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第二章

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「アキー!」

 羽咲がご機嫌な声で僕を呼ぶ。
 音守もバウバウッと恐らくは僕を呼んでいるのだろうけど、二人の声はとても遠い。
 不思議だよね。数メートルと離れていないくらいに近くにまで来ているというのに。
 だから、警邏隊の人たちが驚いたようにザワザワしているのも、言葉を拾えなくて本当にザワザワしているようにしか思えない。
 サァッと血の気が引いていて、うっかりすると倒れてしまいそうだった。
 そう。例え背後にあるのが聳え立つ橋じゃなくたって、この場から逃げることは出来なかったのだ。こうして立っているので精一杯だったのだから。

「アキ、見て見て! あたちと音守とでやっつけたのよっ」
「……」

 そっかー。それはスゴいねー。

「音守が止まらなくなっちゃって、どうちようかと思ったんだけど、にょきにょきちてた地中主に体当たりちたら止まったの。その後、エイエイってやって倒ちたのよっ」

 うんうん。スゴかったんだねー。

 ……ところで、どうしてソレを持って来ちゃったかな。
 お陰で、多分ドヤーッとした感じでいるだろう羽咲の姿を、微笑ましく見てあげることすら出来ないよ。

「アキ様、しっかり」

 何か、太くて長いものが僕の背中を支えてくれている。笑琉の声が背後から聞こえるということは、巨大化でもして僕が倒れないようにしてくれているんだね。
 そんなことを思っていることすら他人事のような、不思議な感覚だよ。

「これはいけない。お前たち、早くそいつにトドメを刺すなり何なりして、この方の視界から消して差し上げろ!」
「りょ、了解しましたっ」

 慌てたリーダーさんの声に、ズルズルと見たくないものが引きずられて去っていく。

「もう、アキったら駄目ね」
「いいえ。これは仕方のないことにございましょう。動かぬようになっていたとはいえ、あのように醜悪なものを目にしては、まだ渡り人として経験のないアキ様にとっては拷問に等しいかと」
「拷問!? あたち、アキに酷いことちたのっ?」
「アキ様は可愛らしいものがお好きであるご様子。確か、本に描かれたる奇怪な姿にも目を背けておられました。であるなれば、或いはその様に捉えられてしまうのも無理からぬことかと」
「――ああ」
「! アキっ」

 何やら言い合いをしている中、僕がようやく息をつくと、羽咲が僕の顔面にダイレクトアタックしてきた。

「ぶっ、くちゅんっ」

 もふもふに鼻を刺激されてくしゃみをすると、ゆっくりと戻りつつあった体温がすっかり戻り、周囲の声も明確に聞こえるようになる。

「ごめんね。ちょっと現実逃避していたみたいだよ」

 笑琉の首の辺りを撫でたり、くしゃみで落としてしまった羽咲を拾い上げたりしながら言い、萌志を抱っこしたまま心配そうに僕を見ているリーダーさんに小さく頭を下げた。

「すみません軟弱者でして」
「大丈夫か? あまり綺麗なとこじゃないが、横になってくか?」
「いえ、もう、なんとか」

 大丈夫とは言えないけれど、にへらとだらしなく誤魔化すように笑ってみせると、リーダーさんは呆けた様子になりながら、萌志をぎゅうぅっと抱き締める。
 いけない。と思う間もなく、怒った萌志がリーダーさんの腕にガブリと噛みつき、放された際に素早い身のこなしでもって、リーダーさんの頬を尻尾で打ってから着地し、音守の傍までとことこと逃げて来た。

「あはは、すまんすまん。つい力が入っちまった」

 幸い流血沙汰にまではならず、リーダーさんは笑って許してくれた。
 萌志を叱るべきなんだろうけど、先に苦しい思いをさせてしまっていたのだから、両成敗ということで許して貰おうかな。

「しかし、あれ一匹で卒倒しそうになっちまうくらいじゃ、この先は進めないぞ? 何処に向かうか知らんが、あっちはやめてこっちかそっちに回りな」

 と、僕から見て正面の、羽咲と音守が突撃して行ってしまった方向はやめて、左右どちらかを迂回するように提案して貰ったし、出来れば僕だってそうしたいところだけど。
 でも、警邏隊の人たちを――或いは天元に来ようとしている人たちを困らせている地中主を、このまま放っておくことは出来ないよね?

「取り敢えず、行ってみます。僕に出来ることがあるかもしれませんので」

 僕の「きらきら」とやらで何とかなったりしちゃうといいなぁ。
 なんて楽観的に考えてみたのは、足を先に進める為に必要だったことで。
 心配そうに渋るリーダーさんは「だって僕、渡り人ですから」と言った僕と、自分たちがいるから問題ないと言う羽咲たちに、納得していないのが丸分かりの表情で、妥協案を出してくれた。

「俺たちもついて行く。あんたが倒れたら、すぐに抱えて引き返せるようにな」

 それは申し訳なくも頼もしい案だけれど、絶対に頼ったらいけないよね、と気を引き締めさせられるものでもあった。
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