放り出されてしまった気がした。

 あるいは、女王の意には反するけどもう一回割り込んで――そう思った柚季は、右手を見おろしてため息をついた。
 多分、もう無理だ。

 不意に、背中に悪寒を感じて頭を上げる。スミレが柚季のことをものすごい表情で睨んでいた。

 憎しみと見下し、恨みの混じった、視線だけで殺せるならそうしてやる、という信念に満ちた悪意のような。
 けれども、スミレの魅了はスミレに性的な魅力を感じない相手には効かない。ライラ本人にも止められてしまった以上、柚季をどうにもできないのだろう。ただ頭の先から爪先まで、怨念でも張り付けるかのように睨み回された後、興味を失ったようにそっぽを向いてしまった。

「あの、ごめん……」
「アンタはもういい」

 小さく吐き捨てられる。
 柚季を押しのけるようにして、白衣の一人が柚季の背後にあった棚を開けた。壁際にずれると、今度はそこにあったフックに別の一人が点滴のパックを掛けていく。

 手術に入るから、と、じきに柚季は他の召使たちと一緒に部屋から追い出された。

 これ以上、柚季にできることはない。小屋に帰ろうと庭に出ると、いつの間にか世界は夕日で赤く染まっていた。

 裸足に草履で来てしまったせいで雪が冷たい足、ひんやりと冷たい空気を感じる右手に比べ、左手はそうではなかった。不思議に思って目を落とすと、まだベルカントの手を握りしめていた。

「あ……すいません、ずっと」
「いいえ」

 手を広げるが、ベルカントは柚季の手を握りしめたまま離さない。
 柚季は、その手を引いたまま歩き始めた。
 轍や大勢の足跡のある上を避け、さくさくと雪を踏んで歩く。

「……ベルさん、僕はもう無理です」

 刈り込まれた木々の区画を越え、運河の近くまで来た頃に柚季は呟いた。
 ベルカントは答えない。柚季も見なかった。
 けれど、聞いているのは気配でわかった。

「さっき……女王の傷を引き受けようとしたとき、『怖い』と思ってしまいました」

 ベルカントと繋がれていない、右手を見下ろす。

「死にたくない、と思ってしまったんです。……多分、もう、スキルは使えません」

 なんとなく感じてはいたが、ずっと目を背けていたことだ。
 ――スキルで体の傷の方は簡単に治る。けれども、その時に受ける心への負荷は、どうにもならない。
 それでも、今までは死にたかったから良かったのだ。少なくとも、生きたいとは思っていなかった。
 だから痛くても嬉しかった。むしろ苦しい方が役に立てている実感があってよかった。

「その言葉を聞いて……自分は、安心しました」

 ベルカントの声が、左の少し上から降ってくる。
 低くて、滑らかで、優しくて、少し震えている声。
 けれど、どんな表情をしているのか柚季は見上げなかった。
 それを見たら、自分の決心が揺らいでしまいそうな気がしたから。

 走り散らかされた行きの足跡の横を、ゆっくりと前だけを見て進む。
 赤い雪の上に2人の影が伸び、庭石にぶつかって曲がっている。

「本当は……いけないと思います。けれど、さっきも……柚季様が女王陛下の身代わりになれなくて、嬉しいと、感じてしまいました」
「僕にそうさせたのは、ベル、あなたですよ」

 一瞬立ち止まりそうになったベルカントの手を引き、柚季は大股で歩を進めた。

「ベルが幸せなら、僕はどうなってもいいと思いました。代わりに安定したランシェとの暮らしで満足できると思いました。女王のために死ねれば本望だと思いました。でも、そうやって自分に嘘をついてきたせいであなたを傷つけ、ランシェの本心に気づかず、女王に迷惑をかけて――そしてさっき、全部、限界が来ました」

 はあ、と息を吸う。

「あなたと生きたいと、願ってしまいました」

 とんでもないエゴだ、と思う。
 ここまで他人に迷惑をかけておいて、自分は今さら何を言っているのだろう。

 唯一の取り柄だったはずのスキルまでそのせいでなくしてしまって、もうどうしようもない。
 けれども、一度自覚してしまった以上、もうそこからは逃れられなかった。

 呪いだ、と思う。
 この世で一番苦しくて、死ぬまで続く甘い呪い。
 そこでようやく柚季は足を止め、横にいるベルカントを見上げた。

 葡萄色の髪は燃えるように透き通って赤く、両目からはいつの間にか雫がこぼれ落ちていた。
 ずっと握られていた左手を握り返し、柚季はベルカントを見つめた。
 まっすぐに。

「ベルカント、僕と共に生きてくれませんか」
「……その言葉を、お待ちしておりました」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。

ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。 異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。 二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。 しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。 再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。

【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】

ゆらり
BL
 帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。  着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。  凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。  撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。  帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。  独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。  甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。  ※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。 ★お気に入りやいいね、エールをありがとうございます! お気に召しましたらぜひポチリとお願いします。凄く励みになります!

魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由

スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの二人は、スキルを得た事で魔王討伐に旅立つ勇者と彼の帰還を待つだけのただの親友となる。 勇者と親友の無自覚両片想いのじれったい恋愛の物語。

呪われた辺境伯は、異世界転生者を手放さない

波崎 亨璃
BL
ーーー呪われた辺境伯に捕まったのは、俺の方だった。 異世界に迷い込んだ駆真は「呪われた辺境伯」と呼ばれるレオニスの領地に落ちてしまう。 強すぎる魔力のせいで、人を近づけることができないレオニス。 彼に触れれば衰弱し、最悪の場合、命を落とす。 しかしカルマだけはなぜかその影響を一切受けなかった。その事実に気づいたレオニスは次第にカルマを手放さなくなっていく。 「俺に触れられるのは、お前だけだ」 呪いよりも重い執着と孤独から始まる、救済BL。 となります。

異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!

めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈ 社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。 もらった能力は“全言語理解”と“回復力”! ……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈ キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん! 出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。 最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈ 攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉ -------------------- ※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!

悪役令息に転生した俺は推しの為に舞台から退場する

スノウマン(ユッキー)
BL
前世の記憶を思い出したアレクシスは悪役令息に転生したことに気づく。このままでは推しである義弟ノアが世界を救った後も幸せになれない未来を迎えてしまう。それを回避する為に、俺は舞台から退場することを選んだ。全てを燃やし尽くす事で。 そんな俺の行動によってノアが俺に執着することになるとも知らずに。

【土壌改良】スキルで追放された俺、辺境で奇跡の野菜を作ってたら、聖剣の呪いに苦しむ伝説の英雄がやってきて胃袋と心を掴んでしまった

水凪しおん
BL
戦闘にも魔法にも役立たない【土壌改良】スキルを授かった伯爵家三男のフィンは、実家から追放され、痩せ果てた辺境の地へと送られる。しかし、彼は全くめげていなかった。「美味しい野菜が育てばそれでいいや」と、のんびり畑を耕し始める。 そんな彼の作る野菜は、文献にしか存在しない幻の品種だったり、食べた者の体調を回復させたりと、とんでもない奇跡の作物だった。 ある嵐の夜、フィンは一人の男と出会う。彼の名はアッシュ。魔王を倒した伝説の英雄だが、聖剣の呪いに蝕まれ、死を待つ身だった。 フィンの作る野菜スープを口にし、初めて呪いの痛みから解放されたアッシュは、フィンに宣言する。「君の作る野菜が毎日食べたい。……夫もできる」と。 ハズレスキルだと思っていた力は、実は世界を浄化する『創生の力』だった!? 無自覚な追放貴族と、彼に胃袋と心を掴まれた最強の元英雄。二人の甘くて美味しい辺境開拓スローライフが、今、始まる。

鬼神と恐れられる呪われた銀狼当主の元へ生贄として送られた僕、前世知識と癒やしの力で旦那様と郷を救ったら、めちゃくちゃ過保護に溺愛されています

水凪しおん
BL
東の山々に抱かれた獣人たちの国、彩峰の郷。最強と謳われる銀狼一族の若き当主・涯狼(ガイロウ)は、古き呪いにより発情の度に理性を失う宿命を背負い、「鬼神」と恐れられ孤独の中に生きていた。 一方、都で没落した家の息子・陽向(ヒナタ)は、借金の形として涯狼の元へ「花嫁」として差し出される。死を覚悟して郷を訪れた陽向を待っていたのは、噂とはかけ離れた、不器用で優しい一匹の狼だった。 前世の知識と、植物の力を引き出す不思議な才能を持つ陽向。彼が作る温かな料理と癒やしの香りは、涯狼の頑なな心を少しずつ溶かしていく。しかし、二人の穏やかな日々は、古き慣習に囚われた者たちの思惑によって引き裂かれようとしていた。 これは、孤独な狼と心優しき花嫁が、運命を乗り越え、愛の力で奇跡を起こす、温かくも切ない和風ファンタジー・ラブストーリー。

処理中です...