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15 ご注文は、
設営申請書と見比べながらテント内に机を並べ、持ってきた氷を冷凍庫に移動させていく。蜂蜜甘夏の入った瓶を並べ、クリアカップを取りやすい場所に置いた頃には、早くも日は翳ってきていた。
ライト付きのタープの下から外を覗く。気の早い客たちが、ちらほらと店の前を行き交っている。
「どう? お品書きここでいいか?」
「もうちょっと右……? あーそこそこ」
カウンター代わりの机の前側に、唯人がメニュー表を貼っている。テントの外、少し離れた位置からその位置を五十嵐とひなちゃんが見ていた。こちらに一瞥もくれることなくその間を横切っていった花火客を見て、不意に灯真は息苦しくなった気がした。
本当に、自分なんかが考案したものが売れるのだろうか。
机の上にあるクリアカップは、今更ながらあまりにも量が多すぎるような気がする。
考えてみれば甘夏を蜂蜜に漬けて、その汁を薄めただけの飲み物である。一応ゼリーは入れるし、蜂蜜は五十嵐養蜂場というブランドがついていると言っても、家でだって簡単に作れるような代物だ。そんなものに金を出す酔狂な人間がこの世にいるのだろうか。
なんで、引き受けちゃったんだろう。
どうして、これでいいなんて思ってしまったんだろう。
揺れた瓶たちがぶつかり合い、甲高い音を立てる。机の上にもメニューを立てていた唯人がハッと振り向いた。
「灯真?」
「あ……」
慌てて机から手を離すが、瓶は鳴りやまない。視線を落としたところを唯人に覗き込まれ、逃げ出したくなる。
今更後悔してる場合じゃないのに。目の前のことに集中しなくちゃいけないのに。このままだと、瓶が割れて本当に全部台無しになってしまう。
そう思うほど、息ができなくなっていく。
「……どうした?」
「あっ、え、そのっ……」
ガキン! とひときわ大きな音がした。びくりと震えた手を唯人に握られる。
「落ち着いて、ほら、深呼吸」
しっかりした手のひらの安心感と低い声が、過熱しかけていた灯真の中にすっと入ってきた。それだけで、灯真自身にもどうしようもなかった思考の暴走が落ち着いていく。言われたとおりに息を吸うと、徐々に瓶の揺れが小さくなっていった。
「す、すいません、でした……」
やがて瓶が止まる。灯真が指先を引っ込めようとすると、灯真の手を握ったままの唯人の手がついてきた。大丈夫です、と言いかけた灯真は、唯人の心配げな表情にその言葉を飲み込んだ。唯人の指先を握り返し、今しがたの感情を言葉にしていく。
「あー……その、ちょっと、不安、になっちゃって」
「不安?」
「本当に売れるかな、とか、おいしくない、って思われたらどうしよう、とか……」
今までただ自分の中にあっただけの感情にラベリングをして、切り分けたものを並べていく。それだけでも少し心の中が整理された気がした。
「い……今更そんなこと言っても、もうしょうがない、とは思うんですけど」
「あー分かる。俺も不安だもん」
唯人の口から聞こえた言葉は予想外で、灯真がその意味を理解するのには数秒かかった。
「……オーナー、も?」
「そりゃそうだよ。灯真がこの日のために毎晩頑張って考えてたのは知ってるし、味だって自信もっていい。けど……お客さんがどう感じるか、売れるかは別の話だからな。そもそもイベントに出店するのだって初めてだし」
持ち上げられた灯真の手が、浴衣越しに唯人の胸元に押し付けられる。
「だから……俺も、すっげえ緊張してる」
その言葉通り、そして表情とは裏腹に、激しい心臓の拍動が灯真に伝わってきた。
「あ……」
手に伝わる熱さに、そして薄暗がりの中でもまっすぐ見つめてくる唯人の瞳に、灯真は息を呑んだ。
唯人さんも、一緒なんだ。
失敗したらどうしよう、という不安は変わらなかった。
だが、唯人も同じであると聞くと、胸の中の焦げ付くような焦りも、足の竦みそうな怖さも、なぜか愛おしいものに変わってくる。
まるで、コーヒーを飲んで、苦みを楽しめるようになった時のような。
「ま、もしダメだったらさ、その時は帰りにおいしいものでも食べに行こうぜ」
空気を変えるように明るい声を上げた唯人が、ぱっと灯真の手を離した。
「で、『クソが!』って崖で叫べばいいだろ」
「んな……」
いつまであの日のことを引っ張るんだこの人は。灯真が反論しようとすると、「なあ圭」と唯人は振り向いた。いつのまにかテント内に戻ってきていた圭が「何?」とスマホから顔を上げる。
「圭、今日全然売れなかったら夕飯奢れよ」
「なんでだよ、嫌だよ、意味分かんねえよ。つか、開店前に1回ドリンク作らないか? 告知あげたいし」
ひらひらとスマホを振る五十嵐に、「そうだな」と唯人が頷く。
「オペレーションとか動線の確認も含めて、一回全種類作ってみるか」
「っ……はい!」
唯人の指示に従い、全種類のドリンクを作っていく。甘夏ソーダとエード以外に、塩入りとティーエード、ジンジャーエールバージョンも作ったので計五種類だ。
ふと気が付くと、灯真のすぐ横でひなちゃんがカップを眺めていた。
「きれーね」
「……ありがとう」
唯人に聞こえないよう、小さく返す。ライトの下で写真撮影に勤しむ五十嵐が、ちらりと灯真を見た気がした。
「あのー、注文いいですか?」
女性の声に振り向く。机の向こうに立った浴衣姿の女性が、メニュー表を指差していた。
ライト付きのタープの下から外を覗く。気の早い客たちが、ちらほらと店の前を行き交っている。
「どう? お品書きここでいいか?」
「もうちょっと右……? あーそこそこ」
カウンター代わりの机の前側に、唯人がメニュー表を貼っている。テントの外、少し離れた位置からその位置を五十嵐とひなちゃんが見ていた。こちらに一瞥もくれることなくその間を横切っていった花火客を見て、不意に灯真は息苦しくなった気がした。
本当に、自分なんかが考案したものが売れるのだろうか。
机の上にあるクリアカップは、今更ながらあまりにも量が多すぎるような気がする。
考えてみれば甘夏を蜂蜜に漬けて、その汁を薄めただけの飲み物である。一応ゼリーは入れるし、蜂蜜は五十嵐養蜂場というブランドがついていると言っても、家でだって簡単に作れるような代物だ。そんなものに金を出す酔狂な人間がこの世にいるのだろうか。
なんで、引き受けちゃったんだろう。
どうして、これでいいなんて思ってしまったんだろう。
揺れた瓶たちがぶつかり合い、甲高い音を立てる。机の上にもメニューを立てていた唯人がハッと振り向いた。
「灯真?」
「あ……」
慌てて机から手を離すが、瓶は鳴りやまない。視線を落としたところを唯人に覗き込まれ、逃げ出したくなる。
今更後悔してる場合じゃないのに。目の前のことに集中しなくちゃいけないのに。このままだと、瓶が割れて本当に全部台無しになってしまう。
そう思うほど、息ができなくなっていく。
「……どうした?」
「あっ、え、そのっ……」
ガキン! とひときわ大きな音がした。びくりと震えた手を唯人に握られる。
「落ち着いて、ほら、深呼吸」
しっかりした手のひらの安心感と低い声が、過熱しかけていた灯真の中にすっと入ってきた。それだけで、灯真自身にもどうしようもなかった思考の暴走が落ち着いていく。言われたとおりに息を吸うと、徐々に瓶の揺れが小さくなっていった。
「す、すいません、でした……」
やがて瓶が止まる。灯真が指先を引っ込めようとすると、灯真の手を握ったままの唯人の手がついてきた。大丈夫です、と言いかけた灯真は、唯人の心配げな表情にその言葉を飲み込んだ。唯人の指先を握り返し、今しがたの感情を言葉にしていく。
「あー……その、ちょっと、不安、になっちゃって」
「不安?」
「本当に売れるかな、とか、おいしくない、って思われたらどうしよう、とか……」
今までただ自分の中にあっただけの感情にラベリングをして、切り分けたものを並べていく。それだけでも少し心の中が整理された気がした。
「い……今更そんなこと言っても、もうしょうがない、とは思うんですけど」
「あー分かる。俺も不安だもん」
唯人の口から聞こえた言葉は予想外で、灯真がその意味を理解するのには数秒かかった。
「……オーナー、も?」
「そりゃそうだよ。灯真がこの日のために毎晩頑張って考えてたのは知ってるし、味だって自信もっていい。けど……お客さんがどう感じるか、売れるかは別の話だからな。そもそもイベントに出店するのだって初めてだし」
持ち上げられた灯真の手が、浴衣越しに唯人の胸元に押し付けられる。
「だから……俺も、すっげえ緊張してる」
その言葉通り、そして表情とは裏腹に、激しい心臓の拍動が灯真に伝わってきた。
「あ……」
手に伝わる熱さに、そして薄暗がりの中でもまっすぐ見つめてくる唯人の瞳に、灯真は息を呑んだ。
唯人さんも、一緒なんだ。
失敗したらどうしよう、という不安は変わらなかった。
だが、唯人も同じであると聞くと、胸の中の焦げ付くような焦りも、足の竦みそうな怖さも、なぜか愛おしいものに変わってくる。
まるで、コーヒーを飲んで、苦みを楽しめるようになった時のような。
「ま、もしダメだったらさ、その時は帰りにおいしいものでも食べに行こうぜ」
空気を変えるように明るい声を上げた唯人が、ぱっと灯真の手を離した。
「で、『クソが!』って崖で叫べばいいだろ」
「んな……」
いつまであの日のことを引っ張るんだこの人は。灯真が反論しようとすると、「なあ圭」と唯人は振り向いた。いつのまにかテント内に戻ってきていた圭が「何?」とスマホから顔を上げる。
「圭、今日全然売れなかったら夕飯奢れよ」
「なんでだよ、嫌だよ、意味分かんねえよ。つか、開店前に1回ドリンク作らないか? 告知あげたいし」
ひらひらとスマホを振る五十嵐に、「そうだな」と唯人が頷く。
「オペレーションとか動線の確認も含めて、一回全種類作ってみるか」
「っ……はい!」
唯人の指示に従い、全種類のドリンクを作っていく。甘夏ソーダとエード以外に、塩入りとティーエード、ジンジャーエールバージョンも作ったので計五種類だ。
ふと気が付くと、灯真のすぐ横でひなちゃんがカップを眺めていた。
「きれーね」
「……ありがとう」
唯人に聞こえないよう、小さく返す。ライトの下で写真撮影に勤しむ五十嵐が、ちらりと灯真を見た気がした。
「あのー、注文いいですか?」
女性の声に振り向く。机の向こうに立った浴衣姿の女性が、メニュー表を指差していた。
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