拾って下さい。

織月せつな

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例えばの話でも。

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「ところでお嬢ちゃん」
「はい」

 ダンディさんが改まった様子で声をかけて来ましたので、私も背筋を伸ばしながら返事をしました。
 書物の方はどちらも受け取って下さらなかったので(全てに目を通しなさい、ということか、また開く機会がある為だと思われます)膝の上です。

「正直に答えてくれると嬉しいんだが――お嬢ちゃんは異世界から来たんじゃないかい?」
「!」

 ダンディさんの言葉にドクリと痛いくらいに心臓が脈打ちました。
 続いてサァッと血の気が引いていくのが分かります。信じられないかもしれませんが、その感覚と同時に音が内側からはっきりと聞こえるのです。
 座っていた体が後方に引っ張られたように傾ぎました。
 その背を支え、膝の上から滑り落ちそうになった書物を受け止めてくれたのは、ドラクロワさんでした。

「安心して、カナル。俺たち、出会い方からして普通じゃなかったんだから、多少のことじゃ動じない。カナルが不安になるようなことはしないよ」

 優しい声が、抱き締めてくれる温もりと共に背後から全身に染み渡って行きます。

 私をこちらに呼んだ本当の理由は、このことを訊く為だったのかと思いました。
 塔のことにしろ、リセットされてしまった魔物との戦いの件にしろ、三人だけで話すような内容ではありません。
 纏まったら話をすればいい。といった考えだったとも思われますが、私が何処から来たのかについては、あまり多くの人に……出来れば誰にも……知られたくないものですから、ついでのように訊ねるのがいいとお二人で判断したのでしょう。

 違います。そう否定することも出来た筈でした。
 頑なに否定し続ければ、お二人はきっと引いて下さるでしょう。けれどその代わりに、私はなけなしの信頼を失い、また、これまで色々と助けていただいた恩を仇で返すような(意味合いは違うかもしれませんが)最低なことをしてしまうことになるのです。
 地中に埋められていた為に記憶喪失になった。なんて言い訳はもう利用出来ません。その切っ掛けを作ってしまったのは、得意気にゲームの知識をひけらかした自分なのでしょうから。

「はい。私は異世界から来ました。……ですが、どうしてここに来てしまったのかは分かりません」
「――良かった」

 私の頭を撫でながらドラクロワさんが安心したように呟きました。

「カナルが誰かに憎まれたりして、酷いことされたんじゃなくて」
「…………」
「カナル?」

 その優しい言葉は残酷でした。
 申し訳なくて、向こうでの自分がドラクロワさんの気持ちを踏みにじったような気持ちになって、涙が溢れ出してしまいました。

「――っ、ごめん。俺、その……ええと……」

 涙を止めなきゃ。と思うのに、上手くいきません。ドラクロワさんを困らせるようなことはしたくないのですが、どうにも出来ないのです。

「忘れて、ごめん。カナルの過去について僅かなものでしかないけれど、知っていたのに。否、過去というより、ああいう考えに至る何かがあったと予想するくらいのことでしかないんだけど……。だから、もしもさっきの俺の言葉がカナルを傷つけるものだったなら、どうか俺を罰してくれ」

 ぎゅうぅっ、と私を抱き締めるドラクロワさんの腕に力がこもります。

「シリル。そいつは狡い言い方だな。お嬢ちゃんがお前さんを罰するなんてこと、する訳ないじゃないか。そういうことが出来ない子だって分かっているだろう?」
「おっさんのそういう言い方の方が狡いと思うよ?」

 言い合った後で、ドラクロワさんの温もりがスルリと離れてしまったかと思うと、私の前に膝をついて見上げる姿がぼやけた視界に映りました。

「本当に、カナルが泣き止んでくれるなら、何でもするよ。この世界に来てくれたことに感謝しているんだ」
「お嬢ちゃんはもしかすると、この世界の人間たちが忘れてしまったことを取り戻させる為に、あらかじめ異世界に送られていたのかもしれないね。お嬢ちゃんのいた世界がどんなものかは知りようがないが、色々と考えさせられる言葉をもたらしてくれているようだから」

 ……私が、あらかじめ異世界に送られていた……?
 ダンディさんの言葉に、今度は足元からぞわぞわとしたものが広がって行きました。
 もしもそうなら、私はこの世界にいても良いことになります。部外者でも異物でもなく、この世界が私のいるべき場所であるというなら、嬉しいです。

「えっ、ちょっと、余計に泣いちゃったよ、おっさん!」

 ごめんなさい。これは嬉し涙というものなのです。真実はそうでなくても、ただの気休めでも、ダンディさんに言って貰えたような発想がなかったので、その不確かな仮定の設定に縋ってみたいと思います。ですからもう少し待って下さい。

 そうして、慌てていたドラクロワさんに再び頭を撫でて貰いながら、私は一頻り泣かせて貰ったのでした。
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