¿Quo Vadis ?─クォ・ヴァディス─

槇木 五泉(Maki Izumi)

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第五章 Memorado pri Verda(メモラード・プリ・ヴェルダ)

Memorado pri Verda.4 ※

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「──あぁ…。」

 鼻に掛かる、蕩けたような声。無我夢中で喰らい付く乱暴な口づけを受け止めた唇の間から、上擦った熱い吐息が漏れている。暖炉から聞こえる、薪の爆ぜる音を聞きながら、自身の身に纏うものを脱ぎ捨て、また、折り重なるように組み敷いたルゴシュの細身から、一枚ずつ身に纏うものを奪っていく。

 吸血真祖アルケねぐら、森の奥の砦とは、思ったより薄気味の悪い場所ではなかった。蝙蝠や毒虫の棲み処とは程遠い、清潔なシーツが敷き詰められた豪奢な寝台は、ただでさえ小柄なルゴシュ一人が使うにしてはいささか広すぎるように思える。武装神服を解きながら、首に掛けていた銀の念珠ロザリオを外し、腕を伸ばして寝台の支柱に引っ掛けるように吊るした。これで肌を撫でれば、吸血鬼の類にたちどころに深い火傷を負わせることのできる、聖別された銀の聖霊十字。装束を解くゲオルギウスの動作を妨げないように、首筋に抱き付いて身を摺り寄せていた壮齢の吸血真祖アルケは、その翡翠色の瞳をつと細めて、炎を映して煌めく鈍い銀色を一瞥した。

「聖霊十字を寝台に下げるのは、聖霊教徒セレスティオの習慣かね…?キミは、自分の部屋でも、いつもそうしているな。この私の寝台にソレが下げられたのは、これが初めてだ…。──どうにも落ち着かないものだ、何せ、心臓を狙う銀の剣を真横に置いて交わるようなものだからな…。」
「嫌ならば、目を瞑っていればいいだろう。いことをしながら胸の上に焼き鏝を押し付けられるのと、どっちがマシだかよく考えろ。──俺が聖霊教会の武装司祭だと知っていながら、こうすることを選んだのはお前だ。好き勝手に扱ってくれた礼は、たっぷり身体に返してやる。」
「おお、怖い神父さまだ──。私は、あくまで善意のつもりだったのだがね…。だが、今の私は、キミの精気が…その兇暴な楔が、恋しくてならないんだよ。…ギィ、もう解っているだろう?…いい子だから、焦らさないでくれ。」

 くく、と鳩のように咽喉を鳴らし、目尻の皺を深めながら笑うルゴシュは、年嵩の男の姿をしていながらも、壮絶な艶というものを放っている。そのように思えるのは、決して、ゲオルギウスがこの男の誘引に掛けられているせいだけではないのだろう。敬虔なる神と精霊の子を誘惑し、堕落させ、生き血を啜って同じ眷属に造り変えるのだという不死鬼の小柄な体躯には、生まれつきヒトを惹き付ける魔性の力が備わっているに違いない。
 その証拠に、短い銀色の髪に鼻先を埋めると、腐敗寸前まで熟成した果実のような、夜咲くある種の花蜜のような、甘ったるい香りがする。ルゴシュの纏う誘引の香気は、若き武装司祭の胸の奥に絶えず秘められている狂おしいほどの復讐と憎悪の焔、一年前程前まではそうであったと信じて疑わなかった妄執に近い焔を、これでもかとばかりに存分に掻き立ててくれた。すればゲオルギウスの意識には、最早、翡翠色の瞳をした宿疾の吸血真祖以外は存在しなくなる。執念深い狩人のようにその姿を追い求め、我武者羅に手を伸ばし、荒れ狂う心のままに乱してやりたくてならない。

「──ふ、…ぁ…ッ…!…ん…ッ──!」

 裸に剥いた、傷ひとつない滑らかな胸元に、急き立てられたように顔を埋める。薄桃色の小さな突起を口に含み、少々乱暴に吸い上げながら指先で捏ね回してやると、彼は咽喉を反らして高い嬌声を張り上げた。肌を重ねるゲオルギウスの、実った小麦の色をした短い金髪を軽く掴み、引き離すように、或いはもっと欲しがるようにカリカリと爪を立てて淡く掻いてくる。
 
「…ッ、…ね──?…誰の、邪魔も、入らない──。」

 下半身には未だ触れず、薄い胸の上の双つの突起への刺激だけでルゴシュにあられもない声を上げさせて、震える身体を、艶のある声を愉しんだ。愛撫と呼ぶには少々乱暴な行為を受け、シーツの上で焦れるように胸を反らしながら、ルゴシュは翡翠の眸を細めて熱の混じった声で囁き掛けてくる。まるで、この心の内を見透かすような彼の言葉に、ゲオルギウスは動きを止めてはっと目を見開いた。

 確かに、たとえゲオルギウスの住まう司祭館の寝台の上とて、何処か気を張っている自分自身があったように思う。それは、村人たちの敬意を集める武装神父の立場でありながら、長きに亘り民を苦しめ、数かぞえ切れぬ人間を屠ってきた神敵と、取引であるとはいえ、穢れた交わりを持っているからに他ならない。自分自身でさえ説明のできない、幾重にも巻き付いた荊のような背徳に他ならない行為を、仮に他人に見咎められでもしたら、どんな言い訳をしたところで虚しいばかりだろう。現に、この許されざる逢瀬の秘密を暴かれた時に覚えた、心臓を氷の手で握り潰されるような感覚は、今もゲオルギウスの心の片隅に恐怖の記憶として消えずに残り続けている。
 だが、遠い森の中、切り立った崖の上に位置するという吸血真祖の居城、一筋の光も射し込まないように厳重に塗り込められた古き砦の中で、ゲオルギウスの行いを咎めるのは、神と精霊をおいて他にありはしないのだ。よしんば神と精霊がゲオルギウスの行いを咎めるというのであれば、何処にいたところで、その怒りの鞭は雷霆となって一人の武装神父を容赦なく打ち据えるであろう。そして、永遠に消えぬ炎となって生きながら灼かれ続けるのが、背教者に与えられる罰だと信じられていた。

 しかしこの部屋は、筆舌に尽くし難い煉獄の光景とはまるで異なっている。暖炉の炎で暖められた部屋の空気が裸の素肌を撫で、夜になれば薪を惜しむ必要のある質素な司祭館とは、比べ物にならない。
 そして、それは今まさにゲオルギウスの手で身体を開かれるルゴシュにしても、同じような感覚であるらしかった。人間の、聖霊教徒の聖域である司祭館を『古井戸の底のように気味が悪く、居心地悪い』と言って憚らなかった吸血真祖アルケは、己を遠ざける人間の神聖さから遠く離れた塒の寝台の上で、猫のように咽喉を鳴らして、若い神父のやや乱暴な前戯を受け止め、与えられる感覚を堪能している風に見える。人間の住まう地から吸血真祖アルケの領域に一方踏み込み、それでもそこで確かに『安寧』を覚えている自分自身が、俄かには信じられなかった。そして同時に、途方もない背教の罪に手を染める罪悪感に打ちのめされ、ギリリと唇の端を噛む。

「──神よ、許し給えディ・オ・パルドゥミア…どうか…。」

 ゲオルギウスの咽喉から溢れた抗えない絶望の断片を聞きつけ、ルゴシュは一瞬、その翠色をした双眸をすいと細めた。唇に浮かんでいるのは嘲笑か、はたまた哀れな神の子への憐憫か、傷ひとつない真っ白な腕がゲオルギウスの頭をそっと引き寄せ、旋毛の上に鼻先を埋めて、微風のような声で囁き掛けてくるのだ。

「…そうだ、キミは、それでいい。──私は、オマエ達の信じる神や精霊とは決して相容れぬモノ…。そうと知って尚も燃え上がるキミの中の捩れた炎こそ、私は好ましいと思っているのだからね。キミがもし、何の信念もない下卑たヒトの男であれば、私はこうしてこの身を任せてはいない。──とっくに引き裂いて殺しているか、意思なき我が下僕として使役しているかだ。…さあ、存分に懺悔の言葉を聞かせておくれ、ゲオルギウス。千年前に生きた聖人と同じ名をした、ヒトの子の神父よ…。」
「──黙れよ、不死鬼ノスフェラトゥが。」

 在りし日から、心ごとこの男に繋がれて逃れられない自身の命運を、神は何故定め給うたのだろうか。天国の扉を叩く資格のない闇の眷属に身を貶めることも叶わず、身の内に相反する心を抱えた侭で、司祭として人々に神の教えを説きながら、棘草で編んだ帷子を着て日照りの路を何処いずこへか歩き続ける。

 ゲオルギウスは、溜息交じりに、考えても詮のない苦悩について考え続けることを放棄した。今は、この男と交わした約束を、不本意だがこの心を駆り立てて止まない契約を、遂行することが先だと自分自身に言い聞かせる。そして、実のところそれは、無理矢理に『報復』という名を冠してしまえば、ゲオルギウスにとっては愉悦そのものであるのだ。己を銷魂の縁に追い詰める教義を、今一時は胸の奥底に封じ込めることに徹して、ニヤリと嗤いながらルゴシュの小柄な痩身を強引に抱え上げた。彼が抵抗をする間も、何か言う間も与えずに姿勢を入れ替え、頭と足が互い違いになるようにして、半裸に剥いたルゴシュを仰向けの自分の身体の上に乗せる。
 黒い下穿きトラウザーズに手を掛けて引き下ろしながら、未だ臙脂色の下穿きに包まれたままの雄の部分を、軽く腰を跳ね上げてルゴシュの鼻先に触れさせた。

「無駄話を聞かせた罰だ。お前が、その口で俺をその気にさせろ。こっちは、好きにやらせて貰う。──やり方は知っているだろう?気高い、不死の辺境伯ならば。」
「…全く、実に品行方正な神父さまだ──。いいだろ、私の無駄口でキミを萎えさせたのは事実だ。…丹念に接吻してやろう、どうやら、不死者ノスフェラトゥの牙が恐ろしくはないようだからね…。」

 互いの秘部を口で取り合う淫らな体位を強いたにもかかわらず、肩越しに振り返るルゴシュの貌には、不満の色は浮かんでいない。何かに枯渇したように唇を舐める舌先の紅さが、忘我の嗜虐に駆り立てられつつあるゲオルギウスの濃蒼の瞳の中に鮮やかに残った。
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