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雛鳥
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伸びてきたダイモンの指先が、コーディエの頬を撫でていく。ざらりとした感触に目をやると、その手には包帯が巻かれていた。
「……ダイモン、その手……」
「ん? なんでもねえよ」
答えたダイモンは、さっと隠すように手を引っこめた。
「もしかして、その、私が」
「気にすんなって。魔法使いの杖が熱くなるなんて知らずに触っちまった俺が悪いんだし」
ダイモンの答えは、コーディエの想像を肯定していた。
「……すまない」
しばらく黙ったのちに、コーディエはそれだけ絞り出した。自分の短絡的な行動のせいで、ダイモンを傷つけてしまった。そんなつもりはなかったから何だというのだろう。
居たたまれない気持ちでいると、ダイモンの左手――包帯の巻かれていない方の手が伸びてきて、コーディエの耳たぶに触れた。
「なあ、コーディー。忘れろとは言わねえ、許す必要だってない。でも、そればっか考えてるのは辛いだろ? 世の中には、もっと楽しいことや素敵なものがいっぱいあるんだ。幸せで自分をいっぱいにして、あんな奴らのことなんて隅に追いやっちまおうぜ」
「……」
すぐには答えらえず、コーディエはダイモンを見上げた。いつの間にか、大分頭痛は和らいできている。黒褐色の瞳が、ランプの明かりを写しながらコーディエのことを見つめていた。
「俺と一緒に旅に出ないか、コーディー。毎日新しい出来事があるから、きっとつまらないことなんか考える余裕なんてなくなるぞ。それに、コーディーとなら……もっと旅が楽しくなると思うんだ」
「ダイモン……」
この男ともっと一緒にいたい、と思っていた。だが、彼を自分の窮屈な生活のうちに閉じ込めておくことはできない、とも。
(……自分が、ここから出て行くという選択肢もあるのか)
その発想はなかった――というより、無意識にコーディエが排除していた可能性だった。
しん、と静まり返った部屋の外から、街の喧騒が小さな室内に忍び込んでくる。聞こえてくる歌は、どこか物悲しい調べをしていた。
「……ありがとう。でも……僕には……仕事がある」
誰かの歌が終わってからコーディエが口を開くと、ダイモンは不満そうな顔をした。
「……お前の仕事なんて、本とペンがありゃあどこでもできるじゃねえか」
「君はこの数カ月間何を見ていたんだ。ただ写しているわけじゃなくて、辞書を引いたり、資料との整合性を見て注釈をつけたりしているだろう。そんなに簡単なものではないよ」
「ああそうかい」
押し殺したような声で呟いたダイモンは、コーディエに触れていた指を引っこめた。天井に目を彷徨わせたのち、ゆっくりと椅子から立ちあがる。
「……分かったよ。うん。……ごめんな、変なこと言って」
引っ張ってきていた椅子を戻し、振り向いたダイモンの表情は、穏やかなものだった。だが、その目は明らかに深く沈んでいる。
「そうだ、コーディー、腹減ってねえか? もし食べるんならなんか買ってきてやるぞ」
「いや、大丈夫だ。君のせいですこぶる体調がいいからね」
嫌味で返すと、「お、元気になってきたな」とダイモンが小さく笑った。なんとも痛々しいとコーディエは感じたが、かける言葉が見つからない。自分が傷つけ、更に失望させてしまっている相手に、どんなことを言えばいいというのだろう。
結局、気づかなかったふりをすることしかできなかった。
「何が元気なもんか。今にも頭が割れそうだ」
「悪かったね。じゃあ、ちょっとだけ返してやるよ」
そう言ってランプを消したダイモンはシーツをめくり、コーディエの横に入ってきた。二人分の体重に文句を言うように、ベッドが軋みを上げる。
肩を抱き寄せられ、そっとキスをされた。
「ん……っ」
舌先が触れ合うと、そこから清流のような力が流れこんでくる。押し流されるように頭痛が引き、体のだるさがなくなっていく。
「ふ、んぅ……」
もっと。コーディエがダイモンの口内に舌先を入れようとすると、ふっとダイモンが顔を離した。
「はい、おしまい」
「なんっ……」
体調は多少良くなったが、まだ魔法を使えるほどではない。コーディエがダイモンを追いかけて行ってもう一度キスをしようとすると、手のひらで唇を押さえられる。
「ダメ。ここまでだ」
「な、なんでだよ、私の魔力だろ、返せよ」
「んー」
暗闇の中で、伸びてきた大きな手がコーディエの顔を撫でまわす。
「これくらいの方がかわいいから……かな」
「はあ?」
抗議の声を上げると、また低くダイモンが笑った。肩を伝い、滑り降りた手が手首をつかんできたが、その力の強さはコーディエが恐怖を感じるほどだった。
ふ、とダイモンのため息のような吐息が聞こえた。
「……謝ってたよ、あの二人」
「え? ああ……そう」
だから何だというのだ。罪の意識は持っていて欲しかったが、謝って欲しくはなかった。そんなことをされたら、「自らに非がないのに謝罪する二人と、それでも逆恨みを続ける心の狭いコーディエ」という図式ができるだけだ。実際はどうあれ、傍から見ればそういうことになる。
(結局、どうあったって私が悪者になるだけじゃないか)
収まっていたはずの涙が、また枕に落ちていく。暗闇の中、コーディエは極力声には出さずに雫の流れるままに任せていたが、それでも目の前にいるダイモンに隠すことはできなかったらしい。手首を持っていない方の手が、ゆっくりとコーディエの背中を撫でる。
「もう、過去に囚われているのはコーディエだけなんだよ……悔しいけど、した側ってのはすぐに忘れてくんだ」
「そう……らしいな」
答えたコーディエは目を閉じて、ダイモンに背中を向けるように寝返りを打った。手首を握る手を振りほどこうとするが、握る方向を変えられただけで、ダイモンは手を離してはくれなかった。背中から手を回され、親鳥が雛を抱え込むように抱きすくめられる。
コーディエの耳の裏に、ダイモンの吐息が当たった。
そこまでしなくても勝手に出て行ったりしないのに、と思ったが、コーディエはもう何も言わなかった。ざらりとした包帯の上に手を重ね、しゃくりあげるのを気づかれないように、ただゆっくりと息を吸った。
「……ダイモン、その手……」
「ん? なんでもねえよ」
答えたダイモンは、さっと隠すように手を引っこめた。
「もしかして、その、私が」
「気にすんなって。魔法使いの杖が熱くなるなんて知らずに触っちまった俺が悪いんだし」
ダイモンの答えは、コーディエの想像を肯定していた。
「……すまない」
しばらく黙ったのちに、コーディエはそれだけ絞り出した。自分の短絡的な行動のせいで、ダイモンを傷つけてしまった。そんなつもりはなかったから何だというのだろう。
居たたまれない気持ちでいると、ダイモンの左手――包帯の巻かれていない方の手が伸びてきて、コーディエの耳たぶに触れた。
「なあ、コーディー。忘れろとは言わねえ、許す必要だってない。でも、そればっか考えてるのは辛いだろ? 世の中には、もっと楽しいことや素敵なものがいっぱいあるんだ。幸せで自分をいっぱいにして、あんな奴らのことなんて隅に追いやっちまおうぜ」
「……」
すぐには答えらえず、コーディエはダイモンを見上げた。いつの間にか、大分頭痛は和らいできている。黒褐色の瞳が、ランプの明かりを写しながらコーディエのことを見つめていた。
「俺と一緒に旅に出ないか、コーディー。毎日新しい出来事があるから、きっとつまらないことなんか考える余裕なんてなくなるぞ。それに、コーディーとなら……もっと旅が楽しくなると思うんだ」
「ダイモン……」
この男ともっと一緒にいたい、と思っていた。だが、彼を自分の窮屈な生活のうちに閉じ込めておくことはできない、とも。
(……自分が、ここから出て行くという選択肢もあるのか)
その発想はなかった――というより、無意識にコーディエが排除していた可能性だった。
しん、と静まり返った部屋の外から、街の喧騒が小さな室内に忍び込んでくる。聞こえてくる歌は、どこか物悲しい調べをしていた。
「……ありがとう。でも……僕には……仕事がある」
誰かの歌が終わってからコーディエが口を開くと、ダイモンは不満そうな顔をした。
「……お前の仕事なんて、本とペンがありゃあどこでもできるじゃねえか」
「君はこの数カ月間何を見ていたんだ。ただ写しているわけじゃなくて、辞書を引いたり、資料との整合性を見て注釈をつけたりしているだろう。そんなに簡単なものではないよ」
「ああそうかい」
押し殺したような声で呟いたダイモンは、コーディエに触れていた指を引っこめた。天井に目を彷徨わせたのち、ゆっくりと椅子から立ちあがる。
「……分かったよ。うん。……ごめんな、変なこと言って」
引っ張ってきていた椅子を戻し、振り向いたダイモンの表情は、穏やかなものだった。だが、その目は明らかに深く沈んでいる。
「そうだ、コーディー、腹減ってねえか? もし食べるんならなんか買ってきてやるぞ」
「いや、大丈夫だ。君のせいですこぶる体調がいいからね」
嫌味で返すと、「お、元気になってきたな」とダイモンが小さく笑った。なんとも痛々しいとコーディエは感じたが、かける言葉が見つからない。自分が傷つけ、更に失望させてしまっている相手に、どんなことを言えばいいというのだろう。
結局、気づかなかったふりをすることしかできなかった。
「何が元気なもんか。今にも頭が割れそうだ」
「悪かったね。じゃあ、ちょっとだけ返してやるよ」
そう言ってランプを消したダイモンはシーツをめくり、コーディエの横に入ってきた。二人分の体重に文句を言うように、ベッドが軋みを上げる。
肩を抱き寄せられ、そっとキスをされた。
「ん……っ」
舌先が触れ合うと、そこから清流のような力が流れこんでくる。押し流されるように頭痛が引き、体のだるさがなくなっていく。
「ふ、んぅ……」
もっと。コーディエがダイモンの口内に舌先を入れようとすると、ふっとダイモンが顔を離した。
「はい、おしまい」
「なんっ……」
体調は多少良くなったが、まだ魔法を使えるほどではない。コーディエがダイモンを追いかけて行ってもう一度キスをしようとすると、手のひらで唇を押さえられる。
「ダメ。ここまでだ」
「な、なんでだよ、私の魔力だろ、返せよ」
「んー」
暗闇の中で、伸びてきた大きな手がコーディエの顔を撫でまわす。
「これくらいの方がかわいいから……かな」
「はあ?」
抗議の声を上げると、また低くダイモンが笑った。肩を伝い、滑り降りた手が手首をつかんできたが、その力の強さはコーディエが恐怖を感じるほどだった。
ふ、とダイモンのため息のような吐息が聞こえた。
「……謝ってたよ、あの二人」
「え? ああ……そう」
だから何だというのだ。罪の意識は持っていて欲しかったが、謝って欲しくはなかった。そんなことをされたら、「自らに非がないのに謝罪する二人と、それでも逆恨みを続ける心の狭いコーディエ」という図式ができるだけだ。実際はどうあれ、傍から見ればそういうことになる。
(結局、どうあったって私が悪者になるだけじゃないか)
収まっていたはずの涙が、また枕に落ちていく。暗闇の中、コーディエは極力声には出さずに雫の流れるままに任せていたが、それでも目の前にいるダイモンに隠すことはできなかったらしい。手首を持っていない方の手が、ゆっくりとコーディエの背中を撫でる。
「もう、過去に囚われているのはコーディエだけなんだよ……悔しいけど、した側ってのはすぐに忘れてくんだ」
「そう……らしいな」
答えたコーディエは目を閉じて、ダイモンに背中を向けるように寝返りを打った。手首を握る手を振りほどこうとするが、握る方向を変えられただけで、ダイモンは手を離してはくれなかった。背中から手を回され、親鳥が雛を抱え込むように抱きすくめられる。
コーディエの耳の裏に、ダイモンの吐息が当たった。
そこまでしなくても勝手に出て行ったりしないのに、と思ったが、コーディエはもう何も言わなかった。ざらりとした包帯の上に手を重ね、しゃくりあげるのを気づかれないように、ただゆっくりと息を吸った。
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