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19 喪失と呪い
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ライラはすでに宮殿内の医務室に運び込まれていた。
「遅い! 走りなさいよ! 早く!」
「ちょっ、お願い、待っ……」
「ライラがどうなってもいいっていうの!?」
「そ……じゃな……」
スミレに引きずられるように走り、部屋に着いた時には、柚季はもう走りすぎて吐きそうなほどだった。
部屋の中にいた医師たちは、突然乱入してきた柚季に対して一瞬不思議そうな視線を向けたものの、すぐに各自の作業に戻っていく。
『みんな、柚季を連れてきたわ。どきなさい』
静かな、よく通るスミレの声が室内に響いた。「魅了」の力を使ったのだろう。室内にいる医師も看護師もほとんどがに熱に浮かされたような表情になった。皆が手を止め、ライラから数歩下がって気をつけの姿勢になる。
「柚季」
「……うん」
小さく頷き、柚季は前に進んだ。ライラを中心に円のようになっている人々をかき分け、ベッドの横に行く。
そこにいたライラは、真っ白な顔で目を閉じていた。
手足は全体に添え木が当てられていたが、左脚の太腿にはまだ大きな木材が貫通したままだった。動脈を切ってしまっているのだろう。
頭や胴体は比較的綺麗に見えるが、中身のことなんて柚季にはわからない。
ただ大切なのは、それでもライラは息をしている、ということだった。
生きていれば、助けられる。
「……柚季様」
不意に左手を握られ、柚季は弾かれたように振り向いた。
「あ、べ、ベルカント……」
家においてきたような気がするのに。まだ邪魔するつもりか、と身構えると、ベルカントは暗い顔のままただ小さく首を振った。
「お供、します」
「……うん、ありがとう」
ベルカントに頷き返し、柚季は大きく息を吸った。ベッドの横に膝立ちになり、ライラの額に手を当てて意識を集中させる。
ちりっとした痛みが左腿に走り――柚季の全身が震えた。
かすかな痛みに息苦しくなり、胸の中がざわざわと波立っていく。集中しなきゃ、と思うのになぜか痛みを、その向こうにある怪我を直視できない。
思わずベルカントの手を握り込んでしまう。それが震えていることに気づき、また意識の先が分散していく。
どうしよう。駄目だ。
ライラを、女王を助けなきゃいけないのに――
「柚季! やめろ!」
響いた大声に柚季は目を開けた。
ベッドの上で、ライラが目を開いている。まだそこには強い光が宿っていた。
「何をしている」
「な、なにをって、お怪我を……」
「私を侮辱する気か!」
「え? いや、侮辱だなんて、そんな……?」
怒っている。それも、とてつもなく。この状況で怒鳴れるほど。
それはわかるが、それしかわからない。
柚季がライラの額に手を当てたまま固まっていると、ライラは少しだけ口角を上げた。
「……この私を、臣民を犠牲にしてまで生き永らえた王にしてくれるなよ、柚季」
「でも」
「舐めるな。私はこの国を王の不在ぐらいで傾くようなちゃちな作りにした覚えはないぞ。それに……貴様らの残していった技術で、この国の医学だって発展してるんだ」
苦しそうな息の下から、ふっと笑うような音がした。
「柚季、お前の命はお前のために使え」
ライラの視線だけが横に動き、彼女を取り巻いていた医師たちに向いた。
「何をしている、他の負傷者もいるだろう? キリキリ動け!」
スミレの効果が解けたのか、途端に人々が動き始める。
わらわらと寄ってきた人に押しやられ、柚季は部屋の隅に追いやられる。急に自分たちだけが蚊帳の外に放り出されてしまった気がした。
あるいは、女王の意には反するけどもう一回割り込んで――そう思った柚季は、右手を見おろしてため息をついた。
多分、もう無理だ。
不意に、背中に悪寒を感じて頭を上げる。スミレが柚季のことをものすごい表情で睨んでいた。
憎しみと見下し、恨みの混じった、視線だけで殺せるならそうしてやる、という信念に満ちた悪意のような。
けれども、スミレの魅了はスミレに性的な魅力を感じない相手には効かない。ライラ本人にも止められてしまった以上、柚季をどうにもできないのだろう。ただ頭の先から爪先まで、怨念でも張り付けるかのように睨み回された後、興味を失ったようにそっぽを向いてしまった。
「あの、ごめん……」
「アンタはもういい」
小さく吐き捨てられる。
柚季を押しのけるようにして、白衣の一人が柚季の背後にあった棚を開けた。壁際にずれると、今度はそこにあったフックに別の一人が点滴のパックを掛けていく。
手術に入るから、と、じきに柚季は他の召使たちと一緒に部屋から追い出された。
これ以上、柚季にできることはない。小屋に帰ろうと庭に出ると、いつの間にか世界は夕日で赤く染まっていた。
裸足に草履で来てしまったせいで雪が冷たい足、ひんやりと冷たい空気を感じる右手に比べ、左手はそうではなかった。不思議に思って目を落とすと、まだベルカントの手を握りしめていた。
「あ……すいません、ずっと」
「いいえ」
手を広げるが、ベルカントは柚季の手を握りしめたまま離さない。
柚季は、その手を引いたまま歩き始めた。
轍や大勢の足跡のある上を避け、さくさくと雪を踏んで歩く。
「……ベルさん、僕はもう無理です」
刈り込まれた木々の区画を越え、運河の近くまで来た頃に柚季は呟いた。
ベルカントは答えない。柚季も見なかった。
けれど、聞いているのは気配でわかった。
「さっき……女王の傷を引き受けようとしたとき、『怖い』と思ってしまいました」
ベルカントと繋がれていない、右手を見下ろす。
「死にたくない、と思ってしまったんです。……多分、もう、スキルは使えません」
なんとなく感じてはいたが、ずっと目を背けていたことだ。
――スキルで体の傷の方は簡単に治る。けれども、その時に受ける心への負荷は、どうにもならない。
それでも、今までは死にたかったから良かったのだ。少なくとも、生きたいとは思っていなかった。
だから痛くても嬉しかった。むしろ苦しい方が役に立てている実感があってよかった。
「その言葉を聞いて……自分は、安心しました」
ベルカントの声が、左の少し上から降ってくる。
低くて、滑らかで、優しくて、少し震えている声。
けれど、どんな表情をしているのか柚季は見上げなかった。
それを見たら、自分の決心が揺らいでしまいそうな気がしたから。
走り散らかされた行きの足跡の横を、ゆっくりと前だけを見て進む。
赤い雪の上に2人の影が伸び、庭石にぶつかって曲がっている。
「本当は……いけないと思います。けれど、さっきも……柚季様が女王陛下の身代わりになれなくて、嬉しいと、感じてしまいました」
「僕にそうさせたのは、ベル、あなたですよ」
一瞬立ち止まりそうになったベルカントの手を引き、柚季は大股で歩を進めた。
「ベルが幸せなら、僕はどうなってもいいと思いました。代わりに安定したランシェとの暮らしで満足できると思いました。女王のために死ねれば本望だと思いました。でも、そうやって自分に嘘をついてきたせいであなたを傷つけ、ランシェの本心に気づかず、女王に迷惑をかけて――そしてさっき、全部、限界が来ました」
はあ、と息を吸う。
「あなたと生きたいと、願ってしまいました」
とんでもないエゴだ、と思う。
ここまで他人に迷惑をかけておいて、自分は今さら何を言っているのだろう。
唯一の取り柄だったはずのスキルまでそのせいでなくしてしまって、もうどうしようもない。
けれども、一度自覚してしまった以上、もうそこからは逃れられなかった。
呪いだ、と思う。
この世で一番苦しくて、死ぬまで続く甘い呪い。
そこでようやく柚季は足を止め、横にいるベルカントを見上げた。
葡萄色の髪は燃えるように透き通って赤く、両目からはいつの間にか雫がこぼれ落ちていた。
ずっと握られていた左手を握り返し、柚季はベルカントを見つめた。
まっすぐに。
「ベルカント、僕と共に生きてくれませんか」
「……その言葉を、お待ちしておりました」
「遅い! 走りなさいよ! 早く!」
「ちょっ、お願い、待っ……」
「ライラがどうなってもいいっていうの!?」
「そ……じゃな……」
スミレに引きずられるように走り、部屋に着いた時には、柚季はもう走りすぎて吐きそうなほどだった。
部屋の中にいた医師たちは、突然乱入してきた柚季に対して一瞬不思議そうな視線を向けたものの、すぐに各自の作業に戻っていく。
『みんな、柚季を連れてきたわ。どきなさい』
静かな、よく通るスミレの声が室内に響いた。「魅了」の力を使ったのだろう。室内にいる医師も看護師もほとんどがに熱に浮かされたような表情になった。皆が手を止め、ライラから数歩下がって気をつけの姿勢になる。
「柚季」
「……うん」
小さく頷き、柚季は前に進んだ。ライラを中心に円のようになっている人々をかき分け、ベッドの横に行く。
そこにいたライラは、真っ白な顔で目を閉じていた。
手足は全体に添え木が当てられていたが、左脚の太腿にはまだ大きな木材が貫通したままだった。動脈を切ってしまっているのだろう。
頭や胴体は比較的綺麗に見えるが、中身のことなんて柚季にはわからない。
ただ大切なのは、それでもライラは息をしている、ということだった。
生きていれば、助けられる。
「……柚季様」
不意に左手を握られ、柚季は弾かれたように振り向いた。
「あ、べ、ベルカント……」
家においてきたような気がするのに。まだ邪魔するつもりか、と身構えると、ベルカントは暗い顔のままただ小さく首を振った。
「お供、します」
「……うん、ありがとう」
ベルカントに頷き返し、柚季は大きく息を吸った。ベッドの横に膝立ちになり、ライラの額に手を当てて意識を集中させる。
ちりっとした痛みが左腿に走り――柚季の全身が震えた。
かすかな痛みに息苦しくなり、胸の中がざわざわと波立っていく。集中しなきゃ、と思うのになぜか痛みを、その向こうにある怪我を直視できない。
思わずベルカントの手を握り込んでしまう。それが震えていることに気づき、また意識の先が分散していく。
どうしよう。駄目だ。
ライラを、女王を助けなきゃいけないのに――
「柚季! やめろ!」
響いた大声に柚季は目を開けた。
ベッドの上で、ライラが目を開いている。まだそこには強い光が宿っていた。
「何をしている」
「な、なにをって、お怪我を……」
「私を侮辱する気か!」
「え? いや、侮辱だなんて、そんな……?」
怒っている。それも、とてつもなく。この状況で怒鳴れるほど。
それはわかるが、それしかわからない。
柚季がライラの額に手を当てたまま固まっていると、ライラは少しだけ口角を上げた。
「……この私を、臣民を犠牲にしてまで生き永らえた王にしてくれるなよ、柚季」
「でも」
「舐めるな。私はこの国を王の不在ぐらいで傾くようなちゃちな作りにした覚えはないぞ。それに……貴様らの残していった技術で、この国の医学だって発展してるんだ」
苦しそうな息の下から、ふっと笑うような音がした。
「柚季、お前の命はお前のために使え」
ライラの視線だけが横に動き、彼女を取り巻いていた医師たちに向いた。
「何をしている、他の負傷者もいるだろう? キリキリ動け!」
スミレの効果が解けたのか、途端に人々が動き始める。
わらわらと寄ってきた人に押しやられ、柚季は部屋の隅に追いやられる。急に自分たちだけが蚊帳の外に放り出されてしまった気がした。
あるいは、女王の意には反するけどもう一回割り込んで――そう思った柚季は、右手を見おろしてため息をついた。
多分、もう無理だ。
不意に、背中に悪寒を感じて頭を上げる。スミレが柚季のことをものすごい表情で睨んでいた。
憎しみと見下し、恨みの混じった、視線だけで殺せるならそうしてやる、という信念に満ちた悪意のような。
けれども、スミレの魅了はスミレに性的な魅力を感じない相手には効かない。ライラ本人にも止められてしまった以上、柚季をどうにもできないのだろう。ただ頭の先から爪先まで、怨念でも張り付けるかのように睨み回された後、興味を失ったようにそっぽを向いてしまった。
「あの、ごめん……」
「アンタはもういい」
小さく吐き捨てられる。
柚季を押しのけるようにして、白衣の一人が柚季の背後にあった棚を開けた。壁際にずれると、今度はそこにあったフックに別の一人が点滴のパックを掛けていく。
手術に入るから、と、じきに柚季は他の召使たちと一緒に部屋から追い出された。
これ以上、柚季にできることはない。小屋に帰ろうと庭に出ると、いつの間にか世界は夕日で赤く染まっていた。
裸足に草履で来てしまったせいで雪が冷たい足、ひんやりと冷たい空気を感じる右手に比べ、左手はそうではなかった。不思議に思って目を落とすと、まだベルカントの手を握りしめていた。
「あ……すいません、ずっと」
「いいえ」
手を広げるが、ベルカントは柚季の手を握りしめたまま離さない。
柚季は、その手を引いたまま歩き始めた。
轍や大勢の足跡のある上を避け、さくさくと雪を踏んで歩く。
「……ベルさん、僕はもう無理です」
刈り込まれた木々の区画を越え、運河の近くまで来た頃に柚季は呟いた。
ベルカントは答えない。柚季も見なかった。
けれど、聞いているのは気配でわかった。
「さっき……女王の傷を引き受けようとしたとき、『怖い』と思ってしまいました」
ベルカントと繋がれていない、右手を見下ろす。
「死にたくない、と思ってしまったんです。……多分、もう、スキルは使えません」
なんとなく感じてはいたが、ずっと目を背けていたことだ。
――スキルで体の傷の方は簡単に治る。けれども、その時に受ける心への負荷は、どうにもならない。
それでも、今までは死にたかったから良かったのだ。少なくとも、生きたいとは思っていなかった。
だから痛くても嬉しかった。むしろ苦しい方が役に立てている実感があってよかった。
「その言葉を聞いて……自分は、安心しました」
ベルカントの声が、左の少し上から降ってくる。
低くて、滑らかで、優しくて、少し震えている声。
けれど、どんな表情をしているのか柚季は見上げなかった。
それを見たら、自分の決心が揺らいでしまいそうな気がしたから。
走り散らかされた行きの足跡の横を、ゆっくりと前だけを見て進む。
赤い雪の上に2人の影が伸び、庭石にぶつかって曲がっている。
「本当は……いけないと思います。けれど、さっきも……柚季様が女王陛下の身代わりになれなくて、嬉しいと、感じてしまいました」
「僕にそうさせたのは、ベル、あなたですよ」
一瞬立ち止まりそうになったベルカントの手を引き、柚季は大股で歩を進めた。
「ベルが幸せなら、僕はどうなってもいいと思いました。代わりに安定したランシェとの暮らしで満足できると思いました。女王のために死ねれば本望だと思いました。でも、そうやって自分に嘘をついてきたせいであなたを傷つけ、ランシェの本心に気づかず、女王に迷惑をかけて――そしてさっき、全部、限界が来ました」
はあ、と息を吸う。
「あなたと生きたいと、願ってしまいました」
とんでもないエゴだ、と思う。
ここまで他人に迷惑をかけておいて、自分は今さら何を言っているのだろう。
唯一の取り柄だったはずのスキルまでそのせいでなくしてしまって、もうどうしようもない。
けれども、一度自覚してしまった以上、もうそこからは逃れられなかった。
呪いだ、と思う。
この世で一番苦しくて、死ぬまで続く甘い呪い。
そこでようやく柚季は足を止め、横にいるベルカントを見上げた。
葡萄色の髪は燃えるように透き通って赤く、両目からはいつの間にか雫がこぼれ落ちていた。
ずっと握られていた左手を握り返し、柚季はベルカントを見つめた。
まっすぐに。
「ベルカント、僕と共に生きてくれませんか」
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