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07 ちょっとしょっぱいパンケーキ
「影がない」という幽霊の特性は、暗めの店内では非常に見分けづらい。何となく不安を拭いきれないまま生地を作り、火加減を確認しつつセルクルの中に落とす。唯人が買ってきてくれたタイマーを一〇分に設定し、フライパンの蓋を閉めてため息をついく。
なんで、幽霊なんか見えるんだろう。
生まれつきではない、と思う。だが、いつから見えるようになったのかは灯真自身よく分からなかった。見たものを共有する相手がいなかったから、自分の世界が他人と違っていてもなかなか気づけなかったのだ。
この能力がなかったら……気持ち悪がられることもなくて、実家の引っ越し連絡くらいもらえたのかな。
考えても仕方のない仮定に、胸の奥が燻る。
灯真がぼうっと壁を見つめていると、「ちょっと!」と横から声がした。
顔を向けると、灯真と同じエプロンをつけたボブカットの女性が立っている。見た目は灯真とほぼ同年代だが、パタパタとさせている手が作業台をすり抜けていた。夏子——「さんふるうつ」に住む幽霊である。
「灯真、パンケーキパンケーキ!」
「え?」
手元に意識を戻すと、蓋をしたフライパンの中が灯真の心と同じように白い煙で一杯になっている。
「わ、うわ」
レシピ通りに作ったはずなのに。素手でセルクルを引っこ抜くと、固まっていない生地がフライパンの上に広がった。
「あつつつつわわわ」
ひっくり返すと、丸く焦げた中央とその周りに広がる生焼けの部分という何とも不格好な裏面が露わになる。
「……セーフ?」
「どう見てもアウトよ! アウト! ほらもう一回焼き直しなさい!」
「うう……」
再び冷蔵庫を開けようとすると、「もういいっ!」と女の子の声が聞こえた。
ばんっ、と机を叩く音が店内に響いた。固まる灯真と目を見開く夏子の前を、鞄を抱えた女子高生が走り抜けていった。
「あーあ、また唯人が女の子泣かせた~」
夏子の呑気な声が聞こえたわけではないだろうが、すれ違う瞬間、涙でいっぱいの目に睨まれた気がした。
スイングドアを押し開けて戻ってきた唯人が、うんざりしたようにため息をつく。
「……めんどくせえな、どいつもこいつも」
「あの……何が?」
「文句あんなら来なくていいっつってやった。ま、そのうちまた来るだろうけど」
「文句……?」
灯真に対する正当なクレームだろう。それなのにかわいそうではないだろうか。
「でも……役に立たないのは事実ですし……僕よりあの子雇ったほうが良くないですか?」
「は?」
剣呑な声と見下ろしてくる唯人の目の冷たさに、灯真は自分の失言を悟った。
「そうしたらお前どうするつもりだよ」
「どうって、べ……別に……どうでも……」
目を逸らすと、「馬鹿」と肩を小突かれる。体を竦めると、小さい呟きが聞こえた。
「俺は、お前がいてくれてよかったと思ってるからな」
「……え?」
顔を上げるが、もう唯人の視線は灯真の後ろにあるフライパンに移っている。
「あ、そういやパンケーキ焼き直してもらってたんだっけ。早まっちまったな」
「あっ、えと、それは……」
ひょい、と蓋を開けた唯人は、ふっと鼻から抜けるような笑いを漏らした。
「んだこれ、焦げてんじゃねえか」
「はい……」
「綺麗な黒焦げでしょ」
否定しようもない。熱くなった耳を手の甲で押さえる。まだ二ヶ月。でももう二ヶ月。これくらいはできるようになりたかった。
パンケーキをひっくり返した唯人が、まな板の上に不格好な塊を取り出した。焦げている部分を切り落とし、皿の上に置く。
「ちょうどいいから休憩行ってこい」
パンケーキの載った皿を突きだされ、灯真は唯人と皿の間で視線を行き来させた。
「捨てんのももったいないだろ。自分で焼いたんだから自分で食え」
「は、はい……」
つい皿を受け取ってしまうと、上にバターと蜂蜜がトッピングされる。背中を押され、キッチン奥、畳敷きの小部屋に押し込まれた。
「一時間で交代な」
強引な、と思う前に背後で扉が閉められてしまう。いいのだろうか。後ろめたさのようなものを抱えつつ靴を脱ぎ、灯真はちゃぶ台の上にパンケーキを置いた。
「……いただきます」
不格好なパンケーキは甘くて、しょっぱくて、そして少しだけ、苦かった。
なんで、幽霊なんか見えるんだろう。
生まれつきではない、と思う。だが、いつから見えるようになったのかは灯真自身よく分からなかった。見たものを共有する相手がいなかったから、自分の世界が他人と違っていてもなかなか気づけなかったのだ。
この能力がなかったら……気持ち悪がられることもなくて、実家の引っ越し連絡くらいもらえたのかな。
考えても仕方のない仮定に、胸の奥が燻る。
灯真がぼうっと壁を見つめていると、「ちょっと!」と横から声がした。
顔を向けると、灯真と同じエプロンをつけたボブカットの女性が立っている。見た目は灯真とほぼ同年代だが、パタパタとさせている手が作業台をすり抜けていた。夏子——「さんふるうつ」に住む幽霊である。
「灯真、パンケーキパンケーキ!」
「え?」
手元に意識を戻すと、蓋をしたフライパンの中が灯真の心と同じように白い煙で一杯になっている。
「わ、うわ」
レシピ通りに作ったはずなのに。素手でセルクルを引っこ抜くと、固まっていない生地がフライパンの上に広がった。
「あつつつつわわわ」
ひっくり返すと、丸く焦げた中央とその周りに広がる生焼けの部分という何とも不格好な裏面が露わになる。
「……セーフ?」
「どう見てもアウトよ! アウト! ほらもう一回焼き直しなさい!」
「うう……」
再び冷蔵庫を開けようとすると、「もういいっ!」と女の子の声が聞こえた。
ばんっ、と机を叩く音が店内に響いた。固まる灯真と目を見開く夏子の前を、鞄を抱えた女子高生が走り抜けていった。
「あーあ、また唯人が女の子泣かせた~」
夏子の呑気な声が聞こえたわけではないだろうが、すれ違う瞬間、涙でいっぱいの目に睨まれた気がした。
スイングドアを押し開けて戻ってきた唯人が、うんざりしたようにため息をつく。
「……めんどくせえな、どいつもこいつも」
「あの……何が?」
「文句あんなら来なくていいっつってやった。ま、そのうちまた来るだろうけど」
「文句……?」
灯真に対する正当なクレームだろう。それなのにかわいそうではないだろうか。
「でも……役に立たないのは事実ですし……僕よりあの子雇ったほうが良くないですか?」
「は?」
剣呑な声と見下ろしてくる唯人の目の冷たさに、灯真は自分の失言を悟った。
「そうしたらお前どうするつもりだよ」
「どうって、べ……別に……どうでも……」
目を逸らすと、「馬鹿」と肩を小突かれる。体を竦めると、小さい呟きが聞こえた。
「俺は、お前がいてくれてよかったと思ってるからな」
「……え?」
顔を上げるが、もう唯人の視線は灯真の後ろにあるフライパンに移っている。
「あ、そういやパンケーキ焼き直してもらってたんだっけ。早まっちまったな」
「あっ、えと、それは……」
ひょい、と蓋を開けた唯人は、ふっと鼻から抜けるような笑いを漏らした。
「んだこれ、焦げてんじゃねえか」
「はい……」
「綺麗な黒焦げでしょ」
否定しようもない。熱くなった耳を手の甲で押さえる。まだ二ヶ月。でももう二ヶ月。これくらいはできるようになりたかった。
パンケーキをひっくり返した唯人が、まな板の上に不格好な塊を取り出した。焦げている部分を切り落とし、皿の上に置く。
「ちょうどいいから休憩行ってこい」
パンケーキの載った皿を突きだされ、灯真は唯人と皿の間で視線を行き来させた。
「捨てんのももったいないだろ。自分で焼いたんだから自分で食え」
「は、はい……」
つい皿を受け取ってしまうと、上にバターと蜂蜜がトッピングされる。背中を押され、キッチン奥、畳敷きの小部屋に押し込まれた。
「一時間で交代な」
強引な、と思う前に背後で扉が閉められてしまう。いいのだろうか。後ろめたさのようなものを抱えつつ靴を脱ぎ、灯真はちゃぶ台の上にパンケーキを置いた。
「……いただきます」
不格好なパンケーキは甘くて、しょっぱくて、そして少しだけ、苦かった。
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