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労働と天使について。
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「…で、アンタがその、ワケアリの求職者ってコト──?」
「あ、ハイ。──その、ユキヒトさんは俺の知り合いで、奥さんの借金とDVが酷くて逃げてきたっていうか…その…。」
「あーあ、いいわよ。細かいことは聞かない主義なのよ、アタシ。ふぅん、アンタ、なかなか顔がいいじゃない。」
「それは恐れ入ります。──もし、ぼくに出来る仕事ならば、何でも喜んで。これ以上ハルトくんに迷惑はかけられませんから。」
その日の仕事帰り、俺は、買ってきた古着にゴム製のサンダルを履かせたユキヒトさんを連れて、バイト先の店長に紹介された雑居ビルのBAR『美ヲFe瑠Miん』の薄暗い店内にいた。
退勤後、普段、滅多に話をしない俺の方から話し掛けてきたことを、居酒屋の店長は少し意外だと思ったらしい。そして、実は、鬼のような酷い奥さんから逃げているということにした年上の友達がいて、公的書類がなく、奥さんにバレずに働ける場所はないかと聞いてみたところ、電話してくれたのがこの小さな、お世辞にも上品とは言えないBARなのだ。
ここの店長兼バーテンダー兼シェフでもある、自称『春香』さんは、身長がユキヒトさんよりデカくてゴリゴリのマッチョの金髪ベリーショートで、派手なTシャツから覗く筋肉はどこからどう見ても激しくいかつい。そんないかつい見た目に反して、春香さんの口調はなぜかゴリッゴリのオネエだった。
遠慮なしにジロジロと見られ、マスクとキャップの下に顔を隠して一歩引いてしまいそうになる俺に反して、ユキヒトさんは物怖じもなく、どこまでも真っ直ぐだった。しばらくユキヒトさんの顔をじっと見ていた春香さんは、フン、と鼻を鳴らして小さく頷く。
「いいわね?あくまで、アタシがポケットマネーで雇うスタッフなんだから、給料は安いわ。日当は現金で日払いよ。それで、何かやらかしたらすぐに辞めてもらうから。」
「それでも構いません。よろしくお願いします。」
深々と頭を下げるユキヒトさんの振る舞いは、大人そのものだった。春香さんは、気を取り直したように肩を竦め、腰を九十度に折り曲げているユキヒトさんの肩をポンと叩く。
「ユキヒトっていうのね、アンタ。それじゃユキちゃんって呼ぼうかしら。二週間は見習いよ、時給は千円、安いでしょ?でもアタシ、その代わり、素性とか前科とか、込み入ったことは何も聞かないわぁ。…アンタがお酒作って、お客さんと会話を弾ませてくれてたら、個人的にお給料アップしちゃうかもね。」
「それは──合格でいいんでしょうか?…ありがとうございます!」
灰色の眦を細めて、ユキヒトさんが笑顔を浮かべる。その場にその人がいるだけで、薄暗く、そしていかつい店内でもぱっと雰囲気が明るくなるのは、ユキヒトさんが天使という生き物だからだろうか。そして、そう感じているのは、どうやら俺だけではないらしい。ゴリマッチョでオネエの春香さんが、ふっと口角に笑みを浮かべる。
「アンタ、人と話すのが得意ね?アタシの勘がそう言ってるのよ。…まあ、だから悪い女に引っ掛かるのかもしれないけど。とりあえず、前の子が着てたスーツがあるから、明日はそれで来てよ?五時には開店の準備をするから。」
「はい…ハイ!春香さん、ありがとうございます!」
「アタシのことは店長と呼びな。わかったわね?」
とりあえず思ったのは、居酒屋の店長が紹介してくれた春香さんは、見た目ほど悪い人ではないらしい。そして、一対一での接客は、もしかしたらユキヒトさんには向いているかもしれない。結局、俺は春香さんとはほとんど喋れなかったが、渡りに船とはこういうことなのかもしれないと思った。
「──どう?仕事。上手く行きそうだと思う?」
春香さんから預かった、前のバイトのユニフォームが入っているという煙草臭い紙袋を片手に、きらきらと嬉しそうに歩くユキヒトさんを見上げてみた。
「何事も、やってみなければね。あの店長は悪人じゃないよ。ただ、他人と違って個性が強いだけさ。──さあ、頑張って稼がなきゃ!それで、ハルトくんに貰ったものを返せるようにならなきゃね。」
やる気充分なユキヒトさんを見ていると、心配というものは杞憂ではないのかと思えてきた。仮にも本当にもユキヒトさんは大人だし、それに、神様の許から来た天使なんだから、心配しても仕方がない。
「──別に、お返しとかそういうの、いいのに。」
空を見上げて、俺はポツリと呟いた。
一人が当たり前だった部屋の中にユキヒトさんがいる、それだけで、人生がちょっと明るくなった気がするから。
「あ、ハイ。──その、ユキヒトさんは俺の知り合いで、奥さんの借金とDVが酷くて逃げてきたっていうか…その…。」
「あーあ、いいわよ。細かいことは聞かない主義なのよ、アタシ。ふぅん、アンタ、なかなか顔がいいじゃない。」
「それは恐れ入ります。──もし、ぼくに出来る仕事ならば、何でも喜んで。これ以上ハルトくんに迷惑はかけられませんから。」
その日の仕事帰り、俺は、買ってきた古着にゴム製のサンダルを履かせたユキヒトさんを連れて、バイト先の店長に紹介された雑居ビルのBAR『美ヲFe瑠Miん』の薄暗い店内にいた。
退勤後、普段、滅多に話をしない俺の方から話し掛けてきたことを、居酒屋の店長は少し意外だと思ったらしい。そして、実は、鬼のような酷い奥さんから逃げているということにした年上の友達がいて、公的書類がなく、奥さんにバレずに働ける場所はないかと聞いてみたところ、電話してくれたのがこの小さな、お世辞にも上品とは言えないBARなのだ。
ここの店長兼バーテンダー兼シェフでもある、自称『春香』さんは、身長がユキヒトさんよりデカくてゴリゴリのマッチョの金髪ベリーショートで、派手なTシャツから覗く筋肉はどこからどう見ても激しくいかつい。そんないかつい見た目に反して、春香さんの口調はなぜかゴリッゴリのオネエだった。
遠慮なしにジロジロと見られ、マスクとキャップの下に顔を隠して一歩引いてしまいそうになる俺に反して、ユキヒトさんは物怖じもなく、どこまでも真っ直ぐだった。しばらくユキヒトさんの顔をじっと見ていた春香さんは、フン、と鼻を鳴らして小さく頷く。
「いいわね?あくまで、アタシがポケットマネーで雇うスタッフなんだから、給料は安いわ。日当は現金で日払いよ。それで、何かやらかしたらすぐに辞めてもらうから。」
「それでも構いません。よろしくお願いします。」
深々と頭を下げるユキヒトさんの振る舞いは、大人そのものだった。春香さんは、気を取り直したように肩を竦め、腰を九十度に折り曲げているユキヒトさんの肩をポンと叩く。
「ユキヒトっていうのね、アンタ。それじゃユキちゃんって呼ぼうかしら。二週間は見習いよ、時給は千円、安いでしょ?でもアタシ、その代わり、素性とか前科とか、込み入ったことは何も聞かないわぁ。…アンタがお酒作って、お客さんと会話を弾ませてくれてたら、個人的にお給料アップしちゃうかもね。」
「それは──合格でいいんでしょうか?…ありがとうございます!」
灰色の眦を細めて、ユキヒトさんが笑顔を浮かべる。その場にその人がいるだけで、薄暗く、そしていかつい店内でもぱっと雰囲気が明るくなるのは、ユキヒトさんが天使という生き物だからだろうか。そして、そう感じているのは、どうやら俺だけではないらしい。ゴリマッチョでオネエの春香さんが、ふっと口角に笑みを浮かべる。
「アンタ、人と話すのが得意ね?アタシの勘がそう言ってるのよ。…まあ、だから悪い女に引っ掛かるのかもしれないけど。とりあえず、前の子が着てたスーツがあるから、明日はそれで来てよ?五時には開店の準備をするから。」
「はい…ハイ!春香さん、ありがとうございます!」
「アタシのことは店長と呼びな。わかったわね?」
とりあえず思ったのは、居酒屋の店長が紹介してくれた春香さんは、見た目ほど悪い人ではないらしい。そして、一対一での接客は、もしかしたらユキヒトさんには向いているかもしれない。結局、俺は春香さんとはほとんど喋れなかったが、渡りに船とはこういうことなのかもしれないと思った。
「──どう?仕事。上手く行きそうだと思う?」
春香さんから預かった、前のバイトのユニフォームが入っているという煙草臭い紙袋を片手に、きらきらと嬉しそうに歩くユキヒトさんを見上げてみた。
「何事も、やってみなければね。あの店長は悪人じゃないよ。ただ、他人と違って個性が強いだけさ。──さあ、頑張って稼がなきゃ!それで、ハルトくんに貰ったものを返せるようにならなきゃね。」
やる気充分なユキヒトさんを見ていると、心配というものは杞憂ではないのかと思えてきた。仮にも本当にもユキヒトさんは大人だし、それに、神様の許から来た天使なんだから、心配しても仕方がない。
「──別に、お返しとかそういうの、いいのに。」
空を見上げて、俺はポツリと呟いた。
一人が当たり前だった部屋の中にユキヒトさんがいる、それだけで、人生がちょっと明るくなった気がするから。
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