上 下
11 / 44
第一章

しおりを挟む
 離れの部屋に泊まる宿に来ていた。
 食事は済ませているから、部屋についている露天風呂に浸かって、のんびり中。
 五つある離れのうち、三つが埋まっているが、ある程度距離があるからか静かなものだ。

 まだ一日目、なんだよなぁ……。

 満天の星空を仰ぎ見ながら思う。
 こうして、少なくとも今視界に入るもの全て、ちょっと旅行に来ましたよ。みたいな感じで、国内にいるみたいに思えるのに、実は国どころか世界も違うなんて。

「実感がなくなるよなぁ……お湯気持ちいいし……」

 否、それは関係ないけど。

 いい加減ふやけてしまいそうだったから、名残惜しく感じながらも出ることにする。
 今まで着ていた着物じゃなくて、用意されていた浴衣に着替える。……うん。この帯は自分でやるんだね。
 着なれていないのは確かだけど、帯を腰に回してちょっと待ったのには理由がある。
 神様からの餞別として貰った着物の帯が、脱ごうとして手を掛けた瞬間に、勝手にほどけてしまったのだ。
 その所為で帯に差し込んでいた護身刀がゴトリと落ちて、心臓がバクバクする程驚いた。
 何が起きたのか頭が追い付かなかったし、解けたはいいけど、締めるのって出来るかなと試そうとしたところ、今度は勝手に締まったどころか、着物の襟や裾なんかもシュッと整ったりするから、びっくりした。いちいち心臓に悪い。
 どうやら僕の意思によって反応する仕組みらしい。
 これがこの世界では普通なの? それとも、神様からの餞別だからという特別仕様?
 羽咲に訊けば早かったのだろうけど、満腹になったことと疲れの所為だろう。宿に着いてすぐに眠ってしまった。
 一先ひとまず疑問は置いておいて、こうして浴衣に着替えてみたところで、解決したという訳だ。
 下着は宿の売店で買えた上に、この世界には便利過ぎる洗濯機があった。
 布団のような大きなものを洗えるのは勿論、下着一枚でも稼働可能な、少量専用の小さな洗濯機である。
 しかもこれ、お金を投入して使えるのだけど、洗うものを入れてお金を入れたら、後は自動で洗濯→脱水→乾燥とやってくれるという優れもの。
 一回たったの十チッチ!
 今なら普通の洗剤かフレグランス洗剤かの選択自由!
 まさかこの世界にまで、フレグランス洗剤が普及しているとは。

「……有り得るね。あのノリなら」

 好きなものを好きなだけ詰め込んでみたのじゃ! なんて胸張って言われそうな気がする。

「あれ?」

 髪を乾かそうとしたらドライヤーがなかった。ドライヤーのアイコンみたいなものがついたケースはあるのに、お出掛け中?
 まあ、地図を眺めようと思っていたから、すぐに寝る訳でもないし、いいかな。と諦めて脱衣所から出る。

「!」

 また盛大に跳ねる心臓。
 座椅子に腰掛けて何故か一杯やってるコクタンさんの姿があった。

「どうしてここに?」
「――」

 こちらがバスタオルを頭に被っていたからか、僕を見ても何も言わない。ただ、見つめるだけ。
 もしかして怪しまれてる? でも怪しいのはコクタンさんの方だよ? だってここは僕と羽咲が借りた部屋なんだから。
 ……うん? もしかして僕、部屋を間違えた? でもそうしたら貰った鍵でドアが開いたりしないよね? 全部同じな訳ないんだから。防犯的に。

「――困りましたね。さすがにここまでとは」

 立ち上がったコクタンさんが、僕の頭からバスタオルを取り上げる。
 目線がゆっくりと落ちていく。
 何を困らせてしまったのだろうかと考えた。色々あった今日のことの中から、問題がありそうなところを挙げようとしたのだけど、見付からない。

「ただの人たらしかと思いましたが、話術も誠実さも関係なく、匂い立つ色香で虜にしていくのですね」
「酔ってます?」
「ええ。ナツミさんに酔わない者がいたら、男として終わってます」

 間違いなく酔ってますね。
 鎖骨に指を這わせて来る手を退かして、浴衣の襟元を直す。
 僕も一杯貰おうと、水差しからグラスに水を注いだところで、今度はバスタオルを頭に被せられ、ごしごしと髪に残る水分を拭い始めた。

「いいですよ、自分で出来ますから」
「やらせて下さい。というかやりたいのです」
「……じゃあ、お願いします……?」

 世話好きな人って何処にでもいるんだなー。でも何しに来たんだろう。と思いながら拭き終わるのを待って、ようやく水分補給完了。
 ふと見ると、コクタンさんが自分のものと思われるバッグに、バスタオルをしまっている。

「それ、宿の備品ですよ? 持って帰っちゃ駄目です。しかも僕の髪を拭いたやつですよねぇ?」
「神へのお土産です。ナツミさんの匂いがついていれば喜びます。喜ばれなければ、わたしが使いますから大丈夫です」

 発想がおかしいよ!

 慌ててどうにか取り返したけど、取り合いになった時、コクタンさんが楽しそうだったのが、ちょっと納得いかない。
しおりを挟む

処理中です...